わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

境界線=磯崎由美

2008-04-02 | Weblog

 「(夫を)殴った感覚はありません。覚えているのは彼が倒れた姿ぐらいで……」。被告人席の妻はそう言ってハンカチで顔を覆った。傍聴席で遺族がすすり泣く。

 夫を殺害し切断した遺体を捨てたとして起訴された三橋(みはし)歌織被告(33)の公判が東京地裁で進む。裁判所は刑事責任能力を判断するため精神鑑定に踏み切った。犯行時に心神喪失だったとされれば、善悪を判断して行動を制御できなかったことになり、刑事責任は問われない。

 公判では検察側、弁護側双方が医師に鑑定を依頼したが、いずれの医師も「心神喪失」と答えた。この結果に他の精神科医たちからは「犯行内容からみて考えられない」との声が上がった。検察側鑑定医は後の公判で「心神喪失と考えにくい点もある」と微妙に言い回しを変えた。

 そもそも精神科医の間には「医師が刑事責任能力を判断するのは無理」との指摘がある。一方、ある裁判官は「我々は医療の素人。鑑定にない判決は書けない」と話す。

 正常と異常、心の世界に法律上の境界線を引く。そんな専門家ですら手探りの判断を市民が担う時が近づいている。東京地裁では来年始まる裁判員制度に向け模擬裁判を重ね、鑑定結果の分かりやすい説明方法を模索中だ。大前提として、鑑定自体の充実は欠かせない。

 精神鑑定には独自の技術と蓄積が求められる。日本の司法精神医療は遅れが指摘されて久しい。市民参加を機に、より多くの人が納得できる判断を導けるよう専門性を高め、司法と医療の距離を縮める必要があると思う。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年4月2日 東京朝刊


抜くなと教師は叫んだ=玉木研二

2008-04-02 | Weblog

 沖縄戦で生徒たちの集団自決を止めた教師がいた。

 仲宗根政善先生はひめゆり部隊の女子生徒12人と沖縄本島南端に追い詰められた。少女たちは車座になり、3個の手投げ弾の栓を抜こうとし「先生、いいですか」と叫んだ。先生はとっさに「抜くのではない! 抜くな」と叫び返し、少女たちは従った(琉球新報社「ひめゆりと生きて・仲宗根政善日記」)。

 戦後、先生は琉球方言研究の第一人者となる一方、ひめゆりの記録や資料館づくりに打ち込んだ。残された日記は犠牲者への思いと教師としての自責が繰り返される。こんな一節もある。「日本の教師にして、あるいは世界の教師で一九四名の教え子たちを死地に追いやったのは、今では私一人だけであろう」

 男子生徒の鉄血勤皇隊と共にあった沖縄師範の野田貞雄校長も、同じころ「勇気を奮い起こして生を全うせよ」と諭し、解散した。この無駄死にをするなという訓示を残して彼は帰らぬ人となる。

 生徒の一人だった大田昌秀隊員(後の県知事)は、戦後、遺族を訪ねた。夫人は「主人が至らぬゆえに、多くの若い生徒さんたちを道連れにして申し訳ありません」と手をつき、涙を落とした。

 そうではない、と大田元知事は「沖縄のこころ」(岩波新書)に感謝を込めてこう書いている。「先生の一言で、何十人かの若者たちが、『生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず』といった禁忌をのりこえて生を全うすることができた」

 63年前の今日は、沖縄本島に米軍が上陸し「あらゆる地獄を集めた」といわれた地上戦が始まった日である。(論説室)




毎日新聞 2008年4月1日 東京朝刊


牛になる=町田幸彦

2008-04-02 | Weblog

 Oさんへ

 明日から4月。就職活動を始める君への便りを考えていたら、明治の文豪・夏目漱石の手紙を思い出しました。若き日の作家、芥川龍之介と久米正雄にあてた文言です。

 「牛になる事はどうしても必要です。根気ずくでおいでなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません」

 「文士」を「上司」や「会社・組織」にすれば、漱石の意はよく分かる。人の心を動かす生涯は幾多とあります。

 3月4日、英国日本人会長の平久保正男さんがロンドンの病院で逝去しました。享年88。平久保さんは太平洋戦争で陸軍主計士官としてビルマ(現ミャンマー)のインパール作戦に従軍し、復員後に商社に勤務。83年に退職後ロンドンに暮らし、日英の元軍人の和解に尽力した方です。ビルマ戦線の英軍元兵士たちとの対話を続け、03年にはロンドンの教会中庭に「昨日の敵は今日の友」と記した日英共同の銘板を置きました。

 平久保さんは「戦地で崩れていった聖戦思想」の記憶と凄惨(せいさん)な体験を若い人々に伝えるため従軍記をまとめ、日本で講演しました。在英日本人の間で静かに語り継がれてきた長い地道な人生でした。

 Oさん、君はこれから人間の森に入っていきます。時に砂漠に残された気分に陥っても、人間を押している誰かがどこかにいて、学ぶことができます。それを忘れずに社会への旅に出てください。(欧州総局)




毎日新聞 2008年3月31日 東京朝刊