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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

恨みが消えた!

2006年08月05日 | my favorite・・・
「私の人生はどうしてこうもうまくいかないのだろう!」いつもいつもそう思ってきました。自分の内面と外界の現象との間を結ぶパイプに何かが詰まっているからかもしれない!そう考えて、その原因を探るべく精神療法を受けて心の探索に夢中になっていた時期もありました。それでも、こじれた糸はますますひどく絡まってしまい、ほぐすことはほとんど不可能な状態のまま長らく放置するしかすべはなかったのです。

それがどうしたことでしょう。ビジネスの世界に足を踏み込んでからというものは、人に対する恨みの気持ちや感情が消え失せてしまったのです。うまくいかないことや失敗といえる出来事に遭遇しても、そのことに対して生まれてくる感情を誰のせいにもする気がなくなっているのです。あえて言えば、自分のせいですが、もしかしたら自分のせいでもないかもしれない。それは、私が成長するために神が与えた試練というものなのかもしれない、と理屈付ければそんな風にも考えられるようになっているのです。人が私に何をしてくれなくても、それは当たり前のこと。してくれれば有難う、ということです。自尊心を傷つけられるようなことを言われても、その時は嫌な気持ちに見舞われますが、次の日には、まあそういう言い方もあるわなぁ~などと思ってしまっているのです。

もし、私以外の誰かが、私と同じように、ビジネスを始めたいと言っているのを聞けば、留めることはしないまでも、「大丈夫かな!」と不安な気持ちに駆られることでしょうし、その人には余り近寄らなくなるかもしれません。何故ならば、阻止はしないまでも、応援することなどとてもできないからです。余りにも厳しい道のりだから、自分以外の人がそんなことに耐えられるかどうかは責任の持てない事柄だからです。(自分のことであれば、良かれ悪しかれ、出来ようが出来まいが、自分のことには責任を持つしかありません。)それとも、人を差別的な目で見ることの嫌いな私のことですから、その商品を気に入れば、商品だけをは積極的に購入していくかもしれません。少なくとも、背後に怪しげなビジネスがありそうだと思っても、その人とその商品とそのビジネスとを混同して、一色単にしてみることはしないかなぁとも思います。ともかく、私は、このビジネスの世界を通して、非常に遅ればせではありますが、世の中の厳しさやビジネスの過酷さや非情さと共に、その裏にある、人の心の襞の柔らかさや機微というものに触れる瞬間をも数多く体験するようなになったのです。

そうした体験に伴って、不思議なことですが、人の言動が、私に不安を喚起するような感情のうねりに圧倒されるということも少なくなってきたのです。それよりも何よりも、私は私の生を全うさせるという使命のことだけを大事にしたい…などと考えるようになったのです。まだまだ生きることを楽しむという域には達することができませんが、極力、余分な雑念は払いのけて生きようと思えるようにはなりました。私に悪意を持つ人がいても、私がそのことを許さない限り、誰かが、私に悪意を向け続けることはできないということも知りました。私が脅えたり不安になったりすれば、それは相手の思う壺です。ある状況に抵抗しようとすればするほど、私自身の力も萎え、その状況も強化されます。私は状況に抵抗しなければいいのです。そうすれば、その勢いはいつか自然消滅するでしょう。私をやっつけようとしていた人も、もうそんなことには興味を失います。私が動揺しなければ、やっつける理由がなくなるからです。恨みや僻みや嫉みなどの感情と無縁で生きるということはとても楽なことです。それもあってか、私の生活はとてもシンプルで(内面的には波乱万丈のジェットコースター的急降下を繰り返していても)表面的には穏やかなものになってきています。他人には迷惑をかけないで済むようになったということです。

時代の風

2006年07月31日 | 日々の泡
最近では、組織の中に埋もれてしまうような仕事を忌み嫌う人々が多くなってきているそうです。だからといって、自分が経営者になって人を束ねていくことにも強い抵抗を感じる傾向も(人々の心の中には)強く、経営者としての仕事のあり方にも人気は集まらないようです。

少し前に、公共放送で特集番組が組まれていましたが、生活保護すれすれの生活を余儀なくされている‘普通の人’が昨今では急増しているとのことで、社会問題として取り上げられるほどにもなっています。社会経済の構造の変化がもたらしている問題なのか、どんな要素が絡んで、生きることがこんなにも困難な事態になってしまっているのか、私には、その原因が良くは分かりませんが(気候も変です。地球の温暖化が進み、亜熱帯の気候になっているそうですが、7月も30日になってやっと梅雨が明けるなんてことは今までにはなかったことです。)、確かに何かが少しずつ変化してきていて、その変化は人々の気持ちや精神状態にまで深く影響を及ぼし始めているようです。昔なら、地縁や血縁で支えきれたようなことが、人が生きるということが個としての問題だけに集約されるにつれて、誰もが問題を抱えきれなくなってきています。個人が抱えきれなくなれば、それを支える機能やシステムが不在である以上、破綻が訪れるのも時間の問題になったりしています。

価値の多様性が存在するフレキシブルな時代になっているというのは嘘でしょう。画一的な価値にしがみつけるほど時代や社会が単純ではなくなってきていて、溢れるような情報が日々大量生産されている中、本当に信じられる、私の‘価値’が何なのかを見極めることが非常に難しくなってきているような気が、私はしています。人の言うことはどんなことでも、それなりに真実ですし、最初から、人を騙そうとしている人でない限り、元々悪気があって人に関わろうとする人がそう多くいるわけもない以上、本来ならば、人と人との気持ちの間に横たわる齟齬は落ち着いて話し合えば、理解し合えるはずのものなのですが、価値観の違いは、簡単には看過できない問題として、人と人との関係に取り返しの付かない亀裂を生じさせることにもなっています。

今までには知ることのなかった新しいビジネスの仕事に首を突っ込むようになってから、人々の心の中に存在する気持ちや思いの違いというものが如何に多種多様であるかということを思い知らされています。今までは、こんな嫌なことがあったとか、避けて通れるはずなのにこんな目に合ってしまったとか…そんな風に考えることも多く、なるべくなら、嫌な思いを味わわないで済む生活を志向しようとする人間でした。けれで、このビジネスに関るようになって、仕事を通して、いろいろな人間の動き方を見ているうちに、出来事のアップダウンは以前よりも激しくなって、嫌な感情に見舞われることも多くなっているにも拘らず、妄想とも言えるような濁りきった思考や感情に圧倒されるということが激減しているのです。現実に起こることはすべて起こるべくして起こる。その結果のほとんどの要素は自分のかつての言動が招いているのだと冷静に考えられるようになっているからです。辛くて一睡も出来ない夜もあります。その心の傷の痛みはヒリヒリと2~3日は真性の痛みとして疼きますが、いつまでもケロイド状に残るということはなくなりました。

上昇するためには下降が必要。前進するためには抵抗が必要なのだそうです。そんな理屈は詭弁のようにも思えますが、確かにいろいろな出来事に出会わなければ、自分のやろうとしていることの価値を確かめる手段がなくなるだろうとは思います。自分の言動の波紋や自分の現在の立ち位置を知るためにも、自分の価値が絶対だと思わせてはくれないさまざまな抵抗勢力は必要だと思うようになりました。

ビジネスの仲間といえば、一つの価値を求めて集まって来ているはずの人たちだと思っていましたが、そこに入ってしまえば、実は一人として同じ考えの人はいないものだということにも気づくようになりました。『成功する人なんて一握りの人。製品の良さを伝えていきたくても、身近な人に話せば、「あなた、いい加減にしておきなさいよ。騙されないようにほどほどにしないと!」といわれるのがオチなので、もうこの仕事もどうしようかな?と考えているの。』と言っている人がいました。多分、やめておくのが一番穏当な道だと思います。そうすれば、家族や友人との関係において、周囲を不安に落とし入れたり、自分が揶揄されるような心配もなくなるからです。一人でビジネスを始めるということは、やはり大企業や官公庁に勤めているような安楽さはありませんし、もしかしたら、このビジネスのどこかに法的な大きな欠陥が潜んでいるのかもしれないと不安になったりすることもあります。外野の人は、まことしやかに面白おかしく、私たちのビジネスの胡散臭さを叩いてきます。何が真実かは、私には分かりません。ただとても不思議なことは、だからといって、私の心がかき乱されたり不穏な状態にはなっていかないということにあります。私はやはりこの時代、自分の力で、シンプルに原始的に何かを切り開いていく…ということはとても困難なことだと痛感しているので、このビジネスを通して、とにかくもう一頑張り、自分の未知の力量を試してみずにはいられないという気持ちでいるのです。(去勢されて生きるしかないようなこんな時代に、根源的な野心や願望を抱けるということだけでも貴重な体験だと思えるのです。)周囲の人にあれこれ言われても、そんなにはぶれない自分の心の定点には一体何が潜んでいるのだろうと、不可解な気持ちで一杯です。自分自身のためにも、それが何なのかを見極められるまでは、この道を歩いていくつもりでいます。

家族の解散

2006年07月28日 | 日々の泡
「いつみても波乱万丈」のゲストの萩本欽一さんが、一家離散の現実を「家族の解散」という言葉で表現していました。ある時期、萩本家では、長男の月給に一家が頼った生活を送っていたらしいのですが、長男が「こんな安月給なのに、みんなの生活を支えなければならないのなら、自分はいくら働いても、楽しいことの一つもできない。そんなのは辛すぎる。」と発言したそうなのです。そうしたら、家族の全員が、「そうだそうだ。お兄ちゃんがあまりに可愛そうだ。」ということになり、それなら、家族の解散をしようということになったのだそうです。事実上は一家離散で、家族の誰がどこに住んでいるのかさえ分からない、しかもそのことを確かめる余裕さえない厳しい現実に、家族成員のそれぞれが直面しながら生きていたようなのですが、欽ちゃんが有名になったことをきっかけに家族がまた集合できたという話をされていました。

野際陽子さんが、そんな話しは信じられない!という感じで、「他の家族のこと(消息)が気にならなかったのですか?」という質問をされました。「気にならないどころではないが、皆、自分の生活のことで精一杯だったから…」と答えた萩本さん。なんて正直な人なんだろうと思いました。

家族神話がまだ健在の日本社会です。家族は何物にも変えがたい社会の一単位であり、心の支えでもあります。けれど、昨今の数々の事件。親が子を殺し、子が親を殺さなければならないまでに追い詰められてしまっている家族関係。密室の中ではどんなことでも起こりえます。殺しあわなければならないほどの愛憎に巻き込まれるのならば、「家族の解散」という発想があってもいいのではないでしょうか?人間の心の闇の世界では、きっとどんなことでも起こりうるのだと思います。命を落とすほどの葛藤を抱え込むよりは、思い切って、「解散」してしまった方が、お互いが、それぞれの生をまっとうできることになるのかもしれません。

いつみても波乱万丈

「世界のすべては等価である」

2006年07月25日 | my favorite・・・
朝日新聞の日曜版に載る各界の著名人が語る「仕事力」というコラムを愛読しています。このところ、銅版画家の山本容子さんが語る仕事観が続いています。今回のタイトルは「世界のすべては等価である」というものです。

最近では、私もこのタイトルに近い世界観を持つようになっています。便宜上、人生の道すがらで起こる出来事やその結果を私たちは失敗とか成功とか、良いこと・悪いことあるいは勝ち負けなどのような二分法で仕分けしがちですが、何が良くて何が悪いかは人間の浅知恵で容易に決めてしまえるようなことではありません。そう考えるようになってからは、自分が行動したことの影響をいちいち良い悪いで、すぐに判断するようなことをしなくなりました。そうした性急な態度はとても愚かなことだと思えるようになったのです。

一見、わけもなく落ち着かなかったりイライラしたりする時は、じっと胸に手を当てて振り返ってみると、状況が自分の当て込んでいた成り行きとは食い違っていたからというようなことが原因だったりします。自分の責任の範疇の出来事であるならば、自分の力で将来の展望を変更していく可能性も孕んでいますが、人の気持ちや人の生き方を支配しようとしていないかを注意深く点検してみる必要があるかもしれません。自分が手を出したり口を挟んだりしてはいけない領域に踏み込むことは、例え、親密な関係にある間柄であっても慎むべきことだと思います。それを自他の境界を曖昧にして、他人の尊厳を侵しそうになった時に、残酷で悲しい出来事が発生してしまうのだと思うようになりました。

人生で起こることは、目先の現実を見る限りでは、自分の思うように都合良く展開していくということなどは皆無といってもいいと思います。美味しいところだけ、収穫だけを手にすることなどはとてもできない相談というものです。努力したからといってうまくいくほど、この人生は簡単なものではありませんが、努力なしに、ことをなすことなどまず100%無理と言えるでしょう。

山本さんも言われています。「何を持って失敗とするか。それは初めに定めた分かりやすいゴールに到達しなかったというだけのこと。」そして、掲げた目標自体が馬鹿げたものだったのかもしれないと指摘されています。陳腐で姑息な目的を達成できないのは余りにも当たり前、というか、その時は失意の気持ちに打ちひしがれたとしても、長い目で見れば、達成できなくて幸いだったということにもなっていくと思います。何事も行き詰ってからが勝負です。ここで、山本さんの哲学が登場します。「その時、自分の前提として掲げるものは何か。それが自分の哲学であり、その人だけの主題なのですが、それが確たるものになれば道程は本当に楽しい。旅の素晴らしさと同じで、成功や失敗といった貧しい定義など、まったく存在しなくなります。」

私はこの文章に触れた時、数年前のギリシャ旅行のことを思い出していました。旅、特に海外旅行は本当に楽しいものです。異空間に降り立った瞬間から、日常を脱ぎ捨てて、気の遠くなるような寂しさと開放感を道連れに旅の行程が始まります。そこでは先々何が起こるかを予め想定することはできません。すべてがまさに今、想像を絶して目の前に立ち現れてくるのです。文化も景色も雰囲気も食物も、何もかもが、私の固定観念を超えたところに存在しています。日々起こることを善悪で判断したりはできません。どんな感情もどんな出来事をも受け入れようとしている自分を発見するばかりでした。

旅は楽しいばかりのものではありません。とても恐いものでもあります。友情を再確認する場にもなります。ちょっと気が合うくらいの関係では海外旅行は厳しいものになる可能性があるからです。関係がそこで、再度試されることになります。非日常の空間で日常を共にする同伴者はそこでは「たった一人の同胞」だからです。言葉も通じない異国の地で、その同伴者と同調できなければ、旅そのものが大きなダメージを受けてしまいます。ならば、一人の方がいい、というわけには、少なくとも私の場合はいきません。一人では、必ずや事件や事故に遭遇してしまうだろうという恐怖に圧倒されるからです。旅が人生とほとんど同質のものであるならば、旅の知恵は日々の生活の中にも取り入れられるものとなります。そして、人生そのものである仕事にも旅から得られる教訓が役に立つことでしょう。一人では生きられない。生きられるとしても、孤独には耐えがたい場合があるし、一人の知恵には限界があるということです。

仕事といっても、そうなると、もはや仕事を通しての自分の人生観がどうであるかという問題になってくるでしょう。私がどういう思いで、この人生を生きていこうとしているのか、ということを自分に問いかけることにもなっていきます。自分なりの理念を持つことが何かの助けになるかもしれません。私を助ける、雨露をしのぐ傘や杖に相当する理念・価値観・概念は目下のところ「世界のすべては等価である」というものです。

何も考えない…その方がいい!

2006年07月22日 | 日々の泡
アロマは代替療法として、神経科・心療内科・歯科・産婦人科・助産院・整形外科などの、一部の医療機関では積極的に取り入れられています。代替医療の分野にまでも意識が広がっている先生方もおられます。使ってみようと思ってくださるような方にうまくぶち当たればいいのですが、そんな人が何処に存在しているのかは皆目見当もつきません。

需要はいたるところにあるにはあるものだとは思います。どんな分野にでも対応できるアロマですから、その価値を認めてくれる人にさえ出会えさえすれば…と思ってはいるのですが…。

最近、ある大手の美容学校の保健室に勤務している知人のところに、私のアロマを知ってもらおうと思って出かけていきました。知人が興味を持ってくれなくても、その後ろにいる人との縁が潜んでいるかもしれないし…こういう仕事を進めていくには、世の中のすべての人が私の知りあいだ!と思えないと直ぐに人との縁はジリ貧になってしまいます。ある人がダメでも、ある人の背後にはどんな人がいるかも分からないと思えないと、途端に精神的に追い詰められた感じになってしまいます。

とはいうものの、私の知人は、アロマにはまったく興味を持ってくれませんでした。見事なほどの無関心さでした。代わりに、保健室にやってきた若者達は男女を問わず、予想外の関心を示してくれるので、とても驚いてしまいました。でも、知人の縄張りで、営業をするわけにはいきませんので、ほうほうのていで切り上げてきました。

私の一方的な「上手くいくものと思い込んでいた」妄想が何処までも拡がってしまっていために、直後は落ち込みましたが、少し時間が経てば、「な~んだ。そういうことだったのか!」と冷静な気持ちが戻ってきます。元々、「そこへ行っても上手くはいかない」というシナリオが描かれていたことを、自分だけが知らなかったというだけのことです。神様は当にご承知のことだったわけです。

当初、私の知り合いなんて、リストアップしてみても、知れたものでした。せいぜい15人がいいところでした。けれどリストアップはしてみても、それらのすべての人に声をかけられるというものでもありません。全員に当ってみても、そこでの手応えに行き詰ればもうそこがどん詰まりとなります。それでは仕事は発展していきません。販路をどうやって拡大していくかを考える際に、知り合いだけをターゲットにするという考え方には限界があります。

整体院の技術者である仲間の一人が、アロマを使いながらマッサージや整体を施すようになってから、その効果を実感できる顧客に絶大なる支持を受けるようになって、大成功を収めています。その彼女の私に対する助言は、「何も考えないことよ。」「ゆっくりやればいいのよ。」というものでした。いろいろと考えながら、一気呵成に進めることが肝心のような気がしますが、「何も考えずにゆっくりやる!」という気持ちの持ち方も大切に思えます。

私はどうしたらいいのだろうということを常に考え続けています。常に、常に…です。片時も考えることを止めたことはありません。けれど、その状態は大きな目で見ると、何も考えていない状態と等価のような意識状態なのです。考えてはいるけれど、焦ってはいないし苦しんでもいないのです。考え続けることをやめてしまったら、このことに着手する気力を失ってしまうだろうという予感があるのです。これまでの、私の生き方は、押しなべてそのようなものでした。いつか、あることを達成するまでは、どんなに困難な道のりでも、少なくとも、そのことから意識をそらせたことはありませんでした。頭の中に、意識の中にそのことを置き続ける習慣を持つようにしてきました。こうした習慣が、今回の場合はどのように現実に反映されてくるのかを見届けたい思いがあります。

ポータブルキャリア

2006年07月18日 | my favorite・・・
中野裕弓さんという方が「これからの仕事はポータブルキャリア」という考え方を提示されています。映画「男はつらいよ」の寅さんをイメージしてみてください。小ぶりのトランクを持って、あちこちにふらっと出没しては道端で仕事をするというやり方がこれからの仕事のやりようだとの主張です。寅さんはどんな組織にも属さず、けれど,、どこででも鞄一つで商いをしてしまいます。言ってみれば「一起業家」として生計を立てているわけです。周囲の厄介者として生きているかに見えた寅さんでしたが、こうしてみると、多くの人から、長年にわたって根強い支持を受け続けている理由が分かるというものです。きっと人間の理想の姿の原型や普遍的なテーマが隠し味としてあちらこちらに散りばめられているから「男はつらいよ」は永遠に不滅の人気を誇っている映画なのだと、今更ながらにその独特の魅力の秘密を知らされる感じがします。従来のような、バックに控える大会社の看板や名刺に刻まれた肩書きを外して生きる時代の到来だそうです。たとえ、どこかの組織に属していても、一起業家としてのスタンスと心意気で(常に持ち歩ける「売り」を自分の中に常備して)仕事をしていけば組織の中に埋没した生き方とは歴然とした違いが仕事ぶりに現われてくるといわれると、それは本当にそうかもしれないと思えます。少なくとも、ずっと自分を守ってくれる、生涯安泰な砦などはもはや、この時代にはどこにもなくなったということだけは確かなことのような気がします。人と競争することには気が進みませんし、能力を超えた職務に汲々とすることも不健全なことです。けれど、組織の中では往々にして、生き延びるためには、そうしたこともやむを得ないような状況が設定されたりして、かなり無理をしなければならないこともあります。それが組織人としての最低限の責務にもなったりするからです。自分の本性をある程度は押し殺してでも、組織の中に居場所を与えられることは、一応の、取り敢えずの安全をはもたらしてくれます。その安全を手放す勇気はなかなか持てないものですが、それを手放しても余りある‘何か’を身につけられたら…という願望を持ってしまいます。現実を切り開いていく力は自分の中からしか作り出すことはできません。ポータブルキャリア…自分のキャリアを手に持ち歩いて、必要ならば、どこででもそれを開いて必要な人に手渡せる。そんなライトな感覚がこれからの時代のトレンドになっていくのならば、私自身の心身ももっともっと軽いものにしていかなければならないなぁと思っています。

マスターの教え

2006年07月15日 | 読書
不思議な本です。何十年も前に書かれて一度は絶版になり、著者についても名前は分かっていても、どういう人なのかについての詳しい情報は皆無といういわくつきの本です。平明な言葉で極めて簡潔に単純に、当たり前に見えることが書かれてあるだけなので、この本の智恵をすべての人が享受できるとは限らないとも思われます。読み流してしまうだけで終わる人がほとんどではないでしょうか?こうした本に書かれてあることの内容は表現は違っていても中身は極めて似通ったものであることが多いので、馴染みの知識を確認し直すという傾向に流されがちになりますが、今回は、「本当の意味で努力を持続できる人はほとんどいません。目覚しい成功がほんの少ししかないのはそのせいなのです。」という言葉にはっとさせられるものを感じていました。。今の私の気持ちが若干ダレ気味になり始めていたからなのだと思います。どんな状況にも果敢に取り組み、環境に順応していこうとする力というものは、いかにも頼もしく勇ましいことのようにも思えますが、非日常をほどなく日常に変えてしまうほどの強力な性質というものは、一歩間違えれば、いい意味での緊張感をも容易に失わさせ、自己への挑戦や現在のありようを更新していく前向きの姿勢にも水をかけて、怠惰で安逸をむさぼろうとする「もう一人の自分」を蘇らさせる魔物としての側面をも備えているからです。退路を断とうとする自分と、「まあそんなに力まなくてもいいじゃないか!」とか「今のままでいいじゃないか!」と誘惑的に囁く自分との耐えざるせめぎあいが、私の人生の実相でもあります。

マスターの教え

誰よりもママを愛す

2006年07月11日 | my favorite・・・
日曜劇場の今期のドラマの題名です。配役や内容が面白そうだったので1回目をとても楽しみ観劇(?)しました。けれど、予想に反して初回終了後の感想は、私にとっては空振りとしか思えない出来栄えでした。ママが、ただのヒステリックで口うるさいだけのママで、家族に対する優しさのカケラも感じられない女性としてしか描かれていなかったからです。1回目に興味を失ってしまった私は、本当は2回目を見る予定はありませんでした。ところが、配役欄に劇団ひとりと阿部サダヲの名前があるではありませんか!これはただ事ではないなぁ…というか一波乱起こるだろうなぁということが予測されましたので、2回目も観てみることにしました。2回目の方がずっと楽な気分で楽しむことができました。無理のない展開でしたので、作り物の感じがしなかったからです。ママの本来の持ち味が少しずつオモテに現われてきていました。友人をかばったためにいじめを受けておろおろしている次男へのママの対応が社会の第一線でバリバリと働いている女性としての頼もしさに溢れていてほっとしました。いつもキリキリと急がしそうにしていて、家に帰れば、疲れて寝るばかりのママがこんな時にどんな力を発揮するのかがとても心配でしたが、まずまずでした。一番良かったのは、次男に、「ママはどうしてそんなに強いの?」と聞かれた時に、「パパのおかげよ!」と言うところです。好きな人が傍にいてくれるというだけで、自分が頑張っていける。輝いていけるというようなことをママが言います。そして、難しい弁護(ママは弁護士です。)の仕事に自信がない時などは、パパのところに電話をして、いつもの励ましの言葉で檄を飛ばしてもらうのです。「ママ頑張って!ママならできるよ!愛しているよ!」と。ここに秘密があったんですネ。次男のナレーションが入ります。「人が毎日悩んだり苦しんだりしているのは、ずっとぞばに居て欲しい人を見つけるためなのかもしれない。」と。録音していたわけでもビデオにとっていたわけでもないので、言葉の細かいニュアンスには間違いがあるかもしれませんが、私はこのように解釈しました。25年も専業主夫をやってママを支え、ママを幸せにすることだけを(?)自分の幸せにしているパパ。ドラマですので、誇張やデフォルメのきいた極端な描き方はされていますが、なかなか楽しめる成り行きになっていきそうです。阿部サダヲや劇団ひとりの活躍ぶりは来週以降になるようです。乞うご期待ですネ!

私も最近ではよく思うのですが、自分のために何かをしてくれる人だからとかというようなことに対してではなく(もちろんそのこともすごく大事なことではありますが)、その人が存在してくれているだけで、(自分が)生きることが楽になったりやる気が出たり、「自分はこれでいいんだ。」と思えたりするようなことが、とても大切なこと、もしかしたら、一番大事なことなんじゃあないかという気がしているのです。

誰よりもママを愛す

順応性

2006年07月07日 | 日々の泡
ある人に、自分が扱っている製品の良さを理解してもらい、試してもらった上で、その製品の愛用者になってもらう…こうしたビジネスの遣り方は自分の、人間としての資質や特質とはまったく相容れないものと認識してきましたので、これまではそうしたビジネスの世界と縁を持つということことはまったくありませんでした。同様に、今までは、自分が事業家になりたいなどという意識を抱いたことも一度もありませんでした。それなのに、何故、さしたる抵抗もなく、こうした怪しげな(?)ビジネスの世界と関わりを持つようになってしまったのでしょうか?このことの経過を振り返ると、こうした出来ごとこそが避けられない人生の成り行きというものの実態なのだろうかと感慨深い心境にもなっています。

幾たびもの心境の変節を経て、ここにきて、私の心理状態はまた、今までとは異質な場所に移動しています。というかあまりにも馴染み深い場所にブーメランのように舞い戻ってきたと言えるのかもしれません。大きな価値観の転換を迫られる危機的な場面を(その時はびくびくものだったはずなのに)大過なく通過してしまってみると、そのリスキーな経験も、これまでの私の日常と何ら変わらない過去の経験群の中に綺麗に収納されてしまっているのです。その挙句に訪れた、私の心の中の様相を検証してみれば、決してそれほどダイナミックなものでもなく、むしろ非常に静かで、悲しいくらい日常的な代わり映えのしない構造のままで横たわっていたのです。人間に備わっている新しい環境への順応性やどんな変化にも適応しようとする力のすごさには改めて驚いています。意識的には、こうした事実(私の心的現実)への解釈を‘鈍感さ’と捉えることもできますし、こうした環境への適応作業は、私の背後で、私の意識の及ばない場所で、刻々と行われていますので、実際のところは、順応性や適応力の問題として取り上げてもいいものなのか、あるいは単に鈍感なだけの問題に帰結するだけなのか・防衛力のなせるワザにすぎないのかということさえもはっきりとはしていません。いずれにしても、一見したところは賭博的で、華やかでバブリーに見えるビジネスの世界も、そこでの真の成功を願うのならば、実は、大変に地道で、人と人との関わりを大事にできる誠実な心根が要求される世界なのだということを改めて学ばされていたということになっているのでした。

災害のことを引き合いに出すこと自体、大変な顰蹙ものですが、私にとっては、この世界との邂逅は、ある意味では、事故に遭遇したようなアクシデントとしての側面が強かったのです。これまでの人生の延長上にはない価値観や人々との出会いは非常にストレスフルな出来事となりましたし、うっかりすると、PTSDとして心の傷を負うことになってしまう可能性も潜んでいましたが、幸いなことに、今回の場合はPTSDの後遺症をは免れることができたのです。けれど、一時期のさざなみのように押し寄せてくる小さな興奮とテーマパークで遊んでいる時のような非日常的なワクワク感に支えられた日々は、常ならぬ状況に遭遇した人間が辿る幾つかの心理過程の一つである、いわゆるハネムーン期(蜜月期)の心理状態だったのだと今では、理解することができます。

こうした激動の日々の終息後の今の生活は、一日、一日がその日限りのものになってしまっているのです。今日の成功(?)【まだ成功はしていませんので、物事がチョッと上手くいったというような意味あいで使っています。】も失敗も、今日一日が終ればそれで終わりと考えるような心の構造の中で暮らすようになりました。何故なら、昨日の経験を、今日も引きずって行動すると、その行動自体に、‘here and now’の1回性のライブ感が失われてしまうので、自分自身のビビッドな感覚も同時に失われてしまうという事実に気づいたからなのです。普通なら、経験はとても大事なもので、過去の経験を生かして、今を積み重ねていってこそ賢い行動がとれると考えるものですが、私の場合は、過去の経験はその時だけのもので、今の経験は今という‘この時’だけのものだということになっているようなのです。上手くいったことでも失敗したことでも、今となっては命を失っている過去の経験則から何かを導き出そうとすること自体が、今この瞬間の経験には、生命の宿らない結果を生み出すという事実を知りました。少なくとも、過去に頼ろうとする自分の気持ちからは緊張感が失せ、自分の生の言葉を生み出すことは、私にはできないということが分かったのです。そのことに気づいてからというものは、私の人生はその日に生まれて、その日に死ぬ…という極めて簡便で単純で質素なものになっています。けれど、余分なしがらみを一旦は忘れて出直す日々には(荷物が軽くて)軽快で気楽な旅のような開き直り感が伴っています。

自分としては最大限の投資もして、先行きのことを考えれば、本来ならば、不安と恐怖で頭が大混乱状態になっても何の不思議もない現在の境涯なのですが、先のことがどうなるかは本当は誰にも分からないことなので考えても仕方がない…そんなふうにまで思うような無風状態の人間になってしまっています。心を‘無’にしていないと、今の私は人には向かい合えない人間に様変わりしてしまいました。そんな私の変化に伴って、周囲にも、段取りや根回しという小技を武器にするようなこととは無縁の人間が集まってきているような気もします。あるいは、小技の代わりに大技を使う人たちだということなのかもしれません。「あなたが変わればまわりも変わる」という何かのキャッチフレーズのような状況が生まれているのです。

このビジネスに関わって良かったというような感慨はまだ味わえてはいませんが、関わらなければ良かったと思ってもいません。ただ、このことに出会っていなければ、見ず知らずの人に電話をかけたり、二度と縁を重ねることなどなかったであろう人たちとの再会という機会も訪れなかったことと思います。それに、先のことが予測不能であるということは、この先(良い意味で)何が起こるかも分からない…ということと同じこととも言えますので、思いも寄らない喜ばしい偶然にも巡り会えるかもしれないという、そんな途方もない楽しい夢を抱ける分だけ、以前よりはちょっぴり幸せかもしれないとも思えています。それに、よく考えてみると、ビジネスを念頭に置いた日々の中では、自分の想念が、現実が想念に沿ったものとしてあぶり出されていくという不思議な現象に気づくことも少なからずあるのです。(自分が‘こうしたらいいかなぁ…’とあれこれ考えを思い巡らせながら、その想念を具体的な行動に移すと、そんなふうに意識的に行動しなかった時とは、現実で起こる事象にも確実に差が出てくる…というような気がしています。)必ずしも、自分の思い描いていることがすべて現実化するとは限らないのですが、個々の経験は大きな目標への一里塚として、すべてが無駄にはならないという優れた仕組みを孕むようになるのです。夢の実現に近づく過程を歩んでいるという実感が得られるようになるのです。

欄間の彫り物

2006年07月06日 | my favorite・・・
写真の撮り方が下手なので、細部をはっきりとお示しすることができなくて申し訳ないのですが、田舎の親戚の家の、いわゆる‘客間’の欄間の画像をアップしてみました。(この欄間には、ウサギと菊の花が彫り込まれています…何故、ウサギと菊の花かということにも実は理由がありますが、個人の秘密に関わることなので、ここでは詳細は省きます。)欄間の下の障子にも、部屋別の障子ごとにデザインの異なる格子がはめ込まれています。欄間の背景に嵌め込まれているガラスの隅にも何かのデザインが彫られているのが(分かりづらいですが)ご覧いただけますでしょうか?

私の母の父、すなわち私の祖父はなかなかの粋人だったようで、建築というか家の造り方には特段の興味を持っている人だったのです。心の中で膨らんだイメージを必ずカタチにしていく人だったようです。家のそこここを増築したり改築したり、家の周囲を植木で囲んだりということに凝っていたので、夏休みなどで田舎に遊びに行く度に、大工さん等の職人さんが入っていることが多かったことが記憶に残っています。

客間の天井からぶら下がっている照明の笠も、今時では何処でも見かけることのできない不思議な落ち着きのある無国籍的な雰囲気を持ったものが使われています。(うっかりデジカメに収めてくるのを忘れてしまいました。)けれど、光を上手く取り込めなかったせいか、どの写真もとてもご紹介できるような写りとしては残せませんでした。

幼い頃、お休みの度に、祖父が東京まで迎えに来てくれて、私は田舎の祖父母の家に遊びに行きっきりになっていました。いとこ達もまだ生まれていない頃は、私がたった一人の孫でしたので、おじおばを含む大人たちの愛情を一身に受けて、遣りたい放題の楽しい日々を過ごしたものです。小さい頃はおしゃまさんだった私は、おばの着物を持ち出したりしては(何故、着物なのかは分かりません。)帯を締める真似事をしたりしていたようです。そんな写真が残っています。少し足を延ばせば、清水の湧き出る通称‘弁天様’と呼ばれる小川もありました。夏は花火大会・盆踊り・七夕・四谷怪談(小さな映画館では夏休みの時期には必ず、四谷怪談と番町皿屋敷の映画の広告が貼り出されるのですが、それが怖くて怖くてたまらず、目を半眼にしてそこを通り過ぎたものです。)という風物詩が目白押しでした。スイカやとうもろこしは食べ放題の状態で食卓に並んでいました。今、思い出しても、私の幼かった頃の夏休みの生活の豊かさには特筆すべきものがあったことを実感します。心がきゅんとするような懐かしくも切ない少女時代の想い出が走馬灯のように蘇ります。

今は昔…の物語です。