「(夫を)殴った感覚はありません。覚えているのは彼が倒れた姿ぐらいで……」。被告人席の妻はそう言ってハンカチで顔を覆った。傍聴席で遺族がすすり泣く。
夫を殺害し切断した遺体を捨てたとして起訴された三橋(みはし)歌織被告(33)の公判が東京地裁で進む。裁判所は刑事責任能力を判断するため精神鑑定に踏み切った。犯行時に心神喪失だったとされれば、善悪を判断して行動を制御できなかったことになり、刑事責任は問われない。
公判では検察側、弁護側双方が医師に鑑定を依頼したが、いずれの医師も「心神喪失」と答えた。この結果に他の精神科医たちからは「犯行内容からみて考えられない」との声が上がった。検察側鑑定医は後の公判で「心神喪失と考えにくい点もある」と微妙に言い回しを変えた。
そもそも精神科医の間には「医師が刑事責任能力を判断するのは無理」との指摘がある。一方、ある裁判官は「我々は医療の素人。鑑定にない判決は書けない」と話す。
正常と異常、心の世界に法律上の境界線を引く。そんな専門家ですら手探りの判断を市民が担う時が近づいている。東京地裁では来年始まる裁判員制度に向け模擬裁判を重ね、鑑定結果の分かりやすい説明方法を模索中だ。大前提として、鑑定自体の充実は欠かせない。
精神鑑定には独自の技術と蓄積が求められる。日本の司法精神医療は遅れが指摘されて久しい。市民参加を機に、より多くの人が納得できる判断を導けるよう専門性を高め、司法と医療の距離を縮める必要があると思う。(生活報道センター)
毎日新聞 2008年4月2日 東京朝刊