わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

臨津江~リムジンガン=磯崎由美

2008-04-10 | Weblog

 ビデオ映像から起こした1枚の写真がある。平壌の市場に並ぶ新鮮なサンマ。「計画経済が破綻(はたん)し、市場メカニズムが流通網を作り出した証し」と、ジャーナリストの石丸次郎さん(45)は語る。

 写真は北朝鮮内で秘密裏に取材を続ける市民記者が撮影、石丸さんが今月創刊した雑誌「リムジンガン」日本語版(アジアプレス出版部、06・6224・3226)に掲載された。6人の記者のリポートから、閉ざされた国に生きる人々の息遣いを感じる。

 記者たちは町の様子や市民の本音をテープに収め、国境を往来する協力者に渡す。統制下での活動が危険だと知りつつ取材へと駆り立てるものは「苦難の時代を生きる私たちの姿を知ってほしい」との強い思いだ。軍事境界線を越え韓国を流れ、海へと注ぐ臨津江(リムジンガン)。雑誌名にその名を選んだのも、彼ら自身という。

 この雑誌と宿命的に出会った女性がいる。ソウル在住の崔真伊(チェジニ)さん(48)。平壌で作家をしていたが、自由に発表できない不満が募り、98年に幼子を背負い脱北した。だが南にも求めた自由はなかった。北の実情を訴えても、学者もマスコミも意に沿わぬ話には耳を傾けない。そんな折、リムジンガン朝鮮語版の編集役を打診され、再びルーツと向き合う決意をした。

 同胞が命がけで送り出す初稿を受け取り、記事にまとめる。「民衆が生命力を持ち始めた」。静かだが確かな、祖国の変化を感じ取る。

 創刊号の冒頭、崔さんはこう記した。

 <北朝鮮の問題は、北朝鮮で生まれた人間自身が解決しなければならない>(生活報道センター)




毎日新聞 2008年4月9日 東京朝刊


60年たったが=玉木研二

2008-04-10 | Weblog

 「現代用語の基礎知識」は敗戦後の1948年、雑誌「自由国民」特別号として創刊された。復刻版がある。192ページ。ポケットに入る。

 政治から進駐軍用語にわたり、各分野の冒頭に学者や専門家、新聞人らが総論風の短文を載せた。私はこれに「新時代への宣言」のような高々とした響きを感じ取る。

 政治学者の中村哲は切々と説く。「不明瞭(ふめいりょう)な政治用語を政治の近代化のために追放しなければならない」「定義を明確にしなければならない。そうでないと、言語魔術として利用されることになる」

 音楽用語で作曲家の服部良一は解放感をにじませ書く。「ジャズは現代民衆音楽の中心であり、ジャズを軽蔑(けいべつ)することは民衆自体を軽蔑することともいえるのである。現に見よ、ジャズ音楽を排斥したナチスドイツ、軍閥日本はあえなく消え去ったではないか」。社会用語の章で朝日新聞社会部長・進藤次郎は世の軽佻浮薄(けいちょうふはく)に「判断力をなくし、愛の精神を失った空っぽの日本人の姿」を嘆じた。

 スポーツ用語で毎日新聞運動部長の小野三千麿は「各民族のファイティングスピリットを、スポーツや文化の中に昇華して楽しく競争する時代が一日も早くくることを望みたい」と願った。

 それから60年がたった。政治で語られる言葉はやはり明瞭ならず、スポーツは国家や民族の対立、憎悪から自由になれず、「空っぽな日本人」を嘆く声も日々絶えない。

 それを冷笑しても何も始まらない。それより今、うたいあげるような率直な理想が語られなくなったことに貧寒とした思いがしないだろうか。(論説室)




毎日新聞 2008年4月8日 東京朝刊


作戦完了=坂東賢治

2008-04-07 | Weblog

 「ミッション・アカンプリッシュト(作戦完了)」。5年前の5月1日、米空母「エーブラハム・リンカーン」の艦上でイラクでの「大規模戦闘終了」を宣言したブッシュ米大統領の後方に横断幕が翻っていた。

 以来、この言葉は見通しの悪さを示す意味を持ち、ブッシュ政権批判に使われてきた。ブッシュ氏自身が発言したわけではないが、明らかにテレビ映りを狙った演出だったから、自業自得だろう。

 最近ではイラクと離れた文脈でも使われる。オバマ上院議員は昨年来、「作戦完了というのは早すぎる」と本命視されていたクリントン上院議員をけん制し、言葉どおりに形勢を逆転させた。

 イラク開戦5年に合わせ、「作戦完了」を題にしたパロディー本も出版された。副題は「我々はなぜイラクの戦争に勝ったか」。今となっては噴飯ものの政府高官や専門家の発言を並べ、見事な政治批評になっている。

 結局は存在しなかったイラクの大量破壊兵器保有をめぐる政権首脳のウソの数々。戦争期間、戦費の過小評価。愛国主義の押し付け。政権転覆後の原油価格下落を主張していたホワイトハウスの経済顧問もいた。

 多少の言葉の粉飾や見通しの誤りはどの政府にもあるだろう。しかし、まとめて読まされると、ブッシュ氏の支持率がトルーマン、ニクソンに次ぐ戦後ワースト3に低迷する理由がわかる気がする。

 「後の世代は評価してくれる」。最近のブッシュ氏の口癖だが、米国民の過半数は否定的だ。これも将来、冗談のタネになるかもしれない。(北米総局)




毎日新聞 2008年4月7日 東京朝刊

石綿被害者への情報=大島秀利(科学環境部)

2008-04-07 | Weblog

 先月28日、東京・霞が関の厚生労働省での記者会見。アスベスト(石綿)による労災事例が05~06年度に認定された事業所2167カ所の名前と人数が公表されたが、報道各社の質問は、非公表の部分に集中した。同じ2年間に認定者が出ていながら、以前の公表で名前が出ていた164事業所は公表対象外だったからだ。理由は「事業所名が一度出ればよい」だった。

 164事業所には大手の石綿関連企業や、最近は情報公開を拒んできた造船業界の事業所が含まれ、2年間で627人以上もの石綿による死者の情報が隠れている。毎日新聞の取材では認定者が10倍に増えた所もあった。

 関係者によると、今回の公表では、大手建設会社などから強い抵抗があったが、厚労省側が押し切って公表にこぎつけたという。だが、被害者が多発する事業所の非公表は、画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く。厚労省はその後、方針を変更し、164カ所も公表することにした。

 だが、不親切な対応はまだある。公表した事業所が閉鎖されていた場合、労働基準監督署にその後の連絡先を電話で尋ねても、教えない方針(大阪労働局)という。

 支援団体「関西労働者安全センター」(06・6943・1527)によると、年老いた患者や遺族、不安を持つ元従業員には、連絡先を調べるにも苦労する人がいる。中皮腫や肺がんは石綿を吸って20~60年後に発症し、その間に会社の情報が入らなくなったり、記憶が薄れてしまう人もいる。

 石綿関連病の患者は産業発展の犠牲者であって、時間の壁は患者のせいではない。丁寧な対応を求めたい。




毎日新聞 2008年4月6日 大阪朝刊

ねじれと虐待=野沢和弘(夕刊編集部)

2008-04-07 | Weblog

 あの郵政解散によって吹き飛んだものがある。

 あまり知られていないが、障害者虐待防止法案もその一つ。当時、福岡県の知的障害者施設で起きた虐待事件をきっかけに、超党派の国会議員が厚生労働省を巻き込んで勉強会を重ねていた。各党が法案を作成してすり合わせることにもなっていた。

 ところが、青天の霹靂(へきれき)の解散・総選挙で、熱心だった議員らがこぞって落選した。巨大与党の出現で情勢は一変し、まるで何もなかったかのようになってしまった。

 あれから3年。ひどい虐待が絶えない。今年に入っても、大阪の施設で職員が障害者に暴力を繰り返し、札幌の食堂では障害者を長年ただ働きさせたうえに年金まで搾取していたことが発覚した。

 子どもには児童虐待防止法、お年寄りには高齢者虐待防止法があるように、判断能力にハンディがあって自分でSOSを発することが難しい人のためには、<発見→通報→救済>の手続きを法的に保障して機能させないといけない。子どもや高齢者よりも年齢層が広く、さまざまな場面で権利侵害の危険にさらされている障害者を放っておいていいはずがない。

 今、ねじれ国会であれもこれも膠着(こうちゃく)しているように見えるが、水面下では障害者虐待防止法の議論が各党で盛んになってきている。

 日銀総裁人事も道路特定財源も、ねじれたからこそ国の骨格を変革する議論にまで発展した面は評価したい。踏みつけられても声を上げられない人にはやさしい政治であってほしい。少し熟した<ねじれ>の奥の深さも見たい。




毎日新聞 2008年4月6日 0時05分

「長寿」と「後期高齢者」

2008-04-05 | Weblog

 漢字の「寿」はもともと人の長生きを祈ることを意味した文字という。それがやがて長命そのものや、そのめでたさ、祝福を意味することになる。長寿は人の祈りによってもたらされ、その喜びをみなで分かち合うものだった。

 「寿」の字があてられた日本語「ことぶき」は、もともと「言祝(ことほ)ぐ」--言葉で祝うことである。言葉には霊が宿っていて、口に出せば実現するという言霊(ことだま)思想がその背景にあるといわれる。言葉は現実を操ることができると信じられたのだ。

 だが現代では長寿の人々のことを言いながら、むしろ祈りや祝福を拒絶するような言葉がある。「後期高齢者」とは今月スタートした新しい医療制度で75歳以上の高齢者を示す言葉だが、「後期とはまるで死ぬのを待っているかのようだ」と不満の声を上げたのは当のお年寄りだ。
 
 75歳を境にお年寄りの医療保険を従来の制度から切り離し、かさむ高齢者医療費の抑制を狙った「後期高齢者医療制度」である。批判が耳に届いたのか、福田康夫首相の指示で政府はその名前を「長寿医療制度」と呼びかえることになった。

 だからといって名前の言いかえで制度の内実がにわかに長寿をことほぐものになるわけもない。医療費が膨らめば保険料が上がる仕組みによって医療費節減を図る制度の何がそんなにめでたいのか。逆に問いただしたくなる高齢者もいよう。

 新制度で年金からの保険料天引きも始まり、予想される野党の攻勢に身構える福田首相の言霊政治である。しかしお年寄りの多くは自分が後期高齢者と呼ばれているのすら最近まで知らなかったろう。言葉の霊力はもっと早く十分な説明に使うべきだった。



毎日新聞 2008年4月3日 0時06分


北極の氷

2008-04-05 | Weblog

 ヨーロッパ人が富を求めて世界の海に乗り出した15世紀の大航海時代、北極地方には氷のない大海があるという見方が広がった。北極点の付近の海は、夏は太陽が沈まないからむしろ温暖に違いないとも思われた。

 こうして英国やオランダなどは、黄金の国と信じられた日本や中国への最短航路を求めて北極探査に取り組んだ。ある英国人はグリーンランドの先住民を中国人と間違えて連れ帰り、東アジア到達の証拠とした(「世界大百科事典」平凡社)。この時代の先住民は本当に災難である。

 その後北極が氷に閉ざされていることは分かっても、実際に北極点に欧米人が達したのは20世紀になってからだった。あす4月6日は99年前に米国人ピアリーが北極点に初めて立った日とされる。「される」というのは今日ではその到達記録にいろいろ疑念が呈されているからだ。

 だが、氷上に北極点到達の栄光を競った前世紀の人たちも、21世紀になって大航海時代の思い違いがまさか現実になろうとは予想できなかったろう。ことによると今年の夏は北極点周辺の氷が消滅するかもしれないという予測のことである。

 昨年9月には30年前に比べ40%も縮小した北極の氷だ。この冬は本来なら厚い「多年氷」で覆われる北極点周辺は薄い「1年氷」しか見られないという。海洋研究開発機構はもし今年も昨夏並みの暑さなら北極点付近の氷が他の海域に先がけて消滅する恐れが強いと分析してきた。

 今まで太陽光を反射していた氷が、熱を吸収する海に変われば温暖化は加速する。数ある予測の中でも極点の氷消滅はやはりショックだ。「北極の大海」の向こうにもはや黄金の夢はない。



毎日新聞 2008年4月5日 0時01分


政治空転の先例・台湾=近藤伸二

2008-04-05 | Weblog

 野党は数をかさに着て、何でも反対に徹する。与党はうまくいかないと、すべて野党に責任を押し付ける。重要なことは何も決められず、政治の空転が続く--。

 こう書くと、また今の日本のねじれ国会のことか、と思われるかもしれない。実はこれは、台湾のこの8年間の政治状況なのである。

 台湾では96年から総統が直接選挙で選ばれるシステムに変わり、立法院(国会)とともに「二つの民意」が併存するようになった。

 00年の総統選で民進党の陳水扁氏が当選し、初の政権交代が実現したが、立法院は国民党など野党が押さえていた。以来、3回立法院選が行われたが、民進党は多数を占めることはできなかった。

 少数与党の壁は厚く、米国からの武器購入という安全保障にかかわる問題でさえ、3年も議論に入れず、宙に浮く有り様だった。

 特派員をして以来、台湾の政治をウオッチしてきた私にとっては、日銀総裁やガソリン税の暫定税率などをめぐって混乱する今の日本の国会は、既視感のある光景だ。

 だが、1月の立法院選と先月の総統選では国民党が圧勝し、住民は政治の安定を選んだ。民主主義には手間とコストがかかるが、民意を反映する制度としては、やはりこれを超えるものはない。

 90年代にようやく民主的な選挙が始まった台湾では、住民は選挙に熱い思いを抱いてきた。それが、最近は投票率の低下が続く。政争にかまける与野党に嫌気がさす人が増えたからだ。日本でも今以上に政治離れが進むとすれば、政治家の責任は大きい。(論説室)




毎日新聞 2008年4月5日 大阪朝刊


100歳になっても=青野由利(論説室)

2008-04-05 | Weblog

 「クマのプーさん」を愛読していた時期がある。自宅の本棚には、黄ばんだ日本語版と英語版が今も並んでいる。石井桃子さんの名訳に触発され、ミルンの原著とつき合わせてみたのを思い出す。

 忘れられない会話は続編「プー横丁にたった家」の最後にある。主人公の少年クリストファー・ロビンが「ぼく、もう何もしないでなんか、いられなくなっちゃったんだ」とプーに言う。それでも、時々プーと会えるか、100歳になっても自分を忘れないかを問う。大人への扉を前にした不安と期待が切ない。

 今の日本では、大人になることへの期待と不安の割合はどのぐらいだろう。「子供たちは将来に悲観的だ」と同世代の友人たちはいう。地球温暖化や年金破綻(はたん)など、マイナス面ばかりが強調されているためだろうか。

 私たちの世代でも長生きへの不安は増している。今月始まった「後期高齢者医療制度」もそうだ。建前は高齢者に合った医療の実現だが、医療費を抑制したい政府の本音が透けて見える。「長寿医療制度」との言い換えは、悪い冗談にしか聞こえない。

 医療費のかなりの部分が終末期に集中してかかるといった言い方も聞く。だが、それは高齢者自身に負わせるべきものなのか。高齢者の医療費には、もっと長生きしてほしいという家族の思いも反映されているはずだ。

 2日に亡くなった石井さんは101歳。後期高齢者として26年を暮らしたことになる。クマのプーは誕生から82年。日本語訳を出版する岩波書店に聞くと、今も読み継がれる長寿文学だ。




毎日新聞 2008年4月5日 0時01分


カーリングの真価=中村秀明(編集局)

2008-04-04 | Weblog

 今年の新入社員は「カーリング型」だそうだ。

 社会経済生産性本部の分析。冬の新しいスポーツ、カーリングのように「育成の方向を定め、そっと背中を押し、氷をブラシでこするように周囲は働きやすい環境作りに心を砕く。少しでもブラシの手を休めると、減速したり停止しかねない」とか。

 「超」がつく売り手市場で、お客様扱いをしてきただけに、入社後も引き続きお世話が必要ということなのか。テレビ局の入社式に小島よしお、くりぃむしちゅーらが登場したほか、キリングループでも女優が飛び入り。新しいCMを大々的にPRする戦略の一環で、約400人の新入社員はサプライズを喜び、大いにわいたという。

 そんな入社式のニュースを見て丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長の言葉を思い出した。

 「新入社員に給料を出すのが、どだい間違っている。こっちが授業料をもらって、ちょうどいい。仕事はできないし、逆に教えてあげているわけですから」。ある会合で同席した丹羽さんは持論を語った。「若い人にはビシビシ厳しいことを言って、がんがん鍛えないと、会社も日本もほんとにダメになる。ただし、根底に愛がないといけませんよ」とも。丹羽さん独特の、ある意味乱暴な言い回しだが、経営者や上司の本音はこちらに近いのだろう。

 実は、カーリング型との分析も締めは辛口だ。

 「就職は楽勝だったかもしれないが、経済の先行きは一気に不透明。自分の将来は、自らの努力で切り開いていくという、本人の意志(石)が大事になるだろう」




毎日新聞 2008年4月4日 0時26分


民主党VS社説=与良正男(論説室)

2008-04-04 | Weblog

 民主党議員は不満のようだ。今度のガソリン税問題。毎日、朝日、読売、日経、産経各紙の社説はそろって「道路特定財源の一般財源化には大賛成、暫定税率撤廃にはこだわるな」の論調で、同党の対応に批判的だったからだ。

 この主張には読者からも「庶民の暮らしの厳しさが分からないのか」といった批判が寄せられた。世論調査でもガソリン値下げを歓迎する人が大半。そんな中、「教育や福祉、環境などまだまだ予算が足りない分野がある」とか、「税率は欧州に比べて低い」とか、「それが脱石油社会の構築につながる」とか言ってもなかなか通じない。それを痛感する日々だ。

 福田康夫首相の立場はもっと厳しい。少なくとも税金の無駄遣いをどうやめるのか、官僚社会にどうメスを入れるのか、極めて具体的に示さないと税率を戻すのに納得する人はほとんどいないだろう。

 よって、政治戦略のうえでは、ここまでは小沢一郎民主党代表の勝ちである。与野党の歩み寄りを求めてきた私たちの社説も敗北したといえるのかもしれない。

 それでも、と思う。ともかく、政界は緊張感がようやく増して、衆院解散・総選挙のムードが少し出てきたことだけはよかった。

 やはり、今の政権の方が安定していると思うのか。「小沢首相」に一度託してみようと考えるのか。次の衆院選は文字通りの政権選択選挙。もちろん、自民党でも民主党でもない、第三極の新党が現れる可能性もなくはない。

 いずれ、有権者が選挙で政治を動かす。「次」に進むために私もあきらめない。




毎日新聞 2008年4月3日 0時08分


境界線=磯崎由美

2008-04-02 | Weblog

 「(夫を)殴った感覚はありません。覚えているのは彼が倒れた姿ぐらいで……」。被告人席の妻はそう言ってハンカチで顔を覆った。傍聴席で遺族がすすり泣く。

 夫を殺害し切断した遺体を捨てたとして起訴された三橋(みはし)歌織被告(33)の公判が東京地裁で進む。裁判所は刑事責任能力を判断するため精神鑑定に踏み切った。犯行時に心神喪失だったとされれば、善悪を判断して行動を制御できなかったことになり、刑事責任は問われない。

 公判では検察側、弁護側双方が医師に鑑定を依頼したが、いずれの医師も「心神喪失」と答えた。この結果に他の精神科医たちからは「犯行内容からみて考えられない」との声が上がった。検察側鑑定医は後の公判で「心神喪失と考えにくい点もある」と微妙に言い回しを変えた。

 そもそも精神科医の間には「医師が刑事責任能力を判断するのは無理」との指摘がある。一方、ある裁判官は「我々は医療の素人。鑑定にない判決は書けない」と話す。

 正常と異常、心の世界に法律上の境界線を引く。そんな専門家ですら手探りの判断を市民が担う時が近づいている。東京地裁では来年始まる裁判員制度に向け模擬裁判を重ね、鑑定結果の分かりやすい説明方法を模索中だ。大前提として、鑑定自体の充実は欠かせない。

 精神鑑定には独自の技術と蓄積が求められる。日本の司法精神医療は遅れが指摘されて久しい。市民参加を機に、より多くの人が納得できる判断を導けるよう専門性を高め、司法と医療の距離を縮める必要があると思う。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年4月2日 東京朝刊


抜くなと教師は叫んだ=玉木研二

2008-04-02 | Weblog

 沖縄戦で生徒たちの集団自決を止めた教師がいた。

 仲宗根政善先生はひめゆり部隊の女子生徒12人と沖縄本島南端に追い詰められた。少女たちは車座になり、3個の手投げ弾の栓を抜こうとし「先生、いいですか」と叫んだ。先生はとっさに「抜くのではない! 抜くな」と叫び返し、少女たちは従った(琉球新報社「ひめゆりと生きて・仲宗根政善日記」)。

 戦後、先生は琉球方言研究の第一人者となる一方、ひめゆりの記録や資料館づくりに打ち込んだ。残された日記は犠牲者への思いと教師としての自責が繰り返される。こんな一節もある。「日本の教師にして、あるいは世界の教師で一九四名の教え子たちを死地に追いやったのは、今では私一人だけであろう」

 男子生徒の鉄血勤皇隊と共にあった沖縄師範の野田貞雄校長も、同じころ「勇気を奮い起こして生を全うせよ」と諭し、解散した。この無駄死にをするなという訓示を残して彼は帰らぬ人となる。

 生徒の一人だった大田昌秀隊員(後の県知事)は、戦後、遺族を訪ねた。夫人は「主人が至らぬゆえに、多くの若い生徒さんたちを道連れにして申し訳ありません」と手をつき、涙を落とした。

 そうではない、と大田元知事は「沖縄のこころ」(岩波新書)に感謝を込めてこう書いている。「先生の一言で、何十人かの若者たちが、『生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず』といった禁忌をのりこえて生を全うすることができた」

 63年前の今日は、沖縄本島に米軍が上陸し「あらゆる地獄を集めた」といわれた地上戦が始まった日である。(論説室)




毎日新聞 2008年4月1日 東京朝刊


牛になる=町田幸彦

2008-04-02 | Weblog

 Oさんへ

 明日から4月。就職活動を始める君への便りを考えていたら、明治の文豪・夏目漱石の手紙を思い出しました。若き日の作家、芥川龍之介と久米正雄にあてた文言です。

 「牛になる事はどうしても必要です。根気ずくでおいでなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません」

 「文士」を「上司」や「会社・組織」にすれば、漱石の意はよく分かる。人の心を動かす生涯は幾多とあります。

 3月4日、英国日本人会長の平久保正男さんがロンドンの病院で逝去しました。享年88。平久保さんは太平洋戦争で陸軍主計士官としてビルマ(現ミャンマー)のインパール作戦に従軍し、復員後に商社に勤務。83年に退職後ロンドンに暮らし、日英の元軍人の和解に尽力した方です。ビルマ戦線の英軍元兵士たちとの対話を続け、03年にはロンドンの教会中庭に「昨日の敵は今日の友」と記した日英共同の銘板を置きました。

 平久保さんは「戦地で崩れていった聖戦思想」の記憶と凄惨(せいさん)な体験を若い人々に伝えるため従軍記をまとめ、日本で講演しました。在英日本人の間で静かに語り継がれてきた長い地道な人生でした。

 Oさん、君はこれから人間の森に入っていきます。時に砂漠に残された気分に陥っても、人間を押している誰かがどこかにいて、学ぶことができます。それを忘れずに社会への旅に出てください。(欧州総局)




毎日新聞 2008年3月31日 東京朝刊