ストロンチウム90は、半減期が28.8年の放射線核種である。2族元素(アルカリ土類金属)の仲間で、元素周期表では、同じ2族元素のカルシュウムの真下にくる。
元素周期表で同じ列に属する元素(すなわち、「同族の元素」)は、化学的性質が類似している。ストロンチウム90はカルシウムと似た化学的振る舞いをするので、人間や動物の骨(カルシュウムが主成分)に沈着して、長期にわたって造血機能を蝕み、骨肉種や白血病の原因になる。
体内で甚大な被害を及ぼすもう一つの放射性核種・セシウム137(Cs137)も、“白い灰”から見つかった。セシウムは1族のアルカリ金属である。
元素周期表で同じ列にあるカリウムと似た化学的性質を持ち、人体・動物体内ではカリウムとともに行動して筋肉に集まる。半減期は30年。染色体や遺伝子の突然変異を起こすことがあり、無精子症や奇形児誕生などにつながる。実際、第5福竜丸の乗組員たちは被爆後、無精子症になる者もあったし、乗組員の一人・大石又七の第1子は奇形で死産であった。
strontiumストロンチウム90やセシウム137は、天然には存在しないもので、核分裂の際に生成される人工放射性核種である。具体的には、ウランの核分裂に際して生成される。
→1960年代、米ソを中心に大気圏内の核実験が盛んに行われた。これに伴い、体内に取り込まれた放射性物質の除去剤や排泄促進法に関する研究も数多く行われている。放射性ストロンチウムは生体内ではカルシウムと同じような挙動をとる。IAEA(国際原子力機関)は放射性ストロンチウムを大量に摂取した場合、アルギン酸の投与を考慮するように勧告している[5]。アルギン酸は褐藻類の細胞間を充填する粘質多糖で、カルシウムよりもストロンチウムに対する親和性が高いことが知られている。ヒトにアルギン酸を経口投与してから放射性ストロンチウムを投与すると、投与していない場合と比べて体内残留量が約1/8になることが報告されている[6] [7]。また動物実験でも同様の効果があることが確かめられている
日本の科学者たちは、“白い灰”の放射性物質の分析から、ビキニ水爆は、核分裂(Fission)→核融合(Fusion)→核分裂(Fission)が続いておこるもの(頭文字をとって、「hydrogen bomb3F爆弾」とよばれる)であったと推論した。
→中性子爆弾や3F爆弾も水爆の一形態である。

まず、中心に置いた原爆が引き金の核分裂を起こし、その外側にある重水素化リチウムの核融合を引き起こす。ここまでが、水爆である。
さらにその水爆を天然ウラン238(U238)の外皮で包んだものが、3F爆弾である。高いエネルギーの中性子が外皮の天然ウラン238にぶつかって核分裂を誘発し、大爆発とともに膨大な放射性物質が作り出される。天然ウラン238を使うので、比較的安価で大きな破壊力が得られる。
日本の科学者たちが3F爆弾を推論できたのは、“白い灰”の中にウラン237やネプツニウム239などの誘導放射性核種を確認できたからである。
ウラン238から高速の中性子で作られ、ネプツニウム239はウラン238から低速の中性子で作られる。
水爆だけならば、原理的には、引き金に用いられる原爆からの核分裂生成物(Sr90やCs137など)のみが出てくるはずであり、ウラン237などの余分bの放射性物質は生まれない。
このように3F爆弾では、核分裂の部分が第一段階と第三段階の2回もあるため、放射性の分裂生成物を大量に生成する、いわゆる「汚い水爆」になる。
ビキニ水爆は実は、汚い3F爆弾の中でも質の悪いものだった。事前の理論計算の予測をはるかに超えた破壊力を示したのである。爆心地の全てのものを一瞬にして「粉末」に変える、あの破壊力である。
米ソを中心とする原水爆開発競争は、ビキニ事件の後、加速度的に急増の一途をたどり、地球の放射能汚染は際限なく進行した。
→Cold Warこの様に冷戦が進む中、1950年代前半のアメリカにおいては、上院政府活動委員会常設調査小委員会の委員長を務めるジョセフ・マッカーシー上院議員が、政府やアメリカ軍内部の共産主義者を炙り出すことを口実とした活動、いわゆる「赤狩り」旋風を起こし、多くの無実の政府高官や軍の将官だけでなく、チャールズ・チャップリンのような外国の著名人でさえ共産主義者のレッテルを貼られ解雇、もしくは国外追放された。
ビキニ事件の直後から、日本の医師団は治療に役立てるために、、“白い灰”の放射能の素性を教えてくれるよう、アメリかに要請していた。しかしアメリカは、「軍事上の機密」を盾に取って、最後まで情報提供を行わなかった。そもそもが汚い3F爆弾であった上に、計算の」ミスにより予想外の破壊力を出してしまった事実を、世界中から隠匿するためである。
日本の科学者たちは、“白い灰”の分析から、自分たちの力だけでアメリカの最高軍事機密である水爆の構造を解き明かしてしまったわけである。
この結果は、アメリカを大いにあわてさせたのだった。
余滴
株式会社三井物産戦略研究所会長 寺島実郎。
ゴジラを生んだ心情—問いかけとしての戦後日本(その10)「ゴジラとは何だったのか」は興味深い、一部引用しておく。
映画『ゴジラ』が公開されたのは、一九五四年十一月である。敗戦からまだ十年も経っていなかった。サンフランシスコ講話会議から三年、「独立」を回復したとはいえ、敗戦を引きずり、復員軍人の息子を待ち続ける母の心情を歌った菊池章子の『岸壁の母』が街に流れていた。
本稿の執筆にあたり、東宝特撮映画DVDコレクションを一通り見直した。とくに『ゴジラ』は改めて注意深く鑑賞してみた。川本三郎の『今ひとたびの戦後映画』(岩波書店、一九九四年)に「ゴジラはなぜ『暗い』のか」という興味深い論稿があるが、『ゴジラ』という映画は川本の指摘のごとく、とにかく暗く物悲しい印象を残す作品であった。それは戦争の影を重苦しく投影した「戦災映画」「戦禍映画」であり、「戦中派による第二次大戦で死んでいった者への鎮魂歌」という川本の評価が胸に沁みるのである。
『ゴジラ』の製作に至る経緯を調べると、興味深い事実に行き当たる。
一九五三年夏に製作が決定していた「日本・インドネシアの合作映画」の企画が五四年四月に頓挫したため、東宝として新しい企画が必要となり、急遽『ゴジラ』の企画が浮上したというのである。当初の企画はインドネシアの独立運動秘話を描くものであったが両国間の賠償問題がこじれ、インドネシア政府の反対によって製作中止となった。企画の中心にいた田中友幸プロデューサーは、名誉回復のための「大作」を企画しなければならなくなり、考えあぐねた結果、「当時社会問題となっていたビキニ水域でのアメリカの水爆実験、またアメリカで原子怪獣が主役の映画『原子怪獣現る』が封切られていた(五三年秋公開)ことを知り、それにヒントを得て前世紀の恐竜が水爆実験の影響で日本近海に現れ、東京を襲うといった物語を考えた」(竹内博「ゴジラの誕生」、「円谷英二の映像世界」所収、一九八三年)というのである。
一九五四年三月一日、ビキニ水域で米国が水爆実験を行い、マグロ漁船第五福竜丸の乗組員二三人が被爆するという事態がおこった。
九月二三日には被爆者となった久保山愛吉さんが放射能症で死亡、日本中が戦慄した。ヒロシマ・ナガサキからもまだ十年も経過していなかった。映画『ゴジラ』の宣伝ポスターには「水爆大怪獣映画」というキャッチコピーが使われたが、迫りくる「核の脅威」がこの映画の通奏低音であった。
この年の六月、防衛庁設置法・自衛隊法が成立し、七月一日に陸海空の自衛隊が発足した。
敗戦の総括もないまま、再び日本が「逆コース」に向かい始めているのではないかいう不安も多くの人の心に浮かんでいた。そんな時代を背景に、放射能を吐く怪獣ゴジラは登場し、東京を襲ったのである。
元素周期表で同じ列に属する元素(すなわち、「同族の元素」)は、化学的性質が類似している。ストロンチウム90はカルシウムと似た化学的振る舞いをするので、人間や動物の骨(カルシュウムが主成分)に沈着して、長期にわたって造血機能を蝕み、骨肉種や白血病の原因になる。
体内で甚大な被害を及ぼすもう一つの放射性核種・セシウム137(Cs137)も、“白い灰”から見つかった。セシウムは1族のアルカリ金属である。
元素周期表で同じ列にあるカリウムと似た化学的性質を持ち、人体・動物体内ではカリウムとともに行動して筋肉に集まる。半減期は30年。染色体や遺伝子の突然変異を起こすことがあり、無精子症や奇形児誕生などにつながる。実際、第5福竜丸の乗組員たちは被爆後、無精子症になる者もあったし、乗組員の一人・大石又七の第1子は奇形で死産であった。
strontiumストロンチウム90やセシウム137は、天然には存在しないもので、核分裂の際に生成される人工放射性核種である。具体的には、ウランの核分裂に際して生成される。
→1960年代、米ソを中心に大気圏内の核実験が盛んに行われた。これに伴い、体内に取り込まれた放射性物質の除去剤や排泄促進法に関する研究も数多く行われている。放射性ストロンチウムは生体内ではカルシウムと同じような挙動をとる。IAEA(国際原子力機関)は放射性ストロンチウムを大量に摂取した場合、アルギン酸の投与を考慮するように勧告している[5]。アルギン酸は褐藻類の細胞間を充填する粘質多糖で、カルシウムよりもストロンチウムに対する親和性が高いことが知られている。ヒトにアルギン酸を経口投与してから放射性ストロンチウムを投与すると、投与していない場合と比べて体内残留量が約1/8になることが報告されている[6] [7]。また動物実験でも同様の効果があることが確かめられている
日本の科学者たちは、“白い灰”の放射性物質の分析から、ビキニ水爆は、核分裂(Fission)→核融合(Fusion)→核分裂(Fission)が続いておこるもの(頭文字をとって、「hydrogen bomb3F爆弾」とよばれる)であったと推論した。
→中性子爆弾や3F爆弾も水爆の一形態である。

まず、中心に置いた原爆が引き金の核分裂を起こし、その外側にある重水素化リチウムの核融合を引き起こす。ここまでが、水爆である。
さらにその水爆を天然ウラン238(U238)の外皮で包んだものが、3F爆弾である。高いエネルギーの中性子が外皮の天然ウラン238にぶつかって核分裂を誘発し、大爆発とともに膨大な放射性物質が作り出される。天然ウラン238を使うので、比較的安価で大きな破壊力が得られる。
日本の科学者たちが3F爆弾を推論できたのは、“白い灰”の中にウラン237やネプツニウム239などの誘導放射性核種を確認できたからである。
ウラン238から高速の中性子で作られ、ネプツニウム239はウラン238から低速の中性子で作られる。
水爆だけならば、原理的には、引き金に用いられる原爆からの核分裂生成物(Sr90やCs137など)のみが出てくるはずであり、ウラン237などの余分bの放射性物質は生まれない。
このように3F爆弾では、核分裂の部分が第一段階と第三段階の2回もあるため、放射性の分裂生成物を大量に生成する、いわゆる「汚い水爆」になる。
ビキニ水爆は実は、汚い3F爆弾の中でも質の悪いものだった。事前の理論計算の予測をはるかに超えた破壊力を示したのである。爆心地の全てのものを一瞬にして「粉末」に変える、あの破壊力である。
米ソを中心とする原水爆開発競争は、ビキニ事件の後、加速度的に急増の一途をたどり、地球の放射能汚染は際限なく進行した。

ビキニ事件の直後から、日本の医師団は治療に役立てるために、、“白い灰”の放射能の素性を教えてくれるよう、アメリかに要請していた。しかしアメリカは、「軍事上の機密」を盾に取って、最後まで情報提供を行わなかった。そもそもが汚い3F爆弾であった上に、計算の」ミスにより予想外の破壊力を出してしまった事実を、世界中から隠匿するためである。
日本の科学者たちは、“白い灰”の分析から、自分たちの力だけでアメリカの最高軍事機密である水爆の構造を解き明かしてしまったわけである。
この結果は、アメリカを大いにあわてさせたのだった。
余滴

ゴジラを生んだ心情—問いかけとしての戦後日本(その10)「ゴジラとは何だったのか」は興味深い、一部引用しておく。
映画『ゴジラ』が公開されたのは、一九五四年十一月である。敗戦からまだ十年も経っていなかった。サンフランシスコ講話会議から三年、「独立」を回復したとはいえ、敗戦を引きずり、復員軍人の息子を待ち続ける母の心情を歌った菊池章子の『岸壁の母』が街に流れていた。
本稿の執筆にあたり、東宝特撮映画DVDコレクションを一通り見直した。とくに『ゴジラ』は改めて注意深く鑑賞してみた。川本三郎の『今ひとたびの戦後映画』(岩波書店、一九九四年)に「ゴジラはなぜ『暗い』のか」という興味深い論稿があるが、『ゴジラ』という映画は川本の指摘のごとく、とにかく暗く物悲しい印象を残す作品であった。それは戦争の影を重苦しく投影した「戦災映画」「戦禍映画」であり、「戦中派による第二次大戦で死んでいった者への鎮魂歌」という川本の評価が胸に沁みるのである。
『ゴジラ』の製作に至る経緯を調べると、興味深い事実に行き当たる。
一九五三年夏に製作が決定していた「日本・インドネシアの合作映画」の企画が五四年四月に頓挫したため、東宝として新しい企画が必要となり、急遽『ゴジラ』の企画が浮上したというのである。当初の企画はインドネシアの独立運動秘話を描くものであったが両国間の賠償問題がこじれ、インドネシア政府の反対によって製作中止となった。企画の中心にいた田中友幸プロデューサーは、名誉回復のための「大作」を企画しなければならなくなり、考えあぐねた結果、「当時社会問題となっていたビキニ水域でのアメリカの水爆実験、またアメリカで原子怪獣が主役の映画『原子怪獣現る』が封切られていた(五三年秋公開)ことを知り、それにヒントを得て前世紀の恐竜が水爆実験の影響で日本近海に現れ、東京を襲うといった物語を考えた」(竹内博「ゴジラの誕生」、「円谷英二の映像世界」所収、一九八三年)というのである。
一九五四年三月一日、ビキニ水域で米国が水爆実験を行い、マグロ漁船第五福竜丸の乗組員二三人が被爆するという事態がおこった。
九月二三日には被爆者となった久保山愛吉さんが放射能症で死亡、日本中が戦慄した。ヒロシマ・ナガサキからもまだ十年も経過していなかった。映画『ゴジラ』の宣伝ポスターには「水爆大怪獣映画」というキャッチコピーが使われたが、迫りくる「核の脅威」がこの映画の通奏低音であった。
この年の六月、防衛庁設置法・自衛隊法が成立し、七月一日に陸海空の自衛隊が発足した。
敗戦の総括もないまま、再び日本が「逆コース」に向かい始めているのではないかいう不安も多くの人の心に浮かんでいた。そんな時代を背景に、放射能を吐く怪獣ゴジラは登場し、東京を襲ったのである。