goo blog サービス終了のお知らせ 

小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。Amebaブログへ引っ越し中です。

善は勝つ

2020年04月29日 | 聖書
世の中が飲み込まれていっているな、と思います。善人も悪に加担しなければ生きていけないと思い諦めているのかもしれません。
「仕方ない」という言葉が加害加担者の中からしばしば漏れました。加担するほかなかった、というニュアンスに感じました。


善は最後に勝利する、と聖書は教えます。
「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」


世の終わりを比ゆ的に語った「ヨハネ黙示録」には、世の終わりに人々は獣を拝むようになる、と書かれています。獣、というのも比ゆ的に何かをさしています。
「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」(13:4)
そして拝もうとしないものを皆殺しにしたり、額と手に刻印を押し、それがなければ生活が困難になることを予言しています。(13章)

しかし神の裁き、サタンの敗北、天からの使者による勝利が描かれています。

解釈が難しい書ですが、善の最終的勝利、裁き、悪の敗北などについて描かれます。

「獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた」
(19:20-21)

善の勝利については聖書にはっきり書かれています。そしてそうなると信じます。

善が勝利するでしょう。

今後驚くべきことを私たちは見ることになるのではないでしょうか。

勝ち目がない、と思っていると戦う勇気も起こらず、ただ屈従するしかありません。しかし勝利の可能性があり、耐え忍ぶならば救われるというのならば、勇気を持つ事ができるでしょう。

勇気を持たなければなりません。人の苦しみや死の上に自分の家族の生活を成り立たせてはなりません。妻や子供たちを、他人の家族を迫害する側にしてはなりません。それは家族の幸せになりません。

神の存在、裁き、天国と地獄の存在、耐え忍ぶならば救われること、などを念頭に置き、自分と家族の生き方を模索する必要があります。

今後行くべき道を教えてくださるよう神に祈り、闘うことを勧めます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不滅の魂

2020年04月19日 | 聖書
聖書にイエスの言葉として次のような箇所があります。

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。・・・(略)。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方(神のこと)を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオン(500円くらい)で売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父(神)のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(マタイ10:26-31)

聖書は苦しみや試練のみならず、迫害や死についても語ります。

またこの世の生のみならず、この世を終えたあとに迎える第2の生(永遠の命、あるいは滅び)について語ります。

魂は不滅といいます。

被害者の心身を拷問し、殺すことのできる者たちも、不滅の魂は殺せません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死は最も恐れるものではなく

2013年10月28日 | 聖書
集団ストーカー、電磁波犯罪の被害者となるとどうしても「死」という文字がちらつくようになるのではないだろうか。この先どうなるのだろう、という不安がある。

不条理なことだが、しかし苦しみには意味があると私はおもう。苦しみには尊い価値があり、意味がある。不幸にしてターゲットになった人の事(もちろん私自身を含めて)を、わたしは神の目で考えたい。

聖書にこのような言葉がある。
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオン(日本円で400~500円くらい?とにかく安さを表わす)で売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父(神)のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(マタイ10章)

これは宣教に出かける弟子たちが遭遇するであろう苦難を見越してキリストが語られたものであるが、私たちにも応用できる。

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」

私たちの肉体の死のあとに第2の死がある。それが地獄だ。その反対は天国だ。私たちは肉体は滅んでも、生前の生き方にしたがって報いがある。苦しんだ人には安らぎの報いがある。肉体の死は永遠の自己の消滅ではなく、新たな命への門であるとキリスト教は信じる。

乞食のラザロと大金持ちが来世で神からこのように言われる。
「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。」(ルカ16章)
金持ちは門前に苦しむラザロに見向きもしなかった。

私たちの最終目標は永遠の命であり、それは神の命にあずかることだとキリストは教えておられる。この想像を超えた至福を信じて、多くの人が世の苦しみを乗り越えようとしている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自ら掘った穴に落ち込む

2012年07月26日 | 聖書
聖書の詩篇7に次のような句があります。

「彼は穴を掘って、それを深くし、おのれの作った穴に落ち込む。
 その害毒は、おのれのかしらに戻り、その暴虐は、おのれの脳天に下る。」

加害者はターゲットを陥れるために多くの手の込んだ穴を掘っています。ひとつの嘘を突き通すために他の嘘をつくり、嘘と不実の世界を作り上げます。

いつまで続くことでしょうか。

私も加害者の張り巡らす多くのわなを見ています。これは被害者にならなければ信じられないことでしょう。

一人の人を陥れるために作り上げられる、実に手の込んだ、そして多くの人や組織を巻き込んだ罠・・・。

しかしその多くが、加害者自身の罠になりはしないだろうかと、いぶかしく思いながら見ています。

加害者自身にとって危険だと思えることがけっこうあります。

いつまで続くことでしょうか? 

被害者も大変ですが、加害者も大変なことです。

「彼は穴を掘って、それを深くし、おのれの作った穴に落ち込む。」
これは神の教えです。そして神のやり方でもありましょう。

自分たちが掘った穴のために、逆に大変な事態になっているのではないか、あるいは今後なりうるのではないかと思えることがいろいろあります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敵を愛せよ、という教え

2012年06月06日 | 聖書
加害組織には

「脱会者を許すな」

「敵をノイローゼに追い込め」

「敵を自殺に追い込め」

という教えがあるそうです。


聖書には

「敵を愛せよ」

「あなたを迫害する人のために祈れ」(マタイ5章)

という教えがあります。


ありがたい教えだと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする