加害者たちの嫌がらせ工作は時々失敗する。
あるとき、公園で大勢の若者があるポーズを取ってじっとしていたらしい。かなり長い時間やっていたのだろう。「すんごい異様な光景だった」と同じ敷地に住むSさんが語っていた。Sさんは散歩がてらそばを通りがかって目にしたのだった。
彼らはそのままいつ来るかわからない私を待っていたのだろうか。私はよくその公園を散歩するから。
私が通りかかったのはかなり後だったらしい。おそらく異様に思った近所の人か警察に通報したらしかった。私が通りかかったときは警察の尋問の最中だった。私が「やつらだな」と思ってわざと自転車のスピードを落として、尋問されている彼らの横をゆっくりと眺めながら通ると、若者たちの後ろのほうから「おいおい」と私をけん制する声が聞こえた。
また帰りに同じ場所を通ると、そうとう時間がたっていたのに彼らはまだ同じ場所にいた。私が彼らを眺めると、「最低」という声が彼らの中から聞こえた。彼らを眺めている私のことを最低と言っているのではなく、自分たちが手間と労力をかけた嫌がらせがこんな形で終わってしまったことに対して言っているようだった。「最低」の結果だったのだろう。
すると後日、私の周りで、警官が誰かを尋問するというストリートシアターが何度か続いた。そして、公園での一軒は、このストリートシアターの一環で、あれはその最初だった、と言いたげだった。若者たちの異様な光景を見せてびっくりさせようという工作が失敗し、警察に尋問されている光景を私に見られてしまったので、あれは「『警察に尋問される光景』を私に見せつけて不快感を与える」というストリートシアターだったのだ、というわけだ。
なかなか奥の深い、というか手の込んだ、というか往生際の悪いというか…。
しかし私はSさんから若者たちのことを後で知らされたから、彼らが工作に失敗したということを知ることになった。
警察の尋問というストリートシアターの一つは、後日、私の住んでいる敷地内でおこなわれた。前の道でパトカーが偽被疑者を呼び止め、敷地内に移動してそこで尋問の続きをやるというものだった。私たちの敷地に入り込んでやっていた。
私は後にそこを通りかかる予定だった。それを知っての上での工作なのだろう。ところが面白いことに、私がそこに出向くより前に、私を訪ねてきた知人Aさんが敷地内で起こっていることを私に知らせてくれた。もちろんAさんは嫌がらせのことなど知らない。
私がその場所を通りかかったときにはすでにその状況を知っていたから驚くこともなかった。そして私が通りかかるまで一時間近くもその尋問しながら私を待っていたことが分かったので、大変な労力だということも分かった。
またいつもの私なら、嫌がらせさんたちがまたへまをしたのかと思って、「それ見てやれ」とばかりに近づいて観察するのだが、その日は気が進まず、ちらりと見たまま通り過ぎた。後でそこを通りかかったSさんは、尋問場面に近づこうとすると警官から睨みつけられた、と文句を言っていた。もしかしたら私も同じように睨みつけられるところだったのだろう。
敷地内で物々しい尋問をおこなって驚かせ、近づこうとすると警官が睨みつける、という予定だったのだろうが、私はさらりとかわしてしまった。そして被害者は通常たまたま自分が嫌がらせ工作をかわしても、かわしたこと自体に気づかず、いったい私に対するどんな工作が失敗したのかも知らずに終わるものだが、今回はAさんとSさんという偶然の報告者によって私は事情を把握し、加害者がどんなに手の込んだ工作をしくんで失敗したのかを知ることになった。
ときどき神はこのように、加害者側の失敗を教えてくださる。私は加害の大変さを知る。そして私がそれをうまくすり抜けたことを知る。神がこの工作をかわすために上手に導いてくださったことを感謝する。
あるとき、公園で大勢の若者があるポーズを取ってじっとしていたらしい。かなり長い時間やっていたのだろう。「すんごい異様な光景だった」と同じ敷地に住むSさんが語っていた。Sさんは散歩がてらそばを通りがかって目にしたのだった。
彼らはそのままいつ来るかわからない私を待っていたのだろうか。私はよくその公園を散歩するから。
私が通りかかったのはかなり後だったらしい。おそらく異様に思った近所の人か警察に通報したらしかった。私が通りかかったときは警察の尋問の最中だった。私が「やつらだな」と思ってわざと自転車のスピードを落として、尋問されている彼らの横をゆっくりと眺めながら通ると、若者たちの後ろのほうから「おいおい」と私をけん制する声が聞こえた。
また帰りに同じ場所を通ると、そうとう時間がたっていたのに彼らはまだ同じ場所にいた。私が彼らを眺めると、「最低」という声が彼らの中から聞こえた。彼らを眺めている私のことを最低と言っているのではなく、自分たちが手間と労力をかけた嫌がらせがこんな形で終わってしまったことに対して言っているようだった。「最低」の結果だったのだろう。
すると後日、私の周りで、警官が誰かを尋問するというストリートシアターが何度か続いた。そして、公園での一軒は、このストリートシアターの一環で、あれはその最初だった、と言いたげだった。若者たちの異様な光景を見せてびっくりさせようという工作が失敗し、警察に尋問されている光景を私に見られてしまったので、あれは「『警察に尋問される光景』を私に見せつけて不快感を与える」というストリートシアターだったのだ、というわけだ。
なかなか奥の深い、というか手の込んだ、というか往生際の悪いというか…。
しかし私はSさんから若者たちのことを後で知らされたから、彼らが工作に失敗したということを知ることになった。
警察の尋問というストリートシアターの一つは、後日、私の住んでいる敷地内でおこなわれた。前の道でパトカーが偽被疑者を呼び止め、敷地内に移動してそこで尋問の続きをやるというものだった。私たちの敷地に入り込んでやっていた。
私は後にそこを通りかかる予定だった。それを知っての上での工作なのだろう。ところが面白いことに、私がそこに出向くより前に、私を訪ねてきた知人Aさんが敷地内で起こっていることを私に知らせてくれた。もちろんAさんは嫌がらせのことなど知らない。
私がその場所を通りかかったときにはすでにその状況を知っていたから驚くこともなかった。そして私が通りかかるまで一時間近くもその尋問しながら私を待っていたことが分かったので、大変な労力だということも分かった。
またいつもの私なら、嫌がらせさんたちがまたへまをしたのかと思って、「それ見てやれ」とばかりに近づいて観察するのだが、その日は気が進まず、ちらりと見たまま通り過ぎた。後でそこを通りかかったSさんは、尋問場面に近づこうとすると警官から睨みつけられた、と文句を言っていた。もしかしたら私も同じように睨みつけられるところだったのだろう。
敷地内で物々しい尋問をおこなって驚かせ、近づこうとすると警官が睨みつける、という予定だったのだろうが、私はさらりとかわしてしまった。そして被害者は通常たまたま自分が嫌がらせ工作をかわしても、かわしたこと自体に気づかず、いったい私に対するどんな工作が失敗したのかも知らずに終わるものだが、今回はAさんとSさんという偶然の報告者によって私は事情を把握し、加害者がどんなに手の込んだ工作をしくんで失敗したのかを知ることになった。
ときどき神はこのように、加害者側の失敗を教えてくださる。私は加害の大変さを知る。そして私がそれをうまくすり抜けたことを知る。神がこの工作をかわすために上手に導いてくださったことを感謝する。