本日、母校の大先輩である作家の北原亞以子さんがお亡くなりになりました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
下記の記事は、以前(平成21年)に投稿したものです。
ブログ全体を大幅に編集した際、誤って非公開にしてしまいました
今回、母校の大先輩の訃報をお聞きしたこと、そして先日墓参をした岐阜の曾祖母に、母校に合格した時に喜んでもらったことを思い出したこともあり、再投稿することにしました。
数年前のもので文章が幼い感じですが、お許しください
<己がつとめに励みつつ…>
H21年11月13日
飼い主の母校は、高等女学校を前身とする、伝統ある、ちょっと古めかしい?クラシカルな校風の女子高でした
出身校は県立千葉女子高校です
元来、楚々とした雰囲気ではない飼い主が、なぜ女子校へ?
…と、友人たちは首をひねっておりましたが、それには抗いがたい理由がっ!
実は、お袋様の母校だったので御座います
それだけでは御座いません。
お袋様の三人の妹たち(叔母上たち)も皆、母校の先輩なのです
また、一歳年上の従姉(ほぼ同じ成績)が、前年に市立稲毛高校に進学しました。
これでは、飼い主に選択の余地は御座いません。
無言の圧力&期待を感じ取った飼い主は、素直に要望に従ったのでした~
…思わず大仰な表現になってしまいました
母校は、飼い主が在学していた約20年前に『90周年』を迎えた伝統校だけに、校歌も相当に時代を感じさせるものでした。
ただ、歴史好きな…というか、古いものを好む?飼い主は、この校歌が好きでした。
今でも座右の銘と言いますか、生きる指針と言いますか、大切に心に抱いております(また大げさに)
お袋様も時々、ご飯を作りながら歌っております
二番の歌詞が特に好きです。ご紹介しましょう
袖が浦曲(うらわ)を漕ぐ船の
驕らず(おごらず)倦まず(うまず)怠らず(おこたらず)
己がつとめに励みつつ
御国(みくに)の民と世に立たむ
(作詞・高野 辰之 氏)
※「御国の民と~」の部分は、現代では、地域貢献とか社会貢献と捉えるのかな~と思います。
この歌詞は、本当に戒めになります。
『おごらず、うまず、怠らず』のうち、『おごらず』は気弱な飼い主には、あまり当てはまりません。
しかし、『うまず、怠らず』は本当にマズイです
資格試験の勉強をしていても、すぐに飽きて眠ってしまう飼い主
早く試験に合格して、その資格で働いて、少しでも世のためになりたいです
おっ!
今も仕事をしていますし、善良な?一市民として、のんびりと穏やかに暮らしているので、まぁ良しとしましょう~
↓この週末は、愛犬くんとお昼寝三昧の予定で~す
<追記>H25.3.14
時には怠けたり、ひと休みしながらも、その後、何とか試験に合格出来ました
今後も、時には校歌を思い出して、一市民として少しでも社会貢献したいです
<追記>R6.4.20
母校に進学した理由や学校生活について、追記します。
内容的にどうかな?と思わなくもありませんが、どなたかのご参考になれば…と思います。
中学生の時に運動部に所属していて、そのスポーツが大好きでした。
将来は中学校の先生になって、その部活の顧問になろうと考えていました(懐かしい…)
人気のあるスポーツではないので、先生方や親父殿から勧められた他の学校には部が存在せず、あったとしても、遠くから見学してみると熱心ではなさそうでした。
中学三年生の冬休みに、お袋様と母校の見学に行った際に練習を覗いてみると、先輩達の動きが良くて活気があって雰囲気も良さそうだったので、志望校に決めました(入部してから知ったのですが、激戦の地区予選を突破して毎年、県大会に出場していました)
在学中は部活ばかりして勉強が疎かになっていましたが、数少ない?運動部員ということで、大目に見てもらった気がします
選手として出場した二年生・三年生の五月の地区予選でも、県大会への切符を手にしました!二年生の時には一勝して、県大会ベスト16入りしました(人数がギリギリなので、これが我々のベストでした)
極端な文系だった上に、二年生の頃は部活で疲れて家でも授業中も眠ってばかりいたので、苦手な数学の試験は本当に苦労しました。
同じく数学が苦手な仲間たち?と、何度も追試を受けさせてもらって、無事に三年生に進級しました
追試が決まる度に、数学の得意な友達に丁寧に教えてもらったのも、今では良い思い出です
三年生の六月に部活を引退してからは、真面目に受験勉強モードに入ったので(本当か?)追試を受けることはなくなりました!
時代が平成初期ということもあり、長閑な高校生活でした