小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。

YOUTUBEで戸田城聖の肉声を聞いて

2021年01月29日 | 加害団体について
YOUTUBEに戸田城聖の肉声の講話がいくつかあげられているので見てみた。正直言って、あまり宗教者という感じではなかった。頭はよく、話は面白いようだったが。

中には品のない話もあったが、皆が戸田についていくのは、きっと牧口常三郎とともに逮捕され、他の人々が教えを捨てていったのに最後まで退転しなかったからだろう。

youtubeを見て驚いたのは『人間革命』を執筆したときに、「牢に入るまではでたらめを書いている」と語ったことだ。(映画『人間革命』は池田の著作だが、はじめの戸田の部分は戸田自身の著作に由来するものらしい)
皆はさほど気に留めていなかった。おそらく問題にならない程度のことだろう、と思ったのだろう。

(youtubeで、「戸田城聖 人間革命」などで検索してみる。)


しかし私が前々項「映画『人間革命』をみて疑問に思ったこと」で記事を書いたときに心に思い浮かんだが、それ以上言ってはいけないだろう、と思って書かなかったことが、ここでつながったように思った。

「でたらめを書いた」と言っているのだから、ここに推測を入れることも許されよう。

前々項では、牢屋に入りながらもさほど打ち叩かれなかった戸田をうらやましく感じたことを書いた。あの戦時中に刑務所でこんな待遇を聞いたことがなかったからだ。

赤紙が来ることもなく、ある意味で当時の日本男児にとっては最も安全なところだったかもしれない。

理系の人は兵隊にとられないことがあったという。もっと大事な仕事があるからだ。窃盗や狼藉を働いて入所した人は、むしろ罰として激戦地へ送り込むこともできる。しかし宗教や共産党などの思想犯は戦地に送れば敵と通じたり、味方の士気をくじいたりして伝染病のような存在だから刑務所にとどめるのだろう。

「でたらめ」と書いていたところの私の一つの仮説は「戸田は牧口をけしかけて刑務所に入るように仕向けた」というもの。
まじめな先生の門下に入り、「先生、日蓮宗は軍部に屈して真理を曲げてもよいのですか。」等々迫る。「私は先生についてきたのです。白黒をはっきり示してください。今の日蓮宗の妥協的な態度でよいのでしょうか」「必要とあらば私は先生とともに刑務所までついてゆきます。」「師弟不二です。」

最後の「師弟不二です」は映画『人間革命』の場面に出てきた。

入牢しても戸田には打ち叩かれたり拷問されない計算があったのかもしれない。

このような仮説は教団員からすればとんでもないものであり、冒涜だろう。
しかし前々項で書いたように、取調官に対する戸田の答弁には牧口先生を危険にさらす十分な要素がある。わかっていたはずだと思う。

この教団から苦しめられているという人々の訴えを私はこれまでいろいろ聞いてきた。それらを調べ、信じがたい様々な嫌がらせを知ると、以上の戸田に対する私の仮説は、現代のそれらと似た要素を持っているので決して不自然な仮説ではないという考えに達する。




映画『人間革命』を見た後、いくつかの疑問点や不自然な点が浮かび上がり、それらの点と点を結び付けていると、一つのストーリーが浮かび上がってしまった。

前々項では一部は書いてもそれ以上は書く勇気がなかったが、YOUTUBEを見て背中を押されたような気がし、この「でたらめ」と戸田が言う部分について仮説を書いた。

集団ストーカー被害者としてこれくらい書かせてもらってもいいはずだ。



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映画『人間革命』を観て―地獄はない?

2021年01月17日 | 加害団体について
かつて、この教団では地獄を信じていない、という話を聞いたことがあったが、この映画を見てよくわかった。映画を見た後、「地獄はないのだ」という印象を強く持つ。

戸田城聖は繰り返し「君たちは地獄などあると思っているのか」と言っていた。
そして法華経の十界論を用いて、地獄とは人間の心理的状態を10に分けた中の最下層の悪い状態であると説く。地獄とは人間の心の状態であって、死後の地獄など存在しない、という内容。

そして昔から天国地獄が説かれてきたのは、仏法をよく分かっていない者たちだというニュアンスで語られる。


また、「仏」とは、私の生命のことだ、と説く。これは戸田城聖が刑務所に居たときに受けた大きな悟りであると描かれる。


地獄とは自己の内面にある、仏とは自己の生命である。そのどちらもそれなりの真理をついているのであろう。しかし間接的に地獄という実体は存在しない、仏という実体は存在しない、と言っているようだった。


これらを見たときに、この教団がネットやさまざまな本で暴露されているような違法行為や不法行為を平気でなす理由の一端が理解できたように思う。


悪事を行う人は神仏の目が気になる。また、地獄の教えは、人が悪事をおこなうことをためらう重要な綱となってきた。しかし『人間革命』ではこの両方の綱を切っている。


そして仏性を具現するのは人間だ、最高度に仏性を具現している人こそ現代の仏だ、という論理に結びついてゆく。この生きた現代の仏性の具現者を離れて、別の仏が天におられるわけではない、という風に皆が思うようになるだろう。


明確に断言していない所もあるが、この映画を見た人が自然にそう思う。

例えば「地獄などない」とは言わない。「君は地獄などあると思っているのか」という。また「既存の宗教はね・・・」という言葉などを入れて、地獄という存在が軽蔑的に語られる。

地獄はない、と断言すれば他の仏教からいろいろ批判されるだろう。この書では断言はしていない。また著者の考えというわけではなく戸田先生の考えということなので、著者は非難されない。


地獄や仏の実体が主体に移行、転換される。地獄や仏などという実体はなく、それは人間の心という主体性に移される。

現代であればそれはある意味有意義な読み方であり、宗教を現代に生き抜くものとして捉えているとも言える。

しかし問題は、主体への移行と同時に、実体を暗に否定し、明確に否定しなくても、見た人が否定感を持つようになっている。


この主体への移行を可能にするのに理論的支柱として用いられているのが「十界論」。人間の心を10に分けて説明する。

正直言ってここが一番退屈だった。十界を大まかに見るのではなく、一つ一つ説明するものだから退屈だった。見た人は同じ感想を持つのではないか。


しかし十界論を使っても地獄の否定の論証にはならない。戸田の否定の仕方は、十界論を使って地獄を主体の内部のことであると位置づけること、地獄の存在に対する軽蔑的語りを繰り返すことにあるようだ。だから、「君は地獄があると信じているのかね」と言われても、「信じている」と言い出せない雰囲気が作られている。論証されているというより、刷り込まれている感もある。


法華経と言えば、長者窮子の例えとか、如来寿量品の久遠実成とかいろいろと読み所があるのに、中心的なところに十界論をもってきているところは戸田の発想のようだ(あるいは『人間革命』の著者の発想か)。この十界をいちいち説明するので不自然に長くなっており、退屈感はそこから来ている。


「仏とはわたしの命のことなんだ」と、感動のうちに戸田は語る。そしてそれが刑務所における大いなる悟りの内容だとされる。

しかし私にはなぜそれが大きな悟りになったのか理解できない。なぜならば、すべての人の心に仏性がある(悉有仏性)という教えは教外者である私も、これが仏教の基本的教えであると知っているからだ。

しかし映画を見る者は、戸田が刑務所内で悟った大いなる内容が、この「仏とはわたしの命」云々であるから、すごい教えなんだろうと考える。そのような悟りがあったかどうか確かめるすべはないが、教えの権威付けにはなっている。


さて、地獄の否定に日蓮の著作(どこからの引用か分からないが)が使われていた。しかし日蓮の代表的な著作のひとつである『開目抄』では、日蓮がはっきりと地獄の存在を認めていたことが分かる(第20段など)。



以上、『人間革命』の教義的な面で心に留まったことを書いてきたが、まずは「主体性への移行」だった。そして主体を離れて地獄や仏があるわけではないとつながってゆく。その理論的支柱として使われていたのが「十界論」。また戸田の獄内での大いなる悟りの場面が、これらの教えが真実であるといっそう印象付けてくれる。

映画の続編では、第3代会長へのみなの期待が高まっていくような内容だった。著者は本人であるが。

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映画『人間革命』をみて疑問に思ったこと

2021年01月12日 | 加害団体について
年末にテレビで映画『人間革命』を見ました。これは集団ストーカー被害者たちが、その加害団体だと考えている組織の創設期に関わる歴史です。続編も見ました。
それなりに興味深く、ところどころ退屈で、この教団の歴史、あるいは歴史として教えられていることが大まかに分かりました。

後で思い起こすといくつかの点で不自然だったり、疑問に感じることも出てきました。

まず、あの戦時期にありながら、刑務所にとらわれている人(戸田)と取調官との関係が悪くないということでした。

キリスト教でもとらわれた人が少なからずおりますが、刑務所は大変過酷です。厳しい尋問、拷問、獄死・・・。

戦争で男手が欲しい中で、囚われる人々はよほどの人々です。国体を揺るがすような思想犯には厳しかったでしょう。

そんな中で、戸田城聖が取り調べ官に軽くたしなめられる程度であったり、理論的なことで説教を受けたり、反対に戸田のほうからも取調官をたしなめたり挑発したりする場面がありました。両者の関係が悪くない、と印象付けられます。

囚人があの時代に、こんなに取調官からやさしくされるなど見たことも聞いたこともありませんでしたので、意外なことでした。

正直言って「いいな」といううらやましい気持ちを抱きました。

入牢は1943年7月から1945年7月だったようです。
日本の戦況も思わしくなく、男手が必要なときで、いつ赤紙が来て召集されるか分かりません。
戦地に行けば過酷な現実が待っており、生きて帰ってこられないかもしれません。

どこを見ても過酷な中に、刑務所内で赤紙が来ることもなく、厳しい尋問を受けるでもなく過ごせたことを羨む心が、恥ずかしながら私の心に生じてしまいました。


そして次に「なぜ?」という疑問が生じます。

その解答は『人間革命』の中にあるように見えました。

戸田城聖は取り調べ官に「牧口先生が転宗したら自分も転宗する」と言いました。そして「牧口先生が転宗することなどない」と付け加えます。こんなことを言ったら、牧口常三郎に対する尋問がさらに厳しくなるのではないでしょうか。

取調官が戸田城聖に対し厳しくなかったのは、この態度を貫いたからかもしれません。思想や宗教のことは良くわからない、神札問題などについては牧口先生がそう教えたから信じている。自分は信条からというより、「師弟不二」でここにいる。だから牧口先生が転宗すれば自分も転宗して良い。

こういう思想であれば、積極的に国体、天皇制に触れる危険思想犯ではなくなります。実はどちらでも良い、ただ師弟不二として先生に従う。

刑務所の自室には日蓮上人全集が置かれていましたが、係りには「こんな堅いものはいらないから小説をもってきてくれ」と小説を所望します。

看守たちは、戸田城聖はあまり宗教に熱心であるわけではないと思ったかもしれません。

取調官と戸田城聖の関係が穏やか見えたのは、そんな理由だったかもしれません。


しかし戸田城聖が牧口先生の名前を口にすればするほど、そして師弟不二を口にすればするほど、牧口先生の立場が危うくなるとは思わなかったのでしょうか。牧口先生への尋問がいっそう厳しくなり心身疲労しないでしょうか。

「先生はお年だからお手柔らかに」と取調官に言ったとしても、「先生が転宗するなどということはありえない」と言えば、取調官の心に火がつくでしょう。

戸田城聖と取調官との間の約束は「牧口が転宗すれば戸田も転宗する」ということになっていたようです。

牧口常三郎が獄死したとき、取調官は戸田に「僕との約束を守ってくれるね」と言って、出獄になったと『人間革命』には描かれていました。


戦争の最も過酷な時期に兵士として招集されることもなく、刑務所で恐ろしい尋問を受けることもなく過ごせた理由は、戸田城聖が何度もおこなわれる尋問の中でぶれることなく「師弟不二」が主要因であることを貫いたからなのかもしれない、という考えが起こりました。

あるいは仏様の特別なご加護があった、ということなのでしょうか。


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