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南の島で幼稚園の先生になろう!

活動から19年。現在も現地の教え子や家族から連絡があり、素敵な人と出会えた青年海外協力隊生活に感謝しかない。

意外な流れの一日

2007年08月16日 | ミクロネシアの生活
今日は、この間から幼稚園のバスの運転手のワルチャーがずっと「野球に来いよ」と誘ってくれるので、あんまり悪いので、コロニアまで見に行きました。

今日はなんとリーグの決勝戦で、なんと彼のいるチームが優勝しました。

ポンペイが野球がとっても盛ん。野球と言うより正式にはソフトボール。

スローピッチといって、山なりのボールを投げて、思い切りバットで打ち付けるという感じ。上半身重視のポンペイの人にはぴったりです。

よかった優勝かあと帰りの車に乗せてもらうと、「今からみんなで祝いのサカオにいくぞ」と言われ、どうすることもできずにそのまま拉致状態でサカオバーへ。

すぐに飲めるのかな?と思ったら、作るところからスタート。
サカオバー滞在時間は約3時間。

でも隣の学校の先生とゆっくり話せたり、日本語が上手で4年も日本に行っていたポンペイ人とも話せました。

なにより、職場の仲間がこうして、僕のことを仲間として認めて、野球見に来い、サカオにいこうと声をかけてくれることが喜びですし、こういう繋がりを大切にこれからもしていきたいと思います。

人が旅立つときも、別れるときも、葬式も、そして優勝祝いもやはりポンペイではサカオがかかせません。

南の島の8月15日

2007年08月15日 | ミクロネシアの生活
今年で南の島で2回目の8月15日、終戦記念日を迎えました。

今日も庭では、ハンモックでおじいさんの孫が犬と戯れて遊んでいます。

全くの普通の一日として過ぎようとしている今日8月15日。

今でも解決していないこと。それは、戦闘が行われたこの南の島のポンペイで15日が特別な日ではなく、365日の内の1日として普通に過ぎていくこと。

このポンペイでは激戦と言うほどの戦闘はありませんでしたが、終戦まで日本の統治下にあったので、アメリカ空軍からの爆弾の投下は日々あったそうです。

もちろん、その犠牲になってポンペイの人々もなくなっています。
空爆をしたのはアメリカなのですが、その原因は明らかに統治をした日本にあるのですが。

でも確実に言えることは、日本のこの島での統治政策が非常によかったこと。
日本がポンペイの人に魚を釣って与えるという政策ではなく、魚の釣り方を教えるという政策を実行し、ポンペイ人も生活が潤っていたことがあげられます。
もちろん戦争の犠牲になって、悲しいおもいをされて、日本のことをいいように思っていない方もおられると思いますが、私は未だかつて直接んな話を目の当たりにしたことはありません。

当時、兵隊をこの島でされた方が、ポンペイを訪れたときにこういわれました。
日本は海外にたくさんの人を派遣しているが、それは戦争時代のお詫びを兼ねているケースも多い。それはそれでいいことだ。しかし、私達は、統治時代にこの島でたくさんのポンペイ人の人のお世話になった。そんな昔お世話になった人たちへの援助も忘れないでして欲しいと。僕たちにはそんな遙か昔の歴史を遡っての使命があることを改めて知りました。

この島は単に今、開発途上国と言うだけでなく、昔日本が統治をして、終戦間際には日本兵士が食糧難に陥ったときに、助けてくれた感謝すべき人々であることを忘れないようにしたいと思います。

また最近紹介していませんが、このブログでも僕が日本統治時代のことを知っているおじいさんと暮らしているならではのことも、お話しできればと思います。

村のそのまた田舎の教会?

2007年08月12日 | ミクロネシアの生活
明日からいよいよ新年度が始まります。

夕方部屋の確認にいってみると、同僚が鉛筆などの用品を事務所からもらったようで、部屋に置いていました。部屋にやりかけの自分の仕事はそのままどーん置いてあったけど、きっと明日始まる直前に片付けるのでしょう。とうとう今年も新年度の1日目から何の打ち合わせもなくスタートすることになりそう。(いつものことですが)

今日は村の教会に出た後、シスター(日本人)にお願いして、村から離れた離島(だけど車に乗ってそこから道をてくてく20分歩くといけます)で月に一度教会ミサをしていると聞いたので、連れて行ってもらいました。場所はチャカイユという島です。
島に住む助祭さんに聞くと400人以上の人が住んでいるらしく、数年前までは小学校もあったそうです。

僕たちの島とチャカイユをつなぐ道を車で走った後は、ひたすら石や凸凹した道を歩きながらチャカイユ散策。本当に僕らの住む村以上にのどかです。
教会に使っていた建物が潰れてしまってないので、こちらの伝統的な住まいであるナースをつかって今はしているそうです。
信者さんは50人ほど。そういえば、いつも教会に足を運んでいる人の姿も見えます。
(僕が大好きなポンペイ人らしくないいつも愛想のいい隣の小学校の先生も居ました)子どもを連れて。いつもはこの島から教会に来ていると思うと本当に頭が下がります。

外は雨でナースは窓がないので、時にお祈りが聞こえなくなるくらい強く雨は降りますが、風の音、雨の音、その空気を感じながら自然の中での祈りを経験してきました。

アワックの教会が僕は大好きですが、こうした村のまた奥の人々が暮らす決して便利とは言えない場所でのお祈りも、ここでしかできない経験だと思います。

まだまだこうして、自分の知らないポンペイがあることを改めて実感。

もっともっとポンペイの人の生活を知りたい、肌で感じたいと改めて感じました。

自分のフィールドを大切にしながら、現地に住むぼくらでしかできない経験を
これからもたくさん積んでいきたいと思います。

その経験がまたこの国の理解や活動につながっていくのだと信じて。




協力隊の初心にかえらないとね。

2007年08月11日 | ミクロネシアの生活
今日は朝、州別会議と言って、ミクロネシア連邦国ポンペイ州の隊員が集まって、月に一度会議があり、連絡所に朝から行ってきました。

村から朝出るときは、かなり時間に余裕をもっタクシーを呼ばなければなりません。

村の家からコロニアという町の連絡所まで15分くらいですが、1時間以上の時間的余裕を見ておかないと。
タクシーを呼んでから来るまで10分から30分なら良い方。下手したら1時間掛かることもあります。タクシーは乗り合いなので、すぐに自分の目的地に行くわけではなく、ほかのお客さんを乗せたり、ほかのお客さんの目的地に行ったり、買い物をしたりとなかなか思い通りにはならないので。

今日はラッキーにすぐに道に出るとタクシーが走っていて、乗れました。

会議終了後は、anastsia,barandon,carmelynn,chardinと呪文のように名前を覚えていました。
月曜日から新年度が始めるので、新しい子どもの名前を憶えて、スペルも憶えておかないとね。かなり時間がかかりました。
こうして準備しても実際に幼稚園が始まると来る子どもの名前が昨年も3分の1くらいは違ったので、修正が必要ですが・・・

まだまだ情報の正確性が望まれます。

夜は、2年前に隊員をされていた先輩隊員が来られていたので、一緒にポンペイ在住の日本人の方の家におじゃましてご飯を頂きました。

そこに2週間前程からポンペイに来て働き始めている20代の日本人の方がおられました。話を聞くともともとは協力隊でこのポンペイに来ることを望んでいたのですが、
合格には至らなかったようです。

赴任以来1年以上が経ち、慣れたと言えば良いですが、初心を忘れがちですが、日本においてきた家族、休職を快く許してくださった職場の方々のお陰であることは肝に銘じていますが、ほかにも協力隊に参加したくても参加できなかった方がいることをもう一度心にして、自分がおかれている立場を理解して、これからの活動に望まないといけないと思いました。

また、隊員以外の若い日本人はなかなかいないので、仲良くできればいいなあと思います。







時間の流れ

2007年08月06日 | ミクロネシアの生活
今日は久しぶりに幼稚園に出勤。

先週はずっと広域研修で職場には行けなかったので。

休んでいた分を取り返すべく、名前書いたり、1人1人の子どもの目印になるマークを作りました。昨年もしたので、今の時期に必要なことは、昨年より分かってきましたが。

本当はカウンターパートと一緒に作りたいけど、なかなか難しいです。

僕の幼稚園は小学校の中にあるので、学校の先生と話すこともよくあり、今日も「来年の海外でのプレゼン参加しないの?」と今年一緒にハワイに行った学校の先生から言われ「僕来年、日本に帰っていないけど・・・」って答えしました。

この間も仲間の隊員が帰国するとき、まだ僕は来て一年なのに「君も帰るの」って言われることもあったし。

いつも月日の会話をしていて首をかしげることが多いです。

この国の大きな問題。それは数の概念。
彼女は僕のことを凄くよく知っているし、賢い人だけど、それでも予定や計画、月日の流れは、現地の人はみんな希薄です。

次はどうなるか?今は何月か?といった時間と数をこの一年中夏の南の島で意識すること自体が難しいのでしょうか?

四季のある日本って素晴らしいなあって本当に思います。

村の日曜日

2007年08月05日 | ミクロネシアの生活
今日は、村でゆっくり過ごしました。
やはり村はいい。自分の家(ホームステイ先だけど)は最高に落ち着く。

朝起きて、教会にいって、お昼ご飯食べて、また眠ってしまった。
だんだん最近、生活習慣が現地化している自分が少し怖い。

中南米で活動している仲間のブログを見たら、援助漬けで感謝する気持ちも忘れているって。
僕もこの国にいてそのことはひしひしと感じる。

日々の活動に追われがちだけど、大きな視野で自分が来ている意味に向かい合って考えることって大切だなって。仲間に励ましのメールを書きながら思いました。

感謝することって人間の基本だけど、それって心も体も満たされているからできることなのかなって。貧しいゆたかという経済的な側面だけでなくもっと大きな意味で。

広域研修でも仲間がそれぞれ頑張っていることを実感。

会えないアフリカの仲間も中南米の仲間もみんなそれぞれどんな日曜日を送っているのかな?みんな悩みながら、苦闘しながらもきっと前に進んで言ってるはずだと信じて。

泣かせる喜び

2007年08月04日 | ミクロネシアの生活
今日は、やっと広域研修が終わったけど、結構忙しかった。

朝から曲作り。

実は、JOCVの先輩(昔の人で顔も名前も知らないけど)同士が結婚することになって、
ポンペイで結婚式をすることになりました。
そこでウクレレを一曲してくださいって。

そういわれれば、やはりオリジナルでしょう。

結婚のエピソードを聞いたので、彼らの足跡に合わせた曲を披露しました。

曲の途中で新婦が泣き出しました。

やった大成功。

自分の作った曲で泣いてくれることって、正直最高の喜び。
もちろん、感動の涙限定だけど。

音楽って凄い。

そんな曲がこれからもかけたらいいなあ。

爆睡

2007年07月29日 | ミクロネシアの生活
今週末は、ホームステイ先でゆっくり過ごすことにしました。
6月末からワークショップの準備、7月初旬から中旬までハワイでのワークショップ、戻ってきてから他国の隊員のアテンド、そして広域研修準備となかなか1日ゆっくり過ごすことがなかったので。

土曜日は夜寝て朝起きて、朝ご飯食べてからまた昼間で寝て、昼食食べてから夕方まで寝て、とトータル14時間くらい寝ました。

こんなに寝たのは、ポンペイに来て初めて。万年睡眠不足に陥っていたような。
寝過ぎて頭が痛かったけど。
ようやく、たまっていた疲れが取れてきたような。

来週は広域研修。仲間がカウンターパートをつれて、このポンペイに集まります。
1年ぶりの再会。みんなで色々と語り合い、今後の活動に繋げていきたいと思います。

近況

2007年07月26日 | ミクロネシアの生活
7月17日に無事ハワイからポンペイに帰国しました。
その飛行機にマーシャルから同期隊員が乗っていて、ポンペイに旅行に来てくれました。僕がマーシャルに行ったときに凄くいい奴だなって思っていた隊員も来てくれて、これは頑張らないとって感じです。
その日に、5日間のポンペイの旅行の計画を立てて、翌日から即実行。

ソケースマウンテンに登って、途中に日本軍の大砲を見ながら頂上に。
なぜそんな山にこだわるか?
それはマーシャルって環礁で一番高い場所がなんと橋。
山登りはかなりきつそうでした。

他にも遺跡のナンマドールやケプロイの滝にも行きました。
滝は岩でできていて、その横からなんと調子に乗って上まで上がってしまいました。
(ケガしなくて良かった・・・)

他にも楽しいこといっぱい。満足して次の旅行先に旅立っていきました。
いつまでも仲良くね。

そんな彼らが来ているときのビックイベントは僕の誕生日。
おじいさんが帰国してから調子が悪かったから、自分の誕生日が言えず、おじいさんも体調が悪いから僕の誕生日は吹っ飛んでいて。

でも勇気を出しておじいさんに言いました。誕生日が今日と言うことを。
すると「それじゃあお祝いをしないとなあ」と家族の人に言ってお祝いの用意をしてくださいました。
近くに住むシスターもケーキを作ってくださったり、マーシャルの隊員もウクレレでお祝いをしてくれて、仲間の隊員も来てくれてと、僕は本当に幸せ者です。
今年も最高の誕生日になりました。

最高の誕生日になったのは、誕生日になったとたんに実は始まっていました。

誕生日に日付が変わった途端に電話が鳴り響いて、実は帰国した仲の良かった隊員2名から順番に歌やお祝いを言ってもらいました。

忙しい日本にいても僕のこと憶えていてくれて、本当にありがとう。
眠かったけど、最高に嬉しかった。

あとは、広域研修の準備です。
このポンペイに、マーシャルやパラオ、ヤップ、そして日本から教授まで招いての研修会。
今までの成果が良い形で出るように頑張ります。
でもハワイから帰って一日たりともゆっくりすることがなく、少々お疲れモード。

村でゆっくり過ごしたい。今はそんなちょっとゆったりモードですが、
日本より忙しい?夏休みを乗り切らないとね。



オアフ島ほぼ一周

2007年07月09日 | ミクロネシアの生活
ジャンルを海外旅行にしました。
僕にとってはこれは立派な海外旅行ではなく、出張。

今日は、バスでオアフ島をバスでほぼ?いや半分を1周しました。
バスで簡単に行ける範囲で。
今までワイキキやアヤモアナショッピングセンターばかりだったので、ここらで2ドルの安旅を。
バスに乗って、海岸でおりて、鮭と昆布と納豆のおにぎり食べて、おーいお茶を飲んで、またバスに乗ってゆったりと?

ワイキキは人で特に日本人でいっぱいだけど、裏側に行くと日本人比率はぐっとへって、でも日曜日なので、駐車場はそれなりに混んでいて、海はやはり綺麗。

ハワイが観光地として栄えるのは、ワイキキなどだけではなく、至る所に綺麗な砂浜の海があること。
そこに点在する海に面する家々。

やはり資本主義の国アメリカの豊かさ、広大さを感じます。

今ハワイに来て思うこと。
日本人だけでなく、みんなが喜ぶ観光地としての要素をいっぱいもっていること。

砂浜を探知機を使って金属を取り除く人。
インフォメーションコーナーがたくさんあること。
ゴミ箱が綺麗な状態でたくさんあること。
どこでもトイレが綺麗なこと。

至る海岸にシャワーとトイレがあり、最低限の設備が保障されていること。
どこも観光化されながら、日本のように商売根性丸出しではないことなどなど。僕のポンペイでも規模は違うからまねできないけど、精神的な部分で取り入れられる部分ってあるのでは?と考えています。
これらを今回の出張のレポートとして提出したいなあと思います。

そしてみんないなくなった?

2007年07月07日 | ミクロネシアの生活
この写真はタイトルと関係ありません。
この写真は、僕が子どもの時に初めて行った海外旅行の時に泊まったホテル。
懐かしいままワイキキの片隅にそびえていました。
あのころ、こういう長期滞在者のホテルに泊まるって、かなりレアだったように思います。

さて本題は、寮の受付から僕の部屋のドアに通告。
内容は、すぐにデスクにきてください。

その日は夜遅くカードマンしかいなかったので、翌日行くと「あんたこれからどうするの?」と聞いてきます。
どうするって、ずっと泊まりますけど・・・
確かに最初に二日分の宿泊費を払っただけだけど・・・

実は、一緒に来たPECに参加するポンペイのローカルの先生は、みんな寮を出てしまったようです。行き先はデスクの人曰く、ホテルって言うだけど、ここはオアフ島最低でも100ドル以上します。そんなホテルにみんなとまるのかな?
宿泊費はでているけど、軽く予算オーバーで、ホテル代だけでパンクしますよ。

僕もこの寮は、雰囲気は最高だけど、部屋がかゆい。少し。
でもパソコンし放題ってのも魅力だし、安いしね。
このハワイ滞在中、心配していたのはこういう連絡なしのローカルの人たちの行動。
1人寮に置いていくってやっぱり僕からすれば凄い。
メッセージとか残してくれたらいいのに・・・


山火事

2007年07月06日 | ミクロネシアの生活
今日は、ハワイ到着2日目。

今回僕がハワイに来て、いろいろ書きたいことはありますが、臨時速報。

そのことを書こうと思っていたら、夜寮に帰ると、消防車が走るし、ヘリコプターはがんがん飛ぶし、一体何だろうって思って、外に出ると、ヘリコプターが近くに降りてきて、また飛び立った。

そして、寮の裏山を見ると、燃えています。
そう山火事。

だんだん火は強くなって、人家に迫る勢い。

ヘリコプータは、空飛んで、山を照らしているだけ。
なんて無力なんだと思っていたら、1時間くらいして無事鎮火。

火が消えてみると、火事の後にたくさんの明かりが。
きっとヘリコプターは、山を消火するための消防隊員の活動を助けていたようです。

それがわかるまでは、アメリカって言う非常時のことを最も考えている国でも、
山火事はなかなか消せないんだと思っていましたが、やはりアメリカ。

こういう部分は、世界で最先端をいっています。

寮からは色々な国の人が出てきて、ずっと様子を見ていました。

でも火が消えて良かった。
近くの家の人のことを考えると、震災のことがふと蘇りました。




ハワイ上陸 独立記念日

2007年07月05日 | ミクロネシアの生活
同じ太平洋に浮かぶ南の島の移動だけど
ミクロネシア連邦国を7月4日午後12時30分に出発して、ハワイ到着は4日午前1時過過ぎ???
日付変更線を通過するので当たり前ですが。

今回はPECに参加するポンペイ州の幼稚園の先生と一緒なので、空港にはたくさんのポンペイ人が集合。そして抱き合う姿も見知らぬ人も・・・

ハワイはポンペイ人が移住してたくさん暮らしています。
時には親がハワイで子どもがポンペイってこともあります。

PECに参加する小学校の先生が子ども一緒に居たので、子どもまで連れてきたのか?と思っていたら、なんと同じ学校の生徒で、単身お母さんに会いにハワイへ行くのだと。感心しました。

このようにポンペイとアメリカやハワイは、親子や兄弟が離ればなれに暮らす場でもあるのです。

宿泊先はハワイ大学の寮。

9階建てです。建物はかなり古いけど、ミクロネシアにはない9階建てにいること自体に少し緊張してしまう自分ってかなり???

でも僕は今まで5歳まで住んでいたマンションが3階だったのが最高で、あとはホテルとか親戚の家で高層にとまったことあるけど、2週間って言うのは初めて。

窓からは夜だからよくわからないけど、たくさんの明かりだけは見えます。
海からはかなり奥に入っているけど、たぶんホテルだろうなあっていうのがわかります。こういう夜景っていうのも日本で見たい以来です。

夜遅くというか早朝についたので、午前11時まで寝て、すぐ起きて町に繰り出しました。大学はかなり広く、バス乗り場を探しながら。

目的はアヤモアナ・ショッピングセンター。
小学校の時にハワイに来て以来、昔でっかいなあって思ったの憶えています。

確かにでかい。1年間ポンペイに居たので、人混みって言うのは久しぶり。
それにたくさん物があるって言うのも久しぶり。

最初はドキドキしました。

ポンペイでは、あるものを買う、視野にある物の中から買う感じなので、もっと奥に言ってみよう、次の店に行ってみようという不思議な感覚。

スターバックスにいって、マクドナルドにもいって、夜はたくさんの出店がならぶところで鉄火丼。
今日は午後7時なると一斉に店じまい。

今日は実はアメリカ最大の休日の独立記念日でした。

食事をしていると横に座った家族がなんと僕が生まれた姫路出身。

話をしていると今日は広場で花火があるということ。

遅くなるとバスがなくなるし、今日は休日だから一層早いだろうなあって思いながら、芝生の広場で寝転がって、花火を見ました。

空にはサーチライトで人々を照らすヘリコプター。
花火も日本の花火大会並みに凄かったです。

ポンペイに帰ったらみんなに見せようとムービーを撮りながら、感動。

ポンペイでは休日って特にイベントがないので、これぞまさに祝っている日、祝日だって実感。(僕がポンペイの休日をわかっていないのもありますが、家族に休日は何の日って聞いても、みんな知らないからなあ)

警察官や開いているお店の人に聞きながら歩いて、ハワイ大学行きのバスストップの所まで。途中お店の人が携帯電話でまだバスがあるか友達に聞いてくれていました。

もちろん、乗ったバスは大学内をどんどん走り、ちょっと行き過ぎて、降りました。
LANを買ってくると、つながりました。

家では電話回線なので、LANの速さに感動。
パソコンってインターネットって、こうだったよねと思い出しました。

部屋はかなり古いけど、さすが大学。

椅子に座ると、ちょっとかゆくなるけど、やはりポンペイ同様、虫が足をはってくるけど、我慢しちゃいます。

2週間、なんちゃって留学気分でキャンパスライフ?を楽しみます。




旅立ちの時 家族は・・・

2007年07月04日 | ミクロネシアの生活
今日から何度も言っているけど海外出張。

おじいさんは、助祭の集まりで泊まりがけなので、おじいさんの世話をしている家族が家にいてくれます。

朝ご飯が終わると冷蔵庫から、生の花のマラマル(頭につける丸い輪っか)が置いてありました。僕が旅行に出かけるので、家族がこっそり僕に作ってくれていました。

本当にいつも優しくしてくれてありがとう。

家族のことはちゃっかりと「おみやげ買ってきてね」と現地語で言ってました。

品物まで指定したのか?よくわからなかったけど。
おじいさんにもこんな優しくしてくれる家族にも何か買わないとね。

今家族と言ったら、すぐにポンペイの家族のことを思ってしまいます。
日本の家族がもちろん本当の家族だけど、現実に住んでいる家族が今の僕にとって身近な存在なのだと改めて思いました。

飛行機に乗って、離着すると家がかすかに見えます。それを家族に見せようとデジカメのムービーを回しました。こんなことしたら家族が喜ぶ、って素直に思わしてくれる家族に改めて感謝。

任国外出張へ出発

2007年07月03日 | ミクロネシアの生活
任国外出張?
っていうのは、私が赴任しているミクロネシア連邦国以外の国に国や州などに認められて、出張にいくことです。


私は日本で教諭をしていますが、正直海外へ出張なんて一生掛かってもありません。

明日から17日まで、PECという会議でワークショップを行うために。
今年はHAWAIIで開かれます。

この国で一年で活動してきて、一番今この国の子ども達にとって、そしてこの国の幼児教育に携わっている人たちが必要としている物を自分なりに考えて、これがベストだとおもうものを発表してきます。
もちろん、全て英語で。

ポンペイ州の中ではみんなに「あなたのプレゼン大好きよ」「あなたはNO.1だ」とさんざん、持ち上げられ、そんなに持ち上げても何も出ないよって感じですが、
この国だけでなく、南の島のマーシャル、パラオなど他国の人にも自分の思いをぶつける絶好の機会です。
そして、日頃一緒に活動していて、なかなか深く幼児教育の理論などを伝え切れていない同僚と一緒に発表するので、このプレゼンを通して彼女(現地で一緒に活動しているローカルの同僚)がこのプレゼンの内容を理解して、自分なりに今後の教師生活の時にふとこのプレゼンのことを思い出してくれれば、いいなあと勝手に、一方通行で思っています。

今日まで、1年に1回しか集まれない総会の準備をして、当日欠席するというワガママ、広域研修(南の島3カ国の隊員とカウンターパートがあつまって研修をします)の準備、そしてこのワークショップのためと、正直夏休みなの?ってかんじでしたが。まだパソコンを打っている後ろには詰めかけのスーツケースが横たわっています。

早く寝ないとね。明日はユニフォーム(この日のためにアロハをみんなで揃えてつくりました。みんなって僕以外は全員この国の現地の人)で空港です。正直恥ずかしいけど、これも試練?

今日もハプニング連続で、宿泊先のお金もこのままだと自腹かなとおもっていたら、3時に銀行が閉まる直前にチェックが支給されて、どうにかホテル代は確保できました。

きっとHAWAIIでも珍道中になることでしょう。
ネットがつねげれば、向こうから報告します。