goo blog サービス終了のお知らせ 

膠観

2013-06-28 09:00:00 | アルケ・ミスト
⑤ ベルギーへ

シュヴァンの評伝を書いたフロルカンは、その著書の中で、1838年を、「テオドール・シュヴァンの人生の転機となった年」と呼んでいる。
その理由として、合理主義の放棄、ベルギーへの移住、そしてリービヒから受けた攻撃を挙げている。
シュヴァンの旺盛な研究活動は、ミュラーの許にあった1834年から1839年にかけての、足掛け4年間に行われた。
だがこの時期に、プロイセンにおけるカトリックとプロテスタントの対立抗争は次第に激化していく。
1837年には、プロテスタント色の強いプロイセン政府によってケルンの大司教が逮捕投獄されるという事件があった。
この事件がドイツのカトリック信徒たちに与えた動揺は大きかった。

シュヴァンが少年時代には敬虔なカトリック信徒であったこと、その後、キリスト教的合理主義に傾斜し、機械論的な見方に活力を与えられ、そしてその頂点ともいうべきものが彼の「細胞の理論」であったことは、すでに見てきたとおりである。

だが、その「細胞の理論」の発表の準備をしていた1838年こそが、彼の精神の新たな転回----合理主義の放棄----の年となったのである。

フロルカンの著した評伝の中には、シュヴァン自身の内面的な回想の1節が紹介されている。それを要約してみると、シュヴァンは、

「・・・・かつては合理主義に拠ってはいたが、カトリック信者ではあり続けた。パスカルの言う「理性における神ではなく、心の中の感性的な神」への回帰は、・・・・細胞の発見を行った1838年のことであった。その発見は、科学から自発的な力を失わせた。


体の構成や本能をも含めたあらゆる自然現象は、もはや、原子的自然の必然性から起こるもの、すなわち創造全体と調和しているとしか理解できなくなった。

そのとき、私は自問自答した。もしも神が、いま突然蜜蜂に、理性的に考えることができる自由な精神原理を与えたらどうなるだろうか。

蜜蜂は、理性的にこう考えるかもしれない。
「私の先祖は、六角形の巣穴を作ってきた。だが私は、円筒形の巣穴のほうがもっと優れていて、より小さな壁面にもっと多量の蜜が収められることを、数学的に証明することができる」と。

もしも蜜蜂がこのような理屈を述べて、彼の本能よりもこの考えに従ったとすればどうなるか。
それは、蜜蜂という種の絶滅を意味するであろう。

私が合理主義を放棄したのは、このように考えたからである。」



膠観

2013-06-27 09:00:00 | アルケ・ミスト
⑥ その評価

『顕微鏡的研究』に即してその内容を紹介し、訳者の若干のコメントを記してきた。
ここで『顕微鏡的研究』の評価に移ろう。

① 動物の組織が細胞構造を示すことは、以前から個別には観察されていた。植物細胞との対比もまた、そうであった。だが、ほとんどすべての動物組織について包括的な研究を行ったのは、シュヴァンをもって嚆矢とする。

② しかもシュライデンのひそみに倣って、発展史的な把握の仕方をした点に特徴がある。すなわち、組織はいかに多様であろうとも、「その壁の内表面上に離心的に付着した、特色のある1個の核を有する丸い細胞」に由来し、その細胞のさまざまな修飾(分化)によって発展してきたものであることを証明した。さらにシュヴァンは、その修飾の類型を、分子のふるまいによって説明した。

③ 生物体が示す働きは、細胞という「独立の生命」の造形現象、代謝現象に還元することができる、と考えた。
すなわち、細胞はあらゆる生物体の構造上の単位であると同時に、機能上の単位でもあることを明らかにした。

以上の3点は、われわれが今日、「細胞説」ということばで理解していることと一致する。しかしながら、それらはシュヴァンのいう「細胞説」の一面でしかない。

④ 彼の「細胞説」の真骨頂は、「生物体の非常にさまざまな要素的部分には、ひとつの普遍的な形成原理がある。この形成原理とは、細胞形成である」という点にある。だが残念なことに、彼の細胞外細胞形成原理は、結局は間違ったものであった。さらに彼は「細胞の理論」と称して、この細胞形成のさいに働く力を洞察しようとしたが、あまりにも機械論すぎて、説得性の乏しいものであった。しかしながら、目的論、生気論を排し、「物理学的な見方」を貫徹させようとともかくも試みたこと、その精神においては、還元主義を標榜する近代生物学の一里塚と評価してもよいのではなかろうか。

⑤ シュライデンは、代謝現象および代謝力という新しい概念を提出することによって、その後の生化学の発展に深い影響を与えた。

⑥ シュヴァンの最大の弱点として、次の点を挙げることができよう。すなわち、核小体、核、細胞膜の構造上の記載はそれなりに詳しくなされているが、細胞の内容についての認識が不十分である。代謝力にしても、細胞膜や核という「固形の構成要素」の属性と考えている。もちろん当時の顕微鏡技術上の制約もあって、細胞質の部分の研究はじゅうぶんに行わなかったであろうが、この不徹底さが、のちの「原形質」と「細胞説」の対立を生み出す原因ともなった。
そして、細胞生理学は何よりも化学的なアプローチを必要とするのであるが、シュヴァンの時代には、まだその機運が熟していなかった。

さらにまた、繰り返しになるが、彼の細胞外細胞形成理論の誤り。

彼は「顕微鏡的研究」の第3部の中で(本書299頁)、次のように述べている。

細胞のまわりに輪状に生じると考えてみると、この内反は、1個の細胞が2個の細胞にわかれるまで進行するかもしれない。そしてこれら2個の細胞は、1本の短い柄はのちに再吸収されてしまうのであろう。
以上が、細胞の分裂のもっとも単純な現象ではないだろうか」と。

しかしながら、これは1個の細胞が数本の繊維に分かれる現象を説明する文脈の中で述べられているのであり、細胞の増殖を意味するものではなかった。
その上、この文章は、ひとつの可能性として書かれたものであり、実際の観察結果を述べたものはなかったようである。

ところがレマーク(R.Remak、1815-1865)は、1841年、孵化第3週目の鶏胚の血液中に1本の柄でつながった2個の細胞を見いだし、それぞれの細胞が核を有しているのを観察して、これを細胞の増殖と正しく解釈した。

翌1842年にはフォークト(C.Vogt、1817-1895)が、イモリの脊索で細胞壁の内反による細胞分裂を観察したが、彼自身はシュヴァン流の外生説をなおも信じ続けた。

植物分野では、ネーゲリ(C.Nagli、1817-1891)が細胞分裂の事例を数多く集めた。(1844、1846)1852年、レマークは、カエル卵の卵割のさいにはシュヴァンのいうチトブラステムはどこにも見あたらないと主張し、細胞は外生するのではなく、既存の細胞の分裂によって増殖することを明らかにした。
同年、フィルヒョー(R.Virchow、1821-1902)もまた分裂による増殖を主張する。

こうしてシュヴァンの細胞形成理論は次第に否定され、「Omnis e cellula cellula(すべて細胞は細胞より)」という定則が確立されていったのである。

しかも細胞の増殖の正しい認識は、19世紀後半にシュトラースブルガー(E.Strasburger、1844-1912)やフレミング(W.Fleming、1843-1905)たちによる染色体の行動の観察を待たなければならなかった。

レマークもフィルヒョーも、シュヴァンと同様にミュラーの門下生であった。
1839年、「顕微鏡的研究」が出版されたその年に、シュヴァンは、のちに述べるような事情によってミュラーの許を去り、ベルギーに赴く、時にシュヴァンは28歳。
彼の烈々たる探究心は、以後影をひそめることになる。

「顕微鏡的研究」の序文の末尾に、「たぶん、いつの日か、この不足分を補う機会があるであろう、」と記したシュヴァンが、その後も細胞の研究を継続していたならば、あるいは彼自身の手によって自説の誤ありが克服されたであるか。


余滴
ヨハネス・ペーター・ミュラーの教義「特殊神経エネルギー」が、月刊「UP」2月号にて目に止まった。

川喜田愛郎「近代医学の史的基盤」(1977)の27章「19世紀生理学の出発」の2節「ヨハネス・ミュラーとその生理学」である。
要旨は
①実験生理学の確立者
②実験心理学(精神心理学)の開発者
③機械論を嫌った、生気論者

だからミュラーの教義を認めると「動物や人は不完全な世界しか知ることができないことになる」

著者の佐々木正人「21世紀身体--ギブソン「生態学的知覚システムの転回」(マクロをもっとふくらませる)。
ここでは、ギブソンが空気や光を取り込んで、ふくらませたマクロな心理学をもう少し押し広げたい・・・趣旨である。

この凸凹な環境と行為のユニットをもっと発見して“動きの束”、そこに生ずる新鮮なズレにきづくことは、そこの環境で生き延びていくことにヒントになろうというものだ。



膠観

2013-06-26 09:00:00 | アルケ・ミスト
⑤ 細胞の理論

最後にシュヴァンは、細胞形成のさいに働く力についての推論を行う。

「細胞の理論」と称するものであり、おそらくはシュヴァンが、この著書の中でもっとも強調したかった部分であろう。

彼はまず、「生物体の原動力に関するさまざまな見解は、本質的に異なった2つの見方に還元されるであろう。」(301頁)と述べている。

ひとつは目的論的な見方、もうひとつは物理学的な見方である。

確かにシュヴァンは、生物体の有する合目的性を否定してはいない。
だがこの合目的性は、天体などが示す合目的性と同じく、神が宇宙一切を創造したそのことの中にある、というデカルト的立場を明確に打ち出している。

----後日シュヴァンが回想するように、細胞を研究すればするほどそこに神の意志が貫徹されているのが見られ、そのことからシュヴァンは、合理主義の放棄に向かうのであるが゛・・・・。

「この合目的性の根拠は、それぞれの生物体は目的に応じて働く個別的な力によって産み出される、という点に存するのではない。
それは、・・・・理性的存在者によって行われる無目的な力を備えた物質の創造という点に存するのである」(302頁)

「この目的論的な説明は、ほかの見方がどうしても出来ないときに頼る最後の方便として許されるだけであり、生物体の場合にはかならず目的論的な見方をしなければならぬ、といった必然性は存在しない」(303頁)

このようにシュヴァンは、生命現象を考察するにあたって、物理学的な見方に従うことを明言するが、それは同時に、生気論との訣別のことばでもあった。

「したがってわれわれは、次のような前提から出発する。すなわち、生物体の根底には、或る特定の理念に従って働く力はまったく存在せず、生物体は、無機界における力と同様に物質の存在によって確立された力により、必然性という無目的的な法則に従って生じる、という前提である」(306頁)

そして彼は、生物体の力は、生物体全体にあるのではなく、個々の要素的部分が固有の力、独立した生命を有すると主張する。

次にシュヴァンは、細胞形成に伴う諸現象を、造形的な現象と代謝的な現象に分け、それぞれに対して、造形力(metabolische Kraft)を仮定する。

造形現象とは、「細胞自体の構成要素および細胞を取り囲むチトブラステムの化学変化に関連する現象」(308頁)である。

その後の生化学の発展にとってきわめて重要な意味を持つこの代謝現象という概念は、酵母が行なうアルコール発酵に関するシュヴァンの研究の中から生まれたものであった。

代謝力を発揮するのは、細胞内の固形の構成要素、とくに細胞膜であり、細胞膜は、それが接触する特定の物質を化学変化させるだけでく、自らも化学変化を受け、また或る物質はその内表面上に、他の物質は外表面上に現れるというように、それらの物質を分離する能力をも有しているという。

そしてこれらの代謝現象が生じるさいには、「細胞膜を構成している原子の軸の特定の位置が、重要な役割を演じているのであろう」(314頁)と推測している。

シュヴァンは、細胞形成に類似した現象を無機界に探し求め、結晶形成がそれであるという、いずれも周囲の溶液から物質分子が沈着してくる過程であるが、造形現象においても、両者の間には類似点と同時に相違点も見いだされ、たとえば結晶形成においては、成長は、新しい分子の付加によるのみであるが、細胞形成の場合には、付加と共に充填も行われ、また前者が成層構造を取るのに対して、後者では、なるほど層形成は行われはするが、外層が膨張することによって内層との間に腔所が生じる。


しかしながら、これらの相違点は、両者をそれぞれ構成する物質の違いを考えに入れた場合には、2次的な相違でしかなく、結晶形成も細胞形成も、結局は同じ法則に従うと主張する。


シュヴァンはここで、有機の物体は----ショ糖のように通常の結晶を作るものは別として----
「吸収膨張する能力(Imbibitionsfahigkeit)」を有しているいると考える。


そして、この膨張することができる物質が結晶化すると仮定した場合の分子のふるまいを考察し、次のような命題を導き出しているのである。すなわち、

「生物体の要素的部分の形成は、膨潤することができる物質の結晶形成にほかならず、生物体とは、膨潤することができるこのような結晶の集合体以外の何物でもない」(327頁)

だが、シュヴァンは、なおも慎重である。この命題を確立するためには、さらに次の2点の証明が必要であると考えている。

① 細胞の代謝現象は、通常の無機的結晶では見られない特徴であるが、これは細胞物質の吸収膨潤能力の---あるいは何かほかの特異性の---必然的な結果であるという証明。

②もしも膨潤することができる結晶が多量に形成された場合には、それらは或る一定の法則に従って結合し、その結果、生物体に類似した、体系立った全体を形成するにちがいないということの証明---以上の2点である(327-328頁)。


ただしシュヴァンは、前者すなわち代謝現象に対しては白金海綿のような無機触媒を、後者に対しては結晶樹や窓ガラスの氷の花を対比させ、解決のためのひとつの方向性を模索しているのである。



訳者による注意
「吸収膨張する能力(Imbibitionsfahigkeit)」 ;コロイド状の性質を、こう呼んでいるのであろう。

膠観

2013-06-25 09:00:00 | アルケ・ミスト
④ 細胞説

第1部・第2部での個別的な組織の観察結果に基づいて、シュヴァンは、ひとつの原理を確立しようとする。第3部がそれである。

まずシュヴァンは、これまでの研究を総括し、次のように主張する(281頁)「生物体の非常にさまざまな要素的部分には、ひとつの共通した発展原理がある。この発展原理とは、細胞形成である」と。

器官形成の場合であろうとあるいは新しい生物体の形成の場合であろうと、およそ有機界において生産力が発揮される場合には、「まず最初に無構造の物質があり、・・・・この物質中に、一定の法則にしたがって細胞が形成され、これらの細胞が多種多様な方法で発展して生物体の要素的部分となる」(281頁)という基本現象が必ず見られるというのである。

さらにシュヴァンは次のようにも言う。

「すべての有機的な生産物には、ひとつの普遍的な形成原理があり、そしてこの形成原理とは、細胞形成である。という命題の発展、ならびにこの命題から出てくる結論に、広い意味での細胞説(Zellentheorie)という名を与えてもよいであろう。

一方、われわれは、これらの現象の根底にある諸力について、この命題から推論されうる事がらは、細胞の理論(Theorie der Zelle)ということばで、もっと狭い意味に理解するのである。」

すなわち、シュヴァンは、第1・2部の観察から引き出された細胞形成原理を「細胞説」と呼び、これらの現象を生起させるように働くと思われる力に関する仮説を、「細胞の理論」と呼んで区別しているのである。

この区別を明らかにした上で、シュヴァンは、観察データを発展原理に沿って並べなおし、「細胞の生活の概観」を試みている。

それによって要素的部分の形成のさいに働く諸法則を洞察しようとするのである。

ここで特に注目に値するのは、細胞がチトブラステム中に形成され、続いて多様な形に発展(分化)していく過程を、シュヴァンは、物質分子という次元で説明しようとしている態度ではなかろうか。


細胞形成と結晶形成との類推は次の「細胞の理論」の箇所で明確に持ち出されるが、いまここで「細胞の生活の概観」を行うさいにも、このすぐれて還元主義的な観点は貫かれている。


たとえば、チトブラステム中に核が生じる現象にしても、「まず最初に、核小体が作られる。そのまわりに、通常は微粒状の物質の層が沈澱する。・・・・次にこの層の既存の分子の間に、新しい分子がたえず沈着させられ、しかもその沈着は、核小体から一定の距離内でだけ行われるので、層は外側に境界ができ、こうして多少とも輪郭がはっきりした1個の細胞核が生じる」(290頁)と説明される。


そして「核が或る一定の発展段階に達したときに、核のまわりに細胞が形成される」(291頁)が、「細胞形成は、核が核小体のまわりで繰り返されたときの過程と同一の過程が、核のまわりで繰り返されただけである。」(295頁)という断言さえ見られる。


分子の沈着が、層の外側の部分でいっそうさかんに起こると、膜が形成され、この膜の分子の間に新しい分子が沈着することによって膜の肥厚が起こるが、もしも新しい分子が、膜の厚みの方向に重なりあっている分子の間によりも、膜の面の方向に並びあっている分子の間のほうに、よりさかんに沈着すると、膜の膨張が起こる。

また、膜の特定の箇所にのみ新しい分子が不均等に沈着すると、膜の外反が起こり、中空の繊維が形成されることになる。----以上のようにシュヴァンは説明する。

細胞壁の融合、あるいは細胞が分裂して繊維化する現象も、物質分子のふるまいとして説明されている。


膠観

2013-06-24 09:00:00 | アルケ・ミスト
第4綱は、細胞組織、腱組織、弾性組織である。これらのものは繊維で構成されている。

ただし、繊維の成因は、第2綱の色素細胞などの場合と異なっている。

例を細胞組織にとると、無構造のゼラチン状のチトブラステムの中にまず核が生じ、続いてそのまわりに細胞が形成される。
細胞は伸長して繊維束になるかまたは1本の繊維状になり、次にこの繊維がばらばらにほぐれして多数の細い繊維となる。

この分裂は、繊維が繊維の先端から始まり、次第に細胞の本体の方へと進行し、ついには本体も分かれ、核も消失して、結局は繊維の束が形成されるに至る。

細胞組織の形成は、胎児の時期に行われるが、細胞組織には、このような繊維化する細胞以外に、脂肪細胞、ならびに脂肪を含有せず、かといって繊維にもならない第三の種類の細胞も見られる。

シュヴァンによると、新たな細胞組織の形成は、成体でも起こるという。

膿球や肉芽の形成、炎症のさいの滲出物の形成が、それにあたるというのである。
病理学的な過程へ細胞説を適用しようというシュヴァンの意図がうかがえる。


第5綱は、細胞壁のみならず、腔所もまた合体するにいたった組織であり、筋、神経、毛細血管がこれに該当する。

筋と神経の場合は、固有の壁と腔所を有する球形または円筒形の細胞(1次細胞)があり、これらが1列に並び合って細胞壁が癒着し、次に細胞間の隔壁が消失して単一の長い細胞(2次細胞)となる。

以後はこの2次細胞が、単一の細胞のように成長し続ける。というのがシュヴァンの考えである。

毛細血管の場合は、1次細胞の突起が連携しあい、隔壁が消失すると管の綱が形成されるという。血球は、2次細胞の腔所に生じる若い細胞とまなしている。(275頁)

2次細胞では、その後、細胞壁の内表面上に2次的な沈着物(筋物質)が蓄積され、腔所がふさがれる。
シュヴァンの推測によると、この沈着物がのちに縦裂して筋原繊維になるという。
シュヴァンは、神経繊維を白色神経繊維(有髄神経繊維)と灰色の内蔵神経繊維(無髄神経繊維)の2種に分類している。

前者に見られる白質は、皮質なのか、神経繊維の細胞膜そのものなのか、それとも細胞膜の内表面上の2次的な沈着物なのか、という疑問を投げかけ、彼は「試論」と断った上で、細胞膜の内表面上の2次的な沈着物という解釈を与えている。

その理由のひとつとして、彼は「白質が完全に発展した神経のあちこちに、細胞核がまだ見られ・・・・その核は、白質の外側を取り囲む色の薄い縁どり(彼はこれを、2次神経細胞の細胞膜と考えている)の中に存在している」(264頁)ことを挙げている。

だが今日の知見によると、白質は神経繊維を取り巻く別個の有核細胞(神経鞘、シュヴァン鞘)であり、白質は、この細胞の膜が伸展して神経繊維を渦巻き状に囲んだものにほかならない。

そして、何よりも神経繊維(軸索)は、一次細胞の融合によって生じたものではなく、1個の神経細胞体から伸長した突起なのである。
だが、電子顕微鏡によって裏付けられた現代の知見をもってシュヴァンを責めるのは、酷というべきであろう。

以上、シュヴァンが細胞の発展の度合いに基づいて行った組織の分類を、いささか詳細に過ぎたきらいがある。
しかしながら、シュヴァンが主張したかったのは、次の諸点であったということは、再び強調しなければならない。

① 多様な形態を示す動物組織は、その始源的な状態に遡ってみるとき、その壁の内表面上に離心的に付着した、特色のある1個の核を有する丸い細胞から生じたものであること。

② そしてその細胞が形成される様式は、無構造のチトブラステム中にまず核が生じ、次にそのまわりに細胞が生じるというものであり、植物細胞の形成様式と一致すること。ただし、シュライデンは言う細胞内形成ではなく、原則的には既存の細胞の外部にあるチトブラステム中で行われること。

③ 多種多様な組織の形成は、細胞がその後の発展のさいにこうむる修飾によって説明することが可能である。

そしてその修飾とは、細胞が膨張または伸長する結果起こる扁平化、または円柱や繊維の形成。細胞内容の変換と細胞壁自体の肥厚、
あるいは細胞壁内外への物質の2次的沈着。

細胞あるいはその伸長によって生じた繊維が、さらに微細な繊維に分裂する現象。壁の融合、および隔壁の再吸収(消失)。----以上のように、かなり単純なものであること。

動物体に見られるすべての組織が、植物細胞と一致する要素的構造----細胞---から生じたものであり、また細胞で構成されている、という事実の確認が、シュヴァンによって初めて成し遂げられたのであった。


膠観

2013-06-23 07:09:46 | アルケ・ミスト
第2綱には、上皮、色素細胞、爪、蹄、羽毛、水晶体が属する。これらの細胞は、密集してはいるが、独立したままであり(融合していない)、またシュヴァンの表現によると、有機化(血管が分布)していない。

細胞の形態は多様であるが、始原的には基本的な形を有する細胞があり、それが膨張し、集合し、たがいに扁平化して平板や条片になり、あるいは膜が特定の方向にのみ膨張(伸長)して円柱状、さらには繊維状、星状になるという。

チトブラステムはは、隣接する有機化した組織から滲出してくる。
したがって新しい細胞の生成は、既存の細胞の間にではなく、チトブラステムとまっ先に触れ合う箇所で行われる。

脊索は、この綱から次の第3綱への移行型とみなすことができるが、もしもそれをこの第2綱に入れた場合、脊索と水晶体は、細胞内での細胞の形成という実例を提供することになる。

それ以外の組織では、新しい細胞の生成は、原則として既存の細胞外に限定される。

この綱では、細胞がさらに修飾を受けることもある。

1個の細胞体が数本の繊維に分裂する場合(羽軸の皮質)、また、2個の細胞の延長部が癒着し、隔壁が消失して細胞腔が連続する場合(色素細胞)がそれである。

これらはそれぞれ、第4綱、第5綱で見られる特徴である。

第3綱は、細胞壁がおたがいの間で、またはよく発達した細胞間質と融合している組織であり、軟骨、骨、歯という生体でもっとも堅固な物質----細胞間質----の中に多数の腔所から細管が伸びている様子が見られる。

しかし、オタマジャクシや魚類の鰓軟骨といった始原的な状態の軟骨にまで遡って考察してみると、これらの腔所は細胞であり、また細管は、細胞が伸長することによって生じた中空の細胞延長部であることがわかっている。

そして、細胞間質は、軟骨細胞のチトブラステムということになる。

第1部においては、新しい細胞の形成は既存の細胞の内部で起こるとしていたシュヴァンは、ここでは重大な変更を余儀なくされている。

すなわち、「新しい細胞は、すでに存在している細胞中にではなく、このチトブラステム中に生じる」(209頁)と記述し、第1部では1個の母細胞中に形成されたものと考えた細胞グループは、「少なくとも通常は、ひとつの母細胞中にではなくて、ひとつの細胞間隙中に、いくつかの細胞が発達することによって生じる」(210頁)と修正している。

ただし、既存の細胞内での細胞の形成の可能性は、否定はしていない。
「しかしながら、これらの若い細胞は、おそらく、真の軟骨細胞の意義は有していないであろう」(210頁)

『顕微鏡的研究』は、原典が出版された8年後に、英国のシデナム協会によって英訳版が出された。
訳者スミスの「はしがき」に曰く。

「原著者がこの翻訳のために改訂の労を取られてことに、深甚な感謝の意を表したい。この英訳版は、現著書の改訂によって大きな利益を得たが、そのひとつに・・・・軟骨と骨化に関する2箇所の記載の併合を挙げることができよう。
これらは、執筆されてしばらく時間をおいて印刷されたので、その問題についての著者の正確な見解を理解するのに、いささか困難であった部分である・・・」と。
このように、軟骨の記載は、シデナム版では改定されてはいるが、細胞内での細胞の形成の可能性は、放棄されてはいない。

第3綱においては、新しい細胞の形成は組織の周辺部に限定されていたが、この第3綱では、周辺部だけでなく、最近形成されたばかりの細胞と細胞の間においても行われるとしている。

歯に関しては、とくにエナメル質の固有歯質(象牙質)の形成過程が扱われている。ただし、この部分は推定が多く、シュヴァン自身も第3綱のレジメの中で、「歯の解釈は、まだあまりにも問題が多い」(225頁)と述べている。

この第3綱は、有機化された(血管を備えた)構造体が現われる最初の綱である。

かっては、血管のある組織の成長は、「植物類似の成長」をする無血管の組織の成長とは本質的に違
ったものと考えられていた(107頁)。

しかしながら、「少なくとも発展の終わりごろには血管を有するようになる組織でも、発展のしかたが植物細胞と完全に一致する細胞で成り立っていること、したがってこれらの有機化された組織の根底には、有機化されていない組織のそれと同一の形成原理、細胞形成の原理がある」(225頁)ことを、シュヴァンは強調している。


注記
『顕微鏡的研究』は、原典が出版された8年後に、英国のシデナム協会によって英訳版が出された。
正にその頃から、『colloid』の使用例が認められている。つまりグラハムはその言葉を転用した事と推定されるのだ。詳細はその機会に譲りたい。

膠観

2013-06-22 09:00:00 | アルケ・ミスト
③ 普遍化への道

「顕微鏡的研究」の第2部では、第1部での成果に基づいて、動物体のさまざまな組織が---いかにその構造が多様であろうとも----細胞で構成されているのか、あるいは細胞が分化したものであることを確認する作業が述べられている。

ここでも「細胞」と同定する手がかりとなったのは、膜壁との存在およびその組織の要素的部分の内部に----とくに発展の初期段階に----「特色のある形をした」核が見られることであった。

核のまわりに新しい細胞が形成される、という考え方は第1部と同じであったが、細胞の新生は既存の細胞の内部よりもむしろ外部で行われると修正された。

細胞の中での細胞の形成は、脊索、軟骨のほかに、卵や水晶体、およびきわめてまれに上皮で見られるが、これらはむしろ例外的であるという。

結晶生成のさいの母液のような無構造の物質があり、その中でまず核が生じ、ついでその核を取り囲んで細胞が形成される、とシュヴァンは主張する。

この無構造の物質を彼は、チトプラステム(細胞芽質)と呼んだ(本書152頁284頁)。

シュヴァンはまず、卵と胚皮(胚盤葉)について考察を進める。その後のすべての組織の原基であり、発展史的な考察を行うためには、避けて通ることのできない材料であるからであった。
しかしながら、この部分の記述は、詳細な割にはわかりにくい。

用語法が現在のものとは違うし、発生学そのものが、当時まだ未熟だったことにもよる。また、顕微技術上の制約も、ここではいっそう厳しいものであったであろう。

ここでは、次のことが扱われている。

① 哺乳類のグラーフ卵胞と鶏卵の各部の意義づけ、とくにプルキニェによって発見された胚胞が、細胞なのか核なのかという推論(156頁以下)。シュヴァンは、胚胞は卵細胞の核である可能性を示唆しながらも、断定は避けている。(巻末の「補遺」においては、その見方を強めている)。

② 卵黄腔中の球体(白色卵黄顆粒)と真の卵黄物質の球体(黄色卵黄顆粒)の形成過程(161頁以下)。ここでは細胞の中での細胞の形成が起こると考える。

③ 胚皮(胚盤葉)お胚葉に関する記述(167頁以下)

そして、この場合も諸観察結果は、彼の細胞説によって説明可能であると主張する。ただし、個々の記載の中には、今日の知見からすると疑点の残るものが多々あることは否めない。

精子に関する記載は皆無である。

続いてシュヴァンは、「永久組織」の検討に移行する。
まず最初に、細胞の発展の度合い、つまり細胞がどの程度まで個体性を維持しているか、ということを基準にして、動物組織の新しい分類を試みる(176頁以下)。

それは同時に、組織を生命の単位とみなして21種類の組織を分類したビシャ(M.F.X.Bicht、1771-1802)の「組織説」を細胞段階にまで還元したものであり、疫病を組織の病変と考えるビシャに代わって、「刺激に対する細胞の栄養、機能、形成の変調として病気を理解した」フィルヒョー(R.Virchow、1821-1902)の「細胞病理学」(1849)への道を準備するものであった。

シュヴァンは第2部への導入部で、「軟骨細胞の中に含有された若い細胞、すなわちその壁の内表面上に離心的にしっかりと付着した、特色のある一個の核を有する丸い細胞」(149頁)を、基本的な形とみなしているが、すべての組織は、その基本形から出発し、発展を通じてさまざまな修飾を受け、多様性を獲得するに至る。

まず、基本形を保持したままの「孤立した、独立の細胞」(第1綱)を、もっとも発展の程度の低い細胞と考える。

液体中に浮遊するリンパ球、血球、粘液球、膿球がそれであり、この場合、まわりに存在する多量の液体が、それぞれのチトブラステムであるという。これらの中では、血球が、いちばん発展した細胞である。

力学的な原因なしに、扁平化しているからである。
卵をこの綱に入れることもできるが、その場合には細胞内での細胞形成(卵黄球)の特例がつけ加わることになる。


膠観

2013-06-21 09:00:00 | アルケ・ミスト
次にシュヴァンは、軟骨の記載に移っているが、ここでは発展史(発生学)的観点をより強めた説明のしかたがされている。

実は、シュヴァンの細胞説は、「生物体の各組織は細胞が集まって構成されている」という現状認識よりも、むしろ「最初に同一の形状をした細胞が形成され、それらの細胞がさまざまな分化(形の修飾)することによって多様な組織となる」という経時的発展の方により重点が置かれているのが大きな特徴であるように思われる。

この軟骨では、球形の核を有し、薄い細胞壁で囲まれた細胞という初期段階に始まり、壁の肥厚、あるいは細胞間の発達による軟骨質の形成、骨化、という各発展段階の記載が見られる。

ただし観察材料は、オタマジャクシや硬骨魚類の鰓軟骨であったり、オタマジャクシの頭蓋軟骨、あるいは哺乳類の胎児の軟骨であったりして、必ずしも一つの組織の発展過程を時間を追って追跡したものではない。

そしてここでも、母細胞中に新しい細胞が生じると主張している。

確かに軟骨の場合には、ある程度軟骨基質の形成が進んだのちに、1個の細胞が分裂して数個の細胞群が生じ、あたかもシュヴァンのいう「一つの母細胞中に生じた細胞グループ」のような外観を呈することがある。
しかし、既存の細胞の中にまず裸核が出現し、そのまわりに新しい細胞が形成される、というシュヴァンの「観察」は、いったい何だったであろうか。

1830年代、顕微鏡の性能の向上があったことは、前に述べたとおりである。
しかしながら、顕微鏡観察の補助手段の発展が伴わない限り、組織の顕微鏡像は依然として不正確のままであったであろう。

シュヴァンの時代には、プレパラート作製の際には、材料を押しつぶす、引き裂く、あるいは鋭利な刃物でフリーハンドセクションを作る、という方法が取られた。

簡単なミクロトームは存在していたが、それが効果を発揮するのは、或る程度の硬さを持つ材料に限られていた。

組織の顕微鏡的研究のための固定剤の使用は、1840年、ハノーヴァー(A.Hannover、1814-1894)がクロム酸を使用したのが最初であり、薄片製作のためには、さらに脱水・包埋という一連の技術も開発されなければならなかった。

鏡検材料の染色は、レーウェンフック(1719)がサフランのアルコール溶液で筋繊維を染めて見たのが最初であり、その後18世紀においてもすでに、ロッグウッド、エムジムシの成分が使用されてはいたが、顕微鏡観察にカーミンが普及するのは、1851年にコルチ(A.Corti、1829-1888)が内耳の研究のさいにカーミンを核の染色剤として用いてからのことであった。

シュライデンとシュヴァンは、この顕微技術開発の谷間にいたことになる。

細胞核の染色という技術を彼らが有していたならば、彼らの細胞形成理論はよほど違ったものになっていたであろう。

シュヴァンが彼の理論構築にあたって、まず最初に脊索と軟骨という独特の材料を選んだということは、ある意味では幸運であったし、また同時に不幸でもあった。

それらは、植物細胞との構造の一致を主張するのには、確かに好適な材料であった。
だが、それだけにシュライデンの誤った細胞形成理論----既存の細胞の内部で、新しい核がまず生じ、次にその核のまわりに新しい細胞が生じる----を易々として受け入れる結果にシュヴァンは導いたと思われるのである。


膠観

2013-06-20 09:00:00 | アルケ・ミスト
② 脊索と軟骨
第1部は「脊索と軟骨の構造と成長について」述べられたものである。

前にも述べたように、脊索が植物の柔組織に似た構造を有することは、すでに1835年にミュラーが魚類で確かめていたし、シュヴァン自身もオタマジャクシでそのことを見ていた。

脊索は、著しく空胞化した大型の細胞で構成されており、動物体内でもっとも植物の柔組織に似た構造を有している部分である。

シュライデンの示唆によって脊索を再度調べたシュヴァンは、脊索が、薄い壁に囲まれた多面形の「細胞」で構成されいるのを見た。

細胞と同定する手がかりとなったのは、シュライデンが特に強調した核の様態であった。

すなわち「細胞壁の内表面に(離心的に)付着し、内部に1個から数個の核小体を含有する」核を有することは、脊索の要素的部分が植物細胞と一致することの証左であった。

以後動物の各要素的構造体が「細胞」か否かを論ずる場合に、しばしばこの「特色のある形をした核」の有無が引きあいに出されることになる(詳細な議論は、第2部の導入部分でなされている)。

さらにまた、シュヴァンが植物細胞との一致の証拠とみなしたのは、膜あるいは壁の存在であった。もともと細胞(Zelle)概念そのものが----彼以前においても----「壁あるいは被覆で囲まれ小胞」というものであった。

周知のように、動物細胞には、植物細胞に見られるセルロース性の厚い細胞壁はない。

確かに脊索の記載にあたっては、シュヴァンは、植物細胞の中でも比較的壁の薄い柔細胞に対比させている。
だが、これ以降に出てくるもろもろの動物細胞の記述の中では、「内外二重の輪郭を有する細胞壁」がしばしば登場するし、細胞の基本的な発展過程のひとつとして、壁が次第に肥厚していくことも再三述べられている。

シュヴァンの用語法によると、「膜」と「壁」の使いわけが非常に曖昧であるし、また、彼およびシュライデンが述べている「壁」の概念は、今日のわれわれからからみれば、理解に苦しむ場合が多い。

彼らが言う「壁」は、おそらくは、ある場合には液胞の増大によって押し広げられた細胞質の薄層であったり、観察対象によっては、細胞の表面の二次形成物、細胞間質であったり、あるいは解像力がいまだ充分でなかった時代の顕微鏡のゴーストであったりしのかもしれない。

だが、植物細胞と動物細胞の一致を証明しょうとするシュヴァンにとっては、膜壁は存在しなければならなかった。

また、第3部で展開される彼の「細胞理論」においても、細胞膜は、不可欠の道具立てであった。

ところでシュヴァンは、シュライデンのいう細胞の中での細胞の形成ということに、よほど強い印象をうけたのであろうか、また動物細胞が植物細胞と同一の発展原理を有することを証明しようとする彼自身の作業理念に呪縛されたのであろうか。

この脊索で早くも、細胞の内部で新しい細胞が形成される、と述べている。

実のところ、脊索細胞は、内部にいくつかの空胞が発達する細胞である。

「若い細胞」の中に核が見あたらない、というシュヴァンの記述から判断すると、これらの空胞を細胞とみなしたのかもしれないし、また小胞を容易に分離しうるし転がすこともできると述べているところをみると、シュヴァンが見たものは、何らかの細胞内顆粒であったのかもしれない。


膠観

2013-06-19 09:00:00 | アルケ・ミスト
4.「顕微鏡的研究」

①その意図
シュヴァンの「顕微鏡的研究」は、3部よりなる。


最初の2部は、「事実である事柄と仮定的な事柄を混同しないようにするために、理論的な問題はいっさい排除」して観察事実の記載に重点が置かれ、
第3部では、第1・2部の総括を行ったのちに、彼が言うところの「細胞の理論」(Theorie der Zellen)が展開されている。

しかしながら、「序文」の末尾にも記されているように、彼自身の「外部事情の変化」のために出版を急いだのあろうか。
たとえば新しい細胞は既存の細胞の内部に生じるのか、それとも外部に生じるのか、といった重要な点において、内容にやや整合性を欠く向きもある。

この著書の主張は「序文」の中の次の言葉に凝縮されている。
「すべての結晶が、それらの形が多様であるにもかかわらず、同じ法則によって生じるのとほぼ同様に、あらゆる生物体の個々別々の要素的部分のどれかを取ってみても、その根底には一つの共通する発展原理がある、というのが、この研究の主要な成果である」(112頁)

シュヴァンは「序文」の中で、この研究に至った歴史的契機を述べた後に、従来、繊維、球体、細胞、とさまざまに呼ばれ、生理学的にも違ったものと見なされていた要素的構造体が、同一の発展原理によって生じたものであることを証明しようという、彼の研究の意図を明確に打ち出している。

「序論」においては、彼の研究の指針となったシュライデンの細胞説および細胞形成理論の概要を引用している。

個々の細胞は個体であり、生命現象の単位であると同時に、「調和のとれた全体が生じてくるように協働している」(117頁)というシュライデンの見解に同調するとともに、植物細胞の中で進行する諸過程を、新しい細胞の生成、既存の細胞の膨張、細胞内容の変換と細胞壁の肥厚、細胞に由来する分泌と再吸収、の四つにまとめ、その上で、はるかに大きな多様性を示す動物組織の要素的構造単位が、細胞から生じてくるか、または細胞で構成されていること、もしくは動物の要素的構造体の中で右に挙げたような基本現象が起こっていること、以上のいずれかが証明できたならば、従来別物と考えられていた動物と植物の要素的単位が一致する----すなわち共通の発展原理を有する----と主張することができるであろう、と、彼の作業原理を明らかにしている。


補注
シュライデンの学問、とくに「植物発生論」が生まれた条件を明らかにする目的で、当時の学界を支配していた学問上の思潮、当時の植物学の水準、当時の生物学のなかの学説について述べられている②植物学の背景を読み直してみることは意味があろう。(11頁)

シンガーも「シュライデンは、植物の単なる命名、記載、整理、そして新種の探索といった無味乾燥に陥っていた当時の植物学に対して反感をもっていた。その反動として、構造と成長の顕微鏡的な分析に熱意をかたむけた」と述べている。
直接的にはシェリングとヘーゲルの哲学に対するはげしい思想闘争を展開した。

自然哲学の観念論的思弁をくつがえす方法論としてかれが前面に掲げたのは帰納的方法であった。

後成説で知られるヴォルフ(1759)「発生論」が見直されてきた。
「液が大地からvis essentialis(体制化力)によって吸い上げられ、植物体内に取りこまれ、拡散し、特定の部分に貯留され、残りは分泌される。・・・・鶏胚は発生の初期に卵から食材をとる。この吸収はある力によって行なわれる。その力というのは心臓の収縮ではない。・・・・また食材は特定の管を通って吸収されるわけでもない。したがって、この力は植物のvis essentialis(体制化力)と同じものである」

ここでの思想はニュートンの愛弟子、ヘイルズ・ステイーヴン(1677-1761)の「植物の静力学」、その記憶をくすぐるものがある。