今年は絹さやが本当によく採れました。
ここ20日間くらい、絹さやを採るのが毎朝の私の日課になっています。
とにかく毎日必ず見て採ること、それが長く収穫する秘訣だと、農家になって数年、なんとなくわかってきました。
こちらは右の列が絹さや、左がこれから最盛期を迎えるグリーンピースです。
50メートルの絹さやの畝を左右から見てまわると、だいたい1時間位はかかってしまいます。
のんびり採っていては、時間がかかるばかり。
テンポ良く収穫するためには、
「手元は見ずに、豆のほうを見る」、
「あまり振り返らないようにする」、
そして、腰カゴが必需品。
私の場合、それがコツかな~と、思っています。
それから、一般に売られているぺったんこの絹さやより、ひとまわり大きくて、厚みが出てきたものを収穫するようにしていました。
そのほうが美味しいと思うからです。
絹さやって、煮物の上に、ばってんに飾ってあったり、どうも脇役的存在として使われていることが多い気がします。
でも、それでは食べた気がしない。
こんなふうにサラダにしたり、
天ぷらや、ただ蒸し煮して塩味だけで食べたり、炒めたり、
とにかくこの時期だけのもの、主役にしてたっぷり食べました。
野菜セットにも結構たくさん入れて、かえって敬遠されてしまうかなと思ったのですが、配達のお客さんに、
「ちょっと多いですかね・・・?」と尋ねたところ、
「多い分にはいいわ~」とか、
「うちは豆はいくらあってもいいの」
といったお返事だったので、大丈夫だったかな。
宅配で野菜をとってくださったみなさま、どうだったでしょうか?
でも、こんなふうに絹さや三昧だったのも、あと数日で終わりそうです。
最初は木が小さくて下のほうに成るので、かがんで収穫していましたが、今では私の背よりはるか高くなり、背伸びしなければ届かない位置に成っています。
枯れてきた木も出てきました。
本当に、今年はどうもありがとうございました。そしてまた、寂しいような気持ちになります。
収穫している時、鈴なりの絹さやを見て、
「野菜(植物性の食べ物は、だったかな?)は人間に食べられるのを良しとしている」
といった内容のことを、以前本で読んだのを思い出しました。
それに対し、牛や豚などは肉になる前、恐怖におののき、されていきます。
肉を食べる時、される家畜に思いを馳せると、「いただきます」という言葉はまさに「命をいただきます」ということであり、その言葉の重みが増すのではないでしょうか。
人間は、植物を育て、それを収穫し、でも全部食べつくさず、
植物が残した種を採って、翌年また育てて食べる。
それがずっと続いてきて、これからも続いていきます。
自然から与えてもらった、人間と植物との幸せな関係だなと思います。
毎朝あせりながら絹さやを収穫しつつ、そんなことを考えていました。
また来年も会いたいです。