なぜ人はいかるのか?
みなさん、昨日は励ましや温かいお言葉をありがとうです。
昨夜は寝るまで怒りがあり、
今朝も早朝目覚めるとまだ嫌な気分は抜けていませんでした。
つまり、寝ている時間だけが悲しみを忘れられたわけです。
ブログ友のみなさんから、
腹を立てないようにというポエムも書いているくせに・・・
言うこととやっていることと違うじゃないかあという声が
聞こえてきそうです。
そこで、人間「まほ」の気持ちをかきます。
毎日、毎日、愚痴や怒っているのは避けたいですね。
それは不満を減らすのではなく、暗い生活・・・
オーバーに言えば嘆きの人生になるからです。
にこにこ、優しい「まほ」を想像されているとしたら、
それはほんの一部です。
私は神や仏様ではなく、生身の人間。
当然、喜怒哀楽があります。
喜・哀・楽は多い感情です。
怒リの感情も時としてあります。
この「怒り」の時はやくざのようにもなります。
去年の春でしたか。
「何いい人ぶっているの。早く死んでください」の
ブログへの中傷に非常にショックを受けました。
でもおかげさんですね。
その怒りのお陰で、怒りのままで終わらすのではなく、
「ば~か、死んでたまるか」という気になれました。
中傷はお若い人の心を傷つけるだけではなく
自らの命を絶つという殺人にもなります。
私が昨日、なぜ怒ったのかと考えますと、
自分を可哀そうに思ったからなんです。
なぜ、自分を可哀そうに思ったのかというと、
私は重症性急性膵炎という重い難病で、
いのちを失うケースもありました。
意識が戻った(術後68日で目覚め)4日後から、
人工呼吸器が入っている重症患者なのに
主治医の先生の指示でリハビリが開始されたこと、
この早期りハビリにより、ここまで来られました。
私は多臓器不全・敗血症までいっていたらしいのです。
当時は耳がよく聴こえていたので、リハビリの先生が
家族に「本当によく助かったなあ、ふつう死んどる」と
言われたものでした。
そりゃそうでしょう。
おなか一直線横に30センチ~35センチきってあり、
治療の必要があり、開腹したままで、
その傷口も縫わずに212日で自然とふさがったのですから。
そんな大変な中、私の命を救うために、
主治医の先生はじめ、看護師さんが、不眠不休で頑張ってくれた、
そういうことまで否定された気がしたからです。
車いすに座っているといってもさまざま。
歩けるけれど、不自由で利用する人もいれば、
立てず、ひとりで全く歩けない人もいます。
怒りは自分や他人さまを可哀そうと思ったときでてきます。
自己愛・他者愛ですね。
私は自分が怒ることで、
他人さまの想いを想像することを忘れないでおけます。
誰にも人さまの深い悲しみは100パーセント理解できないと
知っているからです。
ですから、私はだれも私を分かってくれないと
嘆くことはありません。
かわいそうにと怒るからです。(自己愛)
当然、他人さまの悲しみもすべて理解はできませんが、
私は少しでもわかりたいという気持ちがあります。
ただ単に腹を立てて終わりではいけませんが、
怒りによって、人さまの気持ちも思いやれるように
成長できるなら、日本の四季・春夏秋冬のように、
喜怒哀楽という感情はあっていいですね。
みなさん、昨日は励ましや温かいお言葉をありがとうです。
昨夜は寝るまで怒りがあり、
今朝も早朝目覚めるとまだ嫌な気分は抜けていませんでした。
つまり、寝ている時間だけが悲しみを忘れられたわけです。
ブログ友のみなさんから、
腹を立てないようにというポエムも書いているくせに・・・
言うこととやっていることと違うじゃないかあという声が
聞こえてきそうです。
そこで、人間「まほ」の気持ちをかきます。
毎日、毎日、愚痴や怒っているのは避けたいですね。
それは不満を減らすのではなく、暗い生活・・・
オーバーに言えば嘆きの人生になるからです。
にこにこ、優しい「まほ」を想像されているとしたら、
それはほんの一部です。
私は神や仏様ではなく、生身の人間。
当然、喜怒哀楽があります。
喜・哀・楽は多い感情です。
怒リの感情も時としてあります。
この「怒り」の時はやくざのようにもなります。
去年の春でしたか。
「何いい人ぶっているの。早く死んでください」の
ブログへの中傷に非常にショックを受けました。
でもおかげさんですね。
その怒りのお陰で、怒りのままで終わらすのではなく、
「ば~か、死んでたまるか」という気になれました。
中傷はお若い人の心を傷つけるだけではなく
自らの命を絶つという殺人にもなります。
私が昨日、なぜ怒ったのかと考えますと、
自分を可哀そうに思ったからなんです。
なぜ、自分を可哀そうに思ったのかというと、
私は重症性急性膵炎という重い難病で、
いのちを失うケースもありました。
意識が戻った(術後68日で目覚め)4日後から、
人工呼吸器が入っている重症患者なのに
主治医の先生の指示でリハビリが開始されたこと、
この早期りハビリにより、ここまで来られました。
私は多臓器不全・敗血症までいっていたらしいのです。
当時は耳がよく聴こえていたので、リハビリの先生が
家族に「本当によく助かったなあ、ふつう死んどる」と
言われたものでした。
そりゃそうでしょう。
おなか一直線横に30センチ~35センチきってあり、
治療の必要があり、開腹したままで、
その傷口も縫わずに212日で自然とふさがったのですから。
そんな大変な中、私の命を救うために、
主治医の先生はじめ、看護師さんが、不眠不休で頑張ってくれた、
そういうことまで否定された気がしたからです。
車いすに座っているといってもさまざま。
歩けるけれど、不自由で利用する人もいれば、
立てず、ひとりで全く歩けない人もいます。
怒りは自分や他人さまを可哀そうと思ったときでてきます。
自己愛・他者愛ですね。
私は自分が怒ることで、
他人さまの想いを想像することを忘れないでおけます。
誰にも人さまの深い悲しみは100パーセント理解できないと
知っているからです。
ですから、私はだれも私を分かってくれないと
嘆くことはありません。
かわいそうにと怒るからです。(自己愛)
当然、他人さまの悲しみもすべて理解はできませんが、
私は少しでもわかりたいという気持ちがあります。
ただ単に腹を立てて終わりではいけませんが、
怒りによって、人さまの気持ちも思いやれるように
成長できるなら、日本の四季・春夏秋冬のように、
喜怒哀楽という感情はあっていいですね。