未来への扉

人それぞれに生きた証・生き様があり、それは自己・他者へのメッセージとなります。

『一万年の旅路』より(その20)

2013-08-15 22:12:12 | イロコイ族
 『一万年の旅路-ネイティヴ・アメリカンの口承史-』((ポーラ・アンダーウッド(著)、星川淳(訳)、翔泳社刊))より。



 【さらなる学び】

 (P395)

 しかしわれらの<若き学び手>には、分かち合いの心をもつ五つの氏族に分かれた<島の民>と、掘ってもち上げて運ぶ者たちからあれこれを隠そうとする<広い陸地の民>とは、まったくちがうことがわかった。なぜなら、ほかの者たちに見せまいとしてものごとを自分のそばに引き寄せる手と、差しのべて新しい理解に触れる手とでは、同じ手でも別な使い方だからだ。それでは古い道をいくらしっかり守っても、新しい道の理解を妨げるだけになりかねない。
 そしてわれらの<若き学び手>は、この知恵が分かち合うに値すると考えた。だからこそ、彼の<学びの道>に立ちふさがるたくさんの難題も、新しい理解のまばゆい光の中にかき消えてしまったのであった。


※島の民…かつて地中海にあった島の民。島は天変地異で水没した

※広い陸地の民…転変地異にみまわれた島から三番目に避難した氏族の子孫。

 (中略)

 しかしわれらの<若き学び手>は、ほかの民と力を合わせることをしないおかげで、かの民の中に指図する者とただ掘って運ぶだけの者との分裂が生まれたのを見抜いていた。そこで、彼の心に大きな目標が浮かんだ。自分の一族のあいだでは、けっしてそうした分裂が起きないような学びを広げようと―。
 そしてその日から今日まで、われらはけっしてそういう分裂をもち込まず、かわりに一族全員がみずから理解を求めるような民であろうと努めてきた。




※一つひとつの【エピソード】の中で語られる【教訓(知恵)】を一部ご紹介していますが、エピソードについては割愛させて頂きます。
 エピソードと教訓のセットで一つひとつの物語が成り立っていますので、なぜ教訓が得られたのかを説明するエピソードが無いと片落ち状態です。
 興味のある方は、是非この書籍をご購入して読んで頂きたいと思っています。

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