未来への扉

人それぞれに生きた証・生き様があり、それは自己・他者へのメッセージとなります。

『一万年の旅路』より(その19)

2013-07-25 23:01:15 | イロコイ族
 『一万年の旅路-ネイティヴ・アメリカンの口承史-』((ポーラ・アンダーウッド(著)、星川淳(訳)、翔泳社刊))より。



 【太陽の民】

 (P369)

 さてこの<長き学び>の時代、一族はそれまで見たことのない二つの民に出会った。二つの出会いの性質は異なるようでいて、共通するところもあった。というのもこれら二つの出会い、つまり二つの民の二つの短い接触は、ほかのあらゆる点では異なっていながら、次の点では同じだったからである。
 いずれの民もそれぞれ別な意味で、一族がそれまで一度も思いおよんだことのない性質を持っていた。そこでわれらは、<ありのままの姿>に進んで思いおよぼすことの大切さをすみやかに理解することになった。いかにも、ただなじみがないというだけで現実に背を向ける心は、学ぶことをすっかりやめてしまう心だから―。

 (中略)
 
 ことのしだいはこうだった。
 <強い魂>をもつ者のために<学びの道>を工夫しようと集まった人びとは、同時に彼ら自身の学びも求めていた。そしてそのころ彼らは、<古(いにしえ)の学び>がこの道についてもなんらかの可能性を示しているかどうかを調べようとしていた。それというのも<古の学び>は、一人では困難なことも大勢なら楽になしとげられるかもしれないと語っているからだ。

 (中略)

 ここで、一族の子であるみなさんなら、こういうことがありうるのはわかるだろう。と同時に、こういうことが度を越して、<新しい学び>があまりにもすばやく手に入りすぎるとどうなるかも察しがつくだろう。ゆっくりと近づいたほうが、理解の幅はかならず広がるものなのである。

 (中略) 

 そんなわけで、このことも大きな学びになった。うまくいきすぎるのも、全然うまくいかないのと同じく、さらなる努力に水を差しかねないものである。



※一つひとつの【エピソード】の中で語られる【教訓(知恵)】を一部ご紹介していますが、エピソードについては割愛させて頂きます。
 エピソードと教訓のセットで一つひとつの物語が成り立っていますので、なぜ教訓が得られたのかを説明するエピソードが無いと片落ち状態です。
 興味のある方は、是非この書籍をご購入して読んで頂きたいと思っています。

※アマゾンの書籍紹介はこちら