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小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。Amebaブログへ引っ越し中です。

それが嫌がらせ?

2015年01月08日 | 加害者と戦う
パトカーによる逮捕劇、警官による尋問劇、というストーリーシアターが時々ある。

これは嫌がらせなのだろうか?

おそらく被害者が敗北感を持ったり、焦ったり怒ったりすれば、どんな場面も嫌がらせに見える、と言うことだろう。こんなストリートシアターにも「くそっ」と思って腹を立てるのかもしれない。

しかし私は嫌がらせさんが警官に捕まったり尋問されたりするのを見て、たいへん気持ちがいい。

「わざと捕まっているのだ」と言いたいのだろうが、それでも私が捕まっている嫌がらせさんを見ていると相手は嫌そうな表情をする。

わざとにしても警察に尋問されたり、パトカーの後部座席に座らされているのだから、私に見られると惨めな気持ちになり、敗北感を感じるのだろう。

今後は見られたときに笑うつもりだろうか?

被害者が嫌がらせだと思えば嫌がらせになる。嫌がらせだと思わなければ嫌がらせにならない。そんな面もあるような気がする。

難しいことかもしれないが、被害者たちは敗北感を持たないほうがよい。焦りや怒りをもたないほうがよい。冷静になることができると、嫌がらせの中にも面白いものがあることに気づく。

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失敗でなかったかのように工作する

2014年12月30日 | 加害者と戦う
加害者たちの嫌がらせ工作は時々失敗する。

あるとき、公園で大勢の若者があるポーズを取ってじっとしていたらしい。かなり長い時間やっていたのだろう。「すんごい異様な光景だった」と同じ敷地に住むSさんが語っていた。Sさんは散歩がてらそばを通りがかって目にしたのだった。

彼らはそのままいつ来るかわからない私を待っていたのだろうか。私はよくその公園を散歩するから。

私が通りかかったのはかなり後だったらしい。おそらく異様に思った近所の人か警察に通報したらしかった。私が通りかかったときは警察の尋問の最中だった。私が「やつらだな」と思ってわざと自転車のスピードを落として、尋問されている彼らの横をゆっくりと眺めながら通ると、若者たちの後ろのほうから「おいおい」と私をけん制する声が聞こえた。

また帰りに同じ場所を通ると、そうとう時間がたっていたのに彼らはまだ同じ場所にいた。私が彼らを眺めると、「最低」という声が彼らの中から聞こえた。彼らを眺めている私のことを最低と言っているのではなく、自分たちが手間と労力をかけた嫌がらせがこんな形で終わってしまったことに対して言っているようだった。「最低」の結果だったのだろう。

すると後日、私の周りで、警官が誰かを尋問するというストリートシアターが何度か続いた。そして、公園での一軒は、このストリートシアターの一環で、あれはその最初だった、と言いたげだった。若者たちの異様な光景を見せてびっくりさせようという工作が失敗し、警察に尋問されている光景を私に見られてしまったので、あれは「『警察に尋問される光景』を私に見せつけて不快感を与える」というストリートシアターだったのだ、というわけだ。

なかなか奥の深い、というか手の込んだ、というか往生際の悪いというか…。

しかし私はSさんから若者たちのことを後で知らされたから、彼らが工作に失敗したということを知ることになった。

警察の尋問というストリートシアターの一つは、後日、私の住んでいる敷地内でおこなわれた。前の道でパトカーが偽被疑者を呼び止め、敷地内に移動してそこで尋問の続きをやるというものだった。私たちの敷地に入り込んでやっていた。

私は後にそこを通りかかる予定だった。それを知っての上での工作なのだろう。ところが面白いことに、私がそこに出向くより前に、私を訪ねてきた知人Aさんが敷地内で起こっていることを私に知らせてくれた。もちろんAさんは嫌がらせのことなど知らない。

私がその場所を通りかかったときにはすでにその状況を知っていたから驚くこともなかった。そして私が通りかかるまで一時間近くもその尋問しながら私を待っていたことが分かったので、大変な労力だということも分かった。

またいつもの私なら、嫌がらせさんたちがまたへまをしたのかと思って、「それ見てやれ」とばかりに近づいて観察するのだが、その日は気が進まず、ちらりと見たまま通り過ぎた。後でそこを通りかかったSさんは、尋問場面に近づこうとすると警官から睨みつけられた、と文句を言っていた。もしかしたら私も同じように睨みつけられるところだったのだろう。

敷地内で物々しい尋問をおこなって驚かせ、近づこうとすると警官が睨みつける、という予定だったのだろうが、私はさらりとかわしてしまった。そして被害者は通常たまたま自分が嫌がらせ工作をかわしても、かわしたこと自体に気づかず、いったい私に対するどんな工作が失敗したのかも知らずに終わるものだが、今回はAさんとSさんという偶然の報告者によって私は事情を把握し、加害者がどんなに手の込んだ工作をしくんで失敗したのかを知ることになった。

ときどき神はこのように、加害者側の失敗を教えてくださる。私は加害の大変さを知る。そして私がそれをうまくすり抜けたことを知る。神がこの工作をかわすために上手に導いてくださったことを感謝する。

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三色扇子パタパタ

2014年12月17日 | 加害者と戦う
前からやってみたいことがあった。それは三色旗(とある宗教団体の旗)の扇子(せんす)を加害参加者の前でパタパタすることだ。

最近ようやくそれが実現した。信濃町で探したが見つからなかったので、100円ショップで扇子を買って絵の具で色をつけた。それを取り出しやすい懐のポケットにしのばせ、嫌がらせさんと思しき人が近づくと、扇子で自分をパタパタとあおいで三色が相手に見えるようにする。

多くの反応はとっさに目をそらす。ギクッとするのだろう。相手が近くにいてしつこいときにはパタパタとあおいで同時に相手の顔を覗き込むこともある。「あなたの反応を見ています」とばかりに覗き込む。しかしそれとなくやることがコツ。このあたりのやり方は加害者たちの嫌がらせから学べばよい。

目をそらせるか、顔をそらせるか、体ごとそらす人もいる。

中には、自分たちが誇りとすべき三色に対して、とっさに拒否反応を示してしまったことに信心上の良心の呵責を感じて、逆に扇子に挑もうとするかのような人もいる。

通常はあまりしつこくやらず、サッとしまうようにしている。またしょっちゅうやるよりも、「こいつは」と思う人だけにやっている。一番良いのは嫌がらせを気に留めないことだと思う。さらりと流すのが一番良い。扇子で仕返しすることに躍起にならないほうが良い。

しかしたまにはこういった清涼剤も精神衛生上の役に立つ。

やられっぱなしで反撃しづらいストーカーではあるが、三色扇子は無言のうちに相手に語りかけてくれる。

「はいっ、○○○(教団名)会員認定!」。
「嫌がらせの○○○会さん!」
「反社会的な○○○会さん!」

加害者はそれを見せ付けられる。普段は嫌がらせのために一生懸命で、それが反社会的であることなど忘れているだろうから、このようにギクッとさせて、改めて自分のやっていることを自覚させてあげることは大事だ。

形勢は逆転する。相手は劣勢となる。心理的にそうなる。

しかしもしその相手が加害者でもなく○○○会員でもなかったらどうするのか。

それは大丈夫だ。一般人はこの三色が意味するところを知らない。その人が教団員ではなく一般人であれば、私を見て単に扇子をあおいでいる人にしか見えないので何も気に留めないし、嫌な思いをしない。気に留めるはその教団の人だけだ。

しかも、嫌がらせに参加していない善良な教団員たちはこの三色扇子を見ても不愉快ではない。「あ、あの人も教団員なのかな」と好意的に見るかもしれない。

この三色扇子に苦々しい思いで反応するのは、教団員、しかも嫌がらせをしている学会員だけだ。だから三色扇子パタパタはとても便利だ。相手の悪意の度合いに応じて相手が反応することになるのだから。


ところで、そんなことはないと思うが、万が一、教団員が反撃してきたらどうするか。
「お前、学会を馬鹿にする気か!」。

全然大丈夫だ。

場面①
こちら:「?」「何ですか?」ととぼける。
加害者:「お前、三色旗で馬鹿にしているだろう」
こちら:「どういう意味ですか?」
加害者:「○○○会を馬鹿にしているだろう」
こちら:「この扇子と○○○会が何か関係があるのですか?」
加害者:「…」

場面②
こちら:「この三色は○○○会と関係あるのですか」
加害者:「教団の旗だ」
こちら:「その旗を知っているとは、あなたは○○○会員なのですね」
加害者:「…」

場面③
加害者:「お前は自分で持っていて知らないというのか」
こちら:「どこかの国旗かと思ってました」(ルーマニアの国旗と同じ。)
加害者:「…」

場面④
加害者:「模様がなんだか知らないのに持っているヤツなどいるのか。」
こちら:「ほかの人がくれたんです。知りませんよ、そんなこと。教団旗など興味ありませんよ。」
加害者:「…」

場面⑤
こちら:「そのくれた人も誰かほかの人からもらったらしく、いらないから私にくれたんです」。
加害者:「…」

場面⑥
こちら「ところで教団の旗だったとしても、なぜ私がこれで自分をあおぐとあなたを侮辱したことになるのですか。」
加害者:「…」

場面⑦
こちら:「言いがかりをつけるのなら警察を呼びますよ」。
加害者:「…(汗)」

いくらでも答えようがあり、この扇子に言いがかりをつけてきた本人の立場が悪くなる。自ら教団員だと名乗るようなものだから。だから相手は仕返しのしようがない。

そこでもし
「夏でもないのに、扇子であおいでる」と薄ら笑いしたとしよう。
こちらは答えなくて良い。現代はいろいろな人がいるのだから冬に扇子をあおごうが誰も気に止める人はいない。なのに、この扇子に一言いいたい人がいるとしたら、それは教団員なのだ。それが分かっただけでも「効果あり」だ。彼は気にしたのだ。

まあこのようなことはないとは思うが。ちょっとシミュレーションで遊んでみた。

ちなみに後で調べると三色扇子はネットで手に入ることが分かった。そんなに高くない。蓮を表わす八葉紋が入っているのでやめたほうがいい。純粋な三色旗はルーマニアの国旗と同一。このように教団旗でもありルーマニア国旗でもあるという二義的であるほうが使い勝手が良い。言い逃れができる。

また商品の中には三色テープとか三色リボンとか吸盤つき卓上三色旗とかいろいろある。テープやリボンを国旗の形状に切り取って、嫌がらせをする車などにペタッと貼り付けるのも良いかもしれない。その車は三色旗を貼り付けたまま走り続けることになる。後で気がついて逆上するかもしれない。自分たちが誇るべき三色旗を貼られて逆に腹を立ててしまうとすれば、それは自分たちが悪いことをしているからだ。

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受け身にあらず

2014年11月12日 | 加害者と戦う
ひたすらやられる嫌がらせだ。

しかし全国では街宣やデモ行進、ポスティング、流し街宣、出版などで反撃の火が上がっているようだ。とても頼もしい。

私の歩みはのろいが、しばらくの間は受身でもよいと思っている。受身であって受身にあらず。

嫌がらせを受けても、それにとらわれず、うまく受け流し、心に平和を保って毎日を過ごせるなら、それだけでよい。そして希望を持つ。やられっぱなしでもよい、忍耐し、希望を持ち、心を穏やかにし、持ちこたえることでそれは次第に意味を持つようになる。

私はとある組織の人間だ。この組織は利害でつながっている団体ではなく理念でつながっている団体だ。利害でつながっている組織ならば、私は早々にクビになっていただろう。しかし理念でつながっている団体なので、何とか残留させてもらっている。信念のために、集団ストーカーやテクノロジー犯罪を知ってこれに闘志を燃やす人間も少なからずいる。「私も被害を受けてみたい」とか「一緒に死にましょう」という言葉を返してきたつわものもいた。

孤立した個人を相手としているならば延々と加害を続けることに心理的効果があるだろうが、組織上の人間をターゲットとしている場合には少々違った展開となる。今この組織内の集団ストーカー被害者たちが連携を始めている。

千早城の役割は反撃したり攻撃したり敵に損害を与えたりすることではない。持ちこたえ、健在であることを示し、戦いを長引かせればそれで十分なのだ。ここは天然の要害なので、下手に手を出そうとすれば大変痛い目に会う。敵は大軍で包囲しながらこんな小城ひとつを落とすことができず、手をこまねいている。事態はそこから進展する。

今ののろまな歩みでも意味はある。受身にあらず。事態は少しずつ進展している。加害者たちの嫌がらせをやり過ごしながら、「少しずつ積み上げられている、土台が固められつつある」という実感を持っている。

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点から線へ 線から平面へ

2014年04月23日 | 加害者と戦う
「点から線へ、線から平面へ」。点とは一人ひとり孤独な被害者をさす。線とは、二人の被害者が知り合うときに引かれる。平面とは3人以上の被害者が知り合うとき、三角形、四角形・・・ができる。
私の周りではやっと平面になり始めた。

一本の線が引かれるだけでも自分ではかつては奇跡のように思えたが、今では10人くらいの被害者と知り合いになり、私との間に10本の線が引かれた。しかし、まだその被害者同士のつながりが作りづらかった。平面にならなかった。

この前、私が知る二人の被害者がつながった。これでやっと三角形ができた。そしてこのたび、四角形、五角形になろうとしている。

最近被害者Aさんがひどい目にあった。それを助けるために私は被害者BさんとCさんに援助を求めた。私とA、Bさんの間にはすでに三角形ができていたが、Cさんが結びついていきそうだ。

私が知り合った被害者の特徴は、私の組織に関連のある人が多いということだ。また同じ町の人が多い。

かつてもAさんが同じような大変な目にあったとき、私以外に信じる人はいなかったので苦しかった。しかし今回はBさんCさんが関わってくれているので、心理的に全然違った。Aさん本人にも、前回にはなかった余裕が感じられた。

Dさんという人は被害者ではないが、Aさんの相談に乗っていた人だ。多くの人がAさんの被害話を聞いて信じず、離れていく中で、Dさんは妄想だと断定せず、「自分にはわからないけれど」という立場で話しを聞いてくれていた。なかなかいない存在だ。

今回Aさんが大変なことになって、これを私はDさんに伝えた。私はDさんに、Aさんに関わっている三人とも集団ストーカーの被害者(あるいは被害経験者)だと告げた。そしてこのストーカーについて少しお話した。するとDさんは「私も仲間に入れてほしい」とおっしゃった。Aさんを助ける仲間だ。Dさんはまだまだ分からないだろうが、こう言ってくれるだけでもありがたい。このようにして5角形ができようとしている。

同じ組織に関連する被害者がつながると、被害者でない第3者がこのように信じてくれる可能性があるという点で大きなメリットがある。

このためか、最近加害者たちは私に対していきり立っているような感じがする。

前にも書いたが、私は自分からは認知活動を積極的にしていない。ただ今回のように加害者が被害者を圧迫したり、何かを仕掛けたりするときに対処しているだけだ。今回はそれが、被害者同士のパイプを作る結果を生み、大変心強い平面ができる結果を生んでくれた。また第3者であるDさんにも認知が広げられた。

認知は自然に広がっているようだ。今回も加害者が仕掛けた嫌がらせ工作の勢いを借りて認知が広がる結果となった。神がなさることは人間の狡知ではかなわない。

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