未来への扉

人それぞれに生きた証・生き様があり、それは自己・他者へのメッセージとなります。

『一万年の旅路』より(その18)

2013-06-13 23:00:00 | イロコイ族
 『一万年の旅路-ネイティヴ・アメリカンの口承史-』((ポーラ・アンダーウッド(著)、星川淳(訳)、翔泳社刊))より。



 【太陽の民】

 (P368)

 二つ目に、かつて一族は語らずして語ったり、見えない先を見通したりする未知の可能性に耳を傾けることを学んだが、いままた知恵の道が、おのずとそのような方向に足の向く性質や好奇心をもつ者たちに、それを学べる道を拓いてやることの大切さを示したのであった。
 当時は、生まれつき太鼓を叩くのがうまい者とそうでない者がいるように、一族のすべてがもともとそうした方面に長けているわけでも、興味を示すわけでもない、と考えられていた。そこで、ほかのあらゆる技と同じく、だれにも等しくその道の手ほどきをしながら、しかもけっして本人の興味以上に強制しないという賢明なやり方がとられた。
 そこから当時、そのための特別な学びの道が編み出された。そしてその日から今日まで、だれもが等しく<強い魂の道>(シャーマニズムの領域)に招かれる。だが、本人の意志を超えてそれを歩かせるようなことはけっしてない。
 これは特殊な学びであるために、その形式も特殊なものとなる。いくつかの要素はこうした<古(いにしえ)の歌>に織り込まれているが、そうでない要素もある。しかしその道は、才能や興味がそちらへ傾く者たちに開かれている。ほかのあらゆる道が、一族のすべての者に開かれているのと同じように―。
 というのも、われらは一致団結して生きることをどこまでも学び続ける一族だから。われらを互いに分かつものがあれば、それはめぐってふたたび<輪>に合流しなければならない。東西南北の<学びの輪>がそれぞれのめぐりを終えて、ふたたび<村の輪>にもどってくるように―。
 われらはそのように理解し、この知恵を認めればこそ、あらゆる状況とあらゆる道に、めぐってもどる輪の可能性を見てとろうではないか。
 さあれかし。



※一つひとつの【エピソード】の中で語られる【教訓(知恵)】を一部ご紹介していますが、エピソードについては割愛させて頂きます。
 エピソードと教訓のセットで一つひとつの物語が成り立っていますので、なぜ教訓が得られたのかを説明するエピソードが無いと片落ち状態です。
 興味のある方は、是非この書籍をご購入して読んで頂きたいと思っています。

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