病気を乗り越えて(私の奇跡)

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ポエムブログの別館・病気関連&童話です。

なぜ人はいかるのか?

2009年02月06日 | わたしの気持ち
なぜ人はいかるのか?  

みなさん、昨日は励ましや温かいお言葉をありがとうです。

昨夜は寝るまで怒りがあり、
今朝も早朝目覚めるとまだ嫌な気分は抜けていませんでした。
つまり、寝ている時間だけが悲しみを忘れられたわけです。

ブログ友のみなさんから、
腹を立てないようにというポエムも書いているくせに・・・
言うこととやっていることと違うじゃないかあという声が
聞こえてきそうです。

そこで、人間「まほ」の気持ちをかきます。

毎日、毎日、愚痴や怒っているのは避けたいですね。
それは不満を減らすのではなく、暗い生活・・・
オーバーに言えば嘆きの人生になるからです。

にこにこ、優しい「まほ」を想像されているとしたら、
それはほんの一部です。

私は神や仏様ではなく、生身の人間。
当然、喜怒哀楽があります。

喜・哀・楽は多い感情です。
怒リの感情も時としてあります。
この「怒り」の時はやくざのようにもなります。

去年の春でしたか。
「何いい人ぶっているの。早く死んでください」の
ブログへの中傷に非常にショックを受けました。
でもおかげさんですね。
その怒りのお陰で、怒りのままで終わらすのではなく、
「ば~か、死んでたまるか」という気になれました。

中傷はお若い人の心を傷つけるだけではなく
自らの命を絶つという殺人にもなります。

私が昨日、なぜ怒ったのかと考えますと、
自分を可哀そうに思ったからなんです。

なぜ、自分を可哀そうに思ったのかというと、
私は重症性急性膵炎という重い難病で、
いのちを失うケースもありました。

意識が戻った(術後68日で目覚め)4日後から、
人工呼吸器が入っている重症患者なのに
主治医の先生の指示でリハビリが開始されたこと、
この早期りハビリにより、ここまで来られました。

私は多臓器不全・敗血症までいっていたらしいのです。
当時は耳がよく聴こえていたので、リハビリの先生が
家族に「本当によく助かったなあ、ふつう死んどる」と
言われたものでした。

そりゃそうでしょう。
おなか一直線横に30センチ~35センチきってあり、
治療の必要があり、開腹したままで、
その傷口も縫わずに212日で自然とふさがったのですから。

そんな大変な中、私の命を救うために、
主治医の先生はじめ、看護師さんが、不眠不休で頑張ってくれた、
そういうことまで否定された気がしたからです。

車いすに座っているといってもさまざま。
歩けるけれど、不自由で利用する人もいれば、
立てず、ひとりで全く歩けない人もいます。

怒りは自分や他人さまを可哀そうと思ったときでてきます。
自己愛・他者愛ですね。

私は自分が怒ることで、
他人さまの想いを想像することを忘れないでおけます。
誰にも人さまの深い悲しみは100パーセント理解できないと
知っているからです。
ですから、私はだれも私を分かってくれないと
嘆くことはありません。
かわいそうにと怒るからです。(自己愛)
当然、他人さまの悲しみもすべて理解はできませんが、
私は少しでもわかりたいという気持ちがあります。

ただ単に腹を立てて終わりではいけませんが、
怒りによって、人さまの気持ちも思いやれるように
成長できるなら、日本の四季・春夏秋冬のように、
喜怒哀楽という感情はあっていいですね。