未来への扉

人それぞれに生きた証・生き様があり、それは自己・他者へのメッセージとなります。

九州周遊

2018-11-22 04:45:30 | コメント
 先月九州を巡りました。

 一番の目的は、開山1300周年を迎える六郷満山を参拝することでした。
 六郷満山は、大分県国東(くにさき)半島一帯にある寺院群の総称で、神仏習合発祥の地と言われています(八幡信仰天台修験の融合)。

※余談になりますが、去年から今年にかけて、開山1300周年を迎えた霊山を登拝しています。

白山(石川県岐阜県)(日本百名山)、2017年)


 (四阿山(あずまやさん)(長野県群馬県)(日本百名山)、2018年)


 (伯耆大山(ほうきだいせん)(鳥取県)(日本百名山)、2018年)




 今回、六郷満山の中心に位置する両子山(ふたごさん、ふたごやま)(大分県)、九住山(九重山)(日本百名山)(大分県)、英彦山(ひこさん)(福岡県)(日本二百名山)(日本三大修験山)に登拝する予定でしたが、天候と時間の関係で九住山のみ登拝しました。

※日本三大修験山…羽黒山(山形県)大峰山(奈良県)、英彦山



 結果的に、計画とは違った動き方をすることとなりましたが、非常に充実した旅となりました。
 印象に残った聖地を幾つかご紹介します。

(1)高千穂神社(宮崎県)
 
 当初の登山予定日の天候が優れず久住山登山中止。その結果出来た空き時間で思い立って参拝しました。

 早朝より宮司さん自ら境内を清掃されていたのが印象的です。自然の力と人の手によって、境内が毎朝清浄な気で満たされるのでしょう。
 実は十年以上昔に参拝したことがあったのですが、当時の記憶はほとんど残っていません。日々新しい気で生まれ変わっている神社だからではないかと勝手に思っています。



(2)英彦山神宮(福岡県)

 修験道の聖地ともいうべき場所。奉幣殿は塗り替え工事中でした。
 残念ながら到着したのが夕方で、英彦山に登拝する時間がありませんでした。
 霊気漂う境内にしばし滞在した後、いつの日か再訪することを心に誓ってこの地を後にしました。



(3)久住山(1786.5m)
 
 九重山(九重連山)を形成する火山。

※九重連山最高峰は中岳(1791m)。

 九州滞在中天候が優れず、滞在最終日に登拝。
 強風が吹き荒れる中での登山でした。硫黄の臭いも漂う中、引き返す方達も見かけました。
 あまりの寒さに登山中止を考えましたが、いつ再訪出来るか分からない為、心を奮い立たせて登りました。

 山頂に近づくにつれ天候が回復。太陽の偉大さを改めて感じました(体感温度が変わります)。
 山頂からは、阿蘇山(1592m)(日本百名山)が見えました。



 今回の旅は、スケジュールの変更に伴い阿蘇山の周囲を一周する旅となりました。
 九州滞在初日に阿蘇神社(肥後一之宮)に参拝した際、熊本地震(2016年)の傷跡が癒えていないことを知り、その後阿蘇山の周囲の神社を参拝する際に地鎮の祈りを捧げました。
 
(4)六郷満山

 奈良時代末期から平安時代にかけて、国東半島の山岳信仰が寺院の形態を取るようになったそうです。神仏習合の始まりとも言われる六郷満山の文化に触れることが出来たことに感謝したいと思います。

 山の中にあるお寺の雰囲気はやはりいいですね。静寂の中、佇(たたず)んでいると心が洗われます。
 (神社参拝時は、神社の気に溶け込んでい感覚があるのですが、お寺に参拝する場合は、(おのれ)を意識します。自らの心を見つめる修行の場だからでしょうか。)



 【宇佐神宮六郷満山霊場の中で参拝した霊場】

宇佐神宮(豊前国(ぶぜんのくに)一宮)  八幡宮総本社

宇佐宮 弥勒寺(廃寺)  宇佐神宮境内に敷地が残っている。

富貴寺  富貴寺大堂現存する九州最古の木造建築物国宝指定。御本尊の木造阿弥陀如来坐像国の重要文化財に指定されている。制作者(仁聞(にんもん)(菩薩)(六郷満山寺院開基者)の作と言われている)の祈りが込められているように感じた。

真木大堂(まきのおおどう)(傳(伝)乗寺)  9体の国指定重要文化財の仏像を安置。特に木造大威徳明王像が印象に残っている。

胎蔵寺  胎蔵時から約300m離れた山中に現存する熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ)(国指定重要文化財)と併せて参拝。

願成就寺  空也(くうや)上人建立ということで参拝(仁聞が建立したという伝承も有)。

長安寺  山の中にある静かな寺院。かつて(平安時代から鎌倉時代にかけて)は六郷満山千人の僧侶を統括する総寺院だったらしい。

天念寺  付近の川中不動尊と併せて参拝。この地には鬼会(おにえ)の里(歴史資料館)もあり、展示を閲覧した後美味しい手打ち蕎麦を頂いた。

文殊仙寺  山の中にあり、霊気漂う寺院。六郷満山随一の古刹(こさつ)であり、開基は役行者(えんのぎょうじゃ)とされている。

両子寺(ふたごじ)  両子山(721m)の中腹に位置する(時間の関係で両子山は登拝出来なかった)。江戸時代には六郷満山総寺院の役割を担った。参拝日、僥倖(ぎょうこう)と言うべき出来事があった。仏の縁に感謝したい。