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小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。Amebaブログへ引っ越し中です。

死んだほうがまし

2018年06月04日 | 加害者への勧告
加害者たちには善人も少なくないだろうが、加害に加担しなくては本人の命だけでなく家族の生活や幸福や健康も奪う、と脅されれば加担せざるをえなくなる。

しかし加担するということは他の人を不幸に突き落とすことに参加するということだ。このように他人の不幸の上に自分と家族の生活が成り立つような仕組みだろう。奴隷である。上から言われるがままに集団で組織的に一人の人間を追い詰めていく殺人的ないじめに加担せざるを得ない奴隷だ。ひとり一人に任された加害行為がどんなに小さなものであっても。

こんなことをしながら生きていくのは嫌だろう。またそのうち、自分の妻子もこの加害行為に加担せざるをえなくなるのではないか。よく親子、家族で加害者はやってくる。家族の生活を守るために家族を巻き込んで嫌がらせに加担するのであれば、家族を巻き込んで地獄へ向かっているようなものだ。みなで地獄へ行くだろう。

そんなことより、思い切って悪と手を切り、早く神のもとへいって家族ともども楽しむ方がよい。この世がすべてであり、死んだら何もないというならば、この世で不幸に会わないように何でもするだろう。しかし魂は不滅であり、正しい者たちは天国、極楽へ行く、悪しき者たちは地獄へ行って永遠に苦しむ、というのであれば、計算をしなおしたほうがよい。

死んでも良い、この世では正しく生きて苦しんでも戦う、という選択肢もある。そういう世界観、死後を含めた知識、人間が存在している理由、どのように生きるべきか、など通常は宗教が教えているような知識がなければ、なかなかそんな考えにはなれないだろう。宗教が衰退している現代、人々はこの世の枠組みの中でしか物事を考えないので、脅されれば奴隷のように従わなくてはならなくなる。

正しいことのために苦しむ、悪をおこなうことを断るがゆえに死ぬ、こういった人たちは真理や正義の殉教者であって、神に愛される者だ。

生きて、人の不幸の上に自分の幸福を築くよりも死んだ方がましだ。自分が他人への嫌がらせに加担することで、自分が嫌がらせされないような生き方をするよりも死んだ方がましだ。家族ともども地獄に行くよりも、早く神のもとへ行って家族ともども楽しむ方がよい、そんな考え方もある。

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祈りによって解決策を探る

2018年05月15日 | 加害者への勧告
加害団体の者たちが加害に疑問を持ち、解決策を考え始めてもなかなか出口が見つからないかもしれない。

通常はそんな疑問さえ抱かないように、脅したり(教団やリーダーを疑うと地獄へ行く、など)、恐怖を煽ったり敵に対する憎しみを煽ったり、忙しくさせて考える暇を与えないものだ。

しかし疑問を持ち始めると早く嫌がらせや加害をやめたくなる。ところがやめることは難しいのではないかと思われる。

なぜか自分がしゃべったことや行動したことが上層部に把握されているように感じるかもしれない。そのために罰が与えられるかもしれない。この団体に反して行動することができないのではないかと感じるようになるのではないか。


被害者が盗聴盗撮などで監視されているように、加害者たちも監視されている可能性がある。民間技術でさえ、コンピュータによる顔認知機能、位置情報、音声を識別し人間の言葉を理解し答える機能さえある。個人がどこにいるか、何をしているか、何を話し、何を考えているかをコンピュータが自動的に判断することが可能になっている。さほど人手を使わなくてもある程度自動的に人を監視できる社会だと考えておいた方が良いと思う。

その人が加害団体に疑問を持っていたり、それを人に相談したり、何か作戦を立てているならば、知られてしまうかもしれない。人に相談することは大事かもしれないが、危険も伴う可能性がある。同じ疑問を持っている人に相談するといっても、偽者もいるだろう。共同作戦がいつの間にか知られてしまい、加害組織の刑罰を受ける可能性もある。こうなると人と一緒に共同するのも難しい。

そんなときは祈ればよい。天のみは安全だ。しかも祈る人に対して天はインスピレーションを与えてくださるだろう。神仏に祈り、自分の罪を告白し、良い解決を求めていけば、天と自分だけに分かる方法を指し示してくださるに違いない。それに天は正しいことを求める者、誠実に生きるものを助け導いてくださる。


教団の幹部などに解決を聞いてはいけない。また人に相談するのも危ない可能性がある。集団ストーカー、組織犯罪、ハイテク犯罪に対してはそういった解決は難しいと思われる。

この闇の世界の解決は神にしかできない、と私は思う。

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本心

2018年04月06日 | 加害者への勧告
加害団体の教団は仏敵が書いたものを読んではいけないという。教団の暴露本を読むと悪魔にやられるらしい。

しかし仏敵が教団や先生の悪口を書いているなら、むしろ徹底的に調べ上げて論破した方がよいのではないか。そうして先生の潔白を世に明らかならしめるほうが良いに決まっている。その方が先生を守ることになり、世に教団の正しさをいっそう輝かせることになるだろう。

「読んではいけない」というのは、信心の定まらない人のために言っているのだ。そういう人が読むとぐらつく。信心が定まっている人、優秀な人はむしろ徹底的に読んだ方がよい。それが先生の本心に決まっている。なぜそのことが教団信者には分からないのだろうか。

読まない、というのは負けの信心、逃げの信心、敗者の信心だ。そんなことは長い間教団にいれば分かるだろう。「もし本を読んだら先生や教団の悪事を次々に知ってしまうことになるのでは?」ということを恐れる者は先生を信じきっていない者たちだ。

「読んだら、敵の論破どころではなく、次から次へと否定できない教団の悪事が出てきて確信してしまう、退転してしまう」と考えているのなら、その人は仏敵に負けると思っている情けない者だ。負けの信心だ。

仏敵の本の前にびくびくするのではなく、真正面から取り組み、みごと敵を完膚なきまで論破するべきではなかろうか。臆病者の信心では笑われてしまう。

先生の言葉の本心を読み取り、その文底を知る者でなければ先生や教団を守ることはできない。

もちろんこれは、加害教団を応援して言っていることではない。調べないのはおかしいだろう、調べればわかるだろう、という意味を込めて言っている。暴露本がウソ八百を並べているのであれば、教団は著者を裁判で訴えればよいのだ。訴えずに、ただ読むなというのであれば、何か意味があるのではないだろうか、と疑うのが当然だ。


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神罰

2015年07月23日 | 加害者への勧告
加害者はそれぞれの行った悪事に応じて神罰を受けることになるだろう。これは天地の道理だ。

人間や社会の目を欺いても、天を欺くことはできない。神はすべてをご存知だ。逃れることはできない。

加害者たちが自殺に追い込んできた多くの人々の魂が叫んでいる。

この世は過ぎ去る。そして各自が神の前に立たなければならないときが来る。審判だ。各自は自分の行いの善に応じて、あるいは悪に応じて報いを受ける。死後の苦しみは永遠だ。永遠の苦しみを受けるよりはこの世で被害者となったほうがまだ良い。

「体は殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10章)

神罰は死後に受けるのみならず、必要な場合にはこの世で受けるだろう。すでに悪行の現証が現れている人々は悟るべきだ。悪行から離れなければ神罰がやむことはない。

「信心が足りないからだ。もっと一生懸命活動すれば直る」と言われているものたち、はたしてそうだろうか。悪を悔い改め、善を行い、正しい者になることこそ神罰から逃れる道ではないか。カルト集団に洗脳されて、一生懸命人の破滅のために働くならば神罰は重くなるのではなかろうか。


死後の私審判のあとにくる公審判では神の前にすべての人が集められ、すべての人の前で善悪が明らかとなる。

隠れて善を行った人は多くの人の前で誉れを受ける。隠れて悪を行った人は、すべての人の前でそれが明らかにされ、恥辱のうちに破滅の宣告を受ける。生前、周りの人に善人面(づら)を見せていても、審判の時には、彼がどれほど忌まわしいことをしていたのかが、親戚、友人、知人にまで明らかにされる。

神の審判は公平だ。神を信じているのならば、隠れてさえ悪いことをしないものだ。

悪行を行っていながら、それを正しいと信じ込んでいる者たち、それが間違いであることを気付くチャンスは何度も与えられる。悪しき現証が現れたならば静かに考えたらよい。

神罰も仏罰も、それを受けた者が思い直して悪から離れるならばそれこそ神意、仏意というものだ。しかしそれをないがしろにしてこの世を去るなら、永遠の滅びの宣告を覚悟しなければならない。

また親の悪行が子に行ってしまったらどうする。子がその報いの影響を受けてしまったら目も当てられない。子供がかわいくないだろうか。

おのおのの個人のみならず、今、加害団体に神罰が下されようとしている気がする。どうだろうか。

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加害者たちの地獄

2012年10月23日 | 加害者への勧告
金と権力をかさに着て、物陰から石を投げるように逃げ隠れしてやる犯罪。誰にもばれなければ悪いことをしても良いのか。

しかし見ている者はいる、それは天だ。そしてそれこそもっとも恐るべきだろう。

恐るべき死後の運命を迎える前に、この世で償いを果たしたほうが良い。この世の償いの方が軽い。死後は永遠だから。自分たちの指導者も言っているだろう、「無間地獄」と。

死後の審判者は言う。
「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ」(マタイ25章)

法華経のためにやるなら、どんな法も犯してよいなどとは甘いのではないか。折伏を放棄して迫害に走るのか。もっと堂々と戦う人物はいないのか。

他者に地獄を見せる者は、自分が死後地獄を見ることになろう。反対者に嫌がらせをするよりは、自分で身命を賭して法難に耐え、教えを弘めたらどうなのだ。

これだけ多くの人を恥ずべき犯罪加害に巻き込んでどうするのだ。特に首謀者たちや中枢にいる者たちの死後の裁きは恐ろしいものになるだろう。

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