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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

偶然という名の必然

2006年09月02日 | 日々の泡
先月初旬のとある日曜日、日曜日には通常なら、通るはずもない道を歩いていたら、大昔の友人(以後、その友人のことをSとします。)にばったり出くわしました。Sは元々、居を転々とする人でしたが、ある事情で、当時住んでいた部屋をとうとう追い出される羽目になり途方に暮れていたので、軽い気持ちで、私の家の一角の部屋を貸したことがありました。ところが、当時のSは、貸した部屋には全然帰ってこないし、どこで何をしているのかも分からないという状況の中、ちょっとしたトラブルが持ち上がってしまって、あっという間に、またもや、どこかへ引っ越して行ってしまったのです。

私が悪いわけではなかったとはいうものの、私の家の片隅にいた時に、Sの身の上によからぬことが起こった以上、それ以来はすっかり疎遠になってしまっていました。私からSがどこでどのような暮らしをしているのかは調べようもない中、Sからの連絡も全く途絶えていました。時々はSのことを思い出すものの、きっと、もう一生会うことはないのだろう…と心の底ではそう考えるようになってしまうのも無理からぬことでした。

Sにしてみれば、やはりすっかり私のことを忘れていたわけではなかったのだそうです。イメージの中には何度も、私の家や私の家族のことが浮かんできたそうです。ですが、私が住んでいる地域のここ数年の変貌振りは相当なもので、(私の家も建て替えをしたりしていました。)目印になる神社の一角をいくら歩き回っても、私の家がどこにあるのかを突き止められなかったという嘘のような本当の話を聞かされました。

ところで、私が柄にもなく、自分のビジネスを持ちたくて、この世界に首を突っ込んでから、これまでの時期を振り返ってみると、現在のところ、約4期位の時期に行動パターンが分けられる気がしています。1期は上の人の言われるままに、講習会に出て、商品を自分自身が使い、このビジネスを素晴らしいことばかりと思いこんでいた時期です。2期目は少しずつ自分なりの行動を起こして、知人・友人に商品知識を広めていった時期です。メールや口コミで宣伝を繰り返して反応を確かめていた時期です。この時期の収穫は、いくらメールや口伝えに、商品の価値を広めようとしても、生活感覚や行動基準がスタンダードで堅実な私の周囲にいるような人には何の(販売促進)効果もないという事実を体感しただけということでした。その教訓を生かすべく、3期目は、個人に働きかけるのではなく、ビジネスとして小さくても、企業を興している場所へのアプローチを試みました。が、結果的にはこれも惨敗でした。しっかりした企業は個人の素人など相手にはしないからです。その時は必至でしたが、今になってみれば、あまりにも当たり前のことで、自分のほうが非常識だったのだということが心底、理解できて、顔から火が出そうになります。

そのことが身に沁みて骨の髄まで分かったのも、‘危ない彼女’の助力のおかげでした。彼女はあまりにも未完成で恐いもの知らずで(もしかしたら、知っていてもそれを見てみぬ振りをすることができて…)力技でそこを乗り越えることができる人だったのです。私も彼女同様に力技を特技とする人間だったら、彼女の後ろを突っ走っていたかもしれません。けれど、幸か不幸か、私はその手の種類の人間ではなかったうえに、これもまた、嘘のような本当の話なのですが、彼女との関係のリセットを分かりやすく説明してくれる人との出会いがあって、私は危ない橋をこれ以上歩き続けないで済むことになったのです。

彼女との関係を整理することができたのです。それについても、私の影武者として、数人の人が私を助けてくれました。壊れそうな橋を、私が渡ろうとするたび毎に、どこからともなく、警報を鳴らしてくれる人が現れてくるのです。もがき苦しんでいるうちに、私の周囲には‘人’というかけがえのない財産が増えていくのです。信じられないほど、有り難いことです。

ところで、期せずして再会した、昔の友人は、私と同様に専門職でありながら、鍼灸の資格もとって、一時は青山で鍼灸院を6年間も経営した経歴を持っています。その時に、幾度となく、多くの誘惑にあっているということで、ビジネスの恐さのことについては、私以上に知識を持っていました。その友人に言われました。今は投資額の回収に執着しているけれど、今日の暮らしに困るわけではないのだから、そんなに焦る必要はどこにもない。私の本当の財産や能力がどこにあるのかを思い出して欲しい。誰にも真似のできない蓄積してきた経験を生かせる道を目指していけば、今、抱えている商材を生かせる方法も自然に出てくるはずだということを繰り返すのです。私は今までの職業生活をすべて清算してでも、新しくビジネスの道を切り開いていきたいと望んでいました。それほどまでに、この世界は危険と背中合わせながら、魅力的な場所なのです。でもSに、そのことだけに拘らなくても、一番大事なものは、すでにもうあるはずだし、そのことは十分に知っているはずだと指摘されることになってしまいました。

一生会うこともないと思っていた人に、今、この時期に出会った意味とは何だったのでしょうか?Sは言うのです。「オーラの泉」の江原さんが無名の頃、マッサージ繋がりでお付き合いがあったそうで、そのせいかどうかは分かりませんが、Sは、私の守護霊のようなものが、生きることに対して、今までに、何の切羽詰った経験もなかった私に、今ここでかけがえのない試練を与えてくれているのだという解釈を提示してきました。そう言われると、今なら、私にはまだ助けてくれる人もいますし、一人ぼっちで路頭に迷うということもないわけですから、やはりとても恵まれているということが分かってきます。

洗脳の主と思われる人は一番の悪役を演じてまで、私にこれだけの体験をさせてくれた最も有り難い人だということにもなります。だとすれば、私が危うく崖から転落しそうなほどの芸当をさせてくれた‘彼女’はものすごい立役者ということにもなります。私の興業舞台にはこうして入れ替わり立ち代り、個性豊かな役者が登場してくれるので、ものすごく内容の濃い見応えのある人生芝居が繰り広げられています。

こうして、劇の内容は起承転結のメリハリをつけて進むのですが、終始一貫して、このドラマを静かに眺め、時にはプロディユースしながら、いよいよ本格的に参画してこようとしている人物がいます。

世の中って!

2006年08月27日 | 日々の泡
私は、今まで、非常に小さな限られた小さな枠の中でしか生きてきませんでした。ですから、人や自分を騙したり、悪意を持った行動を意図しなければならないというようなことは一度もなかったのです。あまりにも誠実に生きてきすぎてしまったため、少々の‘悪’が必要なのではないかと真剣に考えたりもしていたのですが…

こんなことを考えていたから、この時期に、ひょんなことから、私が今置かれている苦境を救ってくれるかもしれないと思える人に出会ったような気がします。本当なら、関わりを持たずに済めば、関わりを持たない方が間違いはなかったし、賢明なことだったと今でも思っています。けれど、私は何としても、自分の力で、この苦難から脱出しなければならないのです。良くも悪くも私にとって、こんな経験は人生の中でも初めてのことでした。

万事休す。まさに、誰のせいでもない、自分から、この状況を招いてしまっていました。ユングのいうシンクロシティー、あるいはコンステレーションという概念の中に綺麗に嵌っているということです。こうなると、これは神の仕業だと思わざるを得ません。神さまがトリックスターとなって、私に人生への冒険を仕掛けてこられたのです。

私が、よりにもよって、自分から、「私を助けてください。」と頼んだ人は、私にとって、憧れや尊敬の対象となるような人ではありませんでした。能力は確かに高いけれど、安心して信じられるというような人ではないし、出来ることなら、一日も早く縁を切ってしまいたいような人でもあります。それでも、もし私を助けてくれられる人がこの世にいるとするならば、彼女を置いて他にはないと確信できるのです。彼女に会う度に、私は何ともいえない辛さに襲われます。見なくてもいいもの、感じなくてもいいことを感じさせられるからです。彼女自身が、行動力と頭の良さでは他との群を抜いているからといって、ある部分では、こんなに無防備なのに、それでも足を掬われないのは一体何ゆえなのかとつくづく不思議で不可解な気持ちになるような人でもあるのです。

あぁ!私を助けてくれるかもしれない人を、私は慕うことができないのです。実は、それは本当に悲しいことでもあります。人生って何て矛盾に満ち満ちたものなのでしょう。この世の中にはどんな人でも存在するのだということを知って、世界の広さを改めて実感する今日この頃の私です。

世界の中でたった一人

2006年08月21日 | 日々の泡
一応の職も得ていて、職場には自分のデスクもあって、雨露しのぐ自分の家もあって、人並みに家族もいて…何一つも不足のないはずの生活でした。これ以上何を望むのか?と問われて、そこで、足りない何かについて答えようものならバチがあたるというものです。でも、私にはやはり何かが足りない。頑張っていろいろな困難を乗り越えてきたとはいうものの、魂のレベルで厳密に考えれば、やはりまだやらなければ済まないことが残されている、そんな気がしきりにしていたのです。

漠然とそんなことを考えている毎日だったので、徐々に、どんな些細な出来事からも隠されている情報を読み取ろうとする癖が付いていくようになりました。そんなふうでしたから、今までなら素通するだけで、意識が向かうはずもなかったようなことにも注意を寄せるようにもなっていました。そして、今のビジネスに出会ったのです。そこで聴く話も、そこで出会うアジア系の女性たちの逞しさも、私の五感にとっては新しく初めて味わうことばかりでした。ある意味、私にとっては未知のものであった価値観に遭遇して、その新鮮な理論の仕組みに急激に魅せられていったということだったのだと思います。その世界に触れ続けることによって、現実感が伴わなくなっているこれまでの考え方や、意味を成さなくなっていた固定観念にがんじがらめに縛り付けられている自分から開放されることになるだろうという甘い予感をさえ感じていました。ほぼ8ヶ月余りはその世界に漬かって、そこから新しい学びを得るべく、私なりの努力を真剣に注ぎ込んできたのです。

ところが、その挙句に、私がある日突然、気づいたことはといえば、これ以上、そこに居続けて何かを得ようとしても、もはや私の器では何も得られないということがはっきりと分かってしまったということでした。真面目に勉強をして、成功者の教えをコピーしていけば成功は間違いない!と上からは教えられます。8ヶ月間は一応、その言葉を信じてやってきました。もちろんそのやり方でうまくいく人もおられますので、それはそれで、その方法論を否定するものではありませんが、私には採用できない手法であることを8ヶ月かかってやっと理解することができたのです。このままでは、私は投資したお金の全額を闇に葬ることになってしまう。そのことが分かった時、初めて、不安と恐怖の感情に襲われて夜も眠れないほどの苦痛を味わいました。今までの私には、こうした経験は無縁のものだったので、こんな苦しさを想像することもできなかったんだということも思い知りました。けれど、不思議と後悔の念に駆られることはなかったし、‘結局は騙された自分’というシナリオに落ち着くということも今のところはないのです。こんな状況に至っても、私はまだ起死回生を狙っています。誰も助けてくれる人がいない…とはこういうことだったのか!それでも、誰が悪いのでもなく、自分で何とかするしか、このままでは状況を変化させることはできない…ということだけはとてもよく理解できるのです。「窮鼠猫を噛む」といいますが、「窮すれば通ず」とも言います。ことここに至っても、いえ至ったからこそ、私は、言葉の上でだけでなく、真の意味で、私を救い出してくれる力のある人を探し続けようと必死でに考えるようになっていました。

よく困った時に、一人でその困難を抱え込むのではなく、人にも相談して、むしろ人の力を借りたり、うまく利用したり(借力【しゃくりき】という表現を使っている人もいます。)して、閉塞した状況を展開させていける力を持つことが大事といいますが、今、そのことを心の底から実感しています。私に力を貸してもいいと思ってくれるような人を探し出せれば、もしかしたら私はこの窮地から脱出できるかもしれません。さて、どういうことになっていくのでしょう?ことここに至って初めて、私は、自分の限界に向き合うとはこういうことだったのか!と、その内実を知ると共に、本当の窮地というものに立たされたら、自分ひとりの力では、そこから這い上がることはできない。自分以外の誰かの力を借りなければ、私の独自の道を切り開くことなんてできないということを思い知ったのです。基本的には、たった一人で、この苦境を突破しなければならないけれど、どんな時でも、一人では何もできないということを身に沁みて理解できるようになりました。人に助けを求め、人からも助けを求められるような人間になっていくしかないのです。

時代の風

2006年07月31日 | 日々の泡
最近では、組織の中に埋もれてしまうような仕事を忌み嫌う人々が多くなってきているそうです。だからといって、自分が経営者になって人を束ねていくことにも強い抵抗を感じる傾向も(人々の心の中には)強く、経営者としての仕事のあり方にも人気は集まらないようです。

少し前に、公共放送で特集番組が組まれていましたが、生活保護すれすれの生活を余儀なくされている‘普通の人’が昨今では急増しているとのことで、社会問題として取り上げられるほどにもなっています。社会経済の構造の変化がもたらしている問題なのか、どんな要素が絡んで、生きることがこんなにも困難な事態になってしまっているのか、私には、その原因が良くは分かりませんが(気候も変です。地球の温暖化が進み、亜熱帯の気候になっているそうですが、7月も30日になってやっと梅雨が明けるなんてことは今までにはなかったことです。)、確かに何かが少しずつ変化してきていて、その変化は人々の気持ちや精神状態にまで深く影響を及ぼし始めているようです。昔なら、地縁や血縁で支えきれたようなことが、人が生きるということが個としての問題だけに集約されるにつれて、誰もが問題を抱えきれなくなってきています。個人が抱えきれなくなれば、それを支える機能やシステムが不在である以上、破綻が訪れるのも時間の問題になったりしています。

価値の多様性が存在するフレキシブルな時代になっているというのは嘘でしょう。画一的な価値にしがみつけるほど時代や社会が単純ではなくなってきていて、溢れるような情報が日々大量生産されている中、本当に信じられる、私の‘価値’が何なのかを見極めることが非常に難しくなってきているような気が、私はしています。人の言うことはどんなことでも、それなりに真実ですし、最初から、人を騙そうとしている人でない限り、元々悪気があって人に関わろうとする人がそう多くいるわけもない以上、本来ならば、人と人との気持ちの間に横たわる齟齬は落ち着いて話し合えば、理解し合えるはずのものなのですが、価値観の違いは、簡単には看過できない問題として、人と人との関係に取り返しの付かない亀裂を生じさせることにもなっています。

今までには知ることのなかった新しいビジネスの仕事に首を突っ込むようになってから、人々の心の中に存在する気持ちや思いの違いというものが如何に多種多様であるかということを思い知らされています。今までは、こんな嫌なことがあったとか、避けて通れるはずなのにこんな目に合ってしまったとか…そんな風に考えることも多く、なるべくなら、嫌な思いを味わわないで済む生活を志向しようとする人間でした。けれで、このビジネスに関るようになって、仕事を通して、いろいろな人間の動き方を見ているうちに、出来事のアップダウンは以前よりも激しくなって、嫌な感情に見舞われることも多くなっているにも拘らず、妄想とも言えるような濁りきった思考や感情に圧倒されるということが激減しているのです。現実に起こることはすべて起こるべくして起こる。その結果のほとんどの要素は自分のかつての言動が招いているのだと冷静に考えられるようになっているからです。辛くて一睡も出来ない夜もあります。その心の傷の痛みはヒリヒリと2~3日は真性の痛みとして疼きますが、いつまでもケロイド状に残るということはなくなりました。

上昇するためには下降が必要。前進するためには抵抗が必要なのだそうです。そんな理屈は詭弁のようにも思えますが、確かにいろいろな出来事に出会わなければ、自分のやろうとしていることの価値を確かめる手段がなくなるだろうとは思います。自分の言動の波紋や自分の現在の立ち位置を知るためにも、自分の価値が絶対だと思わせてはくれないさまざまな抵抗勢力は必要だと思うようになりました。

ビジネスの仲間といえば、一つの価値を求めて集まって来ているはずの人たちだと思っていましたが、そこに入ってしまえば、実は一人として同じ考えの人はいないものだということにも気づくようになりました。『成功する人なんて一握りの人。製品の良さを伝えていきたくても、身近な人に話せば、「あなた、いい加減にしておきなさいよ。騙されないようにほどほどにしないと!」といわれるのがオチなので、もうこの仕事もどうしようかな?と考えているの。』と言っている人がいました。多分、やめておくのが一番穏当な道だと思います。そうすれば、家族や友人との関係において、周囲を不安に落とし入れたり、自分が揶揄されるような心配もなくなるからです。一人でビジネスを始めるということは、やはり大企業や官公庁に勤めているような安楽さはありませんし、もしかしたら、このビジネスのどこかに法的な大きな欠陥が潜んでいるのかもしれないと不安になったりすることもあります。外野の人は、まことしやかに面白おかしく、私たちのビジネスの胡散臭さを叩いてきます。何が真実かは、私には分かりません。ただとても不思議なことは、だからといって、私の心がかき乱されたり不穏な状態にはなっていかないということにあります。私はやはりこの時代、自分の力で、シンプルに原始的に何かを切り開いていく…ということはとても困難なことだと痛感しているので、このビジネスを通して、とにかくもう一頑張り、自分の未知の力量を試してみずにはいられないという気持ちでいるのです。(去勢されて生きるしかないようなこんな時代に、根源的な野心や願望を抱けるということだけでも貴重な体験だと思えるのです。)周囲の人にあれこれ言われても、そんなにはぶれない自分の心の定点には一体何が潜んでいるのだろうと、不可解な気持ちで一杯です。自分自身のためにも、それが何なのかを見極められるまでは、この道を歩いていくつもりでいます。

家族の解散

2006年07月28日 | 日々の泡
「いつみても波乱万丈」のゲストの萩本欽一さんが、一家離散の現実を「家族の解散」という言葉で表現していました。ある時期、萩本家では、長男の月給に一家が頼った生活を送っていたらしいのですが、長男が「こんな安月給なのに、みんなの生活を支えなければならないのなら、自分はいくら働いても、楽しいことの一つもできない。そんなのは辛すぎる。」と発言したそうなのです。そうしたら、家族の全員が、「そうだそうだ。お兄ちゃんがあまりに可愛そうだ。」ということになり、それなら、家族の解散をしようということになったのだそうです。事実上は一家離散で、家族の誰がどこに住んでいるのかさえ分からない、しかもそのことを確かめる余裕さえない厳しい現実に、家族成員のそれぞれが直面しながら生きていたようなのですが、欽ちゃんが有名になったことをきっかけに家族がまた集合できたという話をされていました。

野際陽子さんが、そんな話しは信じられない!という感じで、「他の家族のこと(消息)が気にならなかったのですか?」という質問をされました。「気にならないどころではないが、皆、自分の生活のことで精一杯だったから…」と答えた萩本さん。なんて正直な人なんだろうと思いました。

家族神話がまだ健在の日本社会です。家族は何物にも変えがたい社会の一単位であり、心の支えでもあります。けれど、昨今の数々の事件。親が子を殺し、子が親を殺さなければならないまでに追い詰められてしまっている家族関係。密室の中ではどんなことでも起こりえます。殺しあわなければならないほどの愛憎に巻き込まれるのならば、「家族の解散」という発想があってもいいのではないでしょうか?人間の心の闇の世界では、きっとどんなことでも起こりうるのだと思います。命を落とすほどの葛藤を抱え込むよりは、思い切って、「解散」してしまった方が、お互いが、それぞれの生をまっとうできることになるのかもしれません。

いつみても波乱万丈

何も考えない…その方がいい!

2006年07月22日 | 日々の泡
アロマは代替療法として、神経科・心療内科・歯科・産婦人科・助産院・整形外科などの、一部の医療機関では積極的に取り入れられています。代替医療の分野にまでも意識が広がっている先生方もおられます。使ってみようと思ってくださるような方にうまくぶち当たればいいのですが、そんな人が何処に存在しているのかは皆目見当もつきません。

需要はいたるところにあるにはあるものだとは思います。どんな分野にでも対応できるアロマですから、その価値を認めてくれる人にさえ出会えさえすれば…と思ってはいるのですが…。

最近、ある大手の美容学校の保健室に勤務している知人のところに、私のアロマを知ってもらおうと思って出かけていきました。知人が興味を持ってくれなくても、その後ろにいる人との縁が潜んでいるかもしれないし…こういう仕事を進めていくには、世の中のすべての人が私の知りあいだ!と思えないと直ぐに人との縁はジリ貧になってしまいます。ある人がダメでも、ある人の背後にはどんな人がいるかも分からないと思えないと、途端に精神的に追い詰められた感じになってしまいます。

とはいうものの、私の知人は、アロマにはまったく興味を持ってくれませんでした。見事なほどの無関心さでした。代わりに、保健室にやってきた若者達は男女を問わず、予想外の関心を示してくれるので、とても驚いてしまいました。でも、知人の縄張りで、営業をするわけにはいきませんので、ほうほうのていで切り上げてきました。

私の一方的な「上手くいくものと思い込んでいた」妄想が何処までも拡がってしまっていために、直後は落ち込みましたが、少し時間が経てば、「な~んだ。そういうことだったのか!」と冷静な気持ちが戻ってきます。元々、「そこへ行っても上手くはいかない」というシナリオが描かれていたことを、自分だけが知らなかったというだけのことです。神様は当にご承知のことだったわけです。

当初、私の知り合いなんて、リストアップしてみても、知れたものでした。せいぜい15人がいいところでした。けれどリストアップはしてみても、それらのすべての人に声をかけられるというものでもありません。全員に当ってみても、そこでの手応えに行き詰ればもうそこがどん詰まりとなります。それでは仕事は発展していきません。販路をどうやって拡大していくかを考える際に、知り合いだけをターゲットにするという考え方には限界があります。

整体院の技術者である仲間の一人が、アロマを使いながらマッサージや整体を施すようになってから、その効果を実感できる顧客に絶大なる支持を受けるようになって、大成功を収めています。その彼女の私に対する助言は、「何も考えないことよ。」「ゆっくりやればいいのよ。」というものでした。いろいろと考えながら、一気呵成に進めることが肝心のような気がしますが、「何も考えずにゆっくりやる!」という気持ちの持ち方も大切に思えます。

私はどうしたらいいのだろうということを常に考え続けています。常に、常に…です。片時も考えることを止めたことはありません。けれど、その状態は大きな目で見ると、何も考えていない状態と等価のような意識状態なのです。考えてはいるけれど、焦ってはいないし苦しんでもいないのです。考え続けることをやめてしまったら、このことに着手する気力を失ってしまうだろうという予感があるのです。これまでの、私の生き方は、押しなべてそのようなものでした。いつか、あることを達成するまでは、どんなに困難な道のりでも、少なくとも、そのことから意識をそらせたことはありませんでした。頭の中に、意識の中にそのことを置き続ける習慣を持つようにしてきました。こうした習慣が、今回の場合はどのように現実に反映されてくるのかを見届けたい思いがあります。

順応性

2006年07月07日 | 日々の泡
ある人に、自分が扱っている製品の良さを理解してもらい、試してもらった上で、その製品の愛用者になってもらう…こうしたビジネスの遣り方は自分の、人間としての資質や特質とはまったく相容れないものと認識してきましたので、これまではそうしたビジネスの世界と縁を持つということことはまったくありませんでした。同様に、今までは、自分が事業家になりたいなどという意識を抱いたことも一度もありませんでした。それなのに、何故、さしたる抵抗もなく、こうした怪しげな(?)ビジネスの世界と関わりを持つようになってしまったのでしょうか?このことの経過を振り返ると、こうした出来ごとこそが避けられない人生の成り行きというものの実態なのだろうかと感慨深い心境にもなっています。

幾たびもの心境の変節を経て、ここにきて、私の心理状態はまた、今までとは異質な場所に移動しています。というかあまりにも馴染み深い場所にブーメランのように舞い戻ってきたと言えるのかもしれません。大きな価値観の転換を迫られる危機的な場面を(その時はびくびくものだったはずなのに)大過なく通過してしまってみると、そのリスキーな経験も、これまでの私の日常と何ら変わらない過去の経験群の中に綺麗に収納されてしまっているのです。その挙句に訪れた、私の心の中の様相を検証してみれば、決してそれほどダイナミックなものでもなく、むしろ非常に静かで、悲しいくらい日常的な代わり映えのしない構造のままで横たわっていたのです。人間に備わっている新しい環境への順応性やどんな変化にも適応しようとする力のすごさには改めて驚いています。意識的には、こうした事実(私の心的現実)への解釈を‘鈍感さ’と捉えることもできますし、こうした環境への適応作業は、私の背後で、私の意識の及ばない場所で、刻々と行われていますので、実際のところは、順応性や適応力の問題として取り上げてもいいものなのか、あるいは単に鈍感なだけの問題に帰結するだけなのか・防衛力のなせるワザにすぎないのかということさえもはっきりとはしていません。いずれにしても、一見したところは賭博的で、華やかでバブリーに見えるビジネスの世界も、そこでの真の成功を願うのならば、実は、大変に地道で、人と人との関わりを大事にできる誠実な心根が要求される世界なのだということを改めて学ばされていたということになっているのでした。

災害のことを引き合いに出すこと自体、大変な顰蹙ものですが、私にとっては、この世界との邂逅は、ある意味では、事故に遭遇したようなアクシデントとしての側面が強かったのです。これまでの人生の延長上にはない価値観や人々との出会いは非常にストレスフルな出来事となりましたし、うっかりすると、PTSDとして心の傷を負うことになってしまう可能性も潜んでいましたが、幸いなことに、今回の場合はPTSDの後遺症をは免れることができたのです。けれど、一時期のさざなみのように押し寄せてくる小さな興奮とテーマパークで遊んでいる時のような非日常的なワクワク感に支えられた日々は、常ならぬ状況に遭遇した人間が辿る幾つかの心理過程の一つである、いわゆるハネムーン期(蜜月期)の心理状態だったのだと今では、理解することができます。

こうした激動の日々の終息後の今の生活は、一日、一日がその日限りのものになってしまっているのです。今日の成功(?)【まだ成功はしていませんので、物事がチョッと上手くいったというような意味あいで使っています。】も失敗も、今日一日が終ればそれで終わりと考えるような心の構造の中で暮らすようになりました。何故なら、昨日の経験を、今日も引きずって行動すると、その行動自体に、‘here and now’の1回性のライブ感が失われてしまうので、自分自身のビビッドな感覚も同時に失われてしまうという事実に気づいたからなのです。普通なら、経験はとても大事なもので、過去の経験を生かして、今を積み重ねていってこそ賢い行動がとれると考えるものですが、私の場合は、過去の経験はその時だけのもので、今の経験は今という‘この時’だけのものだということになっているようなのです。上手くいったことでも失敗したことでも、今となっては命を失っている過去の経験則から何かを導き出そうとすること自体が、今この瞬間の経験には、生命の宿らない結果を生み出すという事実を知りました。少なくとも、過去に頼ろうとする自分の気持ちからは緊張感が失せ、自分の生の言葉を生み出すことは、私にはできないということが分かったのです。そのことに気づいてからというものは、私の人生はその日に生まれて、その日に死ぬ…という極めて簡便で単純で質素なものになっています。けれど、余分なしがらみを一旦は忘れて出直す日々には(荷物が軽くて)軽快で気楽な旅のような開き直り感が伴っています。

自分としては最大限の投資もして、先行きのことを考えれば、本来ならば、不安と恐怖で頭が大混乱状態になっても何の不思議もない現在の境涯なのですが、先のことがどうなるかは本当は誰にも分からないことなので考えても仕方がない…そんなふうにまで思うような無風状態の人間になってしまっています。心を‘無’にしていないと、今の私は人には向かい合えない人間に様変わりしてしまいました。そんな私の変化に伴って、周囲にも、段取りや根回しという小技を武器にするようなこととは無縁の人間が集まってきているような気もします。あるいは、小技の代わりに大技を使う人たちだということなのかもしれません。「あなたが変わればまわりも変わる」という何かのキャッチフレーズのような状況が生まれているのです。

このビジネスに関わって良かったというような感慨はまだ味わえてはいませんが、関わらなければ良かったと思ってもいません。ただ、このことに出会っていなければ、見ず知らずの人に電話をかけたり、二度と縁を重ねることなどなかったであろう人たちとの再会という機会も訪れなかったことと思います。それに、先のことが予測不能であるということは、この先(良い意味で)何が起こるかも分からない…ということと同じこととも言えますので、思いも寄らない喜ばしい偶然にも巡り会えるかもしれないという、そんな途方もない楽しい夢を抱ける分だけ、以前よりはちょっぴり幸せかもしれないとも思えています。それに、よく考えてみると、ビジネスを念頭に置いた日々の中では、自分の想念が、現実が想念に沿ったものとしてあぶり出されていくという不思議な現象に気づくことも少なからずあるのです。(自分が‘こうしたらいいかなぁ…’とあれこれ考えを思い巡らせながら、その想念を具体的な行動に移すと、そんなふうに意識的に行動しなかった時とは、現実で起こる事象にも確実に差が出てくる…というような気がしています。)必ずしも、自分の思い描いていることがすべて現実化するとは限らないのですが、個々の経験は大きな目標への一里塚として、すべてが無駄にはならないという優れた仕組みを孕むようになるのです。夢の実現に近づく過程を歩んでいるという実感が得られるようになるのです。

必ずどこかに

2006年07月02日 | 日々の泡
このビジネスに関わるようになってからというもの、私は、私を助けてくれる人や私が求めているものは、(そうそう簡単には見つからないものの)必ずどこかにあるはずだと考えるようになりました。何の根拠も裏づけもないのですが、何故かきっとどこかに、私が探し求めているものは存在しているはずだと思えるようになっているのです。

組織に入る以外に生きる道を知らなかった私は、組織の中で生き残ることに、取りあえずは全身全霊を注いできました。そこでの生活はそんなに簡単なものでも平易なものでもない割りには、(ですから協力し合うことが必須のことのはずなのに)人との関わりもそれほど緊密なものになっていくというわけのものでもありませんでした。努力しても努力しても報われたという実感を得られることは少なく、喜びにも悲しみにもいつも薄いオブラートがかぶさっているような感覚に包まれてもいました。いっとき、私はうつ病になってしまうのではないかと思えるほどに、苦しく無味乾燥な感情に襲われ、辛い日々を過ごしたこともあります。夢も希望も何の展望もない生活が目の前に迫っていれば、うつと言われるような状態にも容易に陥ることも体験しました。それでも、その時は、私を助けてくれる人やものがどこかに存在しているはずだとは想像もできませんでした。だから余計に辛い気持ちは増すばかりだったのです。

今の、ビジネスを通しての生活には、「あるいは、私は、今のこの閉塞感に満ちた生活を打ち破ることができるかもしれない!」という夢や希望や想像の翼が存在するのです。こつこつと諦めないで進んでいけば、必ずどこかに私を助けてくれる人がいるはずだ。一緒に協力してくれる人が存在するはずだということを信じられるのです。(現に、そういう人が一人、出現してくれています。)夢想しているだけでは何も始まりませんので、とにかく行動していこうと思えるだけでも、私の生活は随分と原始に回帰できている感じがして、人間らしさを取り戻せているのです。毎日が、額に汗を流しながら農作業をしているような感覚の日々なのです。とにかく種を蒔かなければ、収穫もないのだから、一つ一つの行程をしっかり踏んでいこうと思えるようになっているのです。「きっと会えますよね。もう少しであなたを見つけられそうです。」そんな気持ちになれることをとても幸せに思っているのです。そういう人に次から次へと出会わなければ、このビジネスは成り立ちません。まさに、人生そのものが出会いを求めての旅そのものになっているのです。

玉村さんのワイナリー

2006年06月29日 | 日々の泡
私の田舎は、昔は長野県小県郡(ちいさがたぐん)東部町と言いましたが、現在では長野県東御市(とうみし)と呼び名を変えています。昔ながらの何とも風情のある街並みもすっかり都会的に様変わりして、幼い頃の想い出までも、地中深くに埋もれてしまったような寂しさを感じます。が、脳裏にはあの頃の思い出とそれにまつわる光景がしっかりと刻まれて残っていますので、懐古的な気分に耽るのは時代錯誤と諦めることができます。その東御市に玉村豊男さんのワイナリーがあるのをご存知でしょうか?エッセイスト、画家、農園主に加えて、ワイナリー・オーナーでもある玉村さんの事業家としての手腕には脱帽です。ワイン作りの全工程もここで見学できるようです。私がそこを訪れた日は、たまたま6月17日の夏至祭りディナーの日でしたので、ワイナリーカフェは満員の盛況ぶりでした。カフェと同じフロアにあるショップでは玉村さんご夫妻が歓談されるご様子を垣間見ることもできました。ショップには、玉村さんご自身が工夫を凝らしてデザインされた機能的なグッズや食器、ポストカードなどが揃えられています。こんな不便な(?)地の利でも、集客力を持つ素晴らしい観光スポットになっています。広々としたガーデンにはラベンダーやその他の美しい花々が植えられていますので、深呼吸をしながら、一望に見渡せるなだらかでゆるやかな農園のたたずまいをゆったりとした気分で満喫することができる空間です。チョッと面白いアイデアだと感じたのは、営業時間が午前10時から日没までとなっていることです。日没は毎日、大体午後7時前後のようです。遮るもののない眺望は黄昏時の景観の移ろいのすべてを目の前に魔法のように展開してくれることでしょう。信州に行かれる際には、是非、立ち寄ってみられてはいかがでしょう?



VILLA D'EST GARDENFARM AND WINERY




ここにアップした収穫物の画像はいずれも玉村豊男さんの版画の画像です。(ホームページには「アートギャラリー」があって、玉村さん作の沢山の版画を閲覧することができます。)

起きることはすべて必然?

2006年06月28日 | 日々の泡
精神世界の書物を紐解くと、どの書物にも一貫して書かれている共通の項目や内容があります。その一つが「起きることはすべて必然」というものです。例外なく、そのことが前提でものが語られています。以前の私には、ある出来事や体験を必然と捉えるような態度は希薄でした。偶然と思えるような不思議な巡り合わせに遭遇しても、本当に偶然なこと…と考えることしかできなかったように思います。けれど、この頃では、こうした書物による影響もあって(自分が、一人でオリジナルでこのような考えに至れることは到底不可能なことです!)物事の現象はすべて起こるべくして起こる…と思うようになっています。次にはどんなことが起こってくるのだろうか?と観察していると、ただの同じことの繰り返しと思われるような日々の出来事にも、必ずそれなりのアクセントが付いていて、画一的な出来事というものは存在していないことがよく分かります。私に必要な情報は次はどこからどんなカタチでやってくるのだろう…という構えで待っていると、来るときも来ない時も、それはそのときに必要な状況に応じて、現実は立ち上がってくるのだと達観していられます。何も起こらなければ、何も起こらないという状況が、今は最善の設定であろうことが理解できます。いいことも悪いと思えることも、宇宙の目から見れば必然の出来事なのだと理解できてきます。意識が、ある問題やある人に焦点づけられていると、ふと見る新聞にも、それに関連した、あるいはそのものズバリの情報が載っていたりします。そういう意識状態でいると、次から次へと情報に連鎖が生じてきます。いろいろなことが繋がってくる感覚に包まれるようになるのです。そうなると本当に必要な情報を引き寄せる(手繰り寄せる)のも、あと一歩というところまでいく感じになります。私はまだ、あと一歩のところに留まり続けていて、それ以上は前進できないでいますが、やがて、その、本当に私が欲しい情報に手が届く日が来るのではないかと思ったりすると、もっともっと、この感覚を進化させていきたいという意欲が湧いてきています。もし、私を助けてくれるであろう、私にとっての真の情報を掴むことができれば、宇宙の神秘にアクセスすることも可能になってくるのかもしれません。