小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。

本当の病気か、電磁波による病気か

2021年10月24日 | 電磁波対策

電磁波による体の痛みや不快感、病気がある。本当の病気とは違う。

この偽病により、私たちの行動がコントロールされたり、精神的に不安定にされたりする。

電磁波により極度の眠気に襲われる。散歩しようと思っていたのに、昼寝が必要かと思ったり、散歩しないほうが良いと思ったりする。散歩しないことで精神的にも気が晴れなかったり、夜、熟睡できないこともある。電磁波による眠気で私たちの行動がコントロールされ、不都合が起きる。


腰痛になる。本当の腰痛であれば、行動の慎重さが必要になり、外出を控えることも考えなければならない。病院に行く必要もあるし、心配が増える。一生腰痛で悩まされる可能性もある。

しかし電磁波による腰痛だと分かれば、本来は健康体だということになる。医者に行く必要もないし、少々痛くても散歩もできるし、体への不安感もなくなる。


このように、電磁波による病気なのか、本当の病気なのかを識別することは私たちにとって大切なことになる。

本当の病気か、電磁波による病気かは識別が難しい。しかし対電磁波グッズによって痛みや病痛がなくなるのであれば、識別できる。

かつてはアルミ箔のカバーですっぽり体を覆うとか、鉛のシートですっぽり覆うとか考えたが実現しなかった。アルミ箔は効果が薄いだろうし、鉛は重過ぎる。

今は、このブログで紹介したようなさまざまなグッズを使って識別している。それなりに効果はある。

特に自動車のヘッドライトを使用した方法を一番利用している。このブログで紹介したものの内、ヘッドライトは効果が大きく、使い勝手が良い。

    参照:「けっこう強力、自動車のヘッドライト」(2020年12月19日)





ペットボトルの上部を切り取り、鏡面シール(ミラーシール)を貼り、ヘッドライトを入れる。威力がある。電源なしでこのままで対電磁波効果がある。







このような効果を感じます。光は出ませんが、何らかの電磁波が出ているのではないかと思われるくらいの効果です。この電磁波が、いやがらせ電磁波に対して干渉しているような効果を感じます。科学的な原因はわかりませんが、イメージとしては送信されてくるいやがらせ電磁波をヘッドライトが吸収し、それを電源として何らかの電磁波を発しているのではないかと。




このようにくるくる回しながら、体のあちこちの場所に移動させ、痛みが弱まる場所を探す。




自撮り棒につけると背中などにも届き、また方向を変えられることでより電磁波攻撃に対応します。100円ショップの自撮り棒です。



強烈な眠気が襲ったときに、ヘッドライトを首周りにかざす。眠気が弱まる。私の場合、電磁波による眠気は頭の上方からよりは、首や肩、脇などの下方からのほうが多いようだ。
寝不足で多少の眠気はあっても、電磁波による強烈な眠気はまた違う。電磁波によるものだと確認した後は、安心して散歩したり山登りをする。何事もない。


まだ電磁波を受けて間もない初期の頃のある日、山登りを予定していた日に強烈な眠気があった。通常なら山登りはせず、家で休むだろう。しかし電磁波によるものだと推測して無理に山に行った。するといつもの嫌がらせ加害者たちの数が極端に少なかった。「今日は被害者を電磁波で眠気に襲わせるから山に来ないだろう。加害者たちは休んでよい。」ということになっているかのようだった。

電磁波による強烈な眠気の防御の仕方は他にもあり、記事で書いたことがある。

   参照:「眠気、頭痛など頭部への電磁波に対して」(2019年7月16日)


充電式乾電池を胸の両ポケットに入れ、うなじにひとつ貼り付け、計3つを使うと、嘘のように強烈な眠気がなくなった。




また後に、同じ場所にSDカードをもってくると、これまた嘘のように眠気がなくなった。

他にも、上記したように、自動車のヘッドライトを首付近にいろいろな方向から当てると、眠気が弱まる。


さて他にも、ぴたりと病状が治まった例として花粉症症状がある。
仕事中に妙なタイミングで花粉症が起こり、鼻水や咳に悩まされることがあり、翌日すぐに電気屋に行ってアース線を買い(写真)、一方の端を首にテープでつけ、服の下を通し、靴の下にもう一方の線を出し、床に接地させる。このようにして顔付近に電磁波によって帯電した電気を床に放出するというイメージでやった。まったく花粉症症状は治まった。




アース線




電気製品に使う普通の銅線でも大丈夫







(その後このアース線による除電は進化を遂げ、今は太めのシルバーのネックレスにSDカードをつけ、SDカードに除電させている。床に除電するのではなく。スリムになり、着脱がかなり簡単になった。)





SDカードについて
   参照:「不思議!SDカードも電磁波に効果あり」(2019年7月29日)
      「SDカードはきわめて使い勝手の良い対電磁波グッズ」(2019年8月15日)
      「応用編ーSD指示棒」(2019年10月15日)
      「SDカードが電磁波攻撃に対して効果がある理由は?」(2020年7月5日)




また明け方くしゃみや鼻水が出て、季節になると毎日のように花粉症で悩まされていた。アースの効果を知って以来、明け方症状が起こって目が覚めると、すぐにアースの片方を首にテープし、もう一方を床にテープでつけた。嘘のように症状は消えた。





それ以来ほとんどまったく花粉症症状にならなかったのを見ながら、今までの15年以上は何だったのだろうか、と思った。花粉症が持病であるかのように15年をかけてやられていたのかもしれない。まだ集団ストーカー、電磁波犯罪を知る前から。あるいは本当は花粉症傾向があるが、加害者はそれを電磁波で増長させたり、タイミングよく発症させたりして私を苦しめていたのかもしれない。

その後、アースでは花粉症症状を防げなくなった。加害者も対応してきたのだろう。私が次に使った方法は、首を濡れた布(タオルなど)で巻くこと。濡れた布は電気を通す。顔や首付近に電磁波を送信されたときに、濡れ布がその電磁波の効果を拡散してくれるのだと思う。花粉症は治まった。

その後、濡れ布でもダメなことがあった。加害団体の電磁波犯罪を完全に抑えることは難しい。それでも、自動車のヘッドライトや他のものを使い、防御は可能と思われた。ときには手を触れることでも良い。体は水分があるので電気を通す。皮膚に手を触れると手のほうに電気が通り、体に拡散されるようだ。裸足か汗で多少湿った靴下であれば、おそらくそのまま床に除電されてゆく。


また他に、嘘のように病痛がなくなった例として腰痛がある。
ヘッドライトを使うなどして、腰痛が本物であるか、電磁波による偽病であるか識別しようとしたが、難しかった。

そこで除電効果があるとして自分で発見したSDカードを使った。SDカード自体では金属部がへこんでいて皮膚に触れないので、銅線を切って金属部に木工用ボンドで貼り付け(8本)、その上にアルミ箔を巻き、アルミ箔全体に除電効果を持たせる。アルミつきSDカードととりあえず名づけてみる。これを10個か12個つくり、腰やその周囲、腰痛に関連のあると思われる箇所に貼った。



SDカードだけでもけっこうな対電磁波効果はあるのだが、今回は腰痛部に帯電している電気の除電を目的としたので、SDカードの金属部が肌に接する必要があった。実施してみると腰痛は「嘘のように」完全に消えた。これで電磁波による偽痛であることが分かった。





この効果は大きい。体を動かしたり運動しても大丈夫ということになる。腰痛の痛みは多少あっても体は健康体だから心配はなくなり、精神的に明るくなる。行動制限がなくなる。もちろん今後も腰痛にならないように気をつけなければならないが。電磁波の偽痛による腰痛を見抜けなければ、今後も腰痛に苦しむことにされてしまう。


(参考)アルミつきSDカードの作り方

MicroSDカードを挿入できるアダプターが良い。アダプターは加工してしまうので、対電磁波以外の使い道ができなくなる。挿入型だと、MicroSDカードを外して記録媒体としても使える。






0,9mmの銅線がちょうど良い。しかし他のものでも大丈夫。100円均一で売っている。銅線でなくても、鉄線、アルミ線でも大丈夫のはず。

銅線を切る。






木工用ボンドなどで銅線をつける。





まずボンドを塗り



ピンセットでつけていく


アルミホイルをつける。そうするとSDカードの電磁波吸収力がアルミホイル全体に行き渡る。これを除電用として体につける。












それ以外にも、対電磁波グッズを使って「嘘のように」痛みがなくなったものはいくつかある。

足の指がつった。だんだんひどくなり、痛いほどになる。いろいろ試したが、前に紹介した100均のライトを4つ、その足の周りに置いたときに、痛みは嘘のように消えた。


黄色い部分にライトが16個。かなり強い。




   参照:「100円LEDライトの効果」(2020年11月9日)




わたしたち電磁波被害者、集団ストーカー被害者にとって、痛みや病状が本物か、電磁波による偽物かを見分けることはとても大切なことだと思う。

電磁波に効果のあると言われるグッズをさまざまに用いて識別できるようにできればだいぶ違う。


私の推測では、電磁波による痛みや病状は私たち自覚的電磁波被害者に限らない。わたしたち電磁波被害者は、電磁波によって嫌がらせや痛みを受けていることを自覚させられ、痛みの苦しみに加え、それを意図的に第3者が自分に対しておこなっていることへの憎しみの二重苦に襲われる。

しかし電磁波被害の認識のない人々にも、電磁波による痛みや病気、死、離反工作、種々の被害、行動コントロール、感情コントロール、その他がおこなわれているという可能性がある。その痛みや病気が電磁波によって第3者から意図的にやられているなどと当人は思ってもみないだろう。

集団ストーカーや電磁波犯罪の被害者と言われる人々はその被害を認識し、訴えている人々であるが、実際にはそれらの技術や手法を使って、それらの被害者を超えて多くの人が被害を受けているのではないか。これらの犯罪の目的はもっと広いものであり、自覚的な被害者とされた人以外にも多くの人々が無自覚的に被害にあっている可能性がある。

電磁波によるさまざまな被害に加え、集団ストーカー的手法を用いて精神的被害、生活の不都合、貧困化、人間関係の悪化、リストラ、再就職困難、学校や仕事先でのいじめ・・・。

私たち自覚的被害者とされてしまった人たちの目から見ると、そういう社会が見えてくるのではないだろうか。


なお、ここに書いた対電磁波の方法が誰にでも効果があるかどうかわからないことを付け加えておきたい。私の知人の被害者は、私よりもっとひどい電磁波を受けているので、私がこのブログで書いたような方法ではほとんど効果がないと言っていた。私もそのような電磁波を何度か受けたが、確かにまったく通用しなかった。

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天国

2021年06月17日 | キリスト教
このブログでは地獄のことをけっこう書いた。加害者たちに突きつけなければならないからだ。地獄は現実であるとキリスト教その他の宗教では考える。

一方天国についてはほとんど書いていない気がする。
天国も聖書の教え、教会教義から、はっきりとその存在を肯定されている。
天国はすばらしいところで、永遠の命とも言われ、神の命にあずかるとも言われ、神の国とも言われる。天国、地獄のことを知らなければ、この世を正しく生きることが難しいのではないか、と思う。

以前書いたが人は自分の命が奪われるだけならば、この犯罪的嫌がらせを耐えることができることができる人もいると思うが、妻や子供の命や健康が脅されると、加害者勢力に屈してしまう。それを人質と表現できる。

参照記事「人質

もし、この世の命が絶対的でそれ以外にはなく、この世の命を失うならばすべてが終わりだと思っていると、命や健康、生活を脅されると屈してしまう。しかし正しい者には天国の報いがあり、悪しき者には地獄の罰がある、と考えると戦う勇気が出る。また悪をおこなうことへの抵抗が大きくなる。

死んでも良い、という選択肢が与えられると変われる。また、妻や子供を先に天国へ送る、という考えを持つと妻子を人質にとられても闘う可能性が出てくる。
戦国時代にはサムライたちは自分が死ぬ覚悟を持つばかりでなく、妻や子供も死ぬ覚悟をもっていた。だから妻や子供の命を脅されても、主君への忠を貫くことができた。

今は違う。すぐに屈しているようだ。そして自分の命を救い、妻や子供の命を救うために、他人の命や他人の妻や子供を死に追いやる動きに加担することになる。妻や子供も加害者になる。そして家族ともども永遠の命を失うことになる。

天国については知るべきではないかと強く思う。それは現実だ。物語や空想ではない。キリスト教でもイスラム教でも仏教でも認めている。神の命にあずかり、神とともに永遠の幸福にあずかるために人間は作られた、とキリスト教は考える。この世は終わる。しかし次の世は永遠だ。

人間が生きている目的を知らない、生かされている理由を考えないこと自体、実際は問題なのだが、問題視はされていない。知らないことが当然視されている。かつては日本人にとっても基本的な知識であった天国や地獄について今はまったく教えられず、むしろ否定されているようだ。

ここから生き方も変わってくる。



死んでもよい、という考え方がある。そして、妻や子供を先に天国へ送る、という考え方がある。それは残酷に聞こえるがよくよく知ればそうでもない。妻や子供は天国へ行ってこう言うだろう。

「天国がこんなにすばらしいところならば、もっと早く来てもよかった。この天国を知れば死はもう怖いものではない。」「正しい判断をしてくれたお父さんに感謝する」

父はひとりになり、命を惜しまず闘うことができる。天国から妻子が応援してくれ、父が来るのを待っていてくれる。

もし敵に屈してこの世の命を大事にするなら、妻子ともども加害者にされる。銃を渡され、これで人を殺せと脅される。殺さないなら、私がお前たちを殺すと脅される。

二者択一だ。善か悪か。中間が赦されない。何も悪いことをしないことが赦されず、銃を渡される。自分たちの命を守るために人を殺し陥れる側になるか、人を殺したくないから自分たちが犠牲になるか、二者択一で、中間が許されないという過酷な現状になっている。そう見える。

究極の選択が迫られ、人は屈する。中間があれば皆それをとるだろう。しかし中間が赦されず、加害者側に周らないならば、恐ろしい運命が待っていることを突きつけられると屈する。

「仕方がない」。これが加害側に周った人たちの常套句だ。自分たちの命や生活を守るために仕方がなかった。それで人の命や生活を奪う側になって活動することになる。

こうなれば生きることにもう魅力はない。死んでもよい、死んだほうが良い。究極の選択を迫られているから、究極の答えを考えると、「死」「苦しみ」を選択することになる。

しかし幸いなことにそれもいずれ終わる。そしてその先に永遠の報いがある。













 

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YOUTUBEで戸田城聖の肉声を聞いて

2021年01月29日 | 加害団体について
YOUTUBEに戸田城聖の肉声の講話がいくつかあげられているので見てみた。正直言って、あまり宗教者という感じではなかった。頭はよく、話は面白いようだったが。

中には品のない話もあったが、皆が戸田についていくのは、きっと牧口常三郎とともに逮捕され、他の人々が教えを捨てていったのに最後まで退転しなかったからだろう。

youtubeを見て驚いたのは『人間革命』を執筆したときに、「牢に入るまではでたらめを書いている」と語ったことだ。(映画『人間革命』は池田の著作だが、はじめの戸田の部分は戸田自身の著作に由来するものらしい)
皆はさほど気に留めていなかった。おそらく問題にならない程度のことだろう、と思ったのだろう。

(youtubeで、「戸田城聖 人間革命」などで検索してみる。)


しかし私が前々項「映画『人間革命』をみて疑問に思ったこと」で記事を書いたときに心に思い浮かんだが、それ以上言ってはいけないだろう、と思って書かなかったことが、ここでつながったように思った。

「でたらめを書いた」と言っているのだから、ここに推測を入れることも許されよう。

前々項では、牢屋に入りながらもさほど打ち叩かれなかった戸田をうらやましく感じたことを書いた。あの戦時中に刑務所でこんな待遇を聞いたことがなかったからだ。

赤紙が来ることもなく、ある意味で当時の日本男児にとっては最も安全なところだったかもしれない。

理系の人は兵隊にとられないことがあったという。もっと大事な仕事があるからだ。窃盗や狼藉を働いて入所した人は、むしろ罰として激戦地へ送り込むこともできる。しかし宗教や共産党などの思想犯は戦地に送れば敵と通じたり、味方の士気をくじいたりして伝染病のような存在だから刑務所にとどめるのだろう。

「でたらめ」と書いていたところの私の一つの仮説は「戸田は牧口をけしかけて刑務所に入るように仕向けた」というもの。
まじめな先生の門下に入り、「先生、日蓮宗は軍部に屈して真理を曲げてもよいのですか。」等々迫る。「私は先生についてきたのです。白黒をはっきり示してください。今の日蓮宗の妥協的な態度でよいのでしょうか」「必要とあらば私は先生とともに刑務所までついてゆきます。」「師弟不二です。」

最後の「師弟不二です」は映画『人間革命』の場面に出てきた。

入牢しても戸田には打ち叩かれたり拷問されない計算があったのかもしれない。

このような仮説は教団員からすればとんでもないものであり、冒涜だろう。
しかし前々項で書いたように、取調官に対する戸田の答弁には牧口先生を危険にさらす十分な要素がある。わかっていたはずだと思う。

この教団から苦しめられているという人々の訴えを私はこれまでいろいろ聞いてきた。それらを調べ、信じがたい様々な嫌がらせを知ると、以上の戸田に対する私の仮説は、現代のそれらと似た要素を持っているので決して不自然な仮説ではないという考えに達する。

映画『人間革命』を見た後、いくつかの疑問点や不自然な点が浮かび上がり、それらの点と点を結び付けていると、一つのストーリーが浮かび上がってしまった。

前々項では一部は書いてもそれ以上は書く勇気がなかったが、YOUTUBEを見て背中を押されたような気がし、この「でたらめ」と戸田が言う部分について仮説を書いた。

集団ストーカー被害者としてこれくらい書かせてもらってもいいはずだ。



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映画『人間革命』を観て―地獄はない?

2021年01月17日 | 加害団体について
かつて、この教団では地獄を信じていない、という話を聞いたことがあったが、この映画を見てよくわかった。映画を見た後、「地獄はないのだ」という印象を強く持つ。

戸田城聖は繰り返し「君たちは地獄などあると思っているのか」と言っていた。
そして法華経の十界論を用いて、地獄とは人間の心理的状態を10に分けた中の最下層の悪い状態であると説く。地獄とは人間の心の状態であって、死後の地獄など存在しない、という内容。

そして昔から天国地獄が説かれてきたのは、仏法をよく分かっていない者たちだというニュアンスで語られる。


また、「仏」とは、私の生命のことだ、と説く。これは戸田城聖が刑務所に居たときに受けた大きな悟りであると描かれる。


地獄とは自己の内面にある、仏とは自己の生命である。そのどちらもそれなりの真理をついているのであろう。しかし間接的に地獄という実体は存在しない、仏という実体は存在しない、と言っているようだった。


これらを見たときに、この教団がネットやさまざまな本で暴露されているような違法行為や不法行為を平気でなす理由の一端が理解できたように思う。


悪事を行う人は神仏の目が気になる。また、地獄の教えは、人が悪事をおこなうことをためらう重要な綱となってきた。しかし『人間革命』ではこの両方の綱を切っている。


そして仏性を具現するのは人間だ、最高度に仏性を具現している人こそ現代の仏だ、という論理に結びついてゆく。この生きた現代の仏性の具現者を離れて、別の仏が天におられるわけではない、という風に皆が思うようになるだろう。


明確に断言していない所もあるが、この映画を見た人が自然にそう思う。

例えば「地獄などない」とは言わない。「君は地獄などあると思っているのか」という。また「既存の宗教はね・・・」という言葉などを入れて、地獄という存在が軽蔑的に語られる。

地獄はない、と断言すれば他の仏教からいろいろ批判されるだろう。この書では断言はしていない。また著者の考えというわけではなく戸田先生の考えということなので、著者は非難されない。


地獄や仏の実体が主体に移行、転換される。地獄や仏などという実体はなく、それは人間の心という主体性に移される。

現代であればそれはある意味有意義な読み方であり、宗教を現代に生き抜くものとして捉えているとも言える。

しかし問題は、主体への移行と同時に、実体を暗に否定し、明確に否定しなくても、見た人が否定感を持つようになっている。


この主体への移行を可能にするのに理論的支柱として用いられているのが「十界論」。人間の心を10に分けて説明する。

正直言ってここが一番退屈だった。十界を大まかに見るのではなく、一つ一つ説明するものだから退屈だった。見た人は同じ感想を持つのではないか。


しかし十界論を使っても地獄の否定の論証にはならない。戸田の否定の仕方は、十界論を使って地獄を主体の内部のことであると位置づけること、地獄の存在に対する軽蔑的語りを繰り返すことにあるようだ。だから、「君は地獄があると信じているのかね」と言われても、「信じている」と言い出せない雰囲気が作られている。論証されているというより、刷り込まれている感もある。


法華経と言えば、長者窮子の例えとか、如来寿量品の久遠実成とかいろいろと読み所があるのに、中心的なところに十界論をもってきているところは戸田の発想のようだ(あるいは『人間革命』の著者の発想か)。この十界をいちいち説明するので不自然に長くなっており、退屈感はそこから来ている。


「仏とはわたしの命のことなんだ」と、感動のうちに戸田は語る。そしてそれが刑務所における大いなる悟りの内容だとされる。

しかし私にはなぜそれが大きな悟りになったのか理解できない。なぜならば、すべての人の心に仏性がある(悉有仏性)という教えは教外者である私も、これが仏教の基本的教えであると知っているからだ。

しかし映画を見る者は、戸田が刑務所内で悟った大いなる内容が、この「仏とはわたしの命」云々であるから、すごい教えなんだろうと考える。そのような悟りがあったかどうか確かめるすべはないが、教えの権威付けにはなっている。


さて、地獄の否定に日蓮の著作(どこからの引用か分からないが)が使われていた。しかし日蓮の代表的な著作のひとつである『開目抄』では、日蓮がはっきりと地獄の存在を認めていたことが分かる(第20段など)。



以上、『人間革命』の教義的な面で心に留まったことを書いてきたが、まずは「主体性への移行」だった。そして主体を離れて地獄や仏があるわけではないとつながってゆく。その理論的支柱として使われていたのが「十界論」。また戸田の獄内での大いなる悟りの場面が、これらの教えが真実であるといっそう印象付けてくれる。

映画の続編では、第3代会長へのみなの期待が高まっていくような内容だった。著者は本人であるが。

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映画『人間革命』をみて疑問に思ったこと

2021年01月12日 | 加害団体について
年末にテレビで映画『人間革命』を見ました。これは集団ストーカー被害者たちが、その加害団体だと考えている組織の創設期に関わる歴史です。続編も見ました。
それなりに興味深く、ところどころ退屈で、この教団の歴史、あるいは歴史として教えられていることが大まかに分かりました。

後で思い起こすといくつかの点で不自然だったり、疑問に感じることも出てきました。

まず、あの戦時期にありながら、刑務所にとらわれている人(戸田)と取調官との関係が悪くないということでした。

キリスト教でもとらわれた人が少なからずおりますが、刑務所は大変過酷です。厳しい尋問、拷問、獄死・・・。

戦争で男手が欲しい中で、囚われる人々はよほどの人々です。国体を揺るがすような思想犯には厳しかったでしょう。

そんな中で、戸田城聖が取り調べ官に軽くたしなめられる程度であったり、理論的なことで説教を受けたり、反対に戸田のほうからも取調官をたしなめたり挑発したりする場面がありました。両者の関係が悪くない、と印象付けられます。

囚人があの時代に、こんなに取調官からやさしくされるなど見たことも聞いたこともありませんでしたので、意外なことでした。

正直言って「いいな」といううらやましい気持ちを抱きました。

入牢は1943年7月から1945年7月だったようです。
日本の戦況も思わしくなく、男手が必要なときで、いつ赤紙が来て召集されるか分かりません。
戦地に行けば過酷な現実が待っており、生きて帰ってこられないかもしれません。

どこを見ても過酷な中に、刑務所内で赤紙が来ることもなく、厳しい尋問を受けるでもなく過ごせたことを羨む心が、恥ずかしながら私の心に生じてしまいました。


そして次に「なぜ?」という疑問が生じます。

その解答は『人間革命』の中にあるように見えました。

戸田城聖は取り調べ官に「牧口先生が転宗したら自分も転宗する」と言いました。そして「牧口先生が転宗することなどない」と付け加えます。こんなことを言ったら、牧口常三郎に対する尋問がさらに厳しくなるのではないでしょうか。

取調官が戸田城聖に対し厳しくなかったのは、この態度を貫いたからかもしれません。思想や宗教のことは良くわからない、神札問題などについては牧口先生がそう教えたから信じている。自分は信条からというより、「師弟不二」でここにいる。だから牧口先生が転宗すれば自分も転宗して良い。

こういう思想であれば、積極的に国体、天皇制に触れる危険思想犯ではなくなります。実はどちらでも良い、ただ師弟不二として先生に従う。

刑務所の自室には日蓮上人全集が置かれていましたが、係りには「こんな堅いものはいらないから小説をもってきてくれ」と小説を所望します。

看守たちは、戸田城聖はあまり宗教に熱心であるわけではないと思ったかもしれません。

取調官と戸田城聖の関係が穏やか見えたのは、そんな理由だったかもしれません。


しかし戸田城聖が牧口先生の名前を口にすればするほど、そして師弟不二を口にすればするほど、牧口先生の立場が危うくなるとは思わなかったのでしょうか。牧口先生への尋問がいっそう厳しくなり心身疲労しないでしょうか。

「先生はお年だからお手柔らかに」と取調官に言ったとしても、「先生が転宗するなどということはありえない」と言えば、取調官の心に火がつくでしょう。

戸田城聖と取調官との間の約束は「牧口が転宗すれば戸田も転宗する」ということになっていたようです。

牧口常三郎が獄死したとき、取調官は戸田に「僕との約束を守ってくれるね」と言って、出獄になったと『人間革命』には描かれていました。


戦争の最も過酷な時期に兵士として招集されることもなく、刑務所で恐ろしい尋問を受けることもなく過ごせた理由は、戸田城聖が何度もおこなわれる尋問の中でぶれることなく「師弟不二」が主要因であることを貫いたからなのかもしれない、という考えが起こりました。

あるいは仏様の特別なご加護があった、ということなのでしょうか。


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