未来への扉

人それぞれに生きた証・生き様があり、それは自己・他者へのメッセージとなります。

BJ・ミラー:人生を終えるとき本当に大切なこと

2016-10-27 00:01:11 | 転載記事
 BJ・ミラー:人生を終えるとき本当に大切なことに関する転載記事です。



 ホスピス医師の BJ Miller 氏は、事故で腕と脚を失い、その時から死と正式に付き合い始めたそうです。

※ミラー氏のトーク動画はこちら

※ミラー氏のトーク内容はこちら



 死を受け入れつつ生きることが大事だとは思いますが、そういったことに想いを巡らせることもなく、目の前の仕事に日々追われて生きている感じがしています。

 ある日、自分の死を迎えた時に、安らかにその事実を受け入れられるのでしょうか。
 それは突然やって来るかもしれないと考えると、心の片隅にその準備をしておく余地を作っておくことは必要だと思いました。

余命半年の宣告を受け、愛犬ベラと旅に出た男性。

2016-07-28 23:55:55 | 転載記事
 余命半年の宣告を受け、愛犬ベラと旅に出た男性。に関する転載記事です。



 クーグラーさんと愛犬のベラは、9年以上仲睦まじく生活を共にしてきた、かけがえのない家族同士です。

 ある日のこと、そんなふたりに衝撃的な事実がつきつけられました。

 突然のがん宣告。
 残された時間はわずか半年。

 2015年5月にがんの診断を受けたのはベラの方でした。「WOWT 6 News」によれば、医師は飼い主のクーグラーさんにこう伝えました。

 「最悪のニュースです。彼女は悪性骨肉腫です。がんが肺に転移しています。今日脚を切断するか、それとも諦めるか、どちらか選ばなければいけません」。

 ベラは片足を失いました。それだけではありません。残された余命はたった3~6ヶ月ほどだと言います。つらすぎる事実でした。彼は悲しみに打ちひしがれました。

 とくに、この十年で家族を2人も失っていた彼にとっては、耐え難いできごと。そして、こう考えたそうです。

 「彼女が死んでしまったことに、家に帰ってから気づくなんてゴメンだ」。

 仕事をやめて、
 ベラと最後の旅に出た。

 最初は短い旅行になる予定でしたが、旅は今も続行中。いろいろな出会いがあったようです。

 クーグラーさんはこうコメント。

 「ぼくがベラをどう可愛がっているのか、いつもシェアしていきたい。そうすれば、どれだけ彼女が幸せなのかをみんなが教えてくれるしね」。

 半年どころか14ヶ月も続いている旅の様子は、Instagram で確認できます。ふたりとも幸せそう。

 彼が「家に帰ってから気づくなんてゴメンだ」と考えて起こした行動は、決して簡単なことではありません。けれど、親しい人と過ごす一瞬一瞬の大切さを改めて考えさせられます。素敵な旅を一日でも長く続けて欲しいですね。 

 (以上、転載元はこちら)



 日々肉体の死に向かって進んでいるということを忘れがちな自分がいますが、こういった記事は大切なことを思い出させてくれます。

「もしも、一つだけ願いが叶うとしたら?」

2016-05-26 23:55:55 | 転載記事
 「もしも、一つだけ願いが叶うとしたら?」という質問に関する転載記事です。



 「もしも一つだけ願いが叶うとしたら?

 これは、ある社会実験で使われた質問です。
 壁で区切られた部屋に二人が座り、同じ質問に答えてもらいます。お互いにどういう人が隣に座っているかはわかりません。ただし、左側に座っている人はガンを患っている人です。

 その答えの違いが、世界中で話題になっているのです。ここからは、2つの質問とそれを受けた回答を紹介していきます。



 質問1 「もしも一つだけ願いが叶うとしたら、何をお願いしますか?」

 最初に答えるのは、右側に座っている健康な人たちです。
 
 ギリシャの島を旅行したい!
 サハラ砂漠を旅したい。
 ゲームを作る会社を起業したい。
 試験に合格したい。

 主に、仕事や旅に関する欲求が強いようです。しかし、左側に座っている人たちは違います。

 4人の子どもたちには、幸せな生活を送ってほしい。
 この世にあるすべての病気の治し方が、発見されること。
 一度だけでもいい。自分の足で歩いてみたい。

 右に座っている人たちは、明らかに自分とはまったく違う答えに驚きを隠せません。



 質問2 「あなたにとって幸せとは?」

 右側に座っている人たちの答えは、以下の通り。

 音楽を聞いている時が最高に幸せ!
 試験の成績がよかった時は嬉しい。

 一方、左側にいる人たちは、もっと些細な日常の出来事に幸せに感じるようです。

 毎朝起きて、妹の笑顔が見れること。
 私の人生で最も嬉しい時は、当たり前の小さなことに感謝できる時。
 娘たちが元気にしている姿を見ると、とても幸せ。
 お母さんが、私のことで心配にならないことが一番嬉しい。



 そして、最後にそれぞれ自己紹介をします。

 私はクリスティーナ。12歳で、白血病を患っています。

 私は14歳。マドリッドに住んでいます。私の右足はガンを患っています。

 最後は壁を越えて二人が対面します。そしてこの動画は、最後にこう伝えています。

 「私たちは、人生を失ってしまう状況にならないとその大切さに気づくことができない」

 「一つひとつのことを大切にすれば、その時が来た時にも受け入れられるはず」

 明日死ぬかもしれないように、生きることの大切さを教えてくれるこの社会実験。実際の動画もチェックしてみてください。

※動画はこちら

 (以上、転載元はこちら)


 悔いのないように生きること
 当たり前と思っている(実は当たり前ではない)日常に感謝しながら生きること

 分かっていてもなかなか実践出来ないのですが、意識はしていたいと思います。

ヒューマンライブラリー

2016-04-28 23:55:55 | 転載記事
 『ヒューマンライブラリー』に関する転載記事です。



 どれだけ多くの本を読んで得た知識よりも、たった一人から体験談を聞くことの方が新鮮で刺激的で、インプットが大きかった。そんな経験をしたことはありませんか?ここで紹介する図書館がまさにそれ。なぜって、蔵書は本ではなく、さまざまな知識や経験をもった人間だから。

 経験や個性のある「人」を貸し出すヒューマンライブラリー

 蔵書は本ではなく、あらゆる個性をもった人──。
 「ヒューマンライブラリー(人間図書館)」は今から16年前の2000年春、コペンハーゲンで毎年開催されるヨーロッパ最古の野外ロックフェス「ロスキルド・フェス」のイベントの一環として、開館したのが始まりです。

 野外音楽フェスに図書館とは、いささか妙な響きではありますが、ロスキルド・フェスはオーガニックフードを扱ったり、ゴミ問題に積極的だったりと環境に配慮したイベントとしても知られています。フェスの楽しさと同じように環境や社会の問題に向き合うこの場で開館することには、大きな意味があったのでしょう。

 では、人が書籍となって貸し出される、ヒューマンライブラリーの仕組みについて見ていきましょう。

 一人1回30分 対話から生まれる相互理解

 ここで紹介する写真は、2015年夏に開館されたヒューマンライブラリーの模様。青空の下というのがいいですね。
 アーティスト、ホームレス、シングルマザー、性的マイノリティー、イスラム教徒、ニート、難民、ヌーディズムなど、あらゆる趣味嗜好、個性、背景をもった50人がそれぞれ一冊の本となりました。彼らは皆、ボランティアとして無償で自身の経験を語ります。

 バラエティ豊かに取りそろった“本たち”に興味をもった利用者は、一人1回30分ずつ、ページをめくるように彼らの情報や体験、価値観を生の声として聞くことができます。ほんの僅かな時間。ですが本を読んだのと同じ、あるいはそれ以上の経験が得られた、と利用者たちからの反響は絶大。1日8時間、4日間でのべ1,000人が利用し、ヒューマンライブラリーは大きな成功と注目を集めることになったのです。

 警察官VSアーティスト学生VSヌーディズム

 たとえば、こちらの写真。向かって左側の男性は“本役”のグラフィティアーティスト。その話を聞くのは警察官。普段、どんな感情でストリートに作品を描いているのか?そんな彼の心情をうかがい知ることができたのかもしれません。
このほか、政治家の話を聞く10代の活動家。熱狂的なサッカーファンの読者は、フェミニストの「本」を熱心に聞き入っていたんだそう。

 こちらは、全裸で生活するヌーディズムの男性の話を真剣に聞き入る10代の女性たち。本の代わりに経験を語る、ヒューマンライブラリーもうひとつの目的が「相互理解」にあるんだそう。偏見を捨て、お互いを知りあう場所にもなる。それが、書籍ではなく人が本となることのメリットなのかもしれませんね。

 「本を表紙だけで判断してはいけない」

 本を表紙だけで判断してはいけない──。
 ヒューマンライブラリーの考案者であるデンマーク人のRonni Abergel氏は、当初よりこのメッセージを送り続けてきました。蔵書となる一人ひとりは、社会的にみればマイノリティの人たちかもしれない。ともすれば、普段から偏見の目で見られることもあるでしょう。けれど、この図書館では彼らの話を聞くうえで大切な2つのルールを設け、利用者は貸出前、誓約書にサインをするそうです。ひとつは、“本”を大切にあつかうこと。そしてもうひとつは、敬意をもって接すること。貸し出し条件は、たったこれだけ。

 表向きは「借り手」の利点ばかりに思うかもしれません。けれど、実際は「語り手」にも少なからずメリットがあるのがヒューマンライブラリーのいいところ。
本である語り手は、自分に興味を持ってくれた人に対して話すことで、理解しあえるチャンスを広げることもできる。「どうせ言ってもらからない…」そうした思いから話す側も同時に解放されていくんだそう。公式ページでは、これまで本となった多くの人々がその利点を挙げています。詳しくはこちらから。

 世界70カ国以上に浸透 日本では、長崎県で開館

 いま、ヒューマンライブラリーは世界各地のボランティアや公的機関の協力を得て、フィンランド、イタリア、オランダ、ポルトガル、スロベニア、オーストラリア、タイ、ルーマニアなど、世界70カ国以上で開館しているんだそう。そして、そのムーブメントは日本にも。
長崎県社会福祉協議会の協力のもと「ヒューマンライブラリーNagasaki」が年に数回開館され、相互理解を深める場として多くの人に利用されているようです。

 SNSでいつでも簡単につながり合える世の中に、人と人とが介して語り合う場が生まれている。こうしたアナログなコミュニケーションが、いまの時代とても新鮮に感じませんか?

 (以上、転載元はこちら)



 現在、地球上に60憶の人間が生きており、そこには多種多様な価値観が存在すると思います。
 歳を重ねるにつれ、自分と価値観・意見の違う人に対して理解しようとする気持ちが少なくなってきており、視野が狭くなってしまっているので気をつけようと思います。

過去の自分に対して送られた言葉

2012-07-05 23:18:50 | 転載記事
 このブログのタイトルは『未来への扉』であり、主に未来へ伝え残すメッセージを扱う予定ですが、今回ご紹介するのは過去の自分に対して送られた言葉です。



 紹介させて頂く記事は“ rock'on ”(2004年12月号)(株式会社ロッキング・オン発行)からのボノ(U2)のインタビュー記事です。昔の記事ですが、一部転載させて頂きます。



シティ・オブ・ブラインディング・ライツ(“ City of Blinding Lights ”)について話して頂けますか。

 (以下ボノの談話)

 このアルバム(“ HOW TO DISMANTLE AN ATOMIC BOMB ”(邦題『原子爆弾解体新書』))の制作中にした最も大きな経験の一つが、アントン・コービン(写真家・映画監督)の写真展でオランダに行ったことだった。
 アントンはご存知のとおり昔から僕たちのアルバム・ジャケットを撮ってくれてて、バンドの親しい友達で、世界で最も重要な写真家の一人だし、本当の意味で偉大なアーティストで才能の持ち主なんだ。
 その彼が、母国オランダの美術館で個展をやってて、僕も観にいった。そしたら、僕は聞いてなかったんだけど、U2の写真ばかりを展示した一部屋があって、そこにはすごく若い頃からの僕の写真がたくさんあった。
 アントンはそれを僕に一人で見せてくれて、最初はおいおいこんなところから出してくれよって思ったんだけれども、そのうち一枚の写真が目に入って。まだハタチそこそこ……21だったんじゃないかな。僕がヘリコプターに乗ろうとしてて。ヘリコプターに乗るのも初めてだったし、初めて……いや2本目に作ったビデオだった。“ニュー・イヤーズ・デイ”のビデオだよ。
 それはまさに離陸寸前だっていう瞬間で、そこに写ってる自分の顔に目が行った。それはおどろくほどオープンで、複雑なことなど何も知らないっていう顔だった。あまりにパワフルな無垢さだったんだ。それをじっと見てたらオランダ人のジャーナリストがやってきて、(外国人訛りで)「ボノ。今なら何て言いますか、当時のこのボノに」って聞かれて。
 それで、そうだな何て言うだろうって考えてたら口をついて出てきたのはこういう台詞だった―

 おまえは完璧に正しい。あれこれ考えるのは無駄だ、って。

 当時の僕は、そういう無垢さがいかにパワフルなものか知らなかったから、そういうところのある自分に火をつけて無邪気さをなんとか取っ払おうとしてたんだ。もっと世間慣れした人間になろうと必死だった。
 でも当然のことながら、物事を知れば知るほど、感じる力が薄れたりする場合もあるんだね。つまり本当の意味で理解するってことはできなくなるんだ。
 僕としては、“シティ・オブ・ブラインディング・ライツ”はその瞬間に生まれたものなんだよ。無垢と経験をめぐる物語さ。
 コーラス部分は、ステージの上で僕がした最もすばらしい経験のうちの一つが舞台になっている。U2は9.11の後でニューヨークでプレイした最初のバンドだった。何の曲だか忘れてしまったけど一曲で客席に照明を当てて、そしたら2万人の目がぱっと眼に入って、みんな目を見開いて涙が流れていた。あれはものすごい経験だった。
 そのとき僕は思わず、「みんななんてきれいなんだ、今夜」と叫んだんだよ。それがこのコーラスになってるんだ。

 (以上一部転載させて頂きました。)



 8年前にこの文章を読んだ時、ボノの言葉はとても普遍的なメッセージだと思いました(彼の言いたかったことの拡大解釈になるかもしれませんが)。

 人は時に迷い、苦悩しながら前に進む生き物です。一見遠回りをしたように見えても、歩んだ道は決して無駄ではないと思います。
 
 しかしそうは言っても、いろいろと悩み考え袋小路に入ってしまうこともあります。
 そんな時、私はこのボノの言葉を思い出しますね。



※“ City of Blinding Lights ”(U2)の動画はこちら

ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5

2012-03-15 23:46:30 | 転載記事
 昔の記事ですが、一部転載・紹介させて頂きます(元の記事はこちら)。



 【ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5】

 もし今日が人生最後の日だったら、あなたは後悔を口にしますか。それはどのようなものですか。

 人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、オーストラリアの Bronnie Ware さん。彼女によると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。また、患者たちが語る後悔には同じものがとても多いということですが、特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5は以下のようになるそうです。
 
1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」

 「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔。Ware さんによると、これがもっとも多いそうです。人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づくのだそう。ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。
 
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」

 男性の多くがこの後悔をするとのこと。仕事に時間を費やしすぎず、もっと家族と一緒に過ごせば良かった、と感じるのだそうです。

3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」

 世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、可もなく不可もない存在で終わってしまった、という無念が最後に訪れるようです。
 
4. 「友人関係を続けていれば良かった」

 人生最後の数週間に、人は友人の本当のありがたさに気がつくのだそうです。そして、連絡が途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せるのだとか。もっと友達との関係を大切にしておくべきだった、という後悔を覚えるようです。
 
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

 「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多い、と Ware さんは指摘します。旧習やパターンに絡めとられた人生を「快適」と思ってしまったこと。変化を無意識に恐れ「選択」を避けていた人生に気づき、悔いを抱えたまま世を去っていく人が多いようです。



 人生の最期の瞬間には、なるべくなら悔いを残したくないですね。

 死は予想しなかった形で突然やってくることもあります。
 普段から死に対しての心構えを持ちつつ、今日を生きるべきなのかもしれません。