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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

臨死体験と気功と瞑想

2005年11月27日 | 日々の泡
私が日々実践しているのは、瞑想などと呼べるような代物ではなく、瞑想の真似事に過ぎないと思っています。ただ目を瞑って、少しでも心静かな境地に近づけるような所作のカタチを作っているだけの段階でしょう…。気功も【たんとうこう】だけは極力、毎日行っています。目に見える効果はすぐには期待できませんが、いつの間にか、じわじわときっとそのうち何らかの効力を発揮するものなのだろと考えてはいます。が、もちろん、何かを必ずしも期待をしているわけではないので、何の変化がなくてもそれはそれと思っています。ただこの2つのキーワードが臨死体験という言葉と密接に深い結びつきを持っているということを言っているサイトを偶然にも見つけて興味を惹かれました。物事の成り立ちやある事象に対する考え方や捉え方は人さまざまですので、この考えにも賛否両論が集まるでしょうから、結局、事の真相はつまびらかにはなりませんが、案外、この3者は無関係ではないのかもしれないと、私は考えています。ただ、臨死体験にも体験の層にレベルの違いがあって、その後の変化も、体験の主にとって、いい方向に生じる場合と、あまりよくない方向に生じる場合とがあるような気がしていますので、臨死体験を語ることには微妙ないわく言いがたい感覚が伴います。臨死体験がいいことだとか悪いことだとかは論の外に位置していると思います。いいとか悪いとかの問題ではなく、体験した人にとっての事実が、体験した人の数だけあるということになるのかもしれません。

臨死体験・気功・瞑想の関係
★「たんとうこう(站粧功)」に関する以前の記事

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