1837年夏、シュヴァンはオタマジャクシの尾の神経末端に関する研究を行っていた。
その時、オタマジャクシの脊索と鰭軟骨が、植物に似た細胞構造を有するとに気付いていた。
その年の10月の「或る日、私はシュライデン氏と食事をしていた。この著名な植物学者は、植物細胞の発展の際に核が演じる重要な役割のことを私に話してくれた。私はすぐに、脊索の細胞で同じようなもの(核)を見たことがあるのを思い出した。
同時に私は、植物細胞の発展の際に植物の核が演じているのと同じ役割を、この核が脊索細胞でも演じていることを証明できた暁には、私の発見は非常に大きな意味を持つことになるだろう、ということを理解したのであった。」
2人はただちにベルリン大学のシュヴァンの研究室におもむき、脊索の核をいっしょに調べ、シュライデンはそれが植物細胞の核と非常によく似ていることを認めた。
シュヴァンの関心事は、単に植物細胞と動物細胞の構造が類似しているという点にとどまるものではなかった。
生理学的に異なる二つの要素的部分が核の役割という点で一致するという事実は、両者の発展原理が同一であることを物語るのではなかろうか。
もしそうであるならば、この発展原理は、外見的にはきわめて多様な、その他の要素的部分にも当てはまるのではなかろうか。
もしかすると、シュライデンのいう細胞形成原理、もっと広汎な、有機物形成の一般原理ではなかろうか、とシュヴァンは考えた。
動物体のさまざまな組織、とくにその発展の様子を観察することによって、共通の発展原理があることを証明しよう、という課題に立ち向かうこととなった。
ここには、器官や組織の種類によってそれぞれ特異的な生命力がある。換言すれば、組織の種類が違えば発展原理も異なる、と考える生気論との訣別の姿勢が見られる。
事実、シュヴァンのその姿勢は、細胞形成を物理学的法則によって説明しようとする彼の「細胞の理論」の展開に至って最高潮に達するものであった。
反面、シュヴァンは「著名な」植物学者シュライデンの細胞形成理論を、かなり性急に受け入れすぎた。
シュライデンは、既存の細胞の内部で新しい細胞が形成されると誤って考えた。
すなわち、粘液中に含まれる顆粒が凝縮して核小体が形成され、これがもとになってチトブラストが、さらにチトブラストから新しい細胞が発展してくる。
老化した細胞では核が消失してしまう、というものであった。
シュヴァンは、この細胞内細胞形成を受け入れ、のちには新しい細胞は主として既存の細胞外で発展する、という修正を行いながらも、シュライデンの細胞形成モデルはそのまま引き継ぎ、これが彼らの理論のいちばん大きな弱点となったのである。
種々の動物細胞の観察結果は、1838年1月から相続いて出された3篇の「予報」によって、まず発表された。
この予報の内容を2部にまとめ、細胞説の概要ならびに彼が「細胞の理論」と呼んだものを第3部として加えた著書「動物および植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究」は、1839年3月、ベルリンで刊行された。