小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。

神罰

2015年07月23日 | 加害者への勧告
加害者はそれぞれの行った悪事に応じて神罰を受けることになるだろう。これは天地の道理だ。

人間や社会の目を欺いても、天を欺くことはできない。神はすべてをご存知だ。逃れることはできない。

加害者たちが自殺に追い込んできた多くの人々の魂が叫んでいる。

この世は過ぎ去る。そして各自が神の前に立たなければならないときが来る。審判だ。各自は自分の行いの善に応じて、あるいは悪に応じて報いを受ける。死後の苦しみは永遠だ。永遠の苦しみを受けるよりはこの世で被害者となったほうがまだ良い。

「体は殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10章)

神罰は死後に受けるのみならず、必要な場合にはこの世で受けるだろう。すでに悪行の現証が現れている人々は悟るべきだ。悪行から離れなければ神罰がやむことはない。

「信心が足りないからだ。もっと一生懸命活動すれば直る」と言われているものたち、はたしてそうだろうか。悪を悔い改め、善を行い、正しい者になることこそ神罰から逃れる道ではないか。カルト集団に洗脳されて、一生懸命人の破滅のために働くならば神罰は重くなるのではなかろうか。


死後の私審判のあとにくる公審判では神の前にすべての人が集められ、すべての人の前で善悪が明らかとなる。

隠れて善を行った人は多くの人の前で誉れを受ける。隠れて悪を行った人は、すべての人の前でそれが明らかにされ、恥辱のうちに破滅の宣告を受ける。生前、周りの人に善人面(づら)を見せていても、審判の時には、彼がどれほど忌まわしいことをしていたのかが、親戚、友人、知人にまで明らかにされる。

神の審判は公平だ。神を信じているのならば、隠れてさえ悪いことをしないものだ。

悪行を行っていながら、それを正しいと信じ込んでいる者たち、それが間違いであることを気付くチャンスは何度も与えられる。悪しき現証が現れたならば静かに考えたらよい。

神罰も仏罰も、それを受けた者が思い直して悪から離れるならばそれこそ神意、仏意というものだ。しかしそれをないがしろにしてこの世を去るなら、永遠の滅びの宣告を覚悟しなければならない。

また親の悪行が子に行ってしまったらどうする。子がその報いの影響を受けてしまったら目も当てられない。子供がかわいくないだろうか。

おのおのの個人のみならず、今、加害団体に神罰が下されようとしている気がする。どうだろうか。

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洗脳を解くのは難しい

2015年07月01日 | 加害団体について
洗脳された人を、その洗脳から解くのはきわめて難しい。周りが思うほど簡単ではない。

まず自分が洗脳されているとは思っていない。あなたこそ、世の中に洗脳されているのだ、と彼らは私たちに対して思う。もしかしたらそうかも知れない、と私は思う。洗脳を広い意味でとらえると、一般人も世の中の風潮に洗脳されてゆく。

それはともかく、彼らは自分が真理を悟った、と思っている。ある意味でそうかも知れない。一般人が知らないような宗教的真理を悟り、目が開け、新しい見方で世の中を見ている。だから、この教えから私を引き離し、世間に戻そうとする親や専門家が来ても、「帰るものか」と必死で抵抗する。

彼らは確かに何らかのすばらしいことを知ったのだと思う。親や学校や世間が与えてくれなかったものを、この教団は与えてくれた。彼らは喜びに満たされ、生きる希望を持つようになった。

カルトは間違いばかりを説いているのではない。99%の真実と1%の虚偽を教える。99%に魅了された人々が1%をも信じ込む。こんなすばらしいことを説く教祖が間違っているはずがない、と思い込む。

ひとつの洗脳の実例はヒトラーだ。ドイツ国民はヒトラーに洗脳されていた、と今でこそ歴史は教えるが、当時は全くそうではなかった。ヒトラーは英雄だった。第一次世界大戦に負けて壊滅的な打撃を受けていたドイツ国民はヒトラーによって勇気付けられ、希望と誇りを与えられ、復興への道筋を示された。

多くの知識人を初め、若者たちがヒトラーに心酔し、熱狂した。彼の政策は次々に成功した。この当時、誰も自分たちが洗脳されているなどと思ってはいなかったが、良心の鋭い人々は、どうもうさん臭い、と感じていた。

ヒトラーはだいたいは法的に進めていたが、親衛隊を組織して、暴力的に敵を追い詰めていった。ユダヤ人への憎悪をあおり、迫害を始めた。恐るべきアウシュビッツなどの強制収容所をこしらえた。もちろんヒトラーに反対する人々はいたが、みんな牢獄行きだ。しかし大半のドイツ人たちはヒトラーを支持した。支持することによって、ユダヤ人迫害やアウシュビッツを彼らが支えた。

知識人でも洗脳される。自分たちは賢い、と思わないほうが良い。また洗脳する者は実は大変魅力的な人物だ。言っていることはすばらしいし人間的にも魅力がある。「彼しかいない」と多くの人が思う。彼自身も大衆を洗脳しているとは思っていないだろう。すばらしいドイツを作ろうとしていたに違いない。悪魔はそんなに優れた人でも簡単に利用してしまう。大衆的洗脳、高度な洗脳だった。誰も気付かない。

しかし身の毛もよだつことが進行していた。何百万人ものユダヤ人が虐殺され、その映像は世界を驚かせた。悪魔の所業以外の何ものでもない、そう納得させる。

崩壊してやっと分かった。洗脳されていたことが。

日本も同じだ。天皇のためといって、731部隊のような残虐な人体実験が、あたかも善であるかのように考えられていた。大東亜共栄圏、つまり、アジア全体で繁栄しよう、という合言葉に踊らされて、日本人は聖戦を闘っているのだと思い込んでいた。大半の日本人たちは良い意向でやっていただろう。しかし現実は違った。侵略戦争だった。そしてアジア人の人権などなかった。それを見抜けなかった。

多くの人たちは良い人だったと思う。気高い理想を持っていたので、自分たちはアジア人のために大変善いことをしていると信じていた。

仏国土を作る、という合言葉のもとでさまざまな違法行為、犯罪行為、残虐行為が正当化されている。それに加担している人々は善意でやっていると思っている。自分たちは今すばらしいことを実現しようとしていると信じている。そして身の毛もよだつようなおぞましいことが進行している。

気がつくのは大変難しい。崩壊しなければわらかないものだ。そして熱狂が冷めて、自分たちがやってきたことはどんなことだったのか、どんな結果をもたらしているのかを客観的に眺めたときに、やっと気付く。

この記事を読んでもダメだろう。「自分たちは違う、それとは違う、とにかく法華経のすばらしさ、先生のすばらしさを分かって欲しい、そうすればあなたの考え方も変わる」と思うだけだ。この種の記事を読むことも禁止されるだろう。

ナチスや日本帝国のように、国民全体が巻き込まれる高度な洗脳というものがある。みんな、すばらしいこと、理想高きこと、と思ってやっている。99%の真理と1%の虚偽。

カルトは実はいくらかの善を持っている。ある意味で一般人が持っていないような善を。だからこそ、そこから引き離すことは難しく、説得することは難しい。

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