goo blog サービス終了のお知らせ 

南の島で幼稚園の先生になろう!

活動から19年。現在も現地の教え子や家族から連絡があり、素敵な人と出会えた青年海外協力隊生活に感謝しかない。

南の島のウクレレ練習

2007年10月28日 | ミクロネシアの生活
今日は久しぶりに、ウクレレ仲間が集まって練習。

いつも定期的に集まらない僕たちが練習するといえば、何か企画があるから。

10月31日はハロウィン。

昨年もその日に町で路上ライブをして結構人が集まって聞いてくれたので、調子に乗って今年もやろうかな?と。

今年は全曲英語で挑みます。

この島で流行っている英語の曲を仲間がCDから歌詞を興してくれたりといろいろな苦労?をしながら。

なんとかは1日にしてならずといいますが、ウクレレも1日ではやはり限界が。

この島の数少ない?イベントに参加して盛り上げたいと思います。

また当日の模様は、31日のブログにて。

朝は村の教会に行きましたが、雨だったのでいつもの3分の1くらいの人だけしか来ませんでした。
朝からの雨は、いくら雨が多いこの南の島の人のテンションを下げてしまうみたいです。

南の島の子どもも遊びの天才

2007年10月27日 | ミクロネシアの生活
南の島の子どもたちが今はまっている遊びはゴムとび。
学校の休み時間はもちろんのこと、家でも練習しています。
日本では女の子が多いですが、こちらでは男の子もしています。

南の島の子ども達の遊びは、男女入り混じって楽しむのが基本。
小学8年生(日本の中学2年生)でも、男女抱きついても平気、じゃれあっています。

今、家に大きなハンモックがあるのですが、それを使って小学1-2年生がかなり過激な遊びをしています。

ハンモックが大きいので、一人の子どもがハンモックに乗って、自分自身がハンモックに包まり、出られないようにします。それを確認してから他の友達が、思い切りハンモックを揺らすというもの。
ハンモックは、川べりにあるので、間違って川に落ちそうな気もしますが・・・

子どもの一人に昨年幼稚園に居た子どもに「ハンモックは絶対閉めたままにして、人が出ないようにしないといけないよ」と伝えるとその子は他の子どもに「hiroがハンモックは絶対あけたらだめって言ってるからだめだよ」って伝えて、遊びは再開。

日本でも南の島でも子どもは遊びを見つける天才。
そしてどこの子どももちょっと危険な香りがする遊びが大好き。

肌の色、話す言語は違っても、子どもは同じだなって改めて思う一コマでした。

南の島のGo Local

2007年10月24日 | ミクロネシアの生活
今日は南の島はUN DAYでお休みです。

家族で男の子は、家の周辺の草刈を頑張ってしていました。

私のホストファミリーは85歳のおじいさんなので、いろいろなことについて話をします。
今日は、ローカルフードについて話しました。

この南の島の人はお米を食べるのが大好き。少しのおかずでもご飯さえあれば平気。
でもこの島ではお米は生産されておらず、もっぱら輸入に頼っています。

この南の島は、雨がたくさん降り、照りつける太陽があるので、食物がどんどん育ちます。
ブレッドフルーツ(パンの実)、バナナ、ココナッツ、タピオカ、ヤムイモ、タロイモなどなど、食べるものには困りません。本来は。

でも今若い人や子どもたちは、ローカルフードが食卓にあってもご飯がないと「僕たちの食べるものがない」ということがあるそうです。実際僕たちの家の子どももローカルフードよりご飯やラーメンを好みます。

おじいさんは、それをみて、もしお金がなくなってしまったらどうするんだ、山のもの(ローカル)を食べなかったら南の島の人は生きていけないと。

そして、今の人たちがお金になる仕事を求めて、町で働き、自分たちの山の手入れをせずに、食べ物が育たなくなってきていることにも心配しています。

僕の家では脈々とローカル生活が受け継がれていますが、そうでない家庭がこの南の島には、いっぱい存在します。

この南の島は、コンパクトというアメリカの援助計画によって国が運営されています。
この島の予算の70%はアメリカからの援助であり、もしそれがなにがしかの形で打ち切られると、破綻してしまうかもしれません。
もしそんな時が来て、そのとき人々がローカルの暮らしを知らなかったり、戻れなかったりすると大変です。

だから消費社会に浸ることを誰も止めることはできませんが、ローカルの暮らしのよさをしっかりと伝えていくことが必要です。

それはこの南の島ならず、日本も同じではないかと思います。
古きよき、伝統文化をしっかりと継承していく、それは時には合理的ではなかったり、日々の生活が大変ではありますが、その地に生を受けた人間として、それを受け継いでいくことが大切だとつくづく思います。

食物に限らず、その土地で長く育ってきた、受け継がれてきたことにはちゃんと現代の効率だけをもとめては計れない大きな意味がそこにあるはずだから。

南の島でフランスモード

2007年10月22日 | ミクロネシアの生活
今日、昼はローカル、夜はフランスモードでした。

ポンペイの幼稚園は4学期制。
今日は1学期の学習の成果をみせる保護者への発表会。

算数のアクティビティーをふんだんに用意していたけど、カウンタパートがどんどん進めてしまい、ずっとそばでみているだけ。

それなら普段も自分でちゃんと授業してくれって感じでしたが・・・

でも保護者に日々の教育活動を発表する良い機会だし、それで教師のモチベーションがあがるのなら、大歓迎です。

その後は保護者が作ってきてくれたローカルフードのPARTY。
ちゃんと保護者が「hiroの分だよ」ってココナッツの飲み物まで持ってきてくれました。

午後からは、今トライしている幼稚園のワークショップ開催のため事務所周り。

夜は、なんといまこの南の島にフランスの軍艦がきていて、その招待をうけて乗り込みました。
正装して(とってもジーンズ以外のパンツにアロハですが)

まさにフランス。いろいろな国旗が船上に飾られ、お洒落な船員がいっぱい。
さすがフランス。

カクテルPARTYなのでご飯は出ませんが、美味しいワイン、チーズ、フランスパンを食しました。

これ誰が作ったの?ってきくと、流石フランス。ちゃんと船にパン職人がいるようです。

職にこだわりをもつフランス。

昼間は味より量?で勝負の食生活のこの南の島。

夜は量より質?勝負の食生活のフランス。

ある意味究極、ある意味大同小異(食へのこだわり)、の異文化をこれまた異なる文化の日本人の目で診させてもらいました。



南の島のBirthday

2007年10月21日 | ミクロネシアの生活
今日は同じ村に住む隊員のこの島で2回目の誕生日。

前の誕生日はサプライズレストラン招待でしたが、今回は他の隊員がケーキを作ってくれたので、ドミでお祝い。

訓練所時代からずっと一緒に過ごしてきたから、間違いなく隊員の中で一番一緒にいる。

若いのに凄い頑張り屋です。そんな彼への誕生日は

ハワイで買ってきたTシャツ&やはりオリジナル曲。

感動してくれていたように思えたけどなあ・・・
どうでしたか?

彼が残してきた?彼にとって大切な家族や仲間の分まで祝うというテーマで作ってみました。

曲は「南の島で祝う Birthday」

今日は君がこの世に 生命(いのち)を授かった日

君にとっても僕らにとっても 大切な1日

幼い頃からずっと   みんなが君を祝ってくれた

今年は僕らが南の島で  君を祝う誕生日

Happy Birthday 南の島の仲間から

Happy Birthday 

遠く離れた日本にいる 君を愛する家族や仲間の分まで祝うよ

Happy Birthday

今日は君がこの世に 生命(いのち)を授かった日

君にとってもみんなにとっても 大切な1日

Happy Birthday 南の島の仲間から

Happy Birthday 

遠く離れた日本にいる 君の愛する家族や仲間の分まで祝うよ
Happy Birthday


南の島のサイドワーク その1

2007年10月15日 | ミクロネシアの生活
僕の協力隊での職種はもちろん幼稚園教諭。
なので、この島で幼児教育をすること。つまり幼稚園で働き、子どもに接しながら、ローカル教員に技術移転をおこなうこと。

でもそれだけではなく、昨年は小学校隊員や教育局配属の隊員と一緒になって始めたのが算数ワークショップ。そのきっかけは、この島の教育局の算数スペシャリストが日本に研修にいき、その成果を協力隊員と協力して発揮するというもので、それが僕たちが今ローカル教員に行っているオープンクラス型の算数ワークショップにつながっています。

昨年はこの島で4回、ヤップという同じ国でありながら距離にして2000キロ以上離れていて、一度グアムに入国しないその島までいけないという遥か遠い同じ国の島にもワークショップに行きました。

そして今年度も引き続きワークショップを行おうと準備中。

今日も隊員3人で、来週行うオープンクラスの先生と僕たちが作ったフラクションバー(分数の棒)を持参し、どのように授業に組み込んでいくか、話し合いました。

僕たちは当日のオープンクラスの姿以上にこの準備も含む、授業が作り出される過程を大切にしたいと考えています。だから1回1回丁寧に打ち合わせをして、僕たちの考えとローカル教員の考えを一致させてから授業に臨む必要があります。

このワークショップで感じることは、こうして自分の普段いる職場から出ることで、いろいろな人と出会う機会が持てること。
なかなか、僕の村では教育に対してモチベーションの高い先生には出会いにくけど、外に出るといろいろな素敵な人を発掘?することができます。

そして、隊員が一人ではできないことを3人が力を合わせることで3倍以上の力になることももちろん魅力。

活動プラスアルファーなのでもちろん、楽チンとばかりは言えませんが、せっかくこの島に来たんだから、自分の与えられた仕事だけでなく、自分から積極的に仕事を探していくことが大切だと思います。

お蔭様で、昨年のワークショップから近隣の国の隊員が集まる広域研修を開催するまでに至り、実りあるものになってきています。
ただたくさん仕事をするだけでは、空回りになるかもしれませんが、自分のフィールドを広げ、可能性を広げることは大切です。

日本の仕事では、自分の与えられた仕事の領域から出て、独自に活動するのは難しいのですが、それが自分の気持ちひとつでできるのが、この協力隊なのかもしれません。

仲間の隊員ともそしてローカル教員とも力を合わせること。自分ひとりではなく、仲間がいるんだ、そして自分が日々行っていることも、いつか実ることがくるんだという勇気をもらうことができます。

南の島のホフトファミリー最大の危機?

2007年10月12日 | ミクロネシアの生活
一昨日から僕のホストファミリーのお母さんはうきうき。
僕はその話を聞いてから、ドキドキです。

その話とは、お母さんがハワイにいくとのこと。
もちろん帰ってきますが、ハワイに住む娘さんが今度出産することになって、その手伝いにいくとのこと。
お母さんは、遠く離れた島に住む娘に会えること、その娘さんには既に子どもがいて(お母さんの初孫)その孫に会うのもきっと楽しみなのだと思います。

この6月に娘さんたちはハワイから遊びに来て、1ヶ月くらい一緒に過ごしたので。
思い起こせば、そのときお腹が大きくて、前の出産のときもお母さんが手伝いにいったって、話していたのを思い出しました。

お母さんは明るく「大丈夫、私はいないけど、娘たちがいるから」って。

高校生の娘さんが一人と日本で言えば中学2年生の娘さんが2人と小学3年生の男の子と高校生の男の子。

お父さんはいるけど、サカオによくでかけていないし、仕事は船乗りで長期留守もいいしなあ。

今日も夕食時におじいさんが喉を詰まらせて、息苦しくなって顔を真っ赤にする場面があって、娘(お祖父さんの孫)は平然としているから、やっぱりおじいさんを一人にしておけないなあって。

これから長期の缶詰生活&洗物はまかしとけ&時には美味しい日本食をもっと頻繁に作ろう計画の開始が確実な状況です。

今まで家族が急に変わったり(お祖父さんの世話をする家族)しましたが、今の家族に落ち着いて、安心していた矢先にこのハプニング。

今日空港に向かう前にお母さんに「Have a nice trip」って声をかけると、笑顔で笑ってくれました。

今までお母さんには、本当にお世話になったので、留守中は任しておいてください。

今までもできるだけ家族の洗物はしてきましたが、これからは洗物はすべてする覚悟はできていますから。
料理も今まで日本の美味しさや本物のこだわりといった質を重視してきましたが、そんな無意味な自己満足な質より回数と量が求められるかも・・・


自分は無力だけど、できることはあるはず。

2007年10月09日 | ミクロネシアの生活
この島の現実。

今日ワークショップ会場でいつも幼稚園におばあさんらしき人と来る子どもがいます。

この島ではお母さんが働きに出て、おばあさんが子どもの面倒を見るのは珍しくないので、気に留めていなかったですが、ワークショップ会場でおばあさんが連れてきた子どもとウクレレで歌を歌っていたらおばあさんが「この子のお母さんはアメリカに働きに言っているのよ、この間電話であなたが教えてくれたその歌を嬉しそうに電話で歌っていてお母さんも喜んでいたよ、他に覚えた曜日のこととかもね」と教えてくれました。

この島にはたくさんの方が近辺にグアムやハワイ、またアメリカ本土に働きに行きます。

以前紹介したように家族みんなで移住することもあるけど、母親だけというケースもあります。ちなみにこの島では、若くて結婚せずに赤ちゃんを身ごもりシングルマザーになることが多々あります。なので、子どもの為に?親のためにかは、分かりかねますがいい働き口を求めてアメリカに行くこともよくあることです。

この島の人は、アメリカで働くためにビザを取る必要がないので、親戚などがアメリカにいれば、簡単に働くことができるのもその要因のひとつ。

この問題は、日本から訪れている僕にとってはかなり深刻な問題です。

日本ではお母さんが子どもを置いて、外国にいくなんてことは、考えられないから。

日本人的に考えれば、一緒に子どもといてあげてほしい。この島は母親と子どもが暮らしていくことができる島だから。

でも、やはり人は一度経済発展、消費社会に浸かると、そこからは抜け出せないのかな?って。

日本でも子どものため、親のため?って首を傾げてしまうこともありますが、やはりこの島にも同じように首を傾げてしまう、いや首をかしげることしかできない問題があります。

日本でも海外でもこういう問題に直面すると自分は無力だなって改めて思います。

そして僕にできることは、そんな子どもたちの笑顔をいっぱい作ることだなって。

南の人が美味しいと思わない日本食って

2007年10月08日 | ミクロネシアの生活
今日は、撃沈覚悟の日本食つくり。
というか、今日の家族への日本食切っただけ。
僕が好きな日本食の3本の指に入るくらい好きで、夏は毎日のように欠かさず食べていたもの。
それは冷奴。

作る前からこれは絶対この南の島の人は嫌いだろうなあって思いましたが、まあ一食くらい僕の好きな食べ物に付き合ってもらおうかな?って。

案の定、おじいさんや大人の人は食べてくれたけど、子どもはあまり食べませんでした。

保険としてさばの味噌漬けの缶詰を買っておいてよかった。
僕は家族が遠慮がちに食べている横で、漠々食べていました。

ちゃんとねぎと生姜と鰹節も用意して、本物らしく、水に凍りも入れて完璧だったけど、やはり、南の島の人の味覚には合わなかったようです。

最近、ちょっと渋い日本食が続いているから、ここらでちょっと子どもも喜ぶ日本食というか洋食というか、こってり系のものを作って、僕の料理を見直してもらわないとね。

まあ食事を通した文化交流なので、美味しさだけでなくいろいろな日本食を紹介で切ればなあと思います。

あと、何回日本食作れるんだろう?




南の島の普通の日曜日 村を歩こう!

2007年10月07日 | ミクロネシアの生活
今日は、朝起きて教会に行き、家に帰ってゆっくり過ごしました。
昨日、サカオを少し飲みすぎたから、気分悪いというほどではないですが、少し体に残っているかな?って感じです。
昼食後は、家に新しくつけられたハンモックでボーっとしてから、昼間は、この島の名物の雨が降り、部屋にこもっていました。

夕方、村のお店を訪ねると「学校どう?」って現地語で聞かれたので???だったら、園児のお母さんでした。
たまには、町に行く方向と反対側に行ってみようと歩き出したら、とまらなくなって30分くらい歩いて、ジュースを買って一休み。

すると今度は、昨年8年生で一緒に放課後の野球のクラブで教えていた子どもが「元気にしている?」「なにしているの?」と聞いてきました。今は彼も高校生になったので、久しぶりに会いました。

かなり歩いたから、「さあ頑張って戻るか」って思っていたらちょうど家族が車に乗って通りかかったので、車に乗せてもらい無事?帰宅。

いつも村にいるけど、行動範囲が決まっているので、意外とじっくりと見て周るのもいいかな?って思いました。

もうこのように、南の島で過ごすのも、6ヶ月を切ったってことは、200日もないってことなんだなって思いながら。



週末・南の島のローカル生活 締めはサカオ

2007年10月06日 | ミクロネシアの生活
今日は、夕方からコロニアにテニスに行くはずでしたが、雨なので中止して、久しぶりにゆったり
週末ローカル暮らし。

午後にも子どもたちの家でのローカル生活研修?は、続き男の子は草刈、女の子は、ココナッツの葉っぱを細く割いて、ホウキを作っていました。

夕方になると、コンコンコンと石の鳴る音。

何度も紹介したと思いますが、この島の象徴でもあり文化でもあるサカオの音。
大きな表面が平たい石を台にして、胡椒科の根っこを男の人が手にした丸い石でつぶしていきます。ポンペイ語でつぶす事やサカオを作ることを「スクスク」と言います。

今日は家でサカオが開かれるのは久しぶり。おじいさんはサカオをするときは、何も食べずにサカオが終わってから夕食を食べますが、僕は家族が作ってくれたカレーとタロイモ、バナナの湯がいたものを頂き、やっぱり缶詰よりローカルフードが最高。

その後、サカオに加わりました。今日は殆ど知っている人でお祖父さんの子どもさんに
知り合いのタクシードライバー。サカオを作っているのは、今ずっと家に遊びに来ているお祖父さんの孫さん。まだ修行段階で、サカオの配り方なども家族に教えてもらっていました。彼と食事をしているときに「サカオ好き?」って聞いたら、「僕は嫌いだ」って言っていたけど、大人の力にはかなわない?
彼もちゃんと飲んでいました。

最初は話をしながら盛り上がるサカオですが、鎮静作用があるので、だんだんローテーションになります。そして最初に作った一番絞りが一番どろってしていて美味しい。
僕もこの泥水の味覚がだんだん頭にしみこんできました。

今日は、僕はあまり手伝っていないけど、家族がローカル生活に浸っているのを一緒に過ごした南の島らしい?一日でした。

途中で仲間の隊員とワークショップの準備が気になって、学校で作業をしたのが、やはり日本人魂が息づいていると感じましたが。
悲しいかな休みの日も仕事のことが気になる日本人の悲しい性ですね。

南の島の家事

2007年10月06日 | ミクロネシアの生活
今日は、土曜日朝からゆっくり村で過ごしています。
土曜日と日曜日は、家族がゆっくり寝ているので、今日は僕が一番乗り。

家族は土曜日に掃除を頑張るから、今日はダイニングキッチンの床を掃いて、水吹きして、テラスを掃きました。
最近なかなか料理が作れていないので、昨日算数ワークショップの打ち合わせで行った小学校の近くのパン屋さんの食パンが美味しいので、それを食卓において、お湯を沸かせて準備完了。

久しぶりに食パンだったので、みんなトースターを使って焼いて食べました。

今日は10人くらい家族がいたので、お母さんがみんな一人2枚までよって言いながら、食べてくれました。

後は、ホウキに使うココナッツの葉っぱを子どもが切ったり、僕の持っているボンドで子どもたちの痛んだサンダル(ここでは、サンダルのことをZOURIと言い、日本語のぞうりという言葉がそのまま残っています)を修理して、ウクレレでポンペイの流行っている曲を歌ったりして、ボーっと過ごしています。

コロニアも良いけど、何もない村は村ですごく落ち着きます。

昨日の夜は近くの深夜までしているバーの客が車が集まって、曲をがんがんにかけて、さわぎまくっていましたが、お日様があければ、平穏な村に戻っています。

僕の場合は一度寝てしまうと、少々のことでは起きないので、実はあまり関係ないのかもしれませんが。

南の島のタクシー事情

2007年10月05日 | ミクロネシアの生活
私たちの交通手段の決まりは、自分で車やバイクを運転しない。自転車は夜に乗らない。
そしてこの島には一般人が乗るバスが存在しない。(スクールバスのみ)

じゃあ村に住む僕らはどうして町に行けばいいのか?それはタクシー。それも乗り合いタクシー。

主流なのは、道で手を挙げるのではなく、電話をして自分の居場所と行き先を告げる無線タクシーの呼び出し。
「カタロト・エーウ・タクシー」(タクシー一台送ってください)と言えば大丈夫。
電話をすると電話を受けたベースが無線でタクシーに知らせ、タクシーが居場所まで迎えに来てくれます。

乗り合いのなので、早くタクシーがきてラッキーと思ってはいけません。
じぶんが一人目のお客さんだったら、他のお客さんが集まるまで町や村をうろうろすることもあります。もちろん、お客さんが僕だけでも村から町まで10キロ以上ある道のりを2ドルで行ってくれることもあります。近年のガソリン高騰で、これで儲かるのかな?って思いますが。

もちろんすぐにはタクシーが来るとは限りません。早ければ10分―20分。普通は30分。なかなかこなくて1-2時間待ち、今日は調子悪いなあは、3-4時間待ち、今日はだめかもが6時間待ちって感じです。

夜に町から村に帰るときは、満車して帰るので、運転手さんを入れて5人乗り。
後ろに三人乗り窮屈ですが、助手席は一人だけなのでゆったり。

今日は途中で助手席に座っていたおばさんが、あなたが前に来て座りなさいって席を交代してくれましたが、どう考えても、僕が後ろに座ったほうがゆっくり3人座れるんですが・・・って体格のおばさんだったのですが、これもこの島の人の優しさなのでしょう。

5人乗りですが、夜最終の時間のタクシーなどになると運転手さんを入れて6人になることも。そうするとどうするか?

誰か一人がトランクに乗ってしまいます。
僕も2-3度、トランクに乗って帰ったことがあります。
まあ乗り心地がいいとはいえないけど、思ったほど大変ではないかも。

ふくよかな島の女性に挟まれて後部座席に乗るより、そのほうがよかったりして・・・

村に住む隊員にとって、タクシーは自分の足、ドライバーは友達。

なれた運転手さんだったら、行き先言わなくても村の家に着くと止まってくれます。

日本では、車もバイクも運転していたから、タクシーに乗る機会もなければ、贅沢って感じでしたが、今はタクシーが僕の交通手段の生命線です。

車が10年以上経っている中古車なので、スプリングも思い切り弾むし、ウクレレ弾いてもOKだし、日本語教えたり、会話も弾みます。

村で昼からも過ごせました。

2007年10月04日 | ミクロネシアの生活
今日は、今週初めて昼からも村の幼稚園で仕事ができました。今週はずっと大学に潜入?いや通っていたので・・・

これからもできるだけ外に目を向けていきたいので、こういう日にまとめて、毎日する授業の内容とそれにあった子ども用のワークシートを作りためておきます。今日は9枚作りました。
これで一週間以上は、僕の分とカウンターパートの分は大丈夫かな?

でもカウンターパートはカウンターパートで僕が外にこれからも出て行くことを告げているので、僕が前に作ったワークシートをそのままコピーしていました。それはそれで僕のやり方を取り入れてくれていて嬉しいのですが。コピーの内容を見てびっくり。

今、子どもは1・2・3の数字の概念と数字の文字を理解するのに苦しんでいるのに、コピーしているワークシートは1-10まで自由に書かせる内容のもの。

機会があれば、ステップバイステップ、スローティーチングって言っているんだけどなあ。
彼女なりに早く教えないといけないという呪縛?から解き放つ、目の前の子どもをみて、教える内容を考える、変えていくことは、難しいようです。

今日は夕方から小学校算数ワークショップの仲間が集まって、明日10月にオープンクラスをするローカル教員に対してどのように話し合いをするか?どのような趣旨でワークショップをするか、どんな内容を授業に組み入れていくか?など、隊員間の考えをまとめておきました。僕はいつもながら、細かい内容が小学校ではないので、他の隊員に教えてもらいながらですが。

タクシーに乗らないと疲れも半減したし、昼休みに僕が大好きなマットをお日様に干せたし、いつもの村の一日でした。

南の島の迷子?

2007年10月01日 | ミクロネシアの生活
今日は、午前中は幼稚園、午後はパリキールという首都にあるミクロネシア連邦国の大学に幼児教育を教えているコースがあるということで行ってきました。

そして家に帰ってみると、いつも帰ってきているAPという小学3年生のおじいさんの孫の男の子が帰ってきていません。それに近所の友達も。彼らは僕が勤めている地域の学校ではなく、コロニアの町の私立に通っているので、車でお姉さんと一緒にいつも帰ってきているのですが。
知り合いのタクシーの運転手さんから連絡があり、どうやら学校の隣にある野球場で野球を観戦しているみたいだという話で、車の運転のできる彼のお姉さんがコロニアまで行って、つれて帰ってきてくれました。

なんといっても、せまい島なので、行方は分かりやすいのですが。

車に乗せられて、午後8時過ぎに帰ってきて、かなりバツが悪そうでしたが、家族もお母さんも苦笑いで迎え入れてくれました。

ここでは、夜に子どもが外に出歩くことはよくあるのですが、
(ちなみにコロニアでは9時30分にサイレンが鳴って、子どもは家に帰りましょうという合図があります)学校が私立なので町に行っているので、やはり村に帰ってきていないと家族は心配します。また僕の家はきっちりしているので、何も言わずに夜に外へ行くのも基本的にはだめです。

まあ、ともかく良かったです。