奴隷制度による人間奴隷化もあるが、精神的な意味での奴隷化もある。
お金の奴隷とか、快楽の奴隷とか、名誉心の奴隷とか、怒りやねたみに動かされてしまう感情の奴隷など、いろいろある。
「罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である」(ヨハネ8:34)
さて加害者たちもある意味で奴隷かもしれない。やりたくないのに加害をやらざるを得ない、そんな人が多く見受けられるように思う。私の被害仲間たちも同じように言っている。
どうなっているのだろう。
加害団体に所属し、加害が善であると信じてやっている人もいるだろう。
しかし所属してはいても善だとは思っていない人たちもいるだろう。所属はしていないがお金をもらっているので、やらざるを得ない人たちもいるだろう。弱みを握られてやらざるを得ない人たち、あるいはやらないと、被害者たちと同じ目に会わされると恐れている人たち・・・。いろいろな意味で奴隷だ。
○○○(教団名)会とはどんな団体か、と聞かれて、「仕返しをしたい人に仕返しができる団体」と答えた会員がいるとか。加害団体に仕返しを依頼してターゲットを追い詰めたとすれば、依頼した方も、依頼されて実行したほうも犯罪だ。依頼した人は「仕返しを依頼した」という弱みを加害団体によって握られる。犯罪の事実を握られるようなものだ。それによって加害団体の言うことを聞かざるを得なくなる。加害に参加せざるを得なくなる。これは一つの推測だ。
またある人は「盗聴してみたくないか、盗撮してみたくないか、誰もが知らないようなテクノロジーを利用してみたくないか」と持ちかけられるかもしれない。そんな話に乗ってしまえば、違法行為をしたことになり、そのように持ちかけた加害団体に弱みを握られることになる。こんな違法なテクノロジーを遣って嫌いな人をおとしめて愉快な気持ちになりたいという誘惑と戦わなければ、危ない。
「ちょっとしたことをして、小遣い稼ぎをしてみないか。絶対にばれないから」と話を持ち寄られるかもしれない。それに乗ってしまえば犯罪に加担することになる。どんなに小さな行為でも、ターゲットを追い詰める協力をしたならば違法であり、加害団体はそれをいいことに本人の弱みを握ることになる。加害組織はエサを撒きながら食いついてくる者たちの弱みを握る。
企業であれば、「不都合な社員を、証拠を残さないままにリストラに追い込みたくないか」とか「ライバル会社の社長を抹殺に追い込みたくないか」などと持ちかけられたりするかもしれない。そんなうまい話に乗ってしまえば、その会社は加害組織に弱みを握られることになり、加害への依頼を断れなくなってしまう。そして加害組織にいろいろ便宜を図らなければならなくなる。社員たちも参加せざるを得なくなる可能性もある。
こうやって弱みを握られた人々は、指示を受ければ加害をせざるを得ないということなのだろうか。
いやいややっているような人たちを見かけるので、「ならばやらなければいいではないか」と思うのだが、やらざるを得ない理由があるのだろうが、上記したようなことなのかもしれない。
あるいは、「やらなければ無間地獄に落ちる」という風に、教義的に脅されているのだろうか。
いずれにしても、望まない悪をせざるを得ない、指示されたとおりに動かざるを得ない、人を苦しめることだと知っていながら、自分に火の粉が飛んで来ないためにも加害せざるを得ない、自分の良心に反して行わざるを得ない・・・。このように加害組織に操られることになれば「人間の奴隷化」だ。加害団体はアメやムチを使い、その権力、金、数を頼みに人間たちを思い通りに操っている。私の町では加害に参加している人が驚くほど多い。大変なことが社会で進行していると感じる。
また彼らは監視されているのではないかとも思える。いやならさぼればいい。しかしさぼれないようになっているらしい。ちゃんと指示通り嫌がらせをし、被害者に対して余計なこと(たとえば被害者に有利な情報をしゃべるなど)をしないように、監視されているのだろう。人に監視されているのか、あるいはハイテクに監視されているのか知らないが。被害者たちが常時監視されているように、加害者たちも監視されているのかもしれない。そして指示通りにやっていなければ制裁を食らう。
相互監視だろうか。あるいは被害者が受けているような監視であれば、人とハイテクの両方だろう。現代では、スーパーコンピュータは70億人を管理できるだろうと思う。もとCIA職員スノーデンが暴露した情報によると、アメリカ安全保障局は世界中のすべての通信情報を盗聴可能とするシステムを作り上げた。私が誰かに携帯電話をかけたとすれば、それは瞬時に分かってしまう。インターネットでどんなサイトを見たかもすべて把握される。メールもだ。これは人間監視の始めだ。(参考:グレン・グリーンウォルド『暴露―スノーデンが私に託したファイル』(新潮社))
以下も私の想像。
指示したのに、加害登録者が指示通りに動いていない、とコンピューターがはじき出せば、制裁が始まる。例えば、ターゲットの位置に加害者が近づいていない、○○メートル以内に入ってきていない、それをコンピュータのGSP機能が両者の位置関係を自動的に計りながら、「この加害者はしばらく指示通りに動いていない」とはじき出す。そして指示通り動いていないと管理者側が把握していることを何らかのほのめかしで当人に知らせる。すると当人は自分は誰かに監視されているのではないかと怯える。
もちろん、単なる想像だ。これはSFの世界だ。しかし被害者たちはすでにSFの世界を体験している。そしてこのようなシステムは可能であると思うだろう。
あるいは加害者であるはずの人が嫌がらせの言葉を発していない、むしろ被害者に有利になるようなことを言った、とすればその音声をコンピュータがある程度はじき出す可能性もある。
今の世界はyahooやgoogleなどの検索機能で、世界中の情報の中から該当するものを瞬時にリストアップする。民間の技術でさえこのとおりだ。とすれば、世界中の音声をも検索することが可能だろう。
被害者たちが監視されているように、加害者たちも監視されているのではないだろうか。監視されていないのであれば、嫌がらせをサボればよい。
嫌そうに参加している加害者たちを見るとそう思ってしまう。
自分が監視されていることに気づいた加害者は、嫌気がさしたならばこれを暴露すればよい。しかし何らかの弱みを握られているとすれば、暴露しづらい。
このあたりは私の勝手な想像だ。どうして加害者たちの中には嫌そうなのに参加している人たちがいるのだろう。参加せざるを得ないシステムになっているのだろうか。弱みを握られているのだろうか、監視されているのだろうか、というあたりから、こんな推理に走った。
人間がコンピュータによって監視されることが可能だ。ある程度そうなってきている。管理も可能だ。またさまざまなアメと恐怖を利用しながら人間を操作することも可能だ。そして地上70億人すべての人がこの管理下に入ることが可能だ。人間が奴隷化されることが可能だ。ただ、信念のある人間が最後まで残るだろう。中途半端な信念では難しい。中途半端な信念ならば、さまざまな方法が駆使されて突き崩そうとされるだろう。しかし人間は試練によって強くもなれる。希望はまだまだある。いや希望はかなりある。私はそう信じる。神はこのような人間の奴隷化を憎んでおられる。
被害者たちの戦いは、単に自分たちのためだけの戦いではなく、このような望まない加害者たちを救うための戦いでもあるように思える。彼らを奴隷化から救い、真に自由に生きることができるようになるためにも頑張らなくてはならない。
加害団体の呪縛から逃げ出したくても逃げ出すことができない人たちは、「自分はもう罪を犯してしまった、大変なことの共犯者となってしまった、そしてその事実を闇の支配者に握られてしまった、もうこのまま進むしか道がない」という罪悪感と恐怖感に束縛されているのではないか。
罪の許しはある。人が心から悔い改めて改心するならば罪の許しは与えられる。もちろん社会的な制裁は受けなければならず、償いもしなければならない。しかし神の前に許しを受けることは出来、新たに歩み始めることはできる。許しへの希望を持たなければ救いはない。
また自分の罪の事実を闇の支配者に握られたとしても、闇の支配者もまた巨悪の事実をその人に知られたことになる。逆に巨悪を告発することもできる。しかしそれは恐ろしいことだ。はじめにそれをしようとする人たちは命が危ないし、とんでもない目にあう覚悟をしなければならない。後に続く人はまだその恐怖は小さい。
命をかけて告発するサムライはいないか。彼らが追いつめている被害者も、日々命をかけて戦っている。被害者たちのほうが勇者だ。こそこそ隠れて嫌がらせをする者たち、権力の陰に隠れてやる者たち、金や恐怖で動かされている者たち、彼らの中にサムライになる者はいないのか。多くの命が散ってこそ、変革がおこる。
「一粒の麦は死ななければ一粒のまま残る。しかし死ねば多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)
皆が皆サムライになることはできない。自分は弱くてとてもそんなことはできない、と思う人もいるだろう。しかしその人その人の戦いをすればよいと思う。加害団体を脱することのできない人は、加害団体に所属しながら、あるいはその支配下にありながらも自分にできる戦いがあるだろう。
命を失う恐れ、生活を失う恐れ、評判を失う恐れ、苦しみを与えられる恐れ、健康を失う恐れ、友人や知人を失う恐れ、いろいろな恐怖に人間は束縛され、脅される。それをうまく利用しながら加害組織は人を揺さぶり、操作する。
神により頼むしかないように思える。
お金の奴隷とか、快楽の奴隷とか、名誉心の奴隷とか、怒りやねたみに動かされてしまう感情の奴隷など、いろいろある。
「罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である」(ヨハネ8:34)
さて加害者たちもある意味で奴隷かもしれない。やりたくないのに加害をやらざるを得ない、そんな人が多く見受けられるように思う。私の被害仲間たちも同じように言っている。
どうなっているのだろう。
加害団体に所属し、加害が善であると信じてやっている人もいるだろう。
しかし所属してはいても善だとは思っていない人たちもいるだろう。所属はしていないがお金をもらっているので、やらざるを得ない人たちもいるだろう。弱みを握られてやらざるを得ない人たち、あるいはやらないと、被害者たちと同じ目に会わされると恐れている人たち・・・。いろいろな意味で奴隷だ。
○○○(教団名)会とはどんな団体か、と聞かれて、「仕返しをしたい人に仕返しができる団体」と答えた会員がいるとか。加害団体に仕返しを依頼してターゲットを追い詰めたとすれば、依頼した方も、依頼されて実行したほうも犯罪だ。依頼した人は「仕返しを依頼した」という弱みを加害団体によって握られる。犯罪の事実を握られるようなものだ。それによって加害団体の言うことを聞かざるを得なくなる。加害に参加せざるを得なくなる。これは一つの推測だ。
またある人は「盗聴してみたくないか、盗撮してみたくないか、誰もが知らないようなテクノロジーを利用してみたくないか」と持ちかけられるかもしれない。そんな話に乗ってしまえば、違法行為をしたことになり、そのように持ちかけた加害団体に弱みを握られることになる。こんな違法なテクノロジーを遣って嫌いな人をおとしめて愉快な気持ちになりたいという誘惑と戦わなければ、危ない。
「ちょっとしたことをして、小遣い稼ぎをしてみないか。絶対にばれないから」と話を持ち寄られるかもしれない。それに乗ってしまえば犯罪に加担することになる。どんなに小さな行為でも、ターゲットを追い詰める協力をしたならば違法であり、加害団体はそれをいいことに本人の弱みを握ることになる。加害組織はエサを撒きながら食いついてくる者たちの弱みを握る。
企業であれば、「不都合な社員を、証拠を残さないままにリストラに追い込みたくないか」とか「ライバル会社の社長を抹殺に追い込みたくないか」などと持ちかけられたりするかもしれない。そんなうまい話に乗ってしまえば、その会社は加害組織に弱みを握られることになり、加害への依頼を断れなくなってしまう。そして加害組織にいろいろ便宜を図らなければならなくなる。社員たちも参加せざるを得なくなる可能性もある。
こうやって弱みを握られた人々は、指示を受ければ加害をせざるを得ないということなのだろうか。
いやいややっているような人たちを見かけるので、「ならばやらなければいいではないか」と思うのだが、やらざるを得ない理由があるのだろうが、上記したようなことなのかもしれない。
あるいは、「やらなければ無間地獄に落ちる」という風に、教義的に脅されているのだろうか。
いずれにしても、望まない悪をせざるを得ない、指示されたとおりに動かざるを得ない、人を苦しめることだと知っていながら、自分に火の粉が飛んで来ないためにも加害せざるを得ない、自分の良心に反して行わざるを得ない・・・。このように加害組織に操られることになれば「人間の奴隷化」だ。加害団体はアメやムチを使い、その権力、金、数を頼みに人間たちを思い通りに操っている。私の町では加害に参加している人が驚くほど多い。大変なことが社会で進行していると感じる。
また彼らは監視されているのではないかとも思える。いやならさぼればいい。しかしさぼれないようになっているらしい。ちゃんと指示通り嫌がらせをし、被害者に対して余計なこと(たとえば被害者に有利な情報をしゃべるなど)をしないように、監視されているのだろう。人に監視されているのか、あるいはハイテクに監視されているのか知らないが。被害者たちが常時監視されているように、加害者たちも監視されているのかもしれない。そして指示通りにやっていなければ制裁を食らう。
相互監視だろうか。あるいは被害者が受けているような監視であれば、人とハイテクの両方だろう。現代では、スーパーコンピュータは70億人を管理できるだろうと思う。もとCIA職員スノーデンが暴露した情報によると、アメリカ安全保障局は世界中のすべての通信情報を盗聴可能とするシステムを作り上げた。私が誰かに携帯電話をかけたとすれば、それは瞬時に分かってしまう。インターネットでどんなサイトを見たかもすべて把握される。メールもだ。これは人間監視の始めだ。(参考:グレン・グリーンウォルド『暴露―スノーデンが私に託したファイル』(新潮社))
以下も私の想像。
指示したのに、加害登録者が指示通りに動いていない、とコンピューターがはじき出せば、制裁が始まる。例えば、ターゲットの位置に加害者が近づいていない、○○メートル以内に入ってきていない、それをコンピュータのGSP機能が両者の位置関係を自動的に計りながら、「この加害者はしばらく指示通りに動いていない」とはじき出す。そして指示通り動いていないと管理者側が把握していることを何らかのほのめかしで当人に知らせる。すると当人は自分は誰かに監視されているのではないかと怯える。
もちろん、単なる想像だ。これはSFの世界だ。しかし被害者たちはすでにSFの世界を体験している。そしてこのようなシステムは可能であると思うだろう。
あるいは加害者であるはずの人が嫌がらせの言葉を発していない、むしろ被害者に有利になるようなことを言った、とすればその音声をコンピュータがある程度はじき出す可能性もある。
今の世界はyahooやgoogleなどの検索機能で、世界中の情報の中から該当するものを瞬時にリストアップする。民間の技術でさえこのとおりだ。とすれば、世界中の音声をも検索することが可能だろう。
被害者たちが監視されているように、加害者たちも監視されているのではないだろうか。監視されていないのであれば、嫌がらせをサボればよい。
嫌そうに参加している加害者たちを見るとそう思ってしまう。
自分が監視されていることに気づいた加害者は、嫌気がさしたならばこれを暴露すればよい。しかし何らかの弱みを握られているとすれば、暴露しづらい。
このあたりは私の勝手な想像だ。どうして加害者たちの中には嫌そうなのに参加している人たちがいるのだろう。参加せざるを得ないシステムになっているのだろうか。弱みを握られているのだろうか、監視されているのだろうか、というあたりから、こんな推理に走った。
人間がコンピュータによって監視されることが可能だ。ある程度そうなってきている。管理も可能だ。またさまざまなアメと恐怖を利用しながら人間を操作することも可能だ。そして地上70億人すべての人がこの管理下に入ることが可能だ。人間が奴隷化されることが可能だ。ただ、信念のある人間が最後まで残るだろう。中途半端な信念では難しい。中途半端な信念ならば、さまざまな方法が駆使されて突き崩そうとされるだろう。しかし人間は試練によって強くもなれる。希望はまだまだある。いや希望はかなりある。私はそう信じる。神はこのような人間の奴隷化を憎んでおられる。
被害者たちの戦いは、単に自分たちのためだけの戦いではなく、このような望まない加害者たちを救うための戦いでもあるように思える。彼らを奴隷化から救い、真に自由に生きることができるようになるためにも頑張らなくてはならない。
加害団体の呪縛から逃げ出したくても逃げ出すことができない人たちは、「自分はもう罪を犯してしまった、大変なことの共犯者となってしまった、そしてその事実を闇の支配者に握られてしまった、もうこのまま進むしか道がない」という罪悪感と恐怖感に束縛されているのではないか。
罪の許しはある。人が心から悔い改めて改心するならば罪の許しは与えられる。もちろん社会的な制裁は受けなければならず、償いもしなければならない。しかし神の前に許しを受けることは出来、新たに歩み始めることはできる。許しへの希望を持たなければ救いはない。
また自分の罪の事実を闇の支配者に握られたとしても、闇の支配者もまた巨悪の事実をその人に知られたことになる。逆に巨悪を告発することもできる。しかしそれは恐ろしいことだ。はじめにそれをしようとする人たちは命が危ないし、とんでもない目にあう覚悟をしなければならない。後に続く人はまだその恐怖は小さい。
命をかけて告発するサムライはいないか。彼らが追いつめている被害者も、日々命をかけて戦っている。被害者たちのほうが勇者だ。こそこそ隠れて嫌がらせをする者たち、権力の陰に隠れてやる者たち、金や恐怖で動かされている者たち、彼らの中にサムライになる者はいないのか。多くの命が散ってこそ、変革がおこる。
「一粒の麦は死ななければ一粒のまま残る。しかし死ねば多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)
皆が皆サムライになることはできない。自分は弱くてとてもそんなことはできない、と思う人もいるだろう。しかしその人その人の戦いをすればよいと思う。加害団体を脱することのできない人は、加害団体に所属しながら、あるいはその支配下にありながらも自分にできる戦いがあるだろう。
命を失う恐れ、生活を失う恐れ、評判を失う恐れ、苦しみを与えられる恐れ、健康を失う恐れ、友人や知人を失う恐れ、いろいろな恐怖に人間は束縛され、脅される。それをうまく利用しながら加害組織は人を揺さぶり、操作する。
神により頼むしかないように思える。