これと対照的に、「すべての出来事には原因がある」という定式は、正確さについては何も述べていない。
そして特に、もしもわれわれが心理学の法則を調べてみるならば、正確さの示唆さえない。
このことは、「内省」心理学または「精神主義的」心理学についてと同様、「行動主義的」心理学についても当てはまる。精神主義的心理学の場合においてさえ、せいぜいのところ所与の条件のもとで、ネズミは迷路を通り抜けるのに20秒から22秒かかるであろうことをあらかじめ決定するだけである。
行動主義心理学者は、いかにして、諸条件を特殊化することによって、ますます正確に---そして原則的には果てしなく正確に---なっていく予測をなしうるか、について何らの考えももっていないであろう。
そうであるわけは、行動主義的「法則」が、ニュートンの法則のように、微分方程式でないからであり、またそのような微分方程式を導入しようとするすべての試みは行動主義をこえて生理学に、究極的には物理学に導くからであり、それゆえわれわれを物理的決定論の問題にひきもどすであろうからである。
ラプラスが注意したように、物理的決定論は、もしわれわれが物理的世界の現状について十分な知識をもっているならば、遠い将来(または遠い過去)におけるすべての出来事を思うがままの正確度をもって予測できる(また推断できる)ということを含意している。
他方、ヒュームのタイプの哲学的(または心理学的)決定論のテーゼは、その最も強力な解釈においてさえ、二つの出来事のあいだの何らかの観察可能な差異は、あるいはまだ知られざる法則によって、世界の先行状態のうちのある相違に関係づけられる、ということを主張するにすぎない。
これは明らかに虚弱な主張であり、ついでにいっておけば、たとえ外見上「まったく等しい」諸条件のもとでおこなわれたわれわれの実験のほとんどが異なった結果を生み出したとしても、支持し続けることができるのであろうような主張である。
このことは、ヒューム自身が非常にはっきり述べたことである。
「これらの反対の諸実験がまったく等しいときですら、われわれは原因および必然性の観念を取り除かず、〔外見上〕偶然は・・・われわれの不完全な知識・・・にのみ存して、事物そのもののうちには存せず、事物はたとえ現象的に等しい恒常性または確実性をもたなくとも、あらゆる場合に等しく必然的である、とわれわれは推断する」。
㉝ ヒューム、前掲書、403頁以下。これを404頁以下(ここでヒュームは「私は必然性を二つの仕方で定義する」といっている)と、また「必然性と呼ぼうが呼ぶまいが」すべてのものが「意志に(または心のはたらきに)属すると容認しなければならない・あの理解できる性質」を「物質」に帰属するものとしているのと、比較してみるのは興味がある。いいかえれと、ヒュームはここで彼の習性または習慣説と彼の連合心理学を「物質」に---つまり物理学に---適用しようと試みるのである。
ヒューム的な哲学的決定論および特に心理学的決定論が物理的決定論の針を欠いている理由がここにある。
なぜなら、ニュートン的物理学においては、ある系における外見的な不正確さは実際はただわれわれの無知にもとづくものであり、われわれがその系について十分な情報をもつならばいかなる不正確な現象も消えてなくなるであろうといったように、諸事物を実際に眺めるからである。
これと反対に、心理学は決してこの性格をもたない。
回顧してわれわれはこういえるのであろう。
物理的決定論は物理学におけるあらゆる進歩につれてますます現実的になっていくと思われた全知の夢---それが一見して不可避的な悪夢になるまでは---であった。
しかし心理学者のこれに対応する夢は、まったく空中楼閣にすぎなかった。
それは、物理学、その数学的方法、その有力な応用と同等なものを獲得するという、そしておそらくは人間と科学とを鋳型にはめて作り上げることによって優越性をさえ獲得するという、ユートピア的夢であった。(これらの全体主義的夢想は、科学的観点からすれば重大でないけれども、政治的にはきわめて危険である。
㉞ 特に、魅力あり善意に満ちているがきわめて素朴なユートピア的全能者の夢想であるB.F.Skinner、Walden Two、1948を参照(特に246-50頁を見られたい。また214頁をも参照のこと)。Aldous Huxley、Brave New World、1932(またBrave New World Revisited、1959)、およびGeorge Orwell、1984、1948は周知の解毒剤である〔ハックスリ「すばらしい新世界」、オーウェル「1984」、早川書房「世界SF全集10」、1968年〕。私はこれらのユートピア的で権威主義的な考えのいくつかを、私の「開いた社会」1945年、第4版1962年と、「歴史的法則主義の貧困」のたとえば91頁で批判した。(両書における、いわゆる「知識社会学」に対する私の批判をとりわけ参照されたい)。
しかしこれらの危険については私は他のところで論じたので、ここではこの問題を扱わないことにする)。
そして特に、もしもわれわれが心理学の法則を調べてみるならば、正確さの示唆さえない。
このことは、「内省」心理学または「精神主義的」心理学についてと同様、「行動主義的」心理学についても当てはまる。精神主義的心理学の場合においてさえ、せいぜいのところ所与の条件のもとで、ネズミは迷路を通り抜けるのに20秒から22秒かかるであろうことをあらかじめ決定するだけである。
行動主義心理学者は、いかにして、諸条件を特殊化することによって、ますます正確に---そして原則的には果てしなく正確に---なっていく予測をなしうるか、について何らの考えももっていないであろう。
そうであるわけは、行動主義的「法則」が、ニュートンの法則のように、微分方程式でないからであり、またそのような微分方程式を導入しようとするすべての試みは行動主義をこえて生理学に、究極的には物理学に導くからであり、それゆえわれわれを物理的決定論の問題にひきもどすであろうからである。
ラプラスが注意したように、物理的決定論は、もしわれわれが物理的世界の現状について十分な知識をもっているならば、遠い将来(または遠い過去)におけるすべての出来事を思うがままの正確度をもって予測できる(また推断できる)ということを含意している。
他方、ヒュームのタイプの哲学的(または心理学的)決定論のテーゼは、その最も強力な解釈においてさえ、二つの出来事のあいだの何らかの観察可能な差異は、あるいはまだ知られざる法則によって、世界の先行状態のうちのある相違に関係づけられる、ということを主張するにすぎない。
これは明らかに虚弱な主張であり、ついでにいっておけば、たとえ外見上「まったく等しい」諸条件のもとでおこなわれたわれわれの実験のほとんどが異なった結果を生み出したとしても、支持し続けることができるのであろうような主張である。
このことは、ヒューム自身が非常にはっきり述べたことである。
「これらの反対の諸実験がまったく等しいときですら、われわれは原因および必然性の観念を取り除かず、〔外見上〕偶然は・・・われわれの不完全な知識・・・にのみ存して、事物そのもののうちには存せず、事物はたとえ現象的に等しい恒常性または確実性をもたなくとも、あらゆる場合に等しく必然的である、とわれわれは推断する」。
㉝ ヒューム、前掲書、403頁以下。これを404頁以下(ここでヒュームは「私は必然性を二つの仕方で定義する」といっている)と、また「必然性と呼ぼうが呼ぶまいが」すべてのものが「意志に(または心のはたらきに)属すると容認しなければならない・あの理解できる性質」を「物質」に帰属するものとしているのと、比較してみるのは興味がある。いいかえれと、ヒュームはここで彼の習性または習慣説と彼の連合心理学を「物質」に---つまり物理学に---適用しようと試みるのである。
ヒューム的な哲学的決定論および特に心理学的決定論が物理的決定論の針を欠いている理由がここにある。
なぜなら、ニュートン的物理学においては、ある系における外見的な不正確さは実際はただわれわれの無知にもとづくものであり、われわれがその系について十分な情報をもつならばいかなる不正確な現象も消えてなくなるであろうといったように、諸事物を実際に眺めるからである。
これと反対に、心理学は決してこの性格をもたない。
回顧してわれわれはこういえるのであろう。
物理的決定論は物理学におけるあらゆる進歩につれてますます現実的になっていくと思われた全知の夢---それが一見して不可避的な悪夢になるまでは---であった。
しかし心理学者のこれに対応する夢は、まったく空中楼閣にすぎなかった。
それは、物理学、その数学的方法、その有力な応用と同等なものを獲得するという、そしておそらくは人間と科学とを鋳型にはめて作り上げることによって優越性をさえ獲得するという、ユートピア的夢であった。(これらの全体主義的夢想は、科学的観点からすれば重大でないけれども、政治的にはきわめて危険である。
㉞ 特に、魅力あり善意に満ちているがきわめて素朴なユートピア的全能者の夢想であるB.F.Skinner、Walden Two、1948を参照(特に246-50頁を見られたい。また214頁をも参照のこと)。Aldous Huxley、Brave New World、1932(またBrave New World Revisited、1959)、およびGeorge Orwell、1984、1948は周知の解毒剤である〔ハックスリ「すばらしい新世界」、オーウェル「1984」、早川書房「世界SF全集10」、1968年〕。私はこれらのユートピア的で権威主義的な考えのいくつかを、私の「開いた社会」1945年、第4版1962年と、「歴史的法則主義の貧困」のたとえば91頁で批判した。(両書における、いわゆる「知識社会学」に対する私の批判をとりわけ参照されたい)。
しかしこれらの危険については私は他のところで論じたので、ここではこの問題を扱わないことにする)。