第6章「生化学的変化の経路」 -全体とその部分-
1830年以降に顕微鏡的観察は生物学の主要な研究技術になり、生物質の体制化の問題への主要なアプローチになった。
この発展における決定的な因子になったのはアミチによる色消し複合レンズ顕微鏡の改良であった。
新しい技術の初期の成果の1つはプルキニェ、ブラウン、ミルベルによる細胞核の再発見であり、これに続くシュライデンのやシュワンによる細胞説の確立であった。
この時期にデユジャルダン(1835)は、原生動物に高等動物の臓器に似たもの、特にエーレンベルクが述べたような数多くの胃のようなものは存在せず、体制のある生物質に特有な化学的にアルブメンに似た膠状の物質(サルコウド)から成っていると結論した。
次の10年間にサルコウドはプルキニェとモールによって原形質プロトプラスムと改名され、1861年までにウィルヒョウ、シュルツエ、ブリュッケの研究によって細胞は独立の単位として確立され、原形質は生命過程に関連するものとみなされるようになった。
ブリュッケは次のように書いている。
化学的にこれ以上は分解できない物質を今まで元素と呼んできたのと同じように、私は細胞を基本的な生物と呼ぶ。
元素はこれ以上分解できないことが証明されていないのと同じように、細胞がそれ以上小さい他の生物から成立していて、細胞とこの小さい生物の関係が生物全体と細胞の関係と同じである可能性を否定することはできない。
しかし現在のところそのように仮定する根拠は存在しない。
ブリュッケは原形質が均一であるとみなすことに疑いを持っていた。
生きている生長している細胞が均一の核と均一の膜を持ち、アルブメンの単純な液を含んでいると想像することはできない。
なぜかというと、この蛋白質に生命課程と呼ぶ現象を見出すことはできないからである。
したがって、生きている細胞には構造有機化合物の分子構造のほかに、体制と呼ぶもっと次元の高い複雑な構造を与えなければならない。
しかし細胞構成物質の分子以上レベルの体制に関するこのような予想は、約一世紀後に電子顕微鏡が細胞学の領域を広げるまで実現されなかった。
1868年11月8日T.H.ハクスリーはエデインバラにおいて、「生命の物質的基礎について;オン・ザ・フィジカル・ベイシス・オブ・ライフ」という日曜日の大衆講演を行った。ここで彼は次のことに注意を喚起した。
(注目すべきことは)生物質の物質組成の驚くべき均一性である。・・・・今まで分析されたすべての形の原形質は炭素、水素、酸素、窒素の4種の元素をきわめて複雑な結合で含んでいて、種々の試薬に対して同じように反応する。
まだ充分に正確に決定されてはいないが、この複雑な化合物に蛋白質の名前が与えられている。・・・・生物の物理的基礎である原形質に一般的な均一性が存在することの証明は、どのような生物グループを研究しているにもせよ、充分に述べられているであろう。
しかしこの一般的な均一性は、この基本物質の特異的な修飾を除外するものではないことが理解されるであろう。
ハクスリーにとって「すべての生命作用は原形質が示す分子力の結果」であり、彼は独自の表現で次のように主張した。
すべての将来が過去および現在から生まれるのが確実であるのと同じように、将来の生理学は物質と法則の領域を知識・感情・作用にまで広げるであろう。
この大きな真理を意識すると、今日の知識人はまるで悪夢のように感じるであろうと私は信じている。
ちょうど未開人が日蝕のときに大きな影が太陽の表面にゆっくりと動いてゆくのを眺めるときと同じように、唯物論の進歩を感ずるものを恐れと無力の怒りをもって眺めるであろう。
物質の潮が満ちてゆくことによって彼らの精神が溺れ、彼らの自由が法則の締めつけによって邪魔される。
人間の道徳的本性がその知恵の増加によって低下するのではないかと警告されている。
第一の引用者ともいえる、ハクスリーの講演は人気であったらしい。
1830年以降に顕微鏡的観察は生物学の主要な研究技術になり、生物質の体制化の問題への主要なアプローチになった。
この発展における決定的な因子になったのはアミチによる色消し複合レンズ顕微鏡の改良であった。
新しい技術の初期の成果の1つはプルキニェ、ブラウン、ミルベルによる細胞核の再発見であり、これに続くシュライデンのやシュワンによる細胞説の確立であった。
この時期にデユジャルダン(1835)は、原生動物に高等動物の臓器に似たもの、特にエーレンベルクが述べたような数多くの胃のようなものは存在せず、体制のある生物質に特有な化学的にアルブメンに似た膠状の物質(サルコウド)から成っていると結論した。
次の10年間にサルコウドはプルキニェとモールによって原形質プロトプラスムと改名され、1861年までにウィルヒョウ、シュルツエ、ブリュッケの研究によって細胞は独立の単位として確立され、原形質は生命過程に関連するものとみなされるようになった。
ブリュッケは次のように書いている。
化学的にこれ以上は分解できない物質を今まで元素と呼んできたのと同じように、私は細胞を基本的な生物と呼ぶ。
元素はこれ以上分解できないことが証明されていないのと同じように、細胞がそれ以上小さい他の生物から成立していて、細胞とこの小さい生物の関係が生物全体と細胞の関係と同じである可能性を否定することはできない。
しかし現在のところそのように仮定する根拠は存在しない。
ブリュッケは原形質が均一であるとみなすことに疑いを持っていた。
生きている生長している細胞が均一の核と均一の膜を持ち、アルブメンの単純な液を含んでいると想像することはできない。
なぜかというと、この蛋白質に生命課程と呼ぶ現象を見出すことはできないからである。
したがって、生きている細胞には構造有機化合物の分子構造のほかに、体制と呼ぶもっと次元の高い複雑な構造を与えなければならない。
しかし細胞構成物質の分子以上レベルの体制に関するこのような予想は、約一世紀後に電子顕微鏡が細胞学の領域を広げるまで実現されなかった。
1868年11月8日T.H.ハクスリーはエデインバラにおいて、「生命の物質的基礎について;オン・ザ・フィジカル・ベイシス・オブ・ライフ」という日曜日の大衆講演を行った。ここで彼は次のことに注意を喚起した。
(注目すべきことは)生物質の物質組成の驚くべき均一性である。・・・・今まで分析されたすべての形の原形質は炭素、水素、酸素、窒素の4種の元素をきわめて複雑な結合で含んでいて、種々の試薬に対して同じように反応する。
まだ充分に正確に決定されてはいないが、この複雑な化合物に蛋白質の名前が与えられている。・・・・生物の物理的基礎である原形質に一般的な均一性が存在することの証明は、どのような生物グループを研究しているにもせよ、充分に述べられているであろう。
しかしこの一般的な均一性は、この基本物質の特異的な修飾を除外するものではないことが理解されるであろう。
ハクスリーにとって「すべての生命作用は原形質が示す分子力の結果」であり、彼は独自の表現で次のように主張した。
すべての将来が過去および現在から生まれるのが確実であるのと同じように、将来の生理学は物質と法則の領域を知識・感情・作用にまで広げるであろう。
この大きな真理を意識すると、今日の知識人はまるで悪夢のように感じるであろうと私は信じている。
ちょうど未開人が日蝕のときに大きな影が太陽の表面にゆっくりと動いてゆくのを眺めるときと同じように、唯物論の進歩を感ずるものを恐れと無力の怒りをもって眺めるであろう。
物質の潮が満ちてゆくことによって彼らの精神が溺れ、彼らの自由が法則の締めつけによって邪魔される。
人間の道徳的本性がその知恵の増加によって低下するのではないかと警告されている。
第一の引用者ともいえる、ハクスリーの講演は人気であったらしい。