ノーベル賞を伝える者として、受賞者の素顔に触れることはもう一つの喜びだ。
「うれしくない」と言いながら感極まって涙した益川敏英さん。信念に従って20年近くクラゲを捕まえ続けた下村脩さん。知る機会が限られる分、こうしたストーリーが心に響く。
福井謙一さん(81年化学賞)の妻友栄さんが語ってくれた、亡き夫との思い出。お見合いから何度目かのデートは冬の賀茂川だった。あてもなく歩くうち、福井さんのオーバーから裏地がわかめのように垂れ下がった。福井さんは何気ない動作でそれをシューッとちぎり空中に放つ。布きれが風に乗ってヒラヒラと舞う。仰天した友栄さんに、福井さんはにこにこして「まるでシュール模様」の裏地を見せてくれたという。
シューッ、ヒラヒラ。ほのぼのとした様子が目に浮かび、胸が熱くなった。ノーベル賞を受けるほどの人はやっぱり大人(たいじん)だと言ってしまえばそれまでだが、何かに熱中している人はこんないちずさと無邪気さを併せ持っている。科学者に限ったことでもないと思うがどうだろう。
科学ライターの渡辺政隆さんが、科学者の人間像に関するこんなエピソードを紹介している(「一粒の柿の種」岩波書店)。ある研究者がタクシーに乗ったら運転手に聞かれた。「4人で飯食いに行って、お新香が三つしかないのにいきなり食っちゃう。8人で九つのエビがあったら二つ食っちゃう。科学者ってそういう人ですか」
科学者は空気を読めない、という意味らしい。残念だが、科学の「結果」ばかり伝えてきた私たちにも責任の一端がある。(科学環境部)
毎日新聞 2008年10月18日 東京朝刊
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