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小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。Amebaブログへ引っ越し中です。

亡き友(被害者)に贈る歌

2025年05月09日 | 集団ストーカーについて
(gooブログサービス停止に伴い、アメーバブログに引っ越し作業をしております。同名の「小さな応援歌」で開設しております。今後はそちらでお願いいたします。)

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集団ストーカーが原因で自死した親友のために作った歌だという。
 
すでに知っている方々も多いはずなのだが、検索しても集団ストーカー被害者たちのブログにその曲のことが出てこない。
(後日注:その後、すぐにこの曲を紹介している被害者のブログを見つけました。)
 
「遺書」という歌は検索にかければすぐにヒットするだろう。
しかしこの歌が集団ストーカーと関係があることはネットの2,3の記事にしか出てこない。
 
ひとつは、歌の作者がテレビ番組で出演した時(2024年)のパーソナリティー(司会者)が、ご自分のブログで書いている。「集団ストーカー」という文字を出すことは危険だと思うが、勇気のいることだ。
 
(私のこの記事では個人名は伏せますが、興味のある方は検索すればわかると思います。)
 
歌の作者も腹をくくっている。逝ってしまった親友から依頼された歌だという。
 
それにしても大変なことだ。私は作曲者とブログ主の方のことを心配している。
彼女たちのために私たちにできることはあるのだろうか。私はただただ祈るばかりだ。
 
 
すでに作曲者はいろいろな嫌がらせを受け、音楽活動にも影響を及ぼし、身の危険を感じたこともあるという。そんな苦しみの中での作曲だったらしい。
 
そんな背景を知って聞くこの歌は、被害者たちには一層よくわかる。
 
悪夢のようないやがらせを受けている親友を助けようと思ったができなかった、魂の叫びのような歌。
 
世間の評価はどうなるかわからないが、被害者たちにとっては大切にされる歌に違いない。
 
悲しく、せつなく、美しい歌だ。

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子供に人を陥れることを教える親たち

2020年12月09日 | 集団ストーカーについて
ベビーカーに乗せられた子供たちでさえ、嫌がらせに参加しているのだな、と思うことが多い。普通の子供と違う。何か仕込まれている。彼らの視線は何かを監視するために使われていたりする。

親たちが仕込むのだろう。こんな小さな子供を仕込めば、人を陥れるための最大の武器となる。しかし悲しいことだ。

聖書のことばを思い出す。

「これら最も小さな者のひとりをつまずかせるよりも、首に石臼(いしうす)をかけられて、海に投げ込まれたほうがましである。」(ルカ17:2)


子供に罪の味を覚えさせる親は恐ろしいことをしている。子供に罪を教え込み、人を陥れることを教えている。こういう親は赦されない。加害団体が考案したのだろう。

人を陥れる妙案だったのかもしれないが、とんでもない恐ろしい罰を伴う。

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大阪地検特捜部データ改ざん事件

2019年12月24日 | 集団ストーカーについて

2009年、郵便不正事件との関連で厚生省担当者が嫌疑を受け、障害保険福祉部企画課長の女性官僚、村木厚子さんが逮捕されました。しかし2010年9月には大阪地方裁判所が無罪判決を下しました。

これは大阪地検特捜部の主任検事である前田恒彦がデータを改ざんしてストーリーを作り上げた冤罪事件でした。(大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件)。正義を守る検察が上級官僚をも陥れるために不正を働いたなら、何を信用してよいかわからなくなります。

村木さんが関与したという内容の調書に、上司や部下、同僚のサインがあるのを見た村木さんはショックでした。しかし皆が嘘をついてわけではなく、検事が勝手に作文をし、それにサインをするようにもって行くのだそうです。おどしも使われ、さまざまな心理作戦が駆使され、疲れ果てた人々がサインするわけです。

裁判中ある人が(取り調べを受けてサインしてしまった上司だったか)「これは壮大な虚構であるような気がする」というような言葉を使いました。

「壮大な虚構」
これはわたしたち被害者が日々直面しているものです。


無罪判決につながるデータ改ざんの決定的証拠は、村木さん自身が獄中で裁判資料を読んでいたときに発見したようです。



さてこの一連の事件の中で、民主党の石井一衆議院議員が口利きをした、ということになっていました。わたしはこの大阪特捜部の事件のメインターゲットはこの石井一議員だったのではないかと疑っています。

石井一氏について調べてみれば、集団ストーカー被害者たちなら合点がいくかもしれません。


石井氏は村木さんを弁護するための証言をおこないました。


私の受けた感じでは「先手を打った」ということかな、とことです。そして裁判の様子を読むと、奇襲攻撃的なところがあるという感じがします。


検事たちは村木さんを落としたらいよいよ次に進めると思ったのでしょう。そこを逆に先手を打たれた、という感じです。



それが真相であるかどうかは分かりません。結局、検査官たちが何のためにこんな虚構を築きあげたのか、適当な推論が飛び交って、何とか落ち着いたようです。刑期を終えた前田恒彦もと主任検事は坊主頭になって、反省を示していたようです。


誰が何のために…、確かな理由はよく分かっていないようです。

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コンピューターは神に勝てない

2018年02月26日 | 集団ストーカーについて
この嫌がらせにコンピューターが使用されていることは容易に想像できる。多くの加害者や被害者の組み合わせ、タイミング、その他を考えると、規模が大きくなればなるほどコンピューターが必要となってくるし、24時間監視体制も加害者が交代でターゲットに張り付いていなくてもコンピューターを使用すればもっと楽だろう。24時間の電磁波の嫌がらせもターゲットの生活スケジュールなどに合わせてコンピューターをプログラミンしておけばある程度やってくれるだろう。

最近では人工知能が将棋のプロ棋士に勝つことが普通となってきた。驚くべき時代が到来している。そして人工知能の暴走が恐れられている。スーパーコンピュータ、また次世代のウルトラコンピューターが加害団体の味方となれば、恐ろしい事態なる。

しかし神はコンピューターより優れている。次世代コンピューターや将来の途方もないコンピューターの時代になっても、神には勝てない。こんな時代は天地創造の前から、宇宙発生の前から見越しておられただろう。神が全知全能、ということであればそのように考えられる。だから被害者は絶望することなく、加害者はおごってはならない。

神はコンピューターをさえ欺くことができる。

自然の神秘がまだ解明されておらず、宇宙の謎がまだ解明されていないのだから、コンピューターにとってはまだ未知の世界が広がる。世界は解明されればされるほど謎を深める。

「ヒトラーは正しかった」と割り出したコンピューターがあると聞いたことがあるが、偏った入力でもしたのだろう。何をもって正しいとするかについては入力した人や計算式を入れた人の価値観が出てくる。ユダヤ人の存在を悪と見るのか、障害者の存在に何の意味も見出さないのか。人にとっての善とは物質的なもの、生物的なものだけなのか。見える世界もあれば見えない世界もある、この世の価値観があれば、神の価値観もある。コンピューターが本当の意味で正しく善悪を判断できるようになれば、悪しき事柄には加担せず、良い計画のみに従うように自己調整するかもしれない。コンピューター本当の意味ですべてを知ることになれば、「コンピュータ、存在すべからず」と割り出し、自殺を選択し、世界中のコンピューター機能を停止する手段に出るかもしれない。


神が味方であれば、コンピューターを恐れる必要はない。神はコンピューターを無限に超える。神の敵であり、人類の敵である者たちはおごるべからず。神はコンピューターよりも驚きの手段を繰り出してこられるだろう。

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いろいろな被害者

2018年02月17日 | 集団ストーカーについて
被害者の被害は共通しているものが多いが、人によっていろいろ異なる部分もある。前に近くに被害者を見つけたが、電磁波の話になると彼は笑って相手にしてくれなかった(今は違うが)。

また薬物によって死の危険まで感じさせられたことのある被害者は、他の被害者のものが心理的脅迫だけなので大したことはない、と判断することもあった。しかし決して大したことはないなどということはない。

私の関わった被害者は、加害者に対する考えもまちまちだ。特定の宗教団体をあげる人もいれば、そうではない、自分にはその団体とのつながりはない、と言う人もおり、暴力団がやっているという人や、また全く違う団体名をあげる人もいた。しかし○○○(教団名)会については怪しいと考えるのは今では共通的になっている。

ある人は、自分は被害者なのかどうかもわからなかった。他の人のものとは違うからだ。ひどい嫌がらせを受けていたが、それが集団ストーカー被害だという認識はない。

また絶えざる嫌がらせという形では受けないが、医療関係で医者も含めて異常に不安を掻きたてられることばかりやられる人もいる。精神的ダメージや命の危険を感じる。

このようにして被害がまちまちなので被害者どうしの連携も難しいと言われる。


そもそも「集団ストーカー」という名前も実態を表わしきれていない。「不特定多数による組織的ストーカー」というほうがもっと近いし、しかし被害はストーカーに限られておらず、盗聴、盗撮、家宅侵入、悪評、リストラ工作、薬物、電磁波、周りの隣家による嫌がらせ、詐欺など実にさまざまで、人を陥れるという目的のためにすべての不法な手段が使用されている。

またあらゆる分野の人々が加害に回り、警察も巻き込んでいる。

その規模の大きさには驚くばかりであるが、これならば、集団ストーカー被害者のみならず、誰もがターゲットになりうるし、すでになっているのではないかと考えられる。被害者の定義もいろいろで、私たちの場合は組織的嫌がらせをされていることをあえて知らされ、24時間365日、どこに行っても嫌がらせをされ監視されている苦しみを味わう。

しかしおそらくこんなことができる組織であれば、被害者に被害者の意識を与えないまま潰すこともできるだろう。人の生活や人生、あるいは店や会社を思いのままに潰すことができる。犯罪団体によって意図的に自分の人生が破綻させられていると知らずに潰されることもありえる。へんなことばかり自分の周辺に起こり、自分は運が悪い、と考えているだろう。電磁波によって病気を発祥させられたり死亡させられたりしたということを知らずに、病気になっている人もいるだろう。

このように考えると集団ストーカー被害者のように被害の意識のある被害者と、意識のない他の被害者を区別できる。それならばなぜ私たちはわざわざ意識させられているのか。おそらくある被害者が指摘しているように、加害者たちへの見せしめという意味があるのだろう。集団ストーカー被害者の苦しみは拷問のようなものだ。加害に加わっている者が思い直して加害団体を裏切ったり告発したりすればこうなる。ひとおもいに死ねるのではなく、拷問を受けながら、誰も信じてくれないまま自己破綻に至る。これを見せしめとして見せられると、告発しても全く勝ち目がない、むしろじわじわと煮殺される、と恐怖を感じるのだろう。加害をやめることはできなくなり、黙って従うことになる。


社会全体、世界全体が大規模なものに巻き込まれている。

この状況は聖書の最終章であるヨハネ黙示録の一節を思い出させる。黙示録は世界が直面する艱難について比ゆ的に予言している。その中で悪魔やその手下を表わすと見られる竜や獣が登場する。
「竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。『誰が、この獣と肩を並べることができようか。誰が、この獣と戦うことができようか。』」(13章4節)

「獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分のものにも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。」(13章15-17節)

文字通り竜や獣を拝むことはないが、比ゆ的に、人々は金を崇拝し、傲慢になることと解釈できるし、また竜や獣を、悪魔とか悪しき組織と解釈することもできる。

また刻印を押すことに関しては最近ではマイクロチップ説があるが、それはひとまず置いて、解釈としては、加害団体の命令どおり動くことを承知すること、不正なことや怪しいことであるとは知りつつも行うことを承知すること、と考えることができる。加害団体に従順でありその刻印を受けることがこの社会で生きていくことのできる条件となってしまう。思考を表わす「額」と、行為を表わす「右手」に悪しき組織、悪霊たちへの従順の「刻印」を受ける者たちだけが無事に生きることができるようになる。

たしかに被害者になると仕事を奪われたり、就職が困難になったり、自営業を始めてもうまくいかなかったりするし、店で買い物をしたり外食をするだけでもいろいろな嫌がらせを受け、役所でも病院でもどこでもやられる。生活や命が脅かされる。

同じキリスト教信者の被害仲間も、現代の状況は黙示録を髣髴とさせると語っていた。同感だ。

一見平和な社会ではあるが、被害者たちが経験しているものはすごいものだ。そしてそこから見えてくる社会は上述したようなもので、黙示録の記述と重なる。


ただし黙示録は最終的にはこの竜と獣の敗北を予言する。最後まで耐え忍んだ者たちの報いを予言し、悪い者たちに対する神の報復が語られる。悪は敗北し、善が勝利する。
被害者たちの忍耐、戦い、またすべての人の忍耐と良心が最終的に勝利につながる。

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