誰しも病気にはなりたくなくて健康で過ごしたいと思っています。ただ歳を重ねると視力が低下する、腰が痛いなど体のあちこちが若い頃とは違って衰えているのも自覚します。個々あるいは年齢によっても『健康』の状態は変化しています。今回は、『健康』について考えてみます。
ひと昔前は、『健康』といえば、快食、快眠、快便という答えもよく聞いた気がします。しかし現在、世界保健機構(WHO)では、「健康とは、病気ではないとか、弱っていないとかではなく、肉体的にも、精神的にも、社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」と定義されています。すなわち、体も心も社会関係も満たされていると実感できる状態で、体だけあるいは客観的な指標があるのではなく、生きていくうえで必要な要素すべて含んだ主観的なものです。
三石巌氏は、著書の中で、「健康レベル」という表現を使っています。毎日、健康で過ごしていると感じていても、昨晩よく寝れなかったとか、今日は上司に怒られてへこんだとか、日によって微妙に体調は変化します。これを「健康レベル」として評価し、健康管理とはこの「健康レベル」を維持ないしさらに上げていく努力ととらえます。そのための手段として、大量のビタミン・ミネラルなどを補給し、代謝やタンパク質合成を活発化させ究極の健康レベルを目指す治療法を公開しています。
さて、『健康』を考える上で大切なのは、「からだ」と「こころ」と「あたま」の関係です。
「からだ」と「こころ」は、心身一如といわれるほど密接に繋がっています。「今日は疲れたから明日はゆっくり休もう」というのは「からだ」と「こころ」の欲求です。ここに「あたま」がはいると、「明日は大事な仕事があるから休めない」ということになります。すなわち「あたま」が作り出した「偽の心」により行動が変化します。この「あたま」の働きは、欲望であり、これによりヒトは他の動物と違い進化発展してきたのですが、健康を害することにもなっているのです。
「あたま」の働きは、効率化を図るために進化してきており、何かが起きたら、論理的に考えて善か悪かの二元論で判断します。一方、「からだ」や「こころ」は、瞬間的で同時多発的で、なかなか説明ができないこともあります。例えば、飛び出してきた車からとっさに逃げるとか、一目で恋に落ちるとかです。
ここで現代社会に生きる私たちは、「からだ」や「こころ」の働きよりも「あたま」の働きの方が高度だと勘違いしてしまう傾向があるということです。普段から「あたま」を使うことが得意な人、因果論で考えて合理化することにたけている人ほど「からだ」や「こころ」の声に耳を傾けることが不得意である可能性が高いのです。
では、どうしたら「からだ」や「こころ」のシグナルを感じ取ることができるようになるのでしょう。
・数値だけで評価しない。
・体調が悪くなったら、休む、環境を変えるなどして自然治癒力を高める。
・生まれ持った素養や素質を大切にする。
・快・不快の感覚を大事にする。
・深くゆっくり呼吸をする。
・自然のリズムと自分の生活のリズムを一致させる。
・偽装された感情(~しなければならない)に気をつける。本当の感情(~したい)を大事にする。
・どんな感情であれ、その由来をゆっくり考えてみる。
・まずは体をうごかしてみる。
そして、『健康』のためにできることはなんでしょうか。
人は、日々刻々と変化し続けています。無常であることを知り、「あたま」の呪縛から自由になり、「からだ」と「こころ」の声を聞いていくことが健康に過ごすコツといえます。
「からだ」や「こころ」が発する違和感を表現することが大切です。ポイントは、その違和感の場所を具体的に言葉にし、オノマトペで表現することです。例えば、「おへその付近がズキズキ痛む」などです。そしてその部位に触れて状態を知覚することです。
健康に過ごすための生活習慣は、医者が決めるのではなく、医者のアドバイスを聞いて、自分で決めることが大切です。自分のことを深く「知りたい」ということからすべては始まります。
身体感覚を取り戻すには、誰からも批判されない安全な場を確保することも大切です。また、「死」について考えることも「生」を充実させる方策です。
現代医療の進歩はすさまじく、不治の病も克服されつつあります。しかし、病気になってからではなく、病気にならず健康に過ごす生き方をしていくことが、これからの人類に求められることだと思います。
参考文献: 稲葉俊郎『からだとこころの健康学』NHK出版
三石巌『分子栄養学のすすめ 健康自主管理の基礎知識』阿部出版
ひと昔前は、『健康』といえば、快食、快眠、快便という答えもよく聞いた気がします。しかし現在、世界保健機構(WHO)では、「健康とは、病気ではないとか、弱っていないとかではなく、肉体的にも、精神的にも、社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」と定義されています。すなわち、体も心も社会関係も満たされていると実感できる状態で、体だけあるいは客観的な指標があるのではなく、生きていくうえで必要な要素すべて含んだ主観的なものです。
三石巌氏は、著書の中で、「健康レベル」という表現を使っています。毎日、健康で過ごしていると感じていても、昨晩よく寝れなかったとか、今日は上司に怒られてへこんだとか、日によって微妙に体調は変化します。これを「健康レベル」として評価し、健康管理とはこの「健康レベル」を維持ないしさらに上げていく努力ととらえます。そのための手段として、大量のビタミン・ミネラルなどを補給し、代謝やタンパク質合成を活発化させ究極の健康レベルを目指す治療法を公開しています。
さて、『健康』を考える上で大切なのは、「からだ」と「こころ」と「あたま」の関係です。
「からだ」と「こころ」は、心身一如といわれるほど密接に繋がっています。「今日は疲れたから明日はゆっくり休もう」というのは「からだ」と「こころ」の欲求です。ここに「あたま」がはいると、「明日は大事な仕事があるから休めない」ということになります。すなわち「あたま」が作り出した「偽の心」により行動が変化します。この「あたま」の働きは、欲望であり、これによりヒトは他の動物と違い進化発展してきたのですが、健康を害することにもなっているのです。
「あたま」の働きは、効率化を図るために進化してきており、何かが起きたら、論理的に考えて善か悪かの二元論で判断します。一方、「からだ」や「こころ」は、瞬間的で同時多発的で、なかなか説明ができないこともあります。例えば、飛び出してきた車からとっさに逃げるとか、一目で恋に落ちるとかです。
ここで現代社会に生きる私たちは、「からだ」や「こころ」の働きよりも「あたま」の働きの方が高度だと勘違いしてしまう傾向があるということです。普段から「あたま」を使うことが得意な人、因果論で考えて合理化することにたけている人ほど「からだ」や「こころ」の声に耳を傾けることが不得意である可能性が高いのです。
では、どうしたら「からだ」や「こころ」のシグナルを感じ取ることができるようになるのでしょう。
・数値だけで評価しない。
・体調が悪くなったら、休む、環境を変えるなどして自然治癒力を高める。
・生まれ持った素養や素質を大切にする。
・快・不快の感覚を大事にする。
・深くゆっくり呼吸をする。
・自然のリズムと自分の生活のリズムを一致させる。
・偽装された感情(~しなければならない)に気をつける。本当の感情(~したい)を大事にする。
・どんな感情であれ、その由来をゆっくり考えてみる。
・まずは体をうごかしてみる。
そして、『健康』のためにできることはなんでしょうか。
人は、日々刻々と変化し続けています。無常であることを知り、「あたま」の呪縛から自由になり、「からだ」と「こころ」の声を聞いていくことが健康に過ごすコツといえます。
「からだ」や「こころ」が発する違和感を表現することが大切です。ポイントは、その違和感の場所を具体的に言葉にし、オノマトペで表現することです。例えば、「おへその付近がズキズキ痛む」などです。そしてその部位に触れて状態を知覚することです。
健康に過ごすための生活習慣は、医者が決めるのではなく、医者のアドバイスを聞いて、自分で決めることが大切です。自分のことを深く「知りたい」ということからすべては始まります。
身体感覚を取り戻すには、誰からも批判されない安全な場を確保することも大切です。また、「死」について考えることも「生」を充実させる方策です。
現代医療の進歩はすさまじく、不治の病も克服されつつあります。しかし、病気になってからではなく、病気にならず健康に過ごす生き方をしていくことが、これからの人類に求められることだと思います。
参考文献: 稲葉俊郎『からだとこころの健康学』NHK出版
三石巌『分子栄養学のすすめ 健康自主管理の基礎知識』阿部出版