
一応の職も得ていて、職場には自分のデスクもあって、雨露しのぐ自分の家もあって、人並みに家族もいて…何一つも不足のないはずの生活でした。これ以上何を望むのか?と問われて、そこで、足りない何かについて答えようものならバチがあたるというものです。でも、私にはやはり何かが足りない。頑張っていろいろな困難を乗り越えてきたとはいうものの、魂のレベルで厳密に考えれば、やはりまだやらなければ済まないことが残されている、そんな気がしきりにしていたのです。

漠然とそんなことを考えている毎日だったので、徐々に、どんな些細な出来事からも隠されている情報を読み取ろうとする癖が付いていくようになりました。そんなふうでしたから、今までなら素通するだけで、意識が向かうはずもなかったようなことにも注意を寄せるようにもなっていました。そして、今のビジネスに出会ったのです。そこで聴く話も、そこで出会うアジア系の女性たちの逞しさも、私の五感にとっては新しく初めて味わうことばかりでした。ある意味、私にとっては未知のものであった価値観に遭遇して、その新鮮な理論の仕組みに急激に魅せられていったということだったのだと思います。その世界に触れ続けることによって、現実感が伴わなくなっているこれまでの考え方や、意味を成さなくなっていた固定観念にがんじがらめに縛り付けられている自分から開放されることになるだろうという甘い予感をさえ感じていました。ほぼ8ヶ月余りはその世界に漬かって、そこから新しい学びを得るべく、私なりの努力を真剣に注ぎ込んできたのです。

ところが、その挙句に、私がある日突然、気づいたことはといえば、これ以上、そこに居続けて何かを得ようとしても、もはや私の器では何も得られないということがはっきりと分かってしまったということでした。真面目に勉強をして、成功者の教えをコピーしていけば成功は間違いない!と上からは教えられます。8ヶ月間は一応、その言葉を信じてやってきました。もちろんそのやり方でうまくいく人もおられますので、それはそれで、その方法論を否定するものではありませんが、私には採用できない手法であることを8ヶ月かかってやっと理解することができたのです。このままでは、私は投資したお金の全額を闇に葬ることになってしまう。そのことが分かった時、初めて、不安と恐怖の感情に襲われて夜も眠れないほどの苦痛を味わいました。今までの私には、こうした経験は無縁のものだったので、こんな苦しさを想像することもできなかったんだということも思い知りました。けれど、不思議と後悔の念に駆られることはなかったし、‘結局は騙された自分’というシナリオに落ち着くということも今のところはないのです。こんな状況に至っても、私はまだ起死回生を狙っています。誰も助けてくれる人がいない…とはこういうことだったのか!それでも、誰が悪いのでもなく、自分で何とかするしか、このままでは状況を変化させることはできない…ということだけはとてもよく理解できるのです。「窮鼠猫を噛む」といいますが、「窮すれば通ず」とも言います。ことここに至っても、いえ至ったからこそ、私は、言葉の上でだけでなく、真の意味で、私を救い出してくれる力のある人を探し続けようと必死でに考えるようになっていました。

よく困った時に、一人でその困難を抱え込むのではなく、人にも相談して、むしろ人の力を借りたり、うまく利用したり(借力【しゃくりき】という表現を使っている人もいます。)して、閉塞した状況を展開させていける力を持つことが大事といいますが、今、そのことを心の底から実感しています。私に力を貸してもいいと思ってくれるような人を探し出せれば、もしかしたら私はこの窮地から脱出できるかもしれません。さて、どういうことになっていくのでしょう?ことここに至って初めて、私は、自分の限界に向き合うとはこういうことだったのか!と、その内実を知ると共に、本当の窮地というものに立たされたら、自分ひとりの力では、そこから這い上がることはできない。自分以外の誰かの力を借りなければ、私の独自の道を切り開くことなんてできないということを思い知ったのです。基本的には、たった一人で、この苦境を突破しなければならないけれど、どんな時でも、一人では何もできないということを身に沁みて理解できるようになりました。人に助けを求め、人からも助けを求められるような人間になっていくしかないのです。
いわゆる「感謝」とか言われたりしてるものですよね。あっしの場合は残念ながらまだまだその実感が少ないような気がします。それがそのまま今の自分の実情に反映してる。みたいな^^;
とりあえずrayさんにはけっこう感謝してます
ところで、私は通常は、「感謝」という言葉や表現は使いません。自分としての真の実感を伴った言葉群の中には「感謝」という言葉は入っていないような気がするからです。「感謝」と同様の意味合いを持ちながら、表現が私の心情にしみじみとフィットする違う言葉を探しています。
実は、最近、私は、もう一つのブログを立ち上げました。なすさんには是非、そちらのサイトもご紹介したいのですが、些細な事情があって、今はそれができません。いつかお知らせすることができる日がくることを願っています。それが可能になるということは、私の先々にある程度の見通しがついてきた…という何よりのバロメーターになるからです。
それよ~くわかります>しっくりこない。その言葉だと雑音混じって素直に使えないんだよね。でもさだから余計な遠回りすることなるんだわきっと^^;
あ、どーりで最近更新が...
そうゆうことなら楽しみに待ってます