何世紀もの間、この考えに疑問をさしはさむ理由はみつからなかった。
17世紀イギリスの外科医で、医学研究者でもあるWilliam Harveyウィリアム・ハーベイの発見も、その信念を曇らせることはなかった。
ハーベイは「肥料の中から自然に蠅がわいてくる」という誤った考え(アリストテレスさえも泥から動物が生じると信じていた)を論破したが、生命には、生物が卵の時期に注入された何か神的な部分があると信じていた。
「すべては卵より生ず」とハーベイは言った。
つまり生命は生命からしか生じないということだ。⇒彼は発生学でも大きな足跡を残した。彼はシカの交尾前後からの発生の段階を観察し、アリストテレスの『胎児は月経血から生じる』という説を否定した。彼はほ乳類の卵を発見することはできなかったが、他の動物との比較からその存在を確信し、「すべては卵から」との言葉を残した。
しかし産業革命と、そのころニュートン力学や熱力学の法則に喚起された理論は、科学の領域を広げはじめ、生物学の王国を近づきがたいほどの神秘性を持たなくなった。
ニュートンの世界観は、宇宙の天体がある時間にどこにあるのかをわれわれが予言できることを示した。
それなら生物の働きも同じように予測可能なのでは・・・・と、生命を機械的な働きと見なす学派ができた。
機械論によれば、生命は文字どおり時計のような、オートマトン〔自動機械;自動人形〕なのだ。
それなら、複製は可能なのか?デカルトやライプニッツのような機械論者は、それは可能だと考えたらしい。
そしてある人びとは、この怪しげな領域に入り込んでいった。
彼らこそは、初期の、生命のような行動をする特殊なオートマトンの作者だった。
それらのオートマトンは、ルーブ・ゴールドバーグ〔アメリカの漫画家〕が描いたように、巧妙なスイス時計のように優美に汲み上げられた。
彼らは歯車ばかりでなく、重力、水力、滑車や日光までも利用した。
その結果できたのは、ベルンの大時計のような驚くべきものだった。
1530年に作られたこの巨大な時計は、毎時の時を告げる雄鶏に引き継ぎ、時計の王様の頷く合図で、槍をあやつる小熊や、獰猛なライオンなどの丹念に振り付けされたオートマトンの大行列をはき出した。
これらは正真正銘、楽しみを目指したもので、自然の地位を奪おうとするつもりで作られた物ではない。
しかし後に、オートマトンは生物と無生物の間の暗い境界に踏み込もうとするようになる。
最も有名な例は、ジャック・ド・ポーカンソンというフランス人によって作られた。
彼は20代の1738年に、「生きたアヒルのように飲んだり、食べたり、鳴いたり、水に飛び込んだり、食物を消化したりする金メッキの銅製の人工アヒル」で、パリを席捲した。
ヨーロッパ中で公開されたこのアヒルに、人びとは困惑した。
それは驚くほど複雑で、片方の羽の中に4百以上の可動部があった。
1800年代初めにこのアヒルが壊れてしまった時、ゲーテはその運命を嘆き悲しみ、「ボーカンソンのオートマトンが完全に麻痺してしまった。羽毛を失い骨組みだけになり、大麦を少しはたべるがもう消化はしない」と日記に書いている。
スイスの発明家レヒスタイナーがこのアヒルを再生し、1844年にミラノのスカラ座で揚々と再上演した。
レヒスタイナーはそれから3年をかけて、自分の人工アヒルを組み立てた。このアヒルはミュンヘンの宮廷劇場で、バイエルン王のルードウィッヒ1世や高官たちに謁見した。
「フライエ・ボルト」紙は、このすばらしい新種の鳥のふるまいを詳細に報じた。
アヒルの動きは、きっとその背後に知性がある、とそれを見た人に思い込ませるだけの自然さがあった。
食べ物を与えると、アヒルは貪欲にオートミールをつつき、時たま休んでは頭をもたげ、驚き見入る見物人の方を見すえた。
そして山場では「・・・・その鳥の体が痙攣しはじめ、急いで食べたため胃袋がびっくりして消化に苦しんでいるのが分かる。しかしこの小くて果敢な鳥は持ちこたえ、何分か経つと明らかに体内の不調を克服していると思われる仕草をする。事実、部屋中に耐えがたいほどの臭が充満してくるのだ・・・・」
そのアヒル機械は今日はもう存在しないので、この文章はわれわれの想像力をかきたてるだけだ。
もし、レヒスタイナーや彼の先人ボーアンソンが、生命を創造することはまじめに研究するに値するという深い理解を持っていたとしたらどうだったろう。
これらの人造アヒルを観察し、その仕組みを自然のそれと比較することで、消化や胃腸内ガスの滞留などの新陳代謝現象について洞察を得ることは、19世紀の生物学者にとって魅惑的か、そうでなくても啓蒙的ではありえただろう。
1847年に出たある新聞の記事はまさに、レヒスタイナーの有能なアヒルは、科学的な意味を持つ生物的モデルであると論じている。
・・・・ このオートマトンのすべての動きや態度は、生物の最も微細な部分までを複製しており、われわれの目の前に本物のアヒルがいると信じたくなるほど、自然を忠実にまねたものだ。
しかしこれらは、非常に複雑な機械によって再現されているにすぎない。
特に、このアヒルの息をし、消化し、排泄するという三つの場面で、発明者の達した技がいかんなく発揮されている。
ここには明らかに、ただの機械の能力を超える何かがある。
この芸術家は同化作用と栄養化学の過程の深い秘密に通暁している。
生命は電磁気的な活動に依存しており、この発明者もそれを自動人形オートマトン作りに用いた。
自然の過程の秘密を把握し、実用的な応用にこの知識を使うだけでも、自然科学、特に生理学に大きな前進をもたらす。
この優れた知性によってもたらされる発見は、彼の名を不朽のものにすることは間違いない。
17世紀イギリスの外科医で、医学研究者でもあるWilliam Harveyウィリアム・ハーベイの発見も、その信念を曇らせることはなかった。
ハーベイは「肥料の中から自然に蠅がわいてくる」という誤った考え(アリストテレスさえも泥から動物が生じると信じていた)を論破したが、生命には、生物が卵の時期に注入された何か神的な部分があると信じていた。
「すべては卵より生ず」とハーベイは言った。
つまり生命は生命からしか生じないということだ。⇒彼は発生学でも大きな足跡を残した。彼はシカの交尾前後からの発生の段階を観察し、アリストテレスの『胎児は月経血から生じる』という説を否定した。彼はほ乳類の卵を発見することはできなかったが、他の動物との比較からその存在を確信し、「すべては卵から」との言葉を残した。
しかし産業革命と、そのころニュートン力学や熱力学の法則に喚起された理論は、科学の領域を広げはじめ、生物学の王国を近づきがたいほどの神秘性を持たなくなった。
ニュートンの世界観は、宇宙の天体がある時間にどこにあるのかをわれわれが予言できることを示した。
それなら生物の働きも同じように予測可能なのでは・・・・と、生命を機械的な働きと見なす学派ができた。
機械論によれば、生命は文字どおり時計のような、オートマトン〔自動機械;自動人形〕なのだ。
それなら、複製は可能なのか?デカルトやライプニッツのような機械論者は、それは可能だと考えたらしい。
そしてある人びとは、この怪しげな領域に入り込んでいった。
彼らこそは、初期の、生命のような行動をする特殊なオートマトンの作者だった。
それらのオートマトンは、ルーブ・ゴールドバーグ〔アメリカの漫画家〕が描いたように、巧妙なスイス時計のように優美に汲み上げられた。
彼らは歯車ばかりでなく、重力、水力、滑車や日光までも利用した。
その結果できたのは、ベルンの大時計のような驚くべきものだった。
1530年に作られたこの巨大な時計は、毎時の時を告げる雄鶏に引き継ぎ、時計の王様の頷く合図で、槍をあやつる小熊や、獰猛なライオンなどの丹念に振り付けされたオートマトンの大行列をはき出した。
これらは正真正銘、楽しみを目指したもので、自然の地位を奪おうとするつもりで作られた物ではない。
しかし後に、オートマトンは生物と無生物の間の暗い境界に踏み込もうとするようになる。
最も有名な例は、ジャック・ド・ポーカンソンというフランス人によって作られた。
彼は20代の1738年に、「生きたアヒルのように飲んだり、食べたり、鳴いたり、水に飛び込んだり、食物を消化したりする金メッキの銅製の人工アヒル」で、パリを席捲した。
ヨーロッパ中で公開されたこのアヒルに、人びとは困惑した。
それは驚くほど複雑で、片方の羽の中に4百以上の可動部があった。
1800年代初めにこのアヒルが壊れてしまった時、ゲーテはその運命を嘆き悲しみ、「ボーカンソンのオートマトンが完全に麻痺してしまった。羽毛を失い骨組みだけになり、大麦を少しはたべるがもう消化はしない」と日記に書いている。
スイスの発明家レヒスタイナーがこのアヒルを再生し、1844年にミラノのスカラ座で揚々と再上演した。
レヒスタイナーはそれから3年をかけて、自分の人工アヒルを組み立てた。このアヒルはミュンヘンの宮廷劇場で、バイエルン王のルードウィッヒ1世や高官たちに謁見した。
「フライエ・ボルト」紙は、このすばらしい新種の鳥のふるまいを詳細に報じた。
アヒルの動きは、きっとその背後に知性がある、とそれを見た人に思い込ませるだけの自然さがあった。
食べ物を与えると、アヒルは貪欲にオートミールをつつき、時たま休んでは頭をもたげ、驚き見入る見物人の方を見すえた。
そして山場では「・・・・その鳥の体が痙攣しはじめ、急いで食べたため胃袋がびっくりして消化に苦しんでいるのが分かる。しかしこの小くて果敢な鳥は持ちこたえ、何分か経つと明らかに体内の不調を克服していると思われる仕草をする。事実、部屋中に耐えがたいほどの臭が充満してくるのだ・・・・」
そのアヒル機械は今日はもう存在しないので、この文章はわれわれの想像力をかきたてるだけだ。
もし、レヒスタイナーや彼の先人ボーアンソンが、生命を創造することはまじめに研究するに値するという深い理解を持っていたとしたらどうだったろう。
これらの人造アヒルを観察し、その仕組みを自然のそれと比較することで、消化や胃腸内ガスの滞留などの新陳代謝現象について洞察を得ることは、19世紀の生物学者にとって魅惑的か、そうでなくても啓蒙的ではありえただろう。
1847年に出たある新聞の記事はまさに、レヒスタイナーの有能なアヒルは、科学的な意味を持つ生物的モデルであると論じている。
・・・・ このオートマトンのすべての動きや態度は、生物の最も微細な部分までを複製しており、われわれの目の前に本物のアヒルがいると信じたくなるほど、自然を忠実にまねたものだ。
しかしこれらは、非常に複雑な機械によって再現されているにすぎない。
特に、このアヒルの息をし、消化し、排泄するという三つの場面で、発明者の達した技がいかんなく発揮されている。
ここには明らかに、ただの機械の能力を超える何かがある。
この芸術家は同化作用と栄養化学の過程の深い秘密に通暁している。
生命は電磁気的な活動に依存しており、この発明者もそれを自動人形オートマトン作りに用いた。
自然の過程の秘密を把握し、実用的な応用にこの知識を使うだけでも、自然科学、特に生理学に大きな前進をもたらす。
この優れた知性によってもたらされる発見は、彼の名を不朽のものにすることは間違いない。