わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

100歳になっても=青野由利(論説室)

2008-04-05 | Weblog

 「クマのプーさん」を愛読していた時期がある。自宅の本棚には、黄ばんだ日本語版と英語版が今も並んでいる。石井桃子さんの名訳に触発され、ミルンの原著とつき合わせてみたのを思い出す。

 忘れられない会話は続編「プー横丁にたった家」の最後にある。主人公の少年クリストファー・ロビンが「ぼく、もう何もしないでなんか、いられなくなっちゃったんだ」とプーに言う。それでも、時々プーと会えるか、100歳になっても自分を忘れないかを問う。大人への扉を前にした不安と期待が切ない。

 今の日本では、大人になることへの期待と不安の割合はどのぐらいだろう。「子供たちは将来に悲観的だ」と同世代の友人たちはいう。地球温暖化や年金破綻(はたん)など、マイナス面ばかりが強調されているためだろうか。

 私たちの世代でも長生きへの不安は増している。今月始まった「後期高齢者医療制度」もそうだ。建前は高齢者に合った医療の実現だが、医療費を抑制したい政府の本音が透けて見える。「長寿医療制度」との言い換えは、悪い冗談にしか聞こえない。

 医療費のかなりの部分が終末期に集中してかかるといった言い方も聞く。だが、それは高齢者自身に負わせるべきものなのか。高齢者の医療費には、もっと長生きしてほしいという家族の思いも反映されているはずだ。

 2日に亡くなった石井さんは101歳。後期高齢者として26年を暮らしたことになる。クマのプーは誕生から82年。日本語訳を出版する岩波書店に聞くと、今も読み継がれる長寿文学だ。




毎日新聞 2008年4月5日 0時01分


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