ステンの輝き

2006-06-16 22:42:34 | ・その他・暮らし・日常
達彦さんが創り出す日常の美しい時間から、
川端康成氏の随筆「美の存在と発見」の冒頭の部分を思い出した。
さすがに川端は美に対して敏感であり、感受性が強い。
ハワイのホテルの食堂で感得した朝日にきらめくガラスコップの光の美しさ。
今まで70年の人生で、ここではじめて、発見したと綴っている。
まず「源氏物語」から話をはじめるつもりだったのに、
ガラスのコップの美しさの感得と発見を、このときここで自分の言葉に
とどめておきいという思いも、わたくしの心行きだったのだと記している。

美しいものを見つけたその瞬間、その美しさを逃さずに、
新鮮なまま残したい、あるいは表現したいと思うのは、
誰しもしぜんな心の発露ではなかろうか。
それはどんなにささやかな小さな発見でもやはり同じことだろう。

実は私にも、川端が感得した朝日にきらめくガラスのコップの光と、
少なからず似ていると自分で思える発見と感得があった。
場所はハワイのホテルではなく、わが家のキッチンではあるのだが。
それは、最近、新しく購入した2段式水切りバスケットのステンレスの輝きだ。
キッチンの白い電灯にまぶしく照り返している。実にまぶしい。
まさかこんなに輝くものだとは思っていなかった。
デザインとして、ワイヤー細工のアーチの連続がこれまた美しい。
手にやさしい切断面が少ないワイヤー構造、R形状に滑らかに加工されている。
もちろん新しいのだから、汚れもなくキレイなのは当然かもしれないが、
キッチンの水回りにステンレスの輝きは何よりも気持ちよく映えるのだ。
そのことを知っているから、ステンレスをせっせと磨くことを怠りはしない。
しかし、新しく鎮座したバスケットのきらめきが、おもいのほか美しいことに
驚くとともに感動を覚えた。
だから、わたくしの「美の存在と発見」といってよいだろう。
川端と同じく、このことを自分の言葉でとどめておきたいという思いに、
まさしく駆られたと言うわけだ。
少々、大袈裟かもしれないが、それもよかろうと思っている。

ささいな日常のなかに美しい輝きを見いだし感じること。
そして自分の言葉にとどめること。
それはまたとても美しい時間でもあると思うのだ。


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