時代の覇者達の邸宅地

2006-12-19 19:58:21 | ・大好き☆建築あれこれ
品川駅から八ツ山橋方向に歩くと
第一京浜沿いの歩道は銀杏並木見事な黄色の絨毯だった。

鈴木博之氏の著書・『東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」』
(サントリー学芸賞受賞)
「ゲニウス・ロキ」とはラテン語で土地に対する守護の霊の意味。
地霊という概念は、目に見えない潜在的構造を解読しようとする先鋭的な概念。
東京の近代を読み解くための方法を手に入れた。と、鈴木先生は述べている。

昨日、私が訪れた御殿山あたりに関しても触れられている。
興味深いのでピックアップしてみると・・・。

御殿山には、明治28年の春から、大規模な邸宅の建設工事がはじまっていた。
邸宅の主は原六郎といった。明治16年には横浜正金銀行の頭取になる。
明治25年4月のこと、西郷従道がもっている御殿山の土地を買わないか、
なかに立っているのは井上馨だから、ぜひ買われてはいかがとの話があった。
御殿山に立って品川の海を眺めると、この右どなりには益田孝邸があり、
左どなりには岩崎久弥の地所がある。
益田は三井物産の創立者であり、岩崎久弥は三菱の創立者岩崎弥太郎の
長男である。まさに土地のグレードとしては最高といってよいだろう。
益田孝はこの御殿山の家で後の元帥大山巌と、山川捨松との見合いをさせていた。
(山川捨松は明治四年の岩倉使節団とともら渡米した五名の少女のひとり、
益田の妹繁子もそのなかのひとり、他には津田梅子)
東どなりの岩崎家の地所は、明治22年に伊藤博文から譲り受けたものだった。
面積一万六五〇〇坪、価格は十万円である。
この土地には久弥の叔父、岩崎弥之助が英人ジョサイア・コンドルに依頼して、
宏壮な洋館を建設する。これが現在も遺る三菱の開東閣である。

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3 コメント

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鈴木先生 ()
2009-04-29 00:48:55
青学でした。
情報は小耳に挟んでいたのですが、当たっていましたね。
文化財保存のほうにも力を入れられるのかな。
著作本の、絶版なのか?「ゲニウス・ロキ」にサイン頂いたの、やっぱりうれしい。

昨日のお宝鑑定団に益田鈍翁が取り上げられていましたわ。
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次回 ブラタモ ()
2009-11-19 23:10:23
ブラタモ 予告をみたわー。

そっか、日本橋は鈴木先生がご登場なのですねー。
三井を切歯扼腕させた久能木一族のお話出てくるのかしらー。

「ゲニウス・ロキ」はちくま学芸から新装版が出ています。
わたしのは、初出の文春文庫の、★えどカル講座の時、恵在 鈴木先生のサインを頂いたし。

御殿山の銀杏並木も黄色に色づいてくる、そのうち電車からも見えるわ。
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今夜のヒストリア (be)
2012-09-19 22:25:15
山川捨松さんだわ~。会津のね。
デートしたのね、薩摩の巌とロマンチックプラン☆彡
フランス語でプロポーズ、あはっ。

おや、同じく留学した永井繁子さんて、後に音楽教育に貢献した方なのか~。
調べてみるわ。
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