小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。

人間の奴隷化

2015年04月29日 | 集団ストーカーについて
奴隷制度による人間奴隷化もあるが、精神的な意味での奴隷化もある。

お金の奴隷とか、快楽の奴隷とか、名誉心の奴隷とか、怒りやねたみに動かされてしまう感情の奴隷など、いろいろある。

「罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である」(ヨハネ8:34)

さて加害者たちもある意味で奴隷かもしれない。やりたくないのに加害をやらざるを得ない、そんな人が多く見受けられるように思う。私の被害仲間たちも同じように言っている。

どうなっているのだろう。

加害団体に所属し、加害が善であると信じてやっている人もいるだろう。

しかし所属してはいても善だとは思っていない人たちもいるだろう。所属はしていないがお金をもらっているので、やらざるを得ない人たちもいるだろう。弱みを握られてやらざるを得ない人たち、あるいはやらないと、被害者たちと同じ目に会わされると恐れている人たち・・・。いろいろな意味で奴隷だ。

○○○(教団名)会とはどんな団体か、と聞かれて、「仕返しをしたい人に仕返しができる団体」と答えた会員がいるとか。加害団体に仕返しを依頼してターゲットを追い詰めたとすれば、依頼した方も、依頼されて実行したほうも犯罪だ。依頼した人は「仕返しを依頼した」という弱みを加害団体によって握られる。犯罪の事実を握られるようなものだ。それによって加害団体の言うことを聞かざるを得なくなる。加害に参加せざるを得なくなる。これは一つの推測だ。

またある人は「盗聴してみたくないか、盗撮してみたくないか、誰もが知らないようなテクノロジーを利用してみたくないか」と持ちかけられるかもしれない。そんな話に乗ってしまえば、違法行為をしたことになり、そのように持ちかけた加害団体に弱みを握られることになる。こんな違法なテクノロジーを遣って嫌いな人をおとしめて愉快な気持ちになりたいという誘惑と戦わなければ、危ない。

「ちょっとしたことをして、小遣い稼ぎをしてみないか。絶対にばれないから」と話を持ち寄られるかもしれない。それに乗ってしまえば犯罪に加担することになる。どんなに小さな行為でも、ターゲットを追い詰める協力をしたならば違法であり、加害団体はそれをいいことに本人の弱みを握ることになる。加害組織はエサを撒きながら食いついてくる者たちの弱みを握る。

企業であれば、「不都合な社員を、証拠を残さないままにリストラに追い込みたくないか」とか「ライバル会社の社長を抹殺に追い込みたくないか」などと持ちかけられたりするかもしれない。そんなうまい話に乗ってしまえば、その会社は加害組織に弱みを握られることになり、加害への依頼を断れなくなってしまう。そして加害組織にいろいろ便宜を図らなければならなくなる。社員たちも参加せざるを得なくなる可能性もある。

こうやって弱みを握られた人々は、指示を受ければ加害をせざるを得ないということなのだろうか。

いやいややっているような人たちを見かけるので、「ならばやらなければいいではないか」と思うのだが、やらざるを得ない理由があるのだろうが、上記したようなことなのかもしれない。

あるいは、「やらなければ無間地獄に落ちる」という風に、教義的に脅されているのだろうか。

いずれにしても、望まない悪をせざるを得ない、指示されたとおりに動かざるを得ない、人を苦しめることだと知っていながら、自分に火の粉が飛んで来ないためにも加害せざるを得ない、自分の良心に反して行わざるを得ない・・・。このように加害組織に操られることになれば「人間の奴隷化」だ。加害団体はアメやムチを使い、その権力、金、数を頼みに人間たちを思い通りに操っている。私の町では加害に参加している人が驚くほど多い。大変なことが社会で進行していると感じる。

また彼らは監視されているのではないかとも思える。いやならさぼればいい。しかしさぼれないようになっているらしい。ちゃんと指示通り嫌がらせをし、被害者に対して余計なこと(たとえば被害者に有利な情報をしゃべるなど)をしないように、監視されているのだろう。人に監視されているのか、あるいはハイテクに監視されているのか知らないが。被害者たちが常時監視されているように、加害者たちも監視されているのかもしれない。そして指示通りにやっていなければ制裁を食らう。

相互監視だろうか。あるいは被害者が受けているような監視であれば、人とハイテクの両方だろう。現代では、スーパーコンピュータは70億人を管理できるだろうと思う。もとCIA職員スノーデンが暴露した情報によると、アメリカ安全保障局は世界中のすべての通信情報を盗聴可能とするシステムを作り上げた。私が誰かに携帯電話をかけたとすれば、それは瞬時に分かってしまう。インターネットでどんなサイトを見たかもすべて把握される。メールもだ。これは人間監視の始めだ。(参考:グレン・グリーンウォルド『暴露―スノーデンが私に託したファイル』(新潮社))

以下も私の想像。

指示したのに、加害登録者が指示通りに動いていない、とコンピューターがはじき出せば、制裁が始まる。例えば、ターゲットの位置に加害者が近づいていない、○○メートル以内に入ってきていない、それをコンピュータのGSP機能が両者の位置関係を自動的に計りながら、「この加害者はしばらく指示通りに動いていない」とはじき出す。そして指示通り動いていないと管理者側が把握していることを何らかのほのめかしで当人に知らせる。すると当人は自分は誰かに監視されているのではないかと怯える。

もちろん、単なる想像だ。これはSFの世界だ。しかし被害者たちはすでにSFの世界を体験している。そしてこのようなシステムは可能であると思うだろう。

あるいは加害者であるはずの人が嫌がらせの言葉を発していない、むしろ被害者に有利になるようなことを言った、とすればその音声をコンピュータがある程度はじき出す可能性もある。

今の世界はyahooやgoogleなどの検索機能で、世界中の情報の中から該当するものを瞬時にリストアップする。民間の技術でさえこのとおりだ。とすれば、世界中の音声をも検索することが可能だろう。

被害者たちが監視されているように、加害者たちも監視されているのではないだろうか。監視されていないのであれば、嫌がらせをサボればよい。

嫌そうに参加している加害者たちを見るとそう思ってしまう。

自分が監視されていることに気づいた加害者は、嫌気がさしたならばこれを暴露すればよい。しかし何らかの弱みを握られているとすれば、暴露しづらい。

このあたりは私の勝手な想像だ。どうして加害者たちの中には嫌そうなのに参加している人たちがいるのだろう。参加せざるを得ないシステムになっているのだろうか。弱みを握られているのだろうか、監視されているのだろうか、というあたりから、こんな推理に走った。

人間がコンピュータによって監視されることが可能だ。ある程度そうなってきている。管理も可能だ。またさまざまなアメと恐怖を利用しながら人間を操作することも可能だ。そして地上70億人すべての人がこの管理下に入ることが可能だ。人間が奴隷化されることが可能だ。ただ、信念のある人間が最後まで残るだろう。中途半端な信念では難しい。中途半端な信念ならば、さまざまな方法が駆使されて突き崩そうとされるだろう。しかし人間は試練によって強くもなれる。希望はまだまだある。いや希望はかなりある。私はそう信じる。神はこのような人間の奴隷化を憎んでおられる。

被害者たちの戦いは、単に自分たちのためだけの戦いではなく、このような望まない加害者たちを救うための戦いでもあるように思える。彼らを奴隷化から救い、真に自由に生きることができるようになるためにも頑張らなくてはならない。

加害団体の呪縛から逃げ出したくても逃げ出すことができない人たちは、「自分はもう罪を犯してしまった、大変なことの共犯者となってしまった、そしてその事実を闇の支配者に握られてしまった、もうこのまま進むしか道がない」という罪悪感と恐怖感に束縛されているのではないか。

罪の許しはある。人が心から悔い改めて改心するならば罪の許しは与えられる。もちろん社会的な制裁は受けなければならず、償いもしなければならない。しかし神の前に許しを受けることは出来、新たに歩み始めることはできる。許しへの希望を持たなければ救いはない。

また自分の罪の事実を闇の支配者に握られたとしても、闇の支配者もまた巨悪の事実をその人に知られたことになる。逆に巨悪を告発することもできる。しかしそれは恐ろしいことだ。はじめにそれをしようとする人たちは命が危ないし、とんでもない目にあう覚悟をしなければならない。後に続く人はまだその恐怖は小さい。

命をかけて告発するサムライはいないか。彼らが追いつめている被害者も、日々命をかけて戦っている。被害者たちのほうが勇者だ。こそこそ隠れて嫌がらせをする者たち、権力の陰に隠れてやる者たち、金や恐怖で動かされている者たち、彼らの中にサムライになる者はいないのか。多くの命が散ってこそ、変革がおこる。

「一粒の麦は死ななければ一粒のまま残る。しかし死ねば多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)

皆が皆サムライになることはできない。自分は弱くてとてもそんなことはできない、と思う人もいるだろう。しかしその人その人の戦いをすればよいと思う。加害団体を脱することのできない人は、加害団体に所属しながら、あるいはその支配下にありながらも自分にできる戦いがあるだろう。

命を失う恐れ、生活を失う恐れ、評判を失う恐れ、苦しみを与えられる恐れ、健康を失う恐れ、友人や知人を失う恐れ、いろいろな恐怖に人間は束縛され、脅される。それをうまく利用しながら加害組織は人を揺さぶり、操作する。

神により頼むしかないように思える。

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逃げ腰な車たち

2015年04月22日 | 私への嫌がらせ
かつては私の前をさえぎるように立ち止まる車が多かった。

ところが最近は逃げ腰に見える。私の前で止まるのを避けているように見える。私が近づく前に、車たちは去って行ってしまう。というのも、私がこれらの車に三色旗テープを貼るようになったからだ。(三色旗とは、某宗教団体の旗)

三色テープは教団系の店に売っている。あるいはネットで売っている。また三色リボンも使う。これらを国旗型に切って車のボディーに「ペタッ」と貼り付けるのだ。

三色旗を貼り付けられたまま路上を走ったり、信号で止まっているのを見られる車は恥ずかしい。後ろに止まる車も加害団体の車だったりすると、前の車に三色旗が貼られているのを見て笑うか恐れるかするだろう。

ある車は、私の歩く進路を妨害しながら、携帯電話で話しながら私のほうをあざ笑って見ていた。私は車の後ろを通りながら、国旗状に切り取ったの三色旗リボンをガラスのど真ん中に貼り付けた。その後、このあざ笑うおじさんはどうなっただろう。

このように三色旗ぺったんを続けるようになると、いつしか車たちは私の前で立ち止まることが少なくなってきた。さっと逃げるように去る。

ある車は私の前を通りながら、国道に入ろうとしていた。しかし国道が混んでいて、入り込むことができず、私の前で立ち往生した。すると運転手はあきらめたようにがっくりと肩を落とし、「ああだめだ、やられる」といった表情をした。期待通り貼ってやった。

あるとき、黒い車とその後ろに商業用軽トラックが2台続いた。そして黒い車は私のすぐそばの路肩にわざとらしく急停車した。2台の軽トラックは少し間を開けてその後ろに止まった。私は黒い車の後ろに回りこみ、三色旗ぺったんをした。後ろの車に見られていることにはリスクも伴うが、私はあえて貼った。するとすぐに黒い車の運転手が出てきて車の後ろに回った。そして続く2台の運転手も出てきて、何事だと言わんばかりに三色旗のところに集まった。そして私が三色旗を貼った事を問題視しているようだった。

私は振り返りながらこの光景を見てニヤニヤ笑った。私を呼び止めて問責するか。しかし小さな三色旗ごときで騒ぐほどのことではない。粘着力も弱めているので、はがそうと思えばすぐにはがせるし、ボディーに傷も損害も粘着のりの跡も与えない。それに、とんでもないものを貼ったのならともかく、きれいな小さな三色旗を貼ったのだ。大人が三人も寄ってたかって喧々諤々するような問題でもない。「何だこれ」と言ってはがせばすむことだ。

しかし嫌がらせに命をかけている教団員にとっては、これはただ事ではないのだろう。

三色旗テープを車のボディーに貼ってもらえるとは、彼らにとっては誇りのはずではないのか。「私は他人様から三色旗を貼っていただいた。何と嬉しいことか」と思わないのだろうか。しかしこの三色旗のもとに悪事を働いている人々にとっては憤懣やるかたないことなのだ。自業自得だ。私は彼らに喜んでもらえるはずのことをしているのだが、彼らは怒っている。

2台が後ろに続くことも三色旗ぺったん対策だったのだろうが、むしろ彼らは馬鹿を見たのだ。私に対してさほど脅しの効果もなく、却って笑われてしまった。

その後、私の前を行くのが危ないと見た加害者の車たちは、私の後ろを通ったり、私が通り過ぎてからエンジンをかけたりした。私は用事を思い出した振りをして後戻りし、エンジンをかけた車に近づいて後ろをさわった。今度は三色旗を貼ったのではなく、貼ったふりをした。すると運転手の年配女性は運転席を降りて後ろに回り、私がさわったあたりを心配そうに眺め、三色旗を探した。しかし私は貼ってない。ふりをしただけだ。わたしは振り返ってこの女性の行動を見ながら心の中で大いに笑った。

この滑稽な一連の光景を、まわりの加害者の車たちは見ていた。どう思っただろう。

三色旗リボンやテープは小さなものだ。これを車のボディーにタイミングよく貼るのは実は難しい。下準備がいるし、練習が必要だ。しかし効果は小さくないようだ。

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福を招く被害者たち

2015年04月16日 | 集団ストーカーについて
被害者がいるとその周囲や近所の人も騒音や迷惑に巻き込まれる。

しかし時々福をもたらしているようにも見える。

工事が増える。被害者の近所ではガス、水道、下水、電気が整備され、道路が良くなる。公園がきれいになる。大変良いことだ。

パトカーの出現が増える。巡回が増えるならば、地域の人たちは上安心だ。

近所の店や大型スーパーでは常に嫌がらせ屋さんたちが待機している。スーパーに客が増える。

被害者が人気の少ない店に入れば、続々と嫌がらせの客が入ってくる。客を引き寄せる招き猫のようだ。

嫌がらせの車が増える。ガソリン屋が潤う。

嫌がらせタクシーが増える。収入が厳しいといわれるタクシードライバーにとっては使ってもらえるのでありがたい。

日本では生きづらい人々が嫌がらせを依頼され、参加することで居場所を見つけることができる。

ニートや心に問題を抱える人々が使命感を持ち、自分の存在意義を感じられる場が与えられる。

被害者たちは、多くの人たちが救われるためのスケープゴートのような役割をしているのかもしれない。福を招いている。これを福と言ってよいのかどうか分からないが。

冗談のような話だが、そういうこともあるような気がする。

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共産党はむしろ味方

2015年04月16日 | 集団ストーカーについて
私の嫌がらせには共産党の広報車両も参加することがある。しかし共産党は集団ストーカー被害者にとってはむしろ味方のはずだと思う。

加害者たちは、被害者に親しい人や味方である人・グループがあたかも加害に参加していると被害者に思わせるような工作をする。共産党はむしろ私たちに味方してくれる可能性のほうが強い。

なぜ加害に参加しているように見えるのか。いろいろからくりを考えた方が良い。

私の知人には何人かの共産党員がいる。その中のある人が言っていたのは、○○○(教団名)会の若者たちで最近共産党活動に参加する人が多い、ということだ。公明党にだんだん失望してきた、ということらしい。理想を掲げ、邁進している共産党に希望を見出しているのかもしれない。それならそれでよいことだ。

しかし意地の悪い見方をすると、共産党に紛れ込んでいる○○○(教団名)会員が多い、というふうにも言える。この人々が広報車の動きをうまく利用するのだろう。

集団ストーカーの被害者たちに関わってくれる組織が仮にあるとすれば、わたしは3つの団体の可能性を考える。共産党、プロテスタント教会、カトリック教会。仏教系はよく分からない。

この団体に共通するのは、利害を度外視して理念や信念を追求すること、人権侵害を受けている人のために闘う人が多いということ、死をかけても闘うこと。この3つの中でも共産党の可能性が大きいように思える。

共産党は地道な活動をしている。若く理想に燃える純粋な人も多い。貧しい人や苦しむ人と本気で関わっている。

また共産党は公明党と敵対している。かつて公明党が共産党幹部の盗聴をして問題となった。町会・自治会、商店会、老人会、PTAの三役クラスなどに入り込むという、○○○(教団名)会が推進している「地域友好」運動は怪しいと指摘したのも、共産党広報誌「しんぶん赤旗」だ。

私は始めて集団ストーカーの被害者の相談を受けたとき、共産党市議の事務所に相談に行ったことがある。秘書の方が聞いてくれた。全面的に信じてくれたわけではなかったが。しかしこういった訴えが共産党事務所や関連施設に多く寄せられると面白い気がする。特に、若い共産党員のミーティングなどでこの話題を投げかけると乗ってくる可能性があるような気がしている。

共産党がもしその理念を保持しているならば、集団ストーカーに参加するはずがない。



(後日注:中国やロシア、旧東ドイツのように共産党が権力化しているところでは違うかもしれません)

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今のうちに記録をとっておく

2015年04月08日 | 集団ストーカー対策
この犯罪は全国のある一箇所ででも崩れると、つまり警察の捜査が入ったり、第3者が関わり始めると加害組織にとって危険となると思われる。だから全国の一箇所ででも危うくなれば、全国でいっせいに加害が止む可能性がある。そして彼らは手を引き、雲隠れし、しっぽを出さなくなる可能性がある。そうなると調べも難しい。

今のうちに加害者たちの記録を取っておいたほうがよい。

現代は科学技術が進んだので、顔写真がわかっただけで、人物をかなりの確率で特定することができる。また音声レコーダーを取っただけでも、声紋から人物をかなり特定することができる。こんな記録だけでも役に立つだろう。車のナンバーが取れれば、簡単だ。

記録を取るときは気をつけなければならないときがある。とりわけ写真や動画を取るときは注意が必要だ。

その点、パトカー、消防車、救急車、自衛隊車両、ヘリコプターなどは撮りやすい。文句を言う人がいない。カメラやビデオを向けても注意を受けることはないだろう。何か言われても「特殊車両のマニアだ」などと答えれば良い。

記録機器には日時が自動的に記録されるから、これら特殊車両のナンバープレートが取れれば、使用していた人物を特定することができる。車内の人物の映像が取れればなお良い。発している異様な雰囲気を取れることもある。また彼らがよくやるポーズを取ることもできる。それが加害者かどうかを断定することはできなくても、被害者から見て怪しさがあれば十分だ。記録すればよい。

一般人がやる加害と違って、国民を守るべきこのような業種にある人々が、国民を追い詰めるような犯罪に加担しているとなると背任行為でありスキャンダルだ。

通常過激思想を持つ人々はこういった公務に就くことができない。共産党員なども難しい。○○○(教団名)会は公にはされていないが公安では過激思想として認識している。かつて警官採用の業務に当たっていた人の親戚から聞いた話だが、アンケートの、愛読している新聞の項目に「聖教新聞」と書いている人がいたら不採用にしていた、ということだ。

だからそういった障害をうまく潜り抜けての採用かもしれない。愛読新聞欄に「聖教新聞」と書かないように指導が徹底しているのかもしれない。与党が公明党である現在はどうなっているか知らない。

それゆえ警官、消防員、自衛隊の中にいる加害者たちは、自分たちが加害団体に属していることを知られたり、そういったことをほのめかす記録を取られたりすることを警戒している。

カメラやビデオを向けやすいこういった人々の記録を取っていったほうがよい。この人々は許されないことをしている。

いずれ一切加害をやめて証拠が残らないようにするときがくるかもしれないのだから、今がチャンスかもしれない。

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