YOUTUBEに戸田城聖の肉声の講話がいくつかあげられているので見てみた。正直言って、あまり宗教者という感じではなかった。頭はよく、話は面白いようだったが。
中には品のない話もあったが、皆が戸田についていくのは、きっと牧口常三郎とともに逮捕され、他の人々が教えを捨てていったのに最後まで退転しなかったからだろう。
youtubeを見て驚いたのは『人間革命』を執筆したときに、「牢に入るまではでたらめを書いている」と語ったことだ。(映画『人間革命』は池田の著作だが、はじめの戸田の部分は戸田自身の著作に由来するものらしい)
皆はさほど気に留めていなかった。おそらく問題にならない程度のことだろう、と思ったのだろう。
(youtubeで、「戸田城聖 人間革命」などで検索してみる。)
しかし私が前々項「映画『人間革命』をみて疑問に思ったこと」で記事を書いたときに心に思い浮かんだが、それ以上言ってはいけないだろう、と思って書かなかったことが、ここでつながったように思った。
「でたらめを書いた」と言っているのだから、ここに推測を入れることも許されよう。
前々項では、牢屋に入りながらもさほど打ち叩かれなかった戸田をうらやましく感じたことを書いた。あの戦時中に刑務所でこんな待遇を聞いたことがなかったからだ。
赤紙が来ることもなく、ある意味で当時の日本男児にとっては最も安全なところだったかもしれない。
理系の人は兵隊にとられないことがあったという。もっと大事な仕事があるからだ。窃盗や狼藉を働いて入所した人は、むしろ罰として激戦地へ送り込むこともできる。しかし宗教や共産党などの思想犯は戦地に送れば敵と通じたり、味方の士気をくじいたりして伝染病のような存在だから刑務所にとどめるのだろう。
「でたらめ」と書いていたところの私の一つの仮説は「戸田は牧口をけしかけて刑務所に入るように仕向けた」というもの。
まじめな先生の門下に入り、「先生、日蓮宗は軍部に屈して真理を曲げてもよいのですか。」等々迫る。「私は先生についてきたのです。白黒をはっきり示してください。今の日蓮宗の妥協的な態度でよいのでしょうか」「必要とあらば私は先生とともに刑務所までついてゆきます。」「師弟不二です。」
最後の「師弟不二です」は映画『人間革命』の場面に出てきた。
入牢しても戸田には打ち叩かれたり拷問されない計算があったのかもしれない。
このような仮説は教団員からすればとんでもないものであり、冒涜だろう。
しかし前々項で書いたように、取調官に対する戸田の答弁には牧口先生を危険にさらす十分な要素がある。わかっていたはずだと思う。
この教団から苦しめられているという人々の訴えを私はこれまでいろいろ聞いてきた。それらを調べ、信じがたい様々な嫌がらせを知ると、以上の戸田に対する私の仮説は、現代のそれらと似た要素を持っているので決して不自然な仮説ではないという考えに達する。
映画『人間革命』を見た後、いくつかの疑問点や不自然な点が浮かび上がり、それらの点と点を結び付けていると、一つのストーリーが浮かび上がってしまった。
前々項では一部は書いてもそれ以上は書く勇気がなかったが、YOUTUBEを見て背中を押されたような気がし、この「でたらめ」と戸田が言う部分について仮説を書いた。
集団ストーカー被害者としてこれくらい書かせてもらってもいいはずだ。
中には品のない話もあったが、皆が戸田についていくのは、きっと牧口常三郎とともに逮捕され、他の人々が教えを捨てていったのに最後まで退転しなかったからだろう。
youtubeを見て驚いたのは『人間革命』を執筆したときに、「牢に入るまではでたらめを書いている」と語ったことだ。(映画『人間革命』は池田の著作だが、はじめの戸田の部分は戸田自身の著作に由来するものらしい)
皆はさほど気に留めていなかった。おそらく問題にならない程度のことだろう、と思ったのだろう。
(youtubeで、「戸田城聖 人間革命」などで検索してみる。)
しかし私が前々項「映画『人間革命』をみて疑問に思ったこと」で記事を書いたときに心に思い浮かんだが、それ以上言ってはいけないだろう、と思って書かなかったことが、ここでつながったように思った。
「でたらめを書いた」と言っているのだから、ここに推測を入れることも許されよう。
前々項では、牢屋に入りながらもさほど打ち叩かれなかった戸田をうらやましく感じたことを書いた。あの戦時中に刑務所でこんな待遇を聞いたことがなかったからだ。
赤紙が来ることもなく、ある意味で当時の日本男児にとっては最も安全なところだったかもしれない。
理系の人は兵隊にとられないことがあったという。もっと大事な仕事があるからだ。窃盗や狼藉を働いて入所した人は、むしろ罰として激戦地へ送り込むこともできる。しかし宗教や共産党などの思想犯は戦地に送れば敵と通じたり、味方の士気をくじいたりして伝染病のような存在だから刑務所にとどめるのだろう。
「でたらめ」と書いていたところの私の一つの仮説は「戸田は牧口をけしかけて刑務所に入るように仕向けた」というもの。
まじめな先生の門下に入り、「先生、日蓮宗は軍部に屈して真理を曲げてもよいのですか。」等々迫る。「私は先生についてきたのです。白黒をはっきり示してください。今の日蓮宗の妥協的な態度でよいのでしょうか」「必要とあらば私は先生とともに刑務所までついてゆきます。」「師弟不二です。」
最後の「師弟不二です」は映画『人間革命』の場面に出てきた。
入牢しても戸田には打ち叩かれたり拷問されない計算があったのかもしれない。
このような仮説は教団員からすればとんでもないものであり、冒涜だろう。
しかし前々項で書いたように、取調官に対する戸田の答弁には牧口先生を危険にさらす十分な要素がある。わかっていたはずだと思う。
この教団から苦しめられているという人々の訴えを私はこれまでいろいろ聞いてきた。それらを調べ、信じがたい様々な嫌がらせを知ると、以上の戸田に対する私の仮説は、現代のそれらと似た要素を持っているので決して不自然な仮説ではないという考えに達する。
映画『人間革命』を見た後、いくつかの疑問点や不自然な点が浮かび上がり、それらの点と点を結び付けていると、一つのストーリーが浮かび上がってしまった。
前々項では一部は書いてもそれ以上は書く勇気がなかったが、YOUTUBEを見て背中を押されたような気がし、この「でたらめ」と戸田が言う部分について仮説を書いた。
集団ストーカー被害者としてこれくらい書かせてもらってもいいはずだ。