未来への扉

人それぞれに生きた証・生き様があり、それは自己・他者へのメッセージとなります。

『知恵の三つ編み』より(その4)

2014-09-04 22:48:00 | イロコイ族
 『知恵の三つ編み』(著者はイロコイ族の語り部ポーラ・アンダーウッド女史、翻訳は星川淳氏、徳間書店刊)より。



 【第Ⅱ部 知恵の三つ編み―学びを促す人びとのための手引き】
 【論理と直感のバランス】

 (P212)

 今日多くの人びとが、魂(スピリット)でとらえられるものと通常の因果連鎖とのバランス、いいかえれば直感と論理とのバランスをとろうとして苦労しています。そのどちらかを優先したり、大きなヴィジョンのために個人的責任をおろそかにしたり、ただの現実主義に走ったりする傾向があるのです。
 父の説明によれば、イロコイ流の考え方の本質は、これら二つのバランスをとって歩くことだといいます。右、左、右、左……。バランスのとれた歩き方をするには、左右の足をバランスよく踏み出すことが必要ですが、それはバランスのとれた考え方にも当てはまります。
 この伝統では、芸術と数学や論理を別々なものと見るかわり、芸術、数学、論理といったものを一つの全体ととらえます。左右の目のように、両方そろって奥行きを与えてくれるものなのです。右と左、全体性と因果律、直感と論理など、こうした二つの考え方、二つの見方は、いわば二点間の直線から三角形を立ち上げ、その両方を超えたより豊かなリアリティ像の形成を可能にしてくれます。
 父から学んだ<学びの道>と<強い魂(スピリット)の道>は、直感と論理、全体性と因果律のバランスをとるものです。
 魂の目で森を見、魂の耳で木精(こだま)を聴き、宇宙を貫く変化の流れを理解することは、私たち一人ひとりの責任です。どんなに森が大きくても気づきを失わないでいることは、一人ひとりの責任です。森を抜けていく一本の道を選ぶこと、地上の目で道を見きわめ、地上の耳で木精を聴きとることは、一人ひとりの責任なのです。だれも他人にかわってそれをすることはできません。魂(スピリット)の気づきは地上の気づきの代用にならないし、地上の気づきは魂の気づきの代用になりません。
 リアリティを知覚し経験するこれら二通りの形を理解すると、コミュニケーションの全体性を保つことがとくに重要になってきます。二つの知覚、二つの理解としての言葉とイメージが、二人三脚で歩きだすのです。
 


※アマゾンの書籍紹介はこちら