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小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。Amebaブログへ引っ越し中です。

2種類の嫌がらせ加害者

2013年11月29日 | 集団ストーカーについて
末端の嫌がらせ加害参加者には2種類あるように見える。

1種類目は嫌がらせに慣れている人、それを専門的にしている人、しかし性格的に問題がありそうな人。社会的にはあまり恵まれていない人たちかもしれない。態度は尊大でふてぶてしく、そしてニヤニヤしている。嫌がらせを楽しんでいるのだろう。

2種類目は普通の教団員らしき人。嫌がらせはあまりうまくなく、教団のためとはいえ悪いことをしているうしろめたさを感じているようだ。視線をあまり合わせようとしない。あえてこちらを見るときは、こちらが見返すと視線をそらせる。性格的には善良で善人に見える。

前者は嫌がらせのなんらかの報酬をもらっているのではなかろうか。後者はタダ働きだろう。ほんのちょっと加害参加しているだけだ。自分たちが一体何をしているのか、全体像が何もわかっていないと思われる。

参加者がただ働きの人ばかりだと、「費用に余裕がないのだろう」と思う。1種類目の人たちを使うと、この人たちは余計なこと、問題行動を起こしそうだ。地域に事故や事件が頻発するのは、こういった人たちを使う場合だと思う。だから加害者団体としてもあまり使いたくないのではなかろうか。使う側としてもいろいろやっかいだ。(拙ブログ「不審がる警察」参照)

現在の私への嫌がらせを見ていると、金銭的にあまり余裕がないように見える。素人が多い。教団員がタダ働きしているのだろう。あるいは仕事のついでにやっている「ながら族」。かつてよく目にしたチンピラ風の人、ある特徴を持つ人たちは今は姿を現さない。また市外ナンバーも激減した。

そのためか、かつては地域ニュースに不思議なほど車両事故が多発したが、今は何もない。

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事故の増加

2013年11月21日 | 加害団体について
私は車両による嫌がらせをメインに受けているが、これだけ参加車両が多いと自然と近所迷惑や事故も増える。

この前などは朝食をとっているときにすぐ外でドンという音が聞こえた。急いで窓を開けると、どうやら横断中の自転車に当てたらしい。車の中から、どうやらそれらしい若者が二人出てきて、倒れた人を起こしていた。そしてそのまま交番に入っていった。

きっと「何かに」気を取られていたのだろう。

このように嫌がらせをする車両もいろいろ大変だ。

かつて、もう少しチンピラ風の加害参加者が多かったころ、地域のニュースで車両による事故が不思議なほど多発していた。私としては嫌がらせの車両増加と関連付けるのだが、それほどに車両は増える。被害者でなければ信じられないだろう。

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私を信じてくれた修道者

2013年11月20日 | キリスト教
私は周辺では、非常にゆっくりではあるが、この集団ストーカー、そして電磁波犯罪についての認知が進んでいると感じる。

カトリックのある修道者が私を信じてくれた。何かあったらいつでも電話をください、といってくださったが、私がいっこうに電話をしないので、向こうからたびたび電話を下さり、私の安否を尋ねてくださるようになった。

この方はインターネットも調べ、認識を深めてくださった。今までの人たちは、インターネットを調べても結局は信じず、このような情報に接した人々が、接したがために妄想状態になったのだと解釈した。

信じてもらえない状態が続いた私は、「なぜこの修道者は私を信じてくれたのだろうか」という問いが逆に生じる。この方の人間性と、人生の経験だろう。また信仰の理由もあると思う。私は自分を信じてくれた人々に感謝したい。

この方に私は、「私に関わることは危ないことですよ」と忠告した。被害が飛び火する可能性がある。ちょうど、私に被害が飛び火したように。

しかしこの方はさすが修道者、人生を神に捧げた人だ。「構わない」という。一緒に死にましょう、とさえ言ってくださった。

私のため、聴いてあげること以外に何もできない、と嘆いておられるこの修道者だが、私を信じて下ったこと、そして命をかけて関わってくださる覚悟があること、それだけで私には十分だ。

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加害者のために祈る

2013年11月15日 | キリスト教
「敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章)とキリストはお教えになる。

ありがたい教えだと思っている。教えられなければ、誰がそんなことできようか。

集団ストーカー、電磁波犯罪の加害者を愛することができるか。

感情として愛することは難しい。しかし愛の本質は感情ではなく意思だ。彼らにも幸あれと祈る、その程度ならできる。

もちろん、嫌がらせがうまくいくようにとは祈らない。犯罪に対してはそれなりの罰が必要だ。しかし一人の人間としての幸福のために祈る。

間違った認識のもと、正しいと信じて加害をおこなっている人も多かろう。正しいことのために一生懸命なのかもしれない。私も加害教団の家に生まれ育っていればそうなっていたかもしれない。バリ活だったかもしれない。

そう思えば、本当に人の運命とはわからない。たまたま「敵を愛せよ」と教えられた私が愛すればいい。わたしもことによると反対に祈られる立場だったかもしれない。どんな立場にある人も、助け合うことができればいい。

加害団体幹部のために祈れるか。彼らもそろそろ自らの行動がおかしいと思うようになっているかもしれない。しかし引き返せない。中には教団から給料をもらって生活している人もいる。家族の運命のかかっている。相当覚悟がいる。また造反者は見せしめにあうかもしれない。

彼らの目が覚めるように、そして、勇気をもって悪から離れるように祈ってもいい。また、責任ある人は告発、暴露の勇気も持つかもしれない。

加害に利用されている人の中で、社会で生きづらい人もいるだろう。たとえば在日の人々が関わっているのかどうか、私自身の被害からは何とも言えないが、もしそうだとするなら、加害に利用されることで、この社会での存在意義を得ているのかもしれない。

こういう人々がよき生活環境を得、住みやすい社会となるよう祈らねばならない。

このように考えてくると、敵のためにも祈れる時がある。つらいときは無理だ。腹が立っているときも無理だ。しかし祈れる時もある。

被害者たちが加害者のために祈る、これは困難なことだ。しかし困難であるがゆえに功徳も大きく、神の前に大いなる力となる。神はその功徳に応じて、大いなる力を発揮なさるだろう。

敵のための祈りは、この犯罪解決のための大きな力になると私は信じている。

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被害者のために祈る

2013年11月13日 | キリスト教
被害者のためにいつも祈っている。

今日も持ちこたえられますように。被害者のすべての敵に対して、神が敵となってくださいますように。あらゆる嫌がらせの工作に対して、その一つ一つを知っておられる神が、しらみつぶしにしてくださいますように。

今日も完全に被害者をお守りください。明日もお守りください。来週も来月も、ずっとお守りください。
私が祈りを忘れてしまうときも、あなたの守りはいつもありますように。

今日も彼らに忍耐と心の平和、そして希望をお与えください。

ミサにあずかり、司祭がパンとブドウ酒(十字架上で捧げられたイエスの体と血を表わす)を神にささげるとき、私も心の中で、すべての被害者の苦しみと闘いを神にささげる。

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