ビデオ映像から起こした1枚の写真がある。平壌の市場に並ぶ新鮮なサンマ。「計画経済が破綻(はたん)し、市場メカニズムが流通網を作り出した証し」と、ジャーナリストの石丸次郎さん(45)は語る。
写真は北朝鮮内で秘密裏に取材を続ける市民記者が撮影、石丸さんが今月創刊した雑誌「リムジンガン」日本語版(アジアプレス出版部、06・6224・3226)に掲載された。6人の記者のリポートから、閉ざされた国に生きる人々の息遣いを感じる。
記者たちは町の様子や市民の本音をテープに収め、国境を往来する協力者に渡す。統制下での活動が危険だと知りつつ取材へと駆り立てるものは「苦難の時代を生きる私たちの姿を知ってほしい」との強い思いだ。軍事境界線を越え韓国を流れ、海へと注ぐ臨津江(リムジンガン)。雑誌名にその名を選んだのも、彼ら自身という。
この雑誌と宿命的に出会った女性がいる。ソウル在住の崔真伊(チェジニ)さん(48)。平壌で作家をしていたが、自由に発表できない不満が募り、98年に幼子を背負い脱北した。だが南にも求めた自由はなかった。北の実情を訴えても、学者もマスコミも意に沿わぬ話には耳を傾けない。そんな折、リムジンガン朝鮮語版の編集役を打診され、再びルーツと向き合う決意をした。
同胞が命がけで送り出す初稿を受け取り、記事にまとめる。「民衆が生命力を持ち始めた」。静かだが確かな、祖国の変化を感じ取る。
創刊号の冒頭、崔さんはこう記した。
<北朝鮮の問題は、北朝鮮で生まれた人間自身が解決しなければならない>(生活報道センター)
毎日新聞 2008年4月9日 東京朝刊