愛犬くんとのゆったりライフ

温厚な愛犬くんとの日常を気ままに綴ります。
郷土の武将・武石胤盛さんに関するレポートもございます。

東六郎胤頼さんの末裔伝承(3)

2012年11月24日 | 東胤頼さんの末裔伝承

久しぶりに、このテーマについて書こうと思います!

今回、新たな発見がありました!

そこで、改めて伝承について検討してみたいと思います。


母方の祖父の実家(千葉県山武郡)には、以下のような伝承があります。

1.東六郎胤頼さんの末裔である

2.東六郎胤頼さんの何代目かの子孫が、室町時代末期に一族の争いに巻き込まれ、東庄町周辺から山武郡に落ち延びて、田畑を開墾して帰農した

(移ってきたのは、五男と六男。東六郎胤頼さんから数えて何代目かは不明とのこと…)

3.江戸時代に、新たに赴任した殿様(土井利勝氏)に遠慮して、姓を土井から今の姓に改めた


これらの伝承について「『山室譜伝記』という歴史書に書いてある」と、現在97歳の祖父は申しております。

そこで、飼い主(このブログの筆者)は『山室譜伝記』を入手し、暇な時にパラパラと読み進めておりました。

そして!

入手してから数年を経て、伝承と合致する箇所を発見いたしました!

Rally200

『山室譜伝記』とは…

正式名:『総州山室譜伝記』

江戸時代中頃に成立した史伝書です。

芝山町や周辺で起きた出来事、寺社の由緒や地名の由来等が書かれています。

230320_026

真偽のほどは判りませんが、記載されていた内容は伝承に近いものでした!

あくまで、史伝書に記載があるだけなので『真実』とは言えないです。

しかし、とりあえず「お~、本当に書いてある!」と嬉しくなりました。

これからも、探索を続けていきたいと思います

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東六郎胤頼さんの末裔伝承(2)

2009年11月11日 | 東胤頼さんの末裔伝承

今回は、祖父から新たに聞いた情報をもとに、ご先祖にまつわる伝承?を再検討したいと思います。

これまでのところ、「千葉一族や東六郎胤頼さん(或いは地域的に考えて上総一族)の子孫の方に、何らかの形でお仕えしていたのではないか?」と考えているのですが…

さて、再度、ご先祖についての伝承をご紹介します。

  1. ご先祖は、千葉常胤公の六男・東六郎胤頼(東胤頼)さん
  2. 室町時代の末期に、一族の内紛に巻き込まれて、山武郡(現在も本家が住んでいる土地)に落ち延びた
  3. 周辺の荒れ地を開墾して、帰農した

それでは、詳しくみていくことにします。

1.ご先祖は、千葉常胤公の六男・東六郎胤頼(東胤頼)さん

この話は「語り継ぐもの」として、祖父が曾祖母から聞いたそうです。

大正生まれの祖父が子どもの頃、千葉一族に関する研究は今ほど進んでいなかったと思われますが、祖父が曾祖母から聞いた話は史実に近いものでした。

「千葉六党」と呼ばれる六人のご子息のうち、東六郎胤頼さんに関する情報だけが、祖父の生家には伝わっています。

具体的には、次のような感じです。

  • 若い頃、朝廷に仕えていた
  • 源頼朝を「有能な人物」だと一族に伝えていた
  • 東六郎胤頼さんの子孫に、和歌の上手な人がいた

祖父は「学校で千葉一族の歴史を学んだ記憶はないなぁ」と言っています。

…とすると、情報源は「家族・親戚・地域」ということになると思います。

前回と同じ見解なのですが、「子孫」「末裔」ということではなくとも、何らかの縁で東六郎胤頼さん(或いは東胤頼さんの子孫の方など、東氏と縁のある方)を尊敬していたと思われます。

 

2.室町時代の末期に、一族の内紛に巻き込まれて、山武郡(現在も本家が住んでいる土地)に落ち延びた

「五男と六男が、落ち延びた」ということです。

3.周辺の荒れ地を開墾して、帰農した

「五男と六男が、落ち延びた」というのは、祖父から新たに聞いた情報です。

胤頼さんから数えて何代目の「五男と六男」なのかは不明…ということです。

「祖父の生家が五男で、お隣さん(親戚)が六男」ということらしいです

帰農した…というか、「開墾した」のは地名から確かなようです。

そして、飼い主のご先祖は代々、農業(自作農)を営んでいます。

また、地域にお寺があるのですが、宗派は「時宗」です(千葉氏は一時期、時宗を推奨していたことがあったそうです)

 

新たな情報として、祖父は次のようなことを言っています。

「東氏の主流派は北条方だったのに、ご先祖は畠山氏と連携していたので、土地を追われたのではないか?」

※「北条氏と畠山氏、どちらにつくかという一族の内紛」と「室町時代末期に…」という点が、時代的に一致しないのでは?と思うのですが、まぁ、その辺りは伝承なので真偽のほどは分かりません…

 

姓についても、新たに確認しました。

伝承は以下のとおりです。

新しく赴任した殿様と同姓だったため、「恐れ多いから」という理由で、今の姓に変えた

新しく赴任した殿様とは「土井利勝さん」ではないか?と予測していました。

祖父に確認したところ、やはり「土井利勝さん」でした。

…ということは、前の姓は「土井」ということになります。

しかし、千葉一族の末裔の方たちの姓を調べてみたところ、「土井姓」は見つけられませんでした

 

《今後の方針》

「土井姓」&「九枚笹の家紋」

この二点を今後、集中的に探っていきたいと思います。

落ち延びる前に住んでいたという東庄町や香取市周辺で何か分かれば良いのですが…

※東庄町・香取市周辺は、東氏(木内氏)の領地でした。

 

飼い主には、歴史に関する専門的な知識や情報収集の知識がなく(学生時代は社会学専攻でした)我流で進めております。

また、実地に「聞き込み」と言いますか調査に行きたいのですが、かなり不安です。

怪しい人だと思われる可能性が…

当面は、本を読んだり資料を集めていこうと考えています。

 

取材や調査には、真摯な姿勢が大事だと思われます。

台所を真剣に見つめる愛犬くんを見習いたいと思います!

【追記】2019年4月6日

文章の一部とレイアウトを変更しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東六郎胤頼さんの末裔伝承(1)

2009年11月08日 | 東胤頼さんの末裔伝承

今回は、母方の祖父の生家と、千葉一族との縁について書こうと思います。

実はこのテーマ、過去に二回ほど投稿したのですが、お袋様の反対にあって、泣く泣く削除しておりました。

三度目にして、お袋様のGOサインが出ましたので、晴れて投稿させていただきます!

さて、母方の祖父の生家は、千葉県山武郡で代々農業を営んでおります。

ご先祖について、こんな伝承があります。

  • ご先祖は、千葉常胤公の六男・東六郎胤頼(東胤頼)さん
  • 室町時代の末期に、一族の内紛に巻き込まれて、山武郡(現在も本家が住んでいる土地)に落ち延びた
  • 周辺の荒れ地を開墾して、帰農した

祖父(95歳)の90歳の誕生祝いの席で、初めてこの話を聞きました。

祖父から「じいちゃんが生きている間に、ご先祖について調べてくれ」と頼まれました。

早速調べてみようと思ったのですが、残念なことに証拠となる資料が残されていません。

なぜか!

婿さんだった祖父の父(曽祖父)が、古文書や古い手紙類を雨に濡らしてダメにしてしまったから…なのです。

土蔵に保管されていたものを虫干ししていたところ、急な雨に降られたそうです。曽祖父の暢気な人柄が裏目に出ました。

祖父は「母親(曾祖母)は悲嘆にくれておったよ」と、申しておりました。

-今から八十年以上前の出来事です。

そうした経緯で「千葉一族」について調べるようになりました。

さて、飼い主は「東六郎胤頼さんの末裔」という線は微妙だなぁ…と感じております。

なぜなら、家紋が千葉一族の代表的な家紋である「月星紋」「九曜紋」ではないからです。

祖父の生家の家紋は「九枚笹」です。

敢えて共通点を挙げるとすれば、「九」でしょうか?

これは、ちょっと微妙だな~と感じています。

(内紛に巻き込まれて落ち延びたくらいなので、元の家紋が使えなかったということも、可能性として「ないこともない」とは思いますが、そういった場合は後に元の家紋に戻すのではないか?と思われます)

姓に関しての言い伝え?もあります。

新しく赴任してきた殿様と同じ姓だったので、恐れ多いため、今の姓に変えた


祖父の姓から想像するに、その殿様は土井利勝さんだと思われます(土井利勝さんは、江戸時代初めに佐倉藩の藩主になりました)

また、姓に関しては、祖父の生家のある町と隣接している成田市の広報誌に、同姓の方が「千葉氏の遺臣の孫」として紹介されていました。

平成18年(2006年)6月15日号

「干ばつから農民を救った350年前の農業用水路」から一部を引用します。

八代では干ばつに苦しむ農民を救うため農業用水路の開削に尽くした人がいました。

千葉氏の遺臣〇〇四郎の孫で八代村の名主・〇〇四郎左衛門です。

その水路は万治二年(1659)3月に完成した万治堀で地元では八代みお(みお=溝)と呼ばれ、その功績を伝える石碑が八代・善勝院の境内に建立されています。

(※姓は「〇〇」とさせていただきました)

同姓の方が「千葉氏の遺臣」となると、祖父の生家も「遺臣」であった可能性がないわけでもないかな…とも思います(なにしろ変わった姓で、県内ではその一帯にしかいないのです。人数も少ないです)

色々と想像してみて、以下のように考えております(暫定的ですが…)

千葉一族や東六郎胤頼さんの子孫の方(或いは地域的に考えて上総一族)に、何らかの形でお仕えしていたのではないか?

伝承の内容から、千葉一族や東胤頼さんに尊敬の念を抱いていたことは確かだと思われるので、「末裔」ということではなくとも「お仕えしていた」と考えるのは、現段階では不自然ではないと思われます。

祖父の頼みで調べ始めたのですが、千葉一族や上総一族の歴史の深さに感動し、魅了されております。

調べていくうちに、ご先祖についても何か分かると良いなぁ…と思っています。

ご興味のある方は、以下のページもご参照ください。

東六郎胤頼さんの末裔伝承(2)

東六郎胤頼さんの末裔伝承(3)


↓愛犬くんにも、何か調べたいことがあるようです!

【追記】2019年4月6日

文章の一部やレイアウトを変更しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする