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南の島で幼稚園の先生になろう!

活動から19年。現在も現地の教え子や家族から連絡があり、素敵な人と出会えた青年海外協力隊生活に感謝しかない。

南の島の月見会

2007年09月25日 | ミクロネシアの生活
今日は、南の島の月見会。もちろん住んでいる日本人の集まりですが。

月を見ながらウクレレでも弾いてもらえるといいなあというリクエストがあり、普段のウクレレバンドのメンバーとは異なるメンバーと組んで、月見会でウクレレミニコンサート。

今回は、マイクにスピーカー付きでかなり本格的。

この日のためにこの島の月をイメージした「ポンペイの月」という曲を書きました。

練習不足な上、僕がハワイ出張で購入した新しいウクレレがまだ手に馴染ます、うまくいかないところもあったけど(バンドの人すいませんでした)、ボーカルソロパートも任せていただき、ウクレレソロの伴奏に合わせたり、かなり上手い女性ボーカルの仲間の歌のウクレレを弾いたりとかなり楽しかったです。

曲は、ボーカル曲がポンペイの月・あの素晴らしい愛をもう一度・島唄・涙そうそう・思い出の渚・桜(森山直太朗)インストが真珠貝・・・・とレットイットビー。

僕は思いきり楽しみました。

月の明るさは、日本とは比べものになりません。
町明かりがなく、公害がないので、月明かりにまさに照らされているという感じでしょうか?

この島でこうしてみんなの前でウクレレを弾かせてもらえるのも後何日かな?

ウクレレはこの島で、人間以外で見つけた最高の友達です。
丸い月はどこで見ても丸い。そして闇夜を照らす幻想さを感じます。

ポンペイ最後の週末旅行

2007年09月23日 | ミクロネシアの生活
今日は、最後のポンペイ旅行。

といっても僕ではなく、事務所のスタッフの方のお話。
今まで活動を支え下さった方が来週帰国されるので、今日が最後の週末。

ビレッジというホテルのツアーに参加して、マンタロードという場所でシュノーケリングをして、ケプロイの滝に行って、マンマドールという遺跡でカヤックをするという豪華ツアー(金額はリーズナブルですが)

今日はスタッフの方の人望のあり、ツアーが始まるまで雨模様だったのに、天気も快晴。
マンタ(エイの一種の大きな魚です)を早速シュノーケリングで発見。目の真ん前を泳いでいきました。思わず触ろうかな?って思ったくらい。

親子で悠々と意味をお散歩。その後をずっとシュノーケーリングで追いかけていました。

そして海で汚れた塩水一杯になった身体をケプロイの滝に打たれながら洗い流し、こんどは、離島で休憩してランチ。

その後は海に浮かぶ巨大謎の遺跡ナンマドールでカヤックを楽しみました。

ウッタン・マウ(ポンペイ語で、とってもいいという意味)でした。

ゆったりとした時間の中で過ごす、まさに南の島の生活でした。

マングローブに囲まれた砂浜のないこの島では、南の島の生活をしていることを忘れてしまいます。みなさんが思っておられる青い海・白い砂浜というイメージではない南の島なので・・・

でもこうして、場所をセレクトすれば、南の島らしい所もいっぱいあります。
そして普通の南の島では味わえない良さがいっぱいです。

とても活動的なスタッフでこの僕の活動を支えて下さった方と過ごすにふさわしい最後の週末でした。

そんな方とももうお別れ。次に帰るのは僕なのですが。

今週は、月見会でウクレレ、新隊員の到着、新隊員の歓迎会、スタッフとの別れと盛りだくさんな1週間です。

一つ一つの出会いを大切にしていきたいです。

月見に向けてウクレレ練習

2007年09月22日 | ミクロネシアの生活
今日も夕方から、ウクレレの達人の日本人の方のご自宅でウクレレの練習。

もうすぐある日本人会の月見会でウクレレを発表するために。

今日はウクレレの達人のご兄弟も楽器がとてもお上手で、ベースまで加わって盛り上がりました。

僕のしているウクレレなんて、ホント遊びだなって改めて思います。
(本当に遊びなのですが)

月見会には、新曲も用意して、万全で望みます。
またまた練習途中で美味しいお食事をご馳走になりました。

納豆にサンマなどなど。

この島では本当に貴重な食材です。
まるで日本にいるみたい。

きっと世界中にこのような日本人の方がそれぞれの国で現地人ととけ込まれながら、日本人らしい生活をされていることでしょう。

僕たちはここに住むのは、2年間限定。
一生住み続けられる方から見れば、本当に短い一瞬の出来事のようなことだと思います。そして遠く日本を離れて、こうして海外で根ざして生活されている方の素晴らしさをたくさん吸収させていただいています。

これも旅行ではなく、こうして協力隊で来られるからこそ、味わえる感じることができる事なのだと思います。

日本の食卓 IN ポンペイ

2007年09月20日 | ミクロネシアの生活
今日は夕方から町のコロニアへ。

おじいさんに出かけることを伝えると(僕のおじいさんは、ホストファミリーとしてあずかっている僕のことを心配してくれているので、今でもご飯の有無、どこに出かけるは、必ず伝えています。)「えー今から行くのか?」とビックリされてしまいました。

実はポンペイには日本人会といって、ポンペイ在住の日本人の方の会があります。
もちろん、隊員の多くもその会員。総勢で80名くらいいるのでしょうか?
すいません、よくわかりません。


今度月見の会があります。ポンペイは日本と位置が違うので15夜には満月にならないので。9月は28日が満月です。

そこでウクレレを弾いて欲しいと依頼を受けたのですが、今回はいつもメンバーではなく、日本人会の方と一緒にすることにしました。

そして今日は練習日でお宅におじゃまして夕ご飯までご馳走になってしまいました。

まるで日本そのもの。NHKのテレビが流れ中食事をして、お刺身・すき焼き・野菜・おみそ汁と美味しいご飯が盛りだくさん。

そういえば、協力隊関係者以外の日本人のお宅におじゃまするのは、今回が初めて。

まったりゆっくりしていたら、なんと11時すぎ。
タクシーがないかも?

閉店後のスーパーマーケットの前で待っていたら、お店の人?が親切に色々タクシー会社に電話をしてくれて、1時間ちょっと間ったら、いつも利用する地元のタクシー会社のオーナー自ら自ら迎えに来てくれました。

値段も深夜だったけど、いつもと同じ料金でした。助かった。

もうコロニアに泊まる覚悟だったので、家に帰れてホッと一安心。

やはりコロニアに行くのは大変だ。


呆然

2007年09月19日 | ミクロネシアの生活
今日は色々書きたいことがありましたが、ショックで取りやめ。

毎日のようにデジカメで写真を撮っていますが、これから発表をするときに使う授業の写真・島に帰る子どもの写真・送別会の写真を間違えてフォルダーごと消去してしまいした。

いい写真いっぱい取った日だったのに、何で間違えたんだろう?

呆然。

また明日取り直し。もう撮れない写真もあるけど。

歓送迎会

2007年09月18日 | ミクロネシアの生活
今日は、新しく事務所に来られた健康管理員の方の歓迎と9月に任期を終えられる調整員の送別を兼ねた歓送迎会。

僕らのお仕事?いや役目、いや喜びは、その時にその人の思い出を曲してウクレレで歌うこと。
でもいつもながら、送別会はその送別する人のために、歓迎会は歓迎する人のためにつくればいいのですが、歓送迎会はその両方の意味を込めて作るので、なかなか作るのが大変。というか、悩んでしまいます。
来てくれる喜びと去る悲しみを一つの曲にするのは難しい。

今日は幹事が頑張ってくれてビレッジと自然一杯に囲まれたレストランで開いてくれました。

調整員の方は僕たち教育隊員の担当だったので、一緒にワークショップを開いたり、
研修を企画したりと今までの活動を支えて下さいました。

感謝の気持ちいっぱいです。

こうして活動していると新しい仲間との出会い、仲の良かったお世話になった仲間との別れが頻繁にあります。

それだけ出会いがあると言うことは非常にありがたいことだなって思います。
もちろん、別れると今まで日常のように会っていたのに、もしかしたら日本でも会うことのない一生会えない人になる可能性大です。

そしてその方が去ると、次にポンペイを去るのは、僕。

最近なんだか、自分がこのポンペイを去ることが凄く現実的になってきて、これまでを何となく振り返ったりします。

まだまだ、ぜんぜんとできてないことばかり。

あと6ヶ月頑張って、悔いの残らないようにしないとなあと思う今日この頃です。

ポンペイの名物ー雨ー

2007年09月16日 | ミクロネシアの生活
赤道ほぼ直下のミクロネシア連邦国ポンペイ島
南の島は、照り着く太陽、白い砂浜、青い海が定番のイメージですが、毎日がそんなわけではもちろんありません。
特に僕のポンペイには砂浜はありませんので。

この島には謎の遺跡ナンマドール、石で出来た滝ケプロイなどなど名所はありますが、
やはり、一番の名物?は雨。

一説には世界で降雨量2位を記録したこともあるそうです。

今日も雨、かなり強く降っています。
そう日本のようにしとしと降る雨は余り少なく、思い切り、そう日本でいうバケツをひっくり返したような雨です。

日本でも今台風が様々なところで被害を与えているようですが、海と海でつながっているこのポンペイもその影響はあるようです。

でもこれだけ雨がふるポンペイですが、台風はありません。
なぜならポンペイ付近より西でしか、台風は発生しないので。

台風並みに強い風が吹くこともありますが、日本のようにこの島が雨風で被害をうけることはありません。
そしてよく南の島にある、水不足はこの島では殆どありません。

そしてその雨がこの島の緑の木々を支え、一年中バナナやブレッドフルーツを実らせてくれます。
そして雨がやんだら照りつける太陽が植物に栄養を与えてくれます。

世界には様々な開発途上国があります。
雨が降る降らないは、その国が豊かな国土を持てるか持てないかの大きな目安の一つです。いくら広大な土地があっても、雨が降らなければ、食物は耕せませんし、人々は水を得るために、数キロ離れた井戸まで水を求めて行かなければ生活できないこともあります。

雨が降る日は(毎日のように降りますが)とても退屈でもありますが、この島にとっては恵みの雨です。
何日も雨が降らない日が続くと、こちらにきて、そろそろ雨が降って欲しいなあと思います。それは、家で雨水を飲み、山の水をためて洗濯をしている生活では、水のありがたさを感じます。

雨が降って良かった。これで明日も洗濯できる、シャワーの水も心配しなくて良いと。

ポンペイで食べれる日本食

2007年09月15日 | ミクロネシアの生活
金曜日に会議があったので、そのままドミトリーに久しぶりに泊まりました。

朝ご飯は食べずに昼ご飯になり、同じ村で活動する隊員と2人でコロニアで一番綺麗?なレストラン(食堂?)でランチしました。
一番綺麗と言っても、値段は5ドル~8ドルくらいでリーズナブルです。

そこで僕のお奨めは、このCHIRASHI。
ポンペイのレストランでは、前にも言いましたが、親子どんぶりや刺身、あと素麺といったメニューがありますが、日本食度1位は、僕の中ではこのちらし寿司。

コックさんは日本人ではないのですが、かなりちらし寿司に近いです。
具は、このポンペイで取れるマグロがメインで、あと近海で捕れる魚を、そして何故かタクワン。ワサビもついているし、もちろん醤油をかけて食べます。

村のホームステイ先の家では、缶詰か油で料理したものが多いので、外食できるときにはできるだけ、あっさりしたものが食べておきたい。

あと、いつも食事を作ってくれる家族に感謝しつつ、外食では自分で食べたいものが選ぶことができるという選択する喜びが味わえます。

町に折角来たので、この町で唯一あるカフェというかローカルスターバックスみたいな所も、1年ぶりぐらいに行ってきました。

いつも村にいるから、たまにはこういう都会?の暮らしも味わいたいなあと。
といっても村から町は近いので、すぐに来たいときに来ることができるのですが。

協力隊の中でも、村とは言いつつ、すぐに町に出られるのは、かなり都会度が高いです。ただ、町と行っても3万人しかいない島の町なので、世界の中の首都・および主要な町の中での都会度はかなり低いかも?

なんたって本屋さんがこの島には存在しませんから。
もちろん、世界に名の通ったファーストフード店も一軒もないですよ。コンビニも。

きっと6ヶ月が日本に帰ったら、都会度の高さにビックリするのだろうなあと思います。

アイス屋さん営業中

2007年09月13日 | ミクロネシアの生活
僕の家族はとてもおもしろい。

その中の小学6年生の女の子はかなりユニーク。
彼女が今はまっているのが商売をすることです。

家はちゃんとお父さんが働いているので、そんなお金持ちではないですが、お金に困っているわけではありません。

でも、非常に商売することやお金儲けが好きで、この間までお母さんが上手に作る春巻きに目をつけて、お母さんに春巻きを作ってもらって、それを近く売店に置いてもらって1つ50セントで時々売ってもらっていました。

お母さんも凄くいい人で、そんな彼女のリクエストに応えて、春巻きを作ってあげたりしていました。別にお母さんは子どもの儲けたお金を取ったりしてないと思います。

最近彼女が目をつけたのが、アイス。
僕の家の自家製アイスは、ココナッツに練乳を混ぜて凍らせるというもの。

南の島らしく、素朴で良いものだと思って、たまに作ってもらったときに食べていました。

最近やたらたくさん作って、冷凍庫にストックしてあると思っていました。
最初は、家族も娘にお金を払っていたり、いなかったりといろいろだったのですが、
最近は、近くの子どもが買いに来るようになりました。

看板も何も出してないのですが、結構評判を聞きつけて、子どもが買いに来ています。
1つ25セントなので、手軽なのでしょうか?
なかなか彼女は商才があるとみました。

彼女は将来、教会のシスターになりたいって一時期言っていたそうですが、こんなお金に興味があって、商才があったらシスターは難しいかも。

今日も家に帰る途中に子どもが僕に「ミエ・アイス?」(アイスある?)って聞いてきました。「たぶんあると思うよ」と答えました。
子どもに相手に商売に肩入れしているようで躊躇いましたが。

彼女にちゃんと看板にアイスあるよって書いて出したらどうって言っていました。

そういえば、最近僕がアイスを食べるときもおじいさんが後で僕の分のお金を出してくれているようです。

遊びがだんだん、本気になってきているような?

確かに僕の家は教会のすぐ横で、学校からも近くて、商売に向いているかもしれないけど。

これから彼女の商才に花が開くのか?
多角経営を目指すのか?
暫く目が離せません。


プチ、リゾート 話題はゲテモノ食い?

2007年09月09日 | ミクロネシアの生活
この土日は、ポンペイの島の周辺にあるアウターアイランドのナラップに行ってきました。

調整員の方がもうすぐこのポンペイを去られるので、そのお別れナラップの会ということで。

ここは、現地の人も泊まるリゾート地なので、日本の我々が考えるリゾートではなく、あくまでローカルリゾート。

南の島の高級リゾートを想像される方は、泊まるのは困難です。

一応、小屋があって、オプションでマットもつけてくれます。

前回行ったときは、ローカルの方が200人近く泊まっていて、朝まで馬鹿騒ぎで
かなりしんどかったのですが、今回は殆ど泊まり客はなく、静かな島での生活が過ごせました。

今、隊員の中でちょっとした釣りブームですが、僕も仲間の隊員に釣り道具を貸してもらって初挑戦してきました。

仲間の隊員も始めたばかりだけど、釣り具を買い揃えてかなり本格的に頑張っています。
島からカヤックで漕いで出て、浅いリーフの所にカヤックを泊めて、釣りました。

釣っている時間と絡まった糸をほどいている時間とが同じくらいでしたが。

結局つれなかったけど、かなり楽しかったです。
みんなが夢中になるのも分かりました。

夜は島にジェネレーターがあって電気もつきます。

今回は、ローカルスタッフが友達も呼んでくれたので、日本人&ミクロネシア人(ポンペイ人&ヤップ人)&アメリカ人という組み合わせでした。

今までどんなゲテモノ?を食べたかという話で盛り上がりました。

この島では犬と亀を食べるのですが、パラオではコウモリが名物だし、アフリカにいったことのあるアメリカ人は、キリンやゼブラも食べたとのこと。

さすが、国際色豊か?

メンバーの中に雨男?の人がいて、夜には小屋に吹き付ける大雨・大風。

天気には恵まれなかったけど、楽しい週末が過ごせました。

ただ乗り?荷台乗り?

2007年09月09日 | ミクロネシアの生活
僕の住んでいる村からコロニアという町に行くには、乗り合いタクシーに乗って片道2ドルかかります。

乗り合いなので、安いのは良いのですが、自分のすぐに行きたいところに行けないこと、電話で呼ぶのですが、早くて10分遅くて最高6時間というか来なくて一夜を明かしたこともあるのがネック。

この間からちょっとしたラッキー。
金曜日コロニアに行くのは、幼稚園バスの運転手さんが用事があったので、一緒に乗せてもらって、2ドル助かり、夕方村に帰ろうと少し歩いていると、車から僕の名前を呼んでくれる声。おじいさんのひ孫で、お母さんが仕事帰りで「今から村に帰る、の?乗っていきなさい」と言ってくれて、またまた2ドル助かり、次の日にまたまた村から町に行くためにタクシーを呼んで待っていると、通りがかりの車が止まってくれて、「コロニアに行くなら乗せてあげる」と言ってくれて荷台に乗り込み、いざ出発。

途中で大型冷蔵庫を積み込み、その冷蔵庫を修理に出すために修理屋さんに行き、約束の時間があったので、遅れそうだったのですが、運転する方が目的地まで連れて行ってくれたので、ぎりぎりセーフ。

ちょうど、親戚の方に乗せてもらったときもPICKUPに拾ってもらったときもお菓子を持っていたら、ありがとうって渡しました。

合計6ドルのタクシー代の節約。
助かりました。

お金のことより、こういう風に村の人や親戚の人が自分の家族や知り合いのように思ってくれることが何より嬉しいです。

日本ではPICKUPの荷台に乗るのは、禁止ですが、ポンペイはOK。

心地よい風が吹く中、緑一杯のポンペイの道を走るのも、最高に気持ちいいです。

赤道直下でも花札

2007年09月08日 | ミクロネシアの生活
昨日、怪我をした子どもお見舞いにいくと、昼間にもかかわらず、パシッパシッとどこか懐かしい響き。

そう、花札の音。

なんと、お母さん達が花札に興じています。

確かに日本のようにテレビ番組はないから、「笑っていいとも」「おもいきりテレビ」(今でもやっているのかな?)といった昼間の情報番組や芸能人ネタなんてのも、ありませんから、これは格好の昼の一時の過ごし方かもしれません。

このポンペイには日本統治時代からそのまま残っているものがたくさんあります。

言葉に食文化、その一つがこの花札。

町の至る所で目にするものではありませんが、ここでは、トランプよりも花札の方がメインのような気がします。

トランプを家族の人がしているのも見たことがないし。

日本でトランプや花札と言えば、正月などにこたつを囲んでするという雰囲気ですが、ここでは汗をかきながら、暑い日差しの中、木陰に入って楽しむのが南の島流?

南の島に花札というと、ちょっとミスマッチなような気もしますが、なぜかこの日本から離れたほぼ赤道直下のポンペイでは、この日本的なものが非常に違和感なくとけ込んでいます。

前に訪れたパラオでも空港でお店の人が待ち時間に花札をしていました。
その時は時間があったので、やくの作り方を伝授してきました。
5光(20点札を集める)雨4光とか、マニアックな花見で一杯とかも。

今度時間があれば、新たな役を伝授してこようかな?

僕の大好きな子どもがまさか

2007年09月07日 | ミクロネシアの生活
2-3日前から、子どもがポンペイナイフ(普通の長いナイフですが、ポンペイではそのことをポンペイナイフと言います)を使っていて、腕を切ったらしいという話があちらこちらでちらほら。

どうやら、その子どもが、前に僕の家に一緒に住んでいた家族の(前におじいさんのお世話をしていたおじいさんの孫の家族)子どもらしいのです。

おじいさんに聞くと「そうだ、アイセイアが怪我したんだ」とのこと。
(おじいさんにはこうして分からないことを日本語で聞くと日本語で教えて下さるので本当に助かります)

アイセイアは僕が一番最初に暮らした家族だし、一緒に住む家族と分かるまでに校庭で野球を一緒にしたりしていて、「こんな子が一緒の家の家族だといいなあ」と思っていた子どもだったので、家族だと分かったときは凄く嬉しかったです。

確かに彼は勉強は大の苦手ですが、人が良いというか、性格が最高です。

ちょっと、決して器用ではないし、利発とは言えないけど、果物をとってくると僕にもすぐにくれて、みんなにもあげるし、明るい性格がきっと仲間にも認められているのだと思います。

どんな様子だろうと家に言ってみると写真のように腕を固定されていて、でも指はまた元に戻るみたいです。本当に一安心。よかった。

今日コロニアに行く用事があったので、お見舞いにクッキーとポッキーを買ってきました。ポッキーは日本製ではなくタイ製。でもちろんこの常夏の島ではチョコレートがベタベタになっていました。

まあ美味しそうに食べていたし、そのあと村をぶらぶら歩いていたので、一安心。

こういう木に登ったり、ナイフを使うことが当たり前なので、やはりこのような怪我とは、子どもといえども背中合わせの部分はあります。

誤報 すいません。

2007年09月07日 | ミクロネシアの生活
昨日のブログに書いた9月11日が休日なのは、ニューヨークの貿易センタービルのテロ爆破とは関係なく、ポンペイの独立でした。

昨年も休みだったのに、人に言われて「そうか、そうだったんだ。へえー」とすぐに信じてしまうこの天然ボケ。

ブログ見ていた方、すいません。

9月11日は、ポンペイが独立した記念日です。

またこのことは、その日に改めて書くことができればと思います。

親子で宿題 世界共通?

2007年09月06日 | ミクロネシアの生活
これは僕の家の食堂。

お母さんと娘のヤイコ(ポンペイにはこのように日本名の名前をつけることがあります)が、なにやら考え事。

今学校で出されている宿題が、Liberation Dayについて感想文を書くこと。

ヤイコは勉強も良くできるので、自分でちゃんと考えて文章を書けるのですが、おかあさんが「ちょっとそこの文章おかしいんじゃない?」と考え始めました。

ポンペイでここまで子どもの勉強に熱心なのは珍しいかもしれませんが、日本ならこの夏休みが空けるまで、きっとどこに家でも繰り広げられていた光景だと思います。

日本でも南の島でも、子どもの宿題にちょっとそれおかしいでしょ、貸してみなさいって口を出したくなるのは、世界共通なのかもしれないですね。

この宿題他の学年にもあるみたいで、おじいさんの他の孫が放課後僕の所にやってきて、「頼みがあるんだ、これをタイプで打ってくれない?」って。

前にもタイプで出す宿題があって、パソコンのない子どもや頼めない子どもは大変みたいで、僕が頼まれました。前は英語でスペルの間違いもいっぱいあったし、読みにくかったのですが、今度はポンペイ語だし、かなり僕に気をつかって読みやすく書いていました。
いつも家に来てはおじいさんのことを一生懸命にしてくれる子どもなので、「よしわかった、やってあげる」って答えると「明日までにお願いだって」。

がんばって約A4にして1枚分、ポンペイ語をパソコンで打ちました。

こうして宿題を手伝ってしまう僕も、気持ちは世界共通の親心になってしまっているのかもしれません。