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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

「風の谷のあの人と結婚する方法」

2006年09月18日 | 読書
堺正章氏を中心にキュートでポップな小林麻耶アナウンサーとユニークなゲストが毎回、美味なるお料理作りに挑戦する「チューボーですよ!」という番組があります。随分、前のことで申し訳ないのですが、8月5日(土)のゲストは格闘家の須藤元気さんでした。その日の献立は石鍋キムチチャーハンでした。

3人の軽妙な会話のやり取りもとても楽しかったのですが、須藤元気率いる、堺正章&小林麻耶アナウンサーによる3人の(格闘技の前に行われる)入場ダンスのパフォーマンスは最高の出来映えでした。

須藤元気さんのことは、彼が、以前に「オーラの泉」や「はなまるマーケット」にゲスト出演されていた折に、たまたまテレビを観ていて、その存在を知るようになった経緯があります。元気さんのスピリチャルな独特の精神世界に触れてからは、機会があれば、出演される番組は気がつけば、必ずチェックするようにしています。面白い人だなぁ~という印象を抱くようになっていたからです。格闘家なのに、ムキムキの筋肉マンタイプではない上に、四国巡礼などをしている人だということにも関心を持ちました。番組の中で、須藤さんの新刊書についてのインフォメーションがありました。

須藤さんが本を書いていることは知りませんでした。新刊書の題名は「風の谷のあの人と結婚する方法」というものです。「風の谷」ってどこにあるの?「あの人」って誰のこと?…題名一つからも、そんなふうに次から次へと興味や関心が湧いてきます。早速、ネットで、内容を調べてみました。すると、次のような説明がありました。『処女作「幸福論」がベストセラーとなった格闘家・須藤元気の待望の新刊書籍!リングを離れて人間“スドウゲンキ”として、「学びについて」、「人間関係について」、「心のコントロールについて」、「時間について」、「成功について」、「身体作りについて」、「リラックスについて」を、ライター・森沢明夫氏とのメールのやりとりでまとめた、人生を楽しく生きるための哲学を語った一冊となっています。書籍内に写真は一切使用せずに、あえて活字だけで構成し、格闘技・試合についての論述もほとんどありません。すべて須藤さんご自身のこだわりです。』

本屋さんで探してみましたが見つけられなかったので、いつものように、御用達の図書館にリクエストを出すことにしました。

村上春樹さんの「そうだ。村上さんに聞いてみよう。」も読者とのメールのやり取りを一冊の本にまとめたものですが、とても読みやすく、しかもメールを書いている人やメールに答えている村上さんの人となりが誠実に伝わってくる優れた一冊でしたので、須藤さんの新刊もメールのやり取りをまとめたものと知って、その内容をとても楽しみにしています。この本を読まれた方の感想も是非、知りたいものです。

「風の谷のあの人と結婚する方法」

人と関わるということ

2006年09月14日 | 日々の泡
親密な関係にあっても、人は人、自分は自分ということを忘れてしまうと、私の場合は大変なことになります。そんなことを甘やかしてくれる人が周りにはいないからです。「そんな君でもいいよ。」などと言ってくれる人は一人もいない過酷な境遇で生きています。人が自分と同じカプセルの中にいて、人の感情や思いを自分のものであるかのごとく、うっかり捉えしまおうものなら、多分ものすごく不幸になると思います。けれど、少し前までは、そういう傾向に流れていましたから、すごく苦しかったし、とても不幸でした。世界の誰一人も、私の思うようになど動いてはくれません。そんなことは当たり前のことなのに…。でもとても苦しかったのです。いつも一人でいるくせに、一人で生きていくことの覚悟ができていなかったからなのでしょう。今でも、一人で生きていく覚悟などはできていませんし、一人で生きていかなければならないとも思ってはいませんが、何か、今までよりはもう少し爽やかな、少なくとも、そう鬱陶しくはない一陣の風が心の中を通り過ぎるようになりました。

これはどうしてなのでしょう?自分でも分かりません。ただ、人との距離を幾分測れるようになったかららしいのです。人との関係に圧倒されたり飲み込まれたりするようなことが以前ほどはなくなりました。危ない感じになっても、限界点を飛び越して、もっと先まで行ってしまい自分を惨めにするということがめっきり減ったような気がします。どんなことも通過点なんだから、これが結果ではないのだから、明日は明日の風が吹くんだから…。今の感情に押し流されることなどないんだから!と気持ちを切り替えられるようになったからかもしれません。誰にもしがみつかないで、自分の力で立っていられるような人間にこの先もなっていきたいと思っています。

不確実性を生きる

2006年09月08日 | 日々の泡
先行きが不透明で、先々のことが読めない。こうした状況を、私たちは一般的には大変恐れるのではないでしょうか?少なくとも、私はずっと恐れてきました。どんなことでも先取りしようと努力してきましたし、「転ばぬ先の杖」「先んずれば人を制す」をモットーとして生きてきたのです。

ところがどんなに細心の注意を払っても、この人生の成り行きはまったくもって予測どおりには運んでいかないものだということを嫌というほど実感してからというものは、そんなことに汲々とすることが、ただただバカらしくなり、組織の中の枠にはまった生活ぶりにも飽き飽きするようになってしまったのです。そしてとうとう、私はこれまでの生き方をこれからも続けていこうとは思わないまでに変貌してしまったのです。

どんなにあがいても苦しんでも、一向に、自分が変わりようもない時もありました。むしろそうした時間が長すぎたくらいです。どこを眺め回しても、変化をもたらす兆しのひとかけらもない時はどうしようもなくそんなものは一切どこにもないのです。それが、来るときには突然に、前触れもなくやってくるものなのだということを今回知ったのです。そうなると、その流れに乗れるか乗れないかが危ぶまれるほど、チャンスは急激に目の前を横切りました。今までの慎重で臆病な私だったら、今回のこの事件も、素通りさせていたかもしれません。途方もないビジネスの話なんて、私の人生には無関係の荒唐無稽なこととして切り捨てていたことでしょう。それが、暗々裏のうちにこの流れに乗ってしまっているのです。先のことは何一つ読めないまま、この不確実性を生きることができているのです。

不確実性は人生がうまくいっている証拠だと言われても(「精神世界」系の書物では必ずそう言い切っています!)、まず、大方の人はその不確実性に身を委ねることはできないでしょう。これまでの生き方に心底ウンザリして、新天地を求めようとするやむにやまれぬ気持ちに捉われた者でなければ、不確実性を生きることは空中で綱渡りをすることよりも難しいことだと思われます。

世に花盛りの口コミ商品

2006年09月04日 | 日々の泡
最近ある人に、「健幸寿命を延ばす疾病予防施設」なるものがあることを教えられました。その施設に払う会費と医療費で月に保険が使えて16000円程度の費用がかかるそうです。そんな施設がビジネスとして成り立つということにも驚きましたが、会員になると無料で配布されるという、ある健康補助食品がなんとネットワークによる方法で販売されているものなのです。私は、自分がこの世界に関わるようになるまで、世の中に、こんなにも多くのネットワークを使った口コミ商品があるということすら知りませんでした。

ネットワークの世界でやっていけるような人は、私のようにオロオロはしていないのだそうです。周りの人にどんなに嫌がられても、友人・知人を失ってしまっても平気なエネルギーとパワーを持っているそうなので、いつも平然と落ち着いている…とのことなのですが。果たしてそうなんでしょうか?一人から契約を取れれば、教育費が出るとかの計算を頭でしていて、相手がビビッているとか嫌がっているとかのことで、自分が傷ついたりはしないということですが、本当にそんなことがあるのでしょうか?そんなことを続けていたら、人間としての心はどこかへ置き去りにしなければならなくなります。私などは、むしろ、そういう人たちに勧誘される側の人間であって、そんな仕事を広める側に入れるわけもないというのが誰もが思う大前提のようです。

どんなことにも理屈はあるし、どんな理屈にも一理はあると考える、私のような人間の場合は、これはこうだ!という決め付けができません。これも一理ある。あれも一理ある。どんなことにも正当な側面がある。などといっていたら、大抵は悪意を持って接近してくる人に立ち向かうことはできません。それでも妙に臆病でけちな私なので、今までは騙されたり、ひどい目に合うという経験からは一切免れていました。

ネットワークビジネスに関わって、その組織を先導している人たちのすべてがすべて悪意のある人たちばかりというわけではありませんが、ネットワークでビジネスをすすめることのできる人と、苦手な人のいることは少し考えれば分かることなので、誰でもが簡単に成功できてしまう、夢のツールであるようなことだけは言わないで欲しいと思います。できる人もいれば、そんなことには向かない人もいるのです。そのことをわきまえた言動を静かに行って欲しいと願っています。

確かに、商品は悪くはない場合も多いので、商品という‘道具’を使って、ビジネスをうまく展開するきっかけを掴むことのできる人には面白い商材となりうる可能性もある…位のところでとどめておいてくれれば、このビジネスにももっと品位のある印象を持ってもらえるのではないでしょうか?けれど、それでは、それこそビジネスにはならないのでしょうね。本当にガンガンやっていきたい人にとってはそんなトロイことでは仕事にはならないのでしょう。まったく、世の中の熾烈さには頭が下がります。とてもついてはいけません。ついていけない自分でいいです。私は人を騙さなくてもいいやり方で、仕事をしていきたいし、これからもそうした方法を模索していきます。自分が汚れてしまうことを、自分に許すことはできません。

偶然という名の必然

2006年09月02日 | 日々の泡
先月初旬のとある日曜日、日曜日には通常なら、通るはずもない道を歩いていたら、大昔の友人(以後、その友人のことをSとします。)にばったり出くわしました。Sは元々、居を転々とする人でしたが、ある事情で、当時住んでいた部屋をとうとう追い出される羽目になり途方に暮れていたので、軽い気持ちで、私の家の一角の部屋を貸したことがありました。ところが、当時のSは、貸した部屋には全然帰ってこないし、どこで何をしているのかも分からないという状況の中、ちょっとしたトラブルが持ち上がってしまって、あっという間に、またもや、どこかへ引っ越して行ってしまったのです。

私が悪いわけではなかったとはいうものの、私の家の片隅にいた時に、Sの身の上によからぬことが起こった以上、それ以来はすっかり疎遠になってしまっていました。私からSがどこでどのような暮らしをしているのかは調べようもない中、Sからの連絡も全く途絶えていました。時々はSのことを思い出すものの、きっと、もう一生会うことはないのだろう…と心の底ではそう考えるようになってしまうのも無理からぬことでした。

Sにしてみれば、やはりすっかり私のことを忘れていたわけではなかったのだそうです。イメージの中には何度も、私の家や私の家族のことが浮かんできたそうです。ですが、私が住んでいる地域のここ数年の変貌振りは相当なもので、(私の家も建て替えをしたりしていました。)目印になる神社の一角をいくら歩き回っても、私の家がどこにあるのかを突き止められなかったという嘘のような本当の話を聞かされました。

ところで、私が柄にもなく、自分のビジネスを持ちたくて、この世界に首を突っ込んでから、これまでの時期を振り返ってみると、現在のところ、約4期位の時期に行動パターンが分けられる気がしています。1期は上の人の言われるままに、講習会に出て、商品を自分自身が使い、このビジネスを素晴らしいことばかりと思いこんでいた時期です。2期目は少しずつ自分なりの行動を起こして、知人・友人に商品知識を広めていった時期です。メールや口コミで宣伝を繰り返して反応を確かめていた時期です。この時期の収穫は、いくらメールや口伝えに、商品の価値を広めようとしても、生活感覚や行動基準がスタンダードで堅実な私の周囲にいるような人には何の(販売促進)効果もないという事実を体感しただけということでした。その教訓を生かすべく、3期目は、個人に働きかけるのではなく、ビジネスとして小さくても、企業を興している場所へのアプローチを試みました。が、結果的にはこれも惨敗でした。しっかりした企業は個人の素人など相手にはしないからです。その時は必至でしたが、今になってみれば、あまりにも当たり前のことで、自分のほうが非常識だったのだということが心底、理解できて、顔から火が出そうになります。

そのことが身に沁みて骨の髄まで分かったのも、‘危ない彼女’の助力のおかげでした。彼女はあまりにも未完成で恐いもの知らずで(もしかしたら、知っていてもそれを見てみぬ振りをすることができて…)力技でそこを乗り越えることができる人だったのです。私も彼女同様に力技を特技とする人間だったら、彼女の後ろを突っ走っていたかもしれません。けれど、幸か不幸か、私はその手の種類の人間ではなかったうえに、これもまた、嘘のような本当の話なのですが、彼女との関係のリセットを分かりやすく説明してくれる人との出会いがあって、私は危ない橋をこれ以上歩き続けないで済むことになったのです。

彼女との関係を整理することができたのです。それについても、私の影武者として、数人の人が私を助けてくれました。壊れそうな橋を、私が渡ろうとするたび毎に、どこからともなく、警報を鳴らしてくれる人が現れてくるのです。もがき苦しんでいるうちに、私の周囲には‘人’というかけがえのない財産が増えていくのです。信じられないほど、有り難いことです。

ところで、期せずして再会した、昔の友人は、私と同様に専門職でありながら、鍼灸の資格もとって、一時は青山で鍼灸院を6年間も経営した経歴を持っています。その時に、幾度となく、多くの誘惑にあっているということで、ビジネスの恐さのことについては、私以上に知識を持っていました。その友人に言われました。今は投資額の回収に執着しているけれど、今日の暮らしに困るわけではないのだから、そんなに焦る必要はどこにもない。私の本当の財産や能力がどこにあるのかを思い出して欲しい。誰にも真似のできない蓄積してきた経験を生かせる道を目指していけば、今、抱えている商材を生かせる方法も自然に出てくるはずだということを繰り返すのです。私は今までの職業生活をすべて清算してでも、新しくビジネスの道を切り開いていきたいと望んでいました。それほどまでに、この世界は危険と背中合わせながら、魅力的な場所なのです。でもSに、そのことだけに拘らなくても、一番大事なものは、すでにもうあるはずだし、そのことは十分に知っているはずだと指摘されることになってしまいました。

一生会うこともないと思っていた人に、今、この時期に出会った意味とは何だったのでしょうか?Sは言うのです。「オーラの泉」の江原さんが無名の頃、マッサージ繋がりでお付き合いがあったそうで、そのせいかどうかは分かりませんが、Sは、私の守護霊のようなものが、生きることに対して、今までに、何の切羽詰った経験もなかった私に、今ここでかけがえのない試練を与えてくれているのだという解釈を提示してきました。そう言われると、今なら、私にはまだ助けてくれる人もいますし、一人ぼっちで路頭に迷うということもないわけですから、やはりとても恵まれているということが分かってきます。

洗脳の主と思われる人は一番の悪役を演じてまで、私にこれだけの体験をさせてくれた最も有り難い人だということにもなります。だとすれば、私が危うく崖から転落しそうなほどの芸当をさせてくれた‘彼女’はものすごい立役者ということにもなります。私の興業舞台にはこうして入れ替わり立ち代り、個性豊かな役者が登場してくれるので、ものすごく内容の濃い見応えのある人生芝居が繰り広げられています。

こうして、劇の内容は起承転結のメリハリをつけて進むのですが、終始一貫して、このドラマを静かに眺め、時にはプロディユースしながら、いよいよ本格的に参画してこようとしている人物がいます。

世の中って!

2006年08月27日 | 日々の泡
私は、今まで、非常に小さな限られた小さな枠の中でしか生きてきませんでした。ですから、人や自分を騙したり、悪意を持った行動を意図しなければならないというようなことは一度もなかったのです。あまりにも誠実に生きてきすぎてしまったため、少々の‘悪’が必要なのではないかと真剣に考えたりもしていたのですが…

こんなことを考えていたから、この時期に、ひょんなことから、私が今置かれている苦境を救ってくれるかもしれないと思える人に出会ったような気がします。本当なら、関わりを持たずに済めば、関わりを持たない方が間違いはなかったし、賢明なことだったと今でも思っています。けれど、私は何としても、自分の力で、この苦難から脱出しなければならないのです。良くも悪くも私にとって、こんな経験は人生の中でも初めてのことでした。

万事休す。まさに、誰のせいでもない、自分から、この状況を招いてしまっていました。ユングのいうシンクロシティー、あるいはコンステレーションという概念の中に綺麗に嵌っているということです。こうなると、これは神の仕業だと思わざるを得ません。神さまがトリックスターとなって、私に人生への冒険を仕掛けてこられたのです。

私が、よりにもよって、自分から、「私を助けてください。」と頼んだ人は、私にとって、憧れや尊敬の対象となるような人ではありませんでした。能力は確かに高いけれど、安心して信じられるというような人ではないし、出来ることなら、一日も早く縁を切ってしまいたいような人でもあります。それでも、もし私を助けてくれられる人がこの世にいるとするならば、彼女を置いて他にはないと確信できるのです。彼女に会う度に、私は何ともいえない辛さに襲われます。見なくてもいいもの、感じなくてもいいことを感じさせられるからです。彼女自身が、行動力と頭の良さでは他との群を抜いているからといって、ある部分では、こんなに無防備なのに、それでも足を掬われないのは一体何ゆえなのかとつくづく不思議で不可解な気持ちになるような人でもあるのです。

あぁ!私を助けてくれるかもしれない人を、私は慕うことができないのです。実は、それは本当に悲しいことでもあります。人生って何て矛盾に満ち満ちたものなのでしょう。この世の中にはどんな人でも存在するのだということを知って、世界の広さを改めて実感する今日この頃の私です。

久々のフラワーアレンジメント

2006年08月24日 | my favorite・・・
本当に久し振りに、フラワーアレンジメントの画像が友人から届けられました。今回のアレンジにはパイナップルが素材として加えられているようです。お花にフルーツを添えるというアイデアも非常に斬新で素敵です。パイナップルの先っぽのトゲトゲしたグリーンがアクセントになって野性味と可愛らしさを主張しています。全体的に淡いピンクのざっくりした大振りのお花が、この夏の茹で上がるような暑さにささやかな涼を運んでくれているような気がします。

先日、遠い親戚筋の人と本当に久し振りに電話で話しをしたのですが、彼女は地元のカルチャーセンターで友人3人とフラワーアレンジメントを月に2回、講師として教えているということを言っていました。新聞の折込の洒落た宣伝紙にも時々、フラワーアレンジメントの講習会のインフォメーションが載っています。フラワーアレンジメント人口も裾野が広いのかもしれません。

今回のお花はピンク色が主流です。ピンク色の優しさや穏やかさに心が癒されるような気がします。パワーストーンをオーダーする際にも、自然とピンク色めいた色彩の石を選んでいました。私のピンクブームはいつまで続くのでしょう。ピンク色の鉱物が象徴するキーワードは慈愛・優しさ・和やかさなどです。持つ人を豊かな愛情と柔らかな波動で包み、感情面での安定を促し、心に受けた傷を癒し、機能しなくなった古い生き方からの束縛を溶かし去る…というような意味合いを保持しています。愛を受け、愛を与える象徴としてのピンク色の石。石に限らず、ピンク色が醸し出し、周囲に放つオーラには優しい愛情が溢れているようです。

世界の中でたった一人

2006年08月21日 | 日々の泡
一応の職も得ていて、職場には自分のデスクもあって、雨露しのぐ自分の家もあって、人並みに家族もいて…何一つも不足のないはずの生活でした。これ以上何を望むのか?と問われて、そこで、足りない何かについて答えようものならバチがあたるというものです。でも、私にはやはり何かが足りない。頑張っていろいろな困難を乗り越えてきたとはいうものの、魂のレベルで厳密に考えれば、やはりまだやらなければ済まないことが残されている、そんな気がしきりにしていたのです。

漠然とそんなことを考えている毎日だったので、徐々に、どんな些細な出来事からも隠されている情報を読み取ろうとする癖が付いていくようになりました。そんなふうでしたから、今までなら素通するだけで、意識が向かうはずもなかったようなことにも注意を寄せるようにもなっていました。そして、今のビジネスに出会ったのです。そこで聴く話も、そこで出会うアジア系の女性たちの逞しさも、私の五感にとっては新しく初めて味わうことばかりでした。ある意味、私にとっては未知のものであった価値観に遭遇して、その新鮮な理論の仕組みに急激に魅せられていったということだったのだと思います。その世界に触れ続けることによって、現実感が伴わなくなっているこれまでの考え方や、意味を成さなくなっていた固定観念にがんじがらめに縛り付けられている自分から開放されることになるだろうという甘い予感をさえ感じていました。ほぼ8ヶ月余りはその世界に漬かって、そこから新しい学びを得るべく、私なりの努力を真剣に注ぎ込んできたのです。

ところが、その挙句に、私がある日突然、気づいたことはといえば、これ以上、そこに居続けて何かを得ようとしても、もはや私の器では何も得られないということがはっきりと分かってしまったということでした。真面目に勉強をして、成功者の教えをコピーしていけば成功は間違いない!と上からは教えられます。8ヶ月間は一応、その言葉を信じてやってきました。もちろんそのやり方でうまくいく人もおられますので、それはそれで、その方法論を否定するものではありませんが、私には採用できない手法であることを8ヶ月かかってやっと理解することができたのです。このままでは、私は投資したお金の全額を闇に葬ることになってしまう。そのことが分かった時、初めて、不安と恐怖の感情に襲われて夜も眠れないほどの苦痛を味わいました。今までの私には、こうした経験は無縁のものだったので、こんな苦しさを想像することもできなかったんだということも思い知りました。けれど、不思議と後悔の念に駆られることはなかったし、‘結局は騙された自分’というシナリオに落ち着くということも今のところはないのです。こんな状況に至っても、私はまだ起死回生を狙っています。誰も助けてくれる人がいない…とはこういうことだったのか!それでも、誰が悪いのでもなく、自分で何とかするしか、このままでは状況を変化させることはできない…ということだけはとてもよく理解できるのです。「窮鼠猫を噛む」といいますが、「窮すれば通ず」とも言います。ことここに至っても、いえ至ったからこそ、私は、言葉の上でだけでなく、真の意味で、私を救い出してくれる力のある人を探し続けようと必死でに考えるようになっていました。

よく困った時に、一人でその困難を抱え込むのではなく、人にも相談して、むしろ人の力を借りたり、うまく利用したり(借力【しゃくりき】という表現を使っている人もいます。)して、閉塞した状況を展開させていける力を持つことが大事といいますが、今、そのことを心の底から実感しています。私に力を貸してもいいと思ってくれるような人を探し出せれば、もしかしたら私はこの窮地から脱出できるかもしれません。さて、どういうことになっていくのでしょう?ことここに至って初めて、私は、自分の限界に向き合うとはこういうことだったのか!と、その内実を知ると共に、本当の窮地というものに立たされたら、自分ひとりの力では、そこから這い上がることはできない。自分以外の誰かの力を借りなければ、私の独自の道を切り開くことなんてできないということを思い知ったのです。基本的には、たった一人で、この苦境を突破しなければならないけれど、どんな時でも、一人では何もできないということを身に沁みて理解できるようになりました。人に助けを求め、人からも助けを求められるような人間になっていくしかないのです。

パワーストーン

2006年08月16日 | my favorite・・・
オーダーパワーストーンブレスレットなるものを作ってもらいました。この頃、石のブレスレットをしている人を見かけることが多くなりましたが、大抵は出来合いのものが多いようです。私のパワーストーンは特注のものです。まずは、47種類の石のすべてとの相性をみていきます。石を左手の手のひらに乗せて、右手でOリングを作り、ブレスレットを作ってくれる人が、私が作ったOリングに力を加えて、その輪が外れるかどうかを一つ一つの石で試していきます。外れてしまえば、その石は、自分に対して効力を持っていないということになりますし、外れなければバイブレーションを伝えてくれる石ということになります。47種類もの石の効力を一つ一つ手のひらで確認していく作業はなかなかに大変なことですが、嫌な顔一つせずに、その過程に付き合ってくれる作成者との関係は、どこかカウンセリングを受ける時のセラピストとクライエントとの関係にも似ていて、その関係が良好なものであれば、そこには、ゆったりとした癒しの時間が流れていくのです。47種類の石の中から、自分に合う石が限定されていきますが、さらにその中から、自分が好きな色合いや雰囲気の石を十数種類選び出します。後は予算との関係で、石の大きさやカタチは、作ってくれる人のセンスにお任せすることになります。私のブレスレットを作ってくれた人が、ご自分用に着用していたものはさすがにカタチもさまざまならば、大きさも大粒で素敵なものでした。そのブレスレットをイメージしていたので、私のブレスはやや無難な仕上がりになっています。(予算の関係で仕方がありません。)通常の丸いものとは違う石は2種類だけで、一つは平べったく、一つは長細いものでした。けれど、全部が丸いものではなく、2種類でも様子の変わった石を取り入れてもらえたことで満足感を得られました。

暖かい色合いの一群の石と、クールな色合いの塊の石とが白っぽい石で繋がっている、このブレスレットに対する私の感想はといえば、2種類の性質の異なる世界が統合されているというイメージのものでした。太陽と月、昼と夜…というように異質なものだけれど、大局的にみれば、同一の価値のもの、すなわち大いなる宇宙が私の腕の中にあるという印象を持ったのです。製作者に素直な感想を伝えたら、とても喜んでくれました。どんなに素敵なブレスレットをつけていても、装飾品としてならばそれでもいいのですが、もしそこから何らかのパワーを欲するのならば、Oリングで、自分との相性を確かめてみることがまずは肝心のようです。

成功者の生き方

2006年08月08日 | my favorite・・・
テレビ東京の「ソロモン流」を毎週楽しみにしていて、その時間はテレビの前に釘付けになっています。たまたまひょんなことから、一度チャンネルを合わせたに過ぎなかったことがきっかけでしたが、今では私の‘お気に入り’番組の一つになっています。

この番組に惹かれるには、幾つかの理由があります。私の回りには、特別な成功者や大金持ちが見当たりません。だから、知恵と才覚で通常の生活者より、頭一つ、二つ分位、精神的にも物質的にも秀でた生活を送っている人の思考回路や生きる上での心情や心構えというようなものに触れる機会が全くないのです。母の親友の弟さんが、名前を挙げれば知らない人はいないほどの著名人(文化人)ですが、その方に、私がお会いできるチャンスなどはあり得ないことなので、(テレビなどで観る以外には)やはりどういう日々を過ごされているのかは知る由もありません。

周囲に卓越した人生を生きる人がいない、また、そういう人々と関われるチャンスがないということは、それなりの艱難辛苦の末に獲得したであろう、その人独自の人生観や世界観(=成功者の生き方)を教えてもらえる機会が全くないということです。

自分と似たような人と話をしたりしていても、なかなか今の自分を乗り越えるためのヒントは得られないものです。人生が平和と安寧の連続で十分というのであればそれでもいいのかもしれません。けれど、命尽きるまで、自分の未知の可能性を開拓していきたいとか、思いも寄らなかった出来事との遭遇を求めて挑戦を忘れたくない…とかいうような野心を抱いてしまったら、現状の生活の中だけから、飛躍の芽を見つけ出すことはなかなかに困難なことです。

‘ソロモン流’には独自のアイデアをカタチにすべく、苦労をものともせず、あるいは苦労は百も承知で、それでもなお前進していこうとする選ばれた人々の生き様が、毎週、紹介されています。すべての回の出演者に共感できるわけではありませんが、それでも「こんな生き方もあるんだ!」という驚きと感動が迫ってくることが、私にとっては新鮮な体験になっています。

成功者として、‘ソロモン流’に取り上げられるような方たちの多くに共通している特徴は、前進することをやめない。現状に安住して停滞してしまわない。そして何よりも、自分と周囲の人々を大切にする生き方を追及しているということだという感想を、私は持っています。

このブログで、ソロモン流のことを取り上げるのは2度目です。その位、私を啓発してくれる魅力的な番組です。3週間ほど前に放映された回で紹介されていた山本麗子さんは、私の田舎の長野県東御市に居を構えて活躍されている料理研究家です。同じく東御市在住の玉村豊雄さんとも大の仲良しのようです。そのせいもあってか、とても親近感を覚えながら、その生活ぶりを拝見しました。

ソロモン流

グランカフェ ローザ
■「グランカフェ ローザ」は山本麗子さんが軽井沢で経営されている(結婚式や披露宴もできる)レストランです。

山本麗子・アトリエ発 スウィートハートと仲間たち
■「山本麗子・アトリエ発 スウィートハートと仲間たち」は山本麗子さんのお料理教室スウィートハートのスタッフと仲間たちが運営するサイトです。