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みち草・・・・「人工生命」

2012-12-14 09:00:00 | アルケ・ミスト
フォン・ノイマンはセルを使ったモデルの証明を、きちんと書いた形では完成しなかった。

 1年以上の間、彼は毎日夜明け前に起きて草稿を書いた。
53年の3月にプリンストン大学で一連の講義をする時までに、それについて、ある程度詳しい話ができるようになっていた。

 しかし思いのほか問題が込み入っていたため、草稿は長い二つの章が四章になり、もっと伸びる予定になった。

フォン・ノイマンは原子力委員に任命された時、この仕事を棚上げにして、任務が終わった時点で完成しようと考えていた。

 彼の健康が思わしくないことが明らかになってくると、後にBASIC言語〔初期のパソコンで多く使われた平易なコンピュータ言語〕を作ることになるジョン・G・ケメニーに、自己複製セルオートマトンについて書かせることにした。

 ケメニーの仕事は、五五年に「人間と機械の間に、何ら決定的な違いがないことを証明する」試みとして「サイエンティフィック・アメリカン」誌〔米の一般向け科学月刊誌〕に発表された。

 ケメニーを興奮させたのは、フォン・ノイマン型のオートマトンの持つ進化の能力だった。
彼は「機械の尾の部分にはほとんどのセルが集中し、ちょうどChromosome染色体のようだ」と書いており、それに比べて人間の身体がほんの少しの物質で遺伝物質を作れることに驚嘆している。

 「こんな機械が、進化をとげるのだろうか」とケメニーは迷った末、フォン・ノイマンと同じように、それはきっと可能だと結論づけた。
彼は複製の過程で、少数のランダムな変化が起きるように、情報の一部でオンをオフにしたりその逆の変化をもたらすよう、移行規則をプログラムすればよいと考えた。

 これは突然変異に似ている。
もしくはもっと息をつめて、突然変異〈そのもの〉と言ってもいい。突然変異がそれであるように、この性質も子孫に伝わる。
もしこの変異が機械の適合力を増すなら、自然淘汰の取り決めに従って、大方の機械の遺伝子グループの中で広がっていくだろう。そしてついにはわれわれは、進化の恩恵にあずかるのだ。

 しかしこれは、フリーマン・ダイソンやレインの自己複製システム検討チームが抱いたのと同じ疑問を思い起こさせる。
そのような構造物を解き放ったら、いったい何が起こるだろう?
 それらから何がうまれるのか?

もちろんそれらがコンピュータのチップ上の中の電荷の組み合わせだけで起こり、文明の行く先を変化させるような巨大な工場のような規模で起こらなければ、あまり恐ることもない。

 もしそうでないなら、コンピュータの中にとじ込められただけの出来事を、どれだけ深刻に受け取ったらいいのか、かなりのジレンマだということが分かる。


 情報を記号的に操作して、自然をどれほどそれらしくまねできるのか?
人工的な生物を作ることで、生命の過程に対する知識を増すことができるのか?
 そのことは自然の複雑な力に対するわれわれのあいまいな理解を深めてくれるのか?
ついにはそうした力を手にして、われわれが知っている生命のような有機体を作れるのか?そして、それらは生きていけるのか?
 
 人工生命という分野は、それらの問いを、漫然とした疑問から本質的なものへと変容させる。


今日はDNA ligaseDNAリガーゼが発見された日。
 生体内では主としてDNA複製とDNA修復に寄与している。一方、遺伝子工学で組換えDNAを作るために頻繁に利用されている。⇒俗には「のり」とされ、「ハサミ」とされる制限酵素は1970年。これらとプラスミドDNAから人為的な組み替えDNAが1972頃から始まった。

みち草・・・・「人工生命」

2012-12-13 09:00:00 | アルケ・ミスト
 前に述べたように、フォン・ノイマンは自分の力学的なモデルに満足していなかった。
というのも、対象をブラックボックス化することは、ともかく予見できる範囲では、彼の創造物を想像上だけのものにしてしまうからだ。

 フォン・ノイマンにとってもこの点ではジレンマであったが、彼の古くからの友人で大数学者のスタニスラウ・ウラムの提案で解決の見通しがついた。

 ウラムは、フォン・ノイマンがポーランドの彼の家を37年に訪ねて以来の友人だった。

彼らの関係は戦争中のロスアラモスでの共同研究で確固たるものとなり、故国を捨てたこの2人はマンハッタン計画の中心人物となった。

 ウラムはこの友人とオートマトン理論に関して興味を分かち合い、29年にルウオウの喫茶店で自己複製をする人工的なオートマトンの可能性について、論戦を戦わせたこともよく覚えていた。

 フォン・ノイマンのブラックボックス問題に行き当たったとき、ウラムは、湖で泳ぐような生物や原材料を採取したり加工したりするようなやっかいな考え方はやめるように言った。
 その代わりに彼は結晶成長の例を引き、チェス盤のような格子が無限に展開していくような別の環境を考えるよう提案した。


 ここでは格子のそれぞれを「セル(細胞)」と見なす。
各セルは基本的には、共通の一群の規則で動く有限状態機械と考えられる。格子の形態は、不連続な時間が進むごとに変わっていく。
 各セルは自分の状態を示す情報を持ち、各時点で自分の周りのセルを見て、次の時点でとるべき状態を決める規則表に照らし合わせる。
格子状のこのようなセルの集まりは、生物と見なすことができた。

 この考えがフォン・ノイマンを引きつけた。
こうした格子空間に生きている生物は、純粋な論理生命といえた。
 この中で起こるすべてのことは、数学的に記述できた。
これによって完全な理解が可能になり、考えの差を超えてきちんと証明ができ、それは存在できるようになるのだ。

 ウラムの提言の本質をつかんだフォン・ノイマンは、彼の力学的自己複製オートマトンを、後に最初のセルオートマトンとして知られるようになるものに作り直した(この名前は、フォン・ノイマンのこの仕事にかかわる論文を編纂したアーサー・パークスが付けたらしい。もしそうならなかったら、ウラムが付けた、風呂場のタイルを貼ったような状態を表す「市松模様構造」という言葉が定着していたかもしれない)。

 フォン・ノイマンによる自己複製するオートマトンのためのセルによるモデルは、縁のないチェス盤から始まる。
それは、各々の格子のつまりセルが、無活動つまり非活性状態の、基本的には何も描かれていないキャンパスだ。
 フォン・ノイマンはそのキャンパスに、格子上を20万のセルで埋めつくすように、いわば一つの怪物を描いた。
この数字で描かれる風景では、それらの生物の細部は「色」の差で表されていた。それらは文字どおりの色ではなく、セルの29の異なる状態を表すものだった。

 ある状態におけるそれのセルの組み合わせは、正確にその行動を規定し、まさにその生物自身を定義づけるものだった。それは、箱にとても長い尾が付いたような格好をしていた。
 箱は縦80×横400のセルから成り、力学モデルのA、B、Cの部分(工場、複写機、コンピュータ)を模したものだった。
しかしそれらは、この生物全体を構成するセルの4分の1に過ぎなかった。残りは設計図としての尾の中にあり、15万個の1列のセルからなるヘビのような形をしていた。

 この機械の複製過程は、泳いだり物をつかんだりするのはなく、領地を求め、その領地を変えていくふるまいとして表現されていた。
それは競技者が近隣の国を侵略して討ち負かす、地政学の盤面ゲームを思わせるものだった。
 もっと言うなら、これは自然の複製で起こっていることに対する物理学的な解釈だったのだ。

 子孫という新しい物を作る原子や分子は、まわりの環境から集めなくてはならない。まさに秩序のないところからこうした素材を集めて、高度に複雑な生き物へと統合していくことこそ、生命の理念そのもだった。

 いったん広大なチェス盤の上に組み込まれたフォン・ノイマンのセルオートマトンは、規則に従うことになる。
もっと的確に言うなら、個々の有限状態機械としてのセルはそれに適用された規則に従いはじめる。

 こうした局所でのセルのふるまいの影響が全体のふるまいを生み出し、自己複製構造のセルは近隣のセルと作用しあい、それらの状態のいくつかを変える。

 それは、もとの生物を作っていた素材のセルの状態を変容させる。
 それぞれのセルには取りうる状態が29あったため、その過程はかなり複雑なものになる。基本的にその機械は、いとこにあたる元の力学モデルと似た動きをした。

 尾の部分は、その生き物の身体に関する命令を持っており、状態によってコンピュータや工場や複写機として働くセルの集合だった。
フォン・ノイマンの作った移行期の規則によって、ついにはその生物は自分の本体の複製を作りはじめた。
 へその緒のようなヒモを伝って、母から娘に情報が伝えられた。
その過程の最後の段階は尾を複製し、へその緒を切り離すことだった。ついに、無限のチェス盤の上に、どちらも自己複製が可能な、二つの同じ形の生き物ができる。


一言
 結晶つまりクリスタルと言えば、思い出して欲しいのはThomas Graham。
「液体拡散の物質分離への応用」研究は、結晶状態を取り難い特徴ある別の部類の化学物質に属しているコロイドの発見であった。





みち草・・・・「人工生命」

2012-12-12 09:00:00 | アルケ・ミスト
 この話は、宇宙計画での自動制御という夏期研究からはやや逸脱しており、確かにNASAが耳を貸す理解の範囲を超えてしまっていた。

しかしこのチームが、これらの自己複製する機械を作ることの哲学的、倫理的、さては宗教的な考察まで行なう決定をしたとき、彼らはまだ海図にものっていない想像の地へと旅立っていたのだ。
 彼らの提起した問題の範囲は驚くべき広がりを持っており、ある人には途方もないものに思えるかもしれない。


 しかしレインは現在、こうした論議を呼ぶ探究に対し、「われわれはそうした疑問を呈する義務を感じていた」と言っている。
彼らはアリストテレスの時代にまでさかのぼって、その時代の人たちが機械は魂を持ちうると思ったのか、はたまた魂を持っていると〈考えた〉か、論じている。

「自己複写し進化する機械は、神という概念を持ちうるのか?」と彼らは問うた。
「それとも人類は彼らにとって、進化におけるただの先駆者に過ぎないのか?」

 それに対する答えはたぶん、自己複写システム検討チームの「人工生命機械は、われわれとただ共生する対象の仲間以上のもので、未来永劫にともに進化するものである」という、われわれを最も不安にする考察の中にあるのかもしれない。

 彼らの主張によれば、人類は万物の大きな体系の中の「生物学的な中間駅」か、そうでなければ、「進化の壁に突き当たっている」のだった。

 自己複写システムを介してのみ「真の知的にも物質的にもわれわれの子孫は」、進化の行き止まりという不毛な道を回避できる。

これらのシリコンと鉄でできた子孫たちが、人類ばかりか炭素を基礎にした他の生物をも時代遅れにしてしまう可能性を知りつつも、これを書いた人びとは、その状況をもっと楽観的に捉えていた(われわれこそが、そうした機械を作り始める張本人だ、と彼らは主張していたのだから、それは驚くにあたらない)。

 彼らは、人類がもっと大きなシステムの1部に融合することで、ほとんど永遠に共生して「自分自身の力で不死を得ることができる」と期待していた。

 人類が滅亡する可能性を指摘し、少なくとも「地球上で植物と動物の王国が何十億年も前に分かれて生じた」のと同じくらいの重要性がある岐路に立って、NASAの自己複写システム検討チームはこの提案を実際の軌道に乗せるための財政の裏付けをじっと待っていた。

 第1段階としては、MIT〔マサチューセッツ工科大学〕やカーネギー=メロン大学やフォード・アエロスペース社などの研究所による、技術と実現性の検討が必要だろう。
 彼らは、それに関する研究を申し出る申請書の見本まで用意していた。そして、その間にNASAがすぐに簡単な自己複写機能を持ったロボットを、研究所で開発しはじめるよう提案していた。

 レインによれば、NASAの担当官はその考えに好意を持ち、それを開始する可能性を持ち出したという。
83年にRonald Wilson Reaganロナルド・レーガン大統領が宇宙での大きな構想を発表すると聞いて、彼はそれに自己複写する月面工場の集中的な開発が含まれると期待していた。
しかし、レーガンの演説はそうではなく、スターウォーズの提案だった。





みち草・・・・「人工生命」

2012-12-11 09:00:00 | アルケ・ミスト
 80年代にNASAは、将来の宇宙計画に対し、高度なオートメーションとロボットがどんな役割を果たすかを探るため、10週間にわたる催しを開いた。

 NASAは18人の大学教授を募り、15人のプログラム技術者といっしょに研究を行わせた。

彼らは四つのグループに分かれ、遠い将来には実行できるはずの計画の実現性を検討した。

 この中の第四グループは、フォン・ノイマンの自己複製機械が月、ひいては宇宙を植民地化するのに使えるのかについての概略を書いた。⇒
宇宙条約

 この自己複製システムSRS;Self Replicating System 検討チームとして知られているグループの責任者を務めていたのは、リチャード・レインだった。

 彼は56年に英文学の課程から去って、ミシガン大学で後にコンピュータ論理グループの設立に関係するコンピュータ科学者のために、論文書の手伝いをしていた。
 そこでは、生物と自然のシステム間の共通点について論議がなされていた。
彼はつとにその論議に魅了され、システム科学の学位を取って、このグループの正式な一員になってしまった。

 彼はそこで、フォン・ノイマンのオートマトンの持つ意味について考察することに、ほとんどの時間を費やした。そして注目すべきことに、オートマトンが自己検査して情報を見つけ出し、遺伝子テープに自らの構造の情報を書かなくてもすむ場合の理論を作ってしまった。

 このことは、ラマルクの進化理論で起こることを意味することにもなる。
それについては、ラットの尾を何代にもわたって切り、どんなに前の世代から切ったとしても完全な尾のまま生まれてくるという1世紀近く前の実験で、論議にケリがついていたはずだった。

 それに続く分子生物学の発見も、ラマルク的進化が自然界の生物学ではまったく意味のないものであることを裏付けていた。

しかしレインは、人工生物学ではそれは違ったものになるかもしれないことを証明した。

 80年代にレインはミシガン大学を去り、妻が職を見つけたオレゴン州へと引越すところだった。
NASAの催しへの参加の話はとても興味をそそるものだったし、西部への旅の途中下車としてもちょうど都合がよいものだった。
 彼がサンタクララ大学に夏期の会議のためにドイツから連れてこられた若いロケット科学者のゲオルグ・フォン・テイーゼンハウゼン、法律の学位をもつ科学者のロバート・A・フレイタス・ジュニア、NASAの技術者ロジャー・クリフの3人だった。

 最初の会議があまりにすごい着想や指摘にあふれていたので、レインは彼らに、すぐ宿に帰って自分の言ったことをすべて書き記すよう促したほどだった。

 レインによれば、自己複製システム検討チームの作った計画が先例のないものだったので、夏期研究会の指導者たちはなんとなく不安になったという。
この計画には確固たる科学の裏付けがあるように思えたにもかかわらず、全体は何かはっきりとSF的なものが感じられからである。

 ゴールデン・フリース賞〔もっとも政府のカネをムダ遣いした計画に贈られる〕で何年もかかって行われてきた地球外生命探査計画(SETI)への資金援助を押しつぶした、ウィリアム・プロックスマイヤー〔米上院議員〕の危険な影がちらつき、どんな計画も下らないやり方だと判断されてしまいそうだった。

 そこでチームは保証を取り付けるため、5分間の短い形式にまとめた研究の概略を、常時ワシントンにスピーカー付き電話で流していた。
彼らは器用に、かつ柔軟にペダルを漕いだ。神人同形説の気味のある自己複製工場という言葉ではなく、それらを〈自己複写〉工場と呼んだ。


 自己複写システム検討チームは、「機械による自己複写と成長は、基本的には実現可能な目標である」ことを示す機会を狙っていた。
これには一つ、すぐ身の回りの環境の中だけでこの半生物が、成長し、代謝し、再生するための材料を手に入れられるかという、「閉鎖」問題が未解決だった。
 提案された工場も、あらゆる生物と同様に、この適切な物理的要素だけでなく十分なエネルギーを必要とする。独立した生物のように活動を行ない、子孫を作るのに必要な全情報を成長した操作できるまでは、このシステムに完全な閉鎖状態は実現しない。


みち草・・・・「人工生命」

2012-12-10 09:00:00 | アルケ・ミスト
 その後、人間は月に送り込まれたが、誰も人工植物工場に投資しようとはしなかった。

 しかし、この考えだけは生き残り、プリンストン高等研究所のFreeman John Dysonフリーマン・ダイソンは、自己複製するオートマトンに関する一連の思考実験を熱心に繰り返していた。
 
 それらの一つは、ムーアの計画に直接的に基づいている。

ダイソンは、工場が水を生産すれば砂漠が緑地になるかもしれないが、それと同時に何千もの難破した工場が海岸に打ち寄せられ、実際には環境破壊が生じるのはないかと想像している。
 そこでダイソンは目を宇宙に転じ、自己複製するオートマトンを雪深い土星の月エンケラドスに送り込むことを考えた。
彼の考えでは、この機械は遠く離れた太陽のエネルギーを吸収して太陽エネルギーで動き、それぞれが氷の塊を抱いており、一連の帆船団のような工場を作る。

 帆船は火星に向かい、火星の大気の中に突入しては氷を溶かす。
ダイソンは、これによって大気の湿度が高くなり、その結果、太陽系第4惑星の温度が上昇して、生物が住んだり農業を行なうのに適した温度のようになると考えた。
 彼が言うには、こすれば「一度作り方が分かって、それなりの価格で有限個の機器を作ることで、無限の成果、もしくは人類の基準で見れば考えられないほどのものが得られる」ことになる。

 ダイソンが心配しているのは、この成果が自然の摂理とまではいわないまでも、今まで培われてきた知識を明らかに侵害していたものであることだった。つまり、今までこうした進歩に必要だった苦労や汗を伴わず、以前には無であっただろうところから何物かを創造してしまう点だ(そこで、プリンストン大学の物理学者で自己複製システムを考えているテッド・テイラーが、これを「サンタクロース・マシン」と呼んだ)

 しかし、誰が、あえてサンクロースを信じたりするだろう。
われわれの直感や経験では、そんなうまい話はありえない。フォン・ノイマン風の思考実験をして、その提案から生命現象は究極のフリーランチである、というもっとらしい結論をひきだしたとしても、この問題は、争う余地のないエントロピーという原理を無視している。

 second law of thermodynamics熱力学の第二法則によると、時間が経つとエネルギーは拡散して利用不能になっていく。秩序は乱れていく。しかし生命は、第二法則を読まないで済んでいるかのようにふるまう。

 時間が経つにつれ、生命は秩序を〈拡大〉していくように見える。生命は、われわれがよく知っているように、初めは疑う余地のないほど簡単だったが、時間が経つにつれ秩序の整った複雑さを増してきた。

 フォン・ノイマンが述べているように、生命の進化という特性は、少なくとも部分的には、明らかに第二法則に挑戦している(物理学者は、宇宙全体でエネルギーと秩序は確かに散逸しており、この地球という特別の温室に張り付いていて見ている限り、全体像は見えてこないと言う。もっと大きなレンズを通して見れば、生命の組織化する特性は、第二法則に完全に従うものであり、それを支持しているものだと言う)。

 フォン・ノイマンの自己複製機械や人工生命的な物には畏敬を起こさせるような力があり、これが熱力学の第二法則の抜け穴として利用できるだろうと思わせる。生命の力を形成する必須要素などはないかもしれないが、長い間にわたって宇宙のある部分を秩序づける複雑さを獲得してきた生命独自の能力というものは、事実そこに存在〈している〉のだ。

 それゆえ、われわれが生き物、すなわちこの力を利用した人工生物を作るなら、われわれの力を幾何級数的に増大させることができるはずだ。

 ダイソンはその可能性について、「このことが、21世紀の主な関心の一つになると予想してもよいだろう」と言う。

 この予想はあまりに力強いので、われわれの感情はそれを無視したくなるかもしれない。
さらに、現在は実現している多くのことが、最初はSF作家だけが予想していたことを忘れ、それはSFの話だと言って退けてしまいたいほどだ。」
 フォン・ノイマンの力学モデルを最もうまく活用した、80年のNASA〔米航空宇宙局〕の自己複写月工場の提案にも、これと同じ運命が降りかかった。

みち草・・・・「人工生命」

2012-12-09 09:00:00 | アルケ・ミスト
 前述の遺伝学者ペンローズも同様に、息子のロジャーといしょに自己複製構造を持つ独自なシステムを作った。
彼らが使った素材は質素なもので、合板の切れ端を奇妙な形に切ったものだった。

 木片同士がある形でぶつかりあうと、それらに付いた刻みでつながり合い、まるである分子同士が結合したり、侵入してくるウィルスに免疫システムの細胞がつかみかかるようだった。

 何回かの相互作用を繰り返すと、システムはいくつかの木片が結び付いたある状態の「タネ」になり、それらが(たくさんの木片を入れて激しくゆすることによって)他の木片とランダムにぶつかりあい、一つではなく二組の木片、つまり親と子供に組み上がった。

 ペンローズの父の方は、似たようなシステムを使えば、原理的には進化の活動を起こさせることができると言った。
「そんな凝った組織は、いまのところは実際には作れない。われわれは寄生的な生物を作ることで満足しなくてはならない」と彼は認めつつ、「それでも、それはウィルスと比べて、かなりひどいというほどでもない」と述べている。

 これらの簡単な実験は、フォン・ノイマンの力学的オートマトンの原理を使っただけで、生命の持つ力に探りを入れることができることを暗示していた。

 これを見た科学者は、このような過程からものすごい利益が生じるのではないかと思った。
そこで彼らが作った計画は大胆なものだったが、彼らはそれらが実行可能なものだと主張した。
 フォン・ノイマンの理論がその分野を開始したという安心感から、おかしな点や資金のなさを無視して突き進んだ。

 それらの提案の最初のものには、エドワード・F・ムーアの「人工植物工場」があった。
ムーアの想像上の創造物は水に浮かぶ巨大な工場で、ジェット推進力を持ったイカの足のような物が付いていた。その理論的な動きは、フォン・ノイマンが描いていたものと同じだった。
 人工的な生きた工場を海岸の近くに落としてやると、海や海岸や空気から原料物質を吸い上げ、植物のような働きをする。

 エネルギーを通すと物質が精製され、それらが工場の各部品を作るのに使われる。
「そうした要素から、その機械は針金や櫛形コイル、歯車、スクリュー、中継器、管、貯水槽や他の部品を作り、それらから自分と同じような機械を組み立て、それがまたもっと多くの複製を作っていく」とムーアは書いている。

 しかし、この工場の仕事を指示するテープには、複製過程からできる副産物としてもう一つの仕事が書き込まれていた。
これによって、この工場を作ったり投資をした人たちに巨額の報酬がもたらされる。

 それは植物の収穫物と同じで、子孫を残すのに必要な分以上にできる鉱物だ(例えば、労働力の要らないマグネシウムを掘る鉱山、といったものが考えられる)。

 また、複製のためには必要ない、純粋な水のようなものが作り出される。
この工場が普通の工場と違うのは、人工的に生きている施設として、自給自足的な動きをしたことだ。そして他の工場を何千も作り出すことで、最初の一つの工場から無限の利益を上げていく。

 ムーアは自分の作り出した機械が、「フォン・ノイマンのものよりずっと複雑で高価なもの」になっているだろうことを隠していた。
人工植物工場についてムーアは、こんな世界を震撼させる巨大なシステムを企てる時の常套手段として、「地下室で研究しているたった一人の発明家だけでは作れるものではない」と控え目な書き方をしている。

 しかし彼は、五五年当時でもビッグ・サイエンスとしては少ない、七千五百万ドル以内で、十年以内、かなりの設計上の問題を解決できると考えていた。
 もし解決のために新しい化学反応を発見しなくてはならないとしても、こうしたものを作るのは人間を他の惑星に送り込むよりは簡単だ、と彼は主張していた。


みち草・・・・「人工生命」

2012-12-08 09:00:00 | アルケ・ミスト
 数学者や物理学者の中には、それほどおおげさでない自己複製構造を研究することで、ブラックボックスの問題を棚上げしようとする人もいた。

 それらは比較的簡単な構造をしているにもかかわわらず、実在していることで、頭の中かで考えているよりは価値はあった。
それらを創造した人たちは、単純化されたものであっても自己複製する機械を実際に〈作る〉ことが重要であると考えた。

 彼らは、生物学を他の分野から隔絶している誤解の壁に、裂け目を入れようとノミをふるっていた。

 またペンローズは、「自己複製する物という考えは・・・・、生命現象の原理に非常に近い関係があるので、魔術を思わせるものがある」と言っている。

 フォン・ノイマンの初期の賛同者たちや、彼らに続く人工生命の研究者たちは、彼らの問題を簡単に解決してくれる注目すべきものに行き当たった。
それは、例えば宇宙の法則などの自然界の傾向とは違って直感に反するものであったが、実際に自己複製という現象を〈支持〉しているようだった。
 それらの実験者たちの努力によって、人工生命にとって重要な科学理論や実験の流れとして、「複雑性の分野」が生み出されたのだった。

 フォン・ノイマンは、この現象についてもまた予言していた。
自然のシステムの研究によって彼は疑いもなく、「生命は情報の中だけにではなく、その複雑さの中にある」という最も優れた直感的な理解に到達していた。

 カオス理論や非線型力学系の研究が盛んになる何年も前に、フォン・ノイマンは、今日やっと生命現象を理解するために必須なものとなった理論に、すでに行き当たっていたのだ。

 生命はある程度の複雑さに依存していると、彼は言っている。
ある決定的な量に達すれば、物は開かれた形で自己複製ができるようになり、自分たちと同じものばかりか、もっと複雑なものも生み出すようになる。

 最もすばらしい例は、比較的簡単な単細胞の生物が、ずっと複雑な哺乳類などに進化する道すじだ。

ある程度以下の複雑さでは、有機体は自己複製に至ることなく、そのまま滅んでいくしかない。
これはロケットが地球の引力圏から脱出するにはある程度の速度が必要で、十分な速度で上昇しなくては慣性を失い地球に向かって落ちてしまうのにたとえられる。

 生物学者にとってその意味はすぐに明らかになり、生気論者のたわごとに対する、たぶん最良の答えとなった。
生物を非生物から区別する〈生の躍動:élan vital〉などという神秘的なものはなく、生物系というものに絶対的に必要な、ある種の生命力といってもいい複雑さが〈あった〉のだ。

 さらに、複雑性の理論とからみ合うことで、生命の出現と関連する自己組織化という概念が生み出された。

 人工生命という新しい分野の研究者は、自己組織化がまだ知られていない自然の力であり、システムをより複雑な方向へと突き進ませる進化の契機になっている力であることをはっきりと理解し、それに立脚するようになってきた。
 一見勝ち目のない賭けにも見えるが、そこで分かったことは「生命は〈生じたがっている〉ということだった。

 自己複製するものを作り出せるのは必然的ではないにしろ、自然の中の何かの要素であって、たぶん魔法ではないのだということが分かってきた。

その現象は、思わぬところから、からかわれたこともある。

 ブルックリン大学の物理学者ホーマー・ジェイコブセンは、50年代末に「科学者は生き物に特有なほとんどの機能を、明らかに非生物的なモデルを使って複製することができた」と書いている。

 それが不可能な大きな例外の一つに自己複製があるが、彼はそれを救済しようと、なんとHOゲージの鉄道模型を持ち出したのだ。
彼はいくつかの退避線を持った巡回型のレールの配置を使い、「頭」と「しっぽ」と呼ばれる二種類の自走式車両を走らせた。

 完全な「生物」は、二種類の車両がいくつか交ざってできていた。
彼は模型の車両がたがいに連結したり離れたり、転轍するという一組の決まりを設定した。

 その決まりに従うと、完全な生物としての電車が、あたりに散らばっている車両を操作して、子孫としての別の完全な生物を一貫して作り出した。
 驚くべきことに、ジェイコブセンは出来合いのおもちゃを使って、フォン・ノイマンの自己複製オートマトンのカギとなる動きを引き出したのだ。




みち草・・・・「人工生命」

2012-12-07 09:00:00 | アルケ・ミスト
 フォン・ノイマンが自己複製するオートマトンとして最初に考えたのは、スイッチ、遅延装置、その他の情報をやりとりする部分からなる1種のコンピュータだった。
 それは情報装置というより、実世界に存在する固い塊だった。
しかも演算用の要素以外に、そのオートマトンには5つの部分があった。

① 手のような操作要素。機械の計算(制御)を行なう部分からの命令を受ける。
② 切断要素。コンピュータの命令で二つの要素に分割する。
③ 融合要素。二つの部分をつなぐ。
④ センサー要素。どの部分をも認識してその情報をコンピュータに伝える。
⑤ 「梁」と呼ばれる強固な構造要素。シャーシーであるばかりか、情報の蓄積もできる。

 その生き物には生育地もあった。
その環境は、生き物を形づくっているのと同じ材料がたくさん貯め込まれている巨大な貯水池だった。
その生き物の体は三つのサブシステムおよび重要な付加物からできていた。

 フォン・ノイマンの自己複製オートマトンは、共生する三重の構造物にも見えた。
最初の部分はAはある種の工場で、貯水地から材料を集めて他の部分からの命令を使って並べるものだった。


 次の部分Bは、情報を持った命令を読んでコピーする複製要素だった。

 部分Cは、制御を行なうコンピュータそのものだった。

 命令自体は部分Dといってもよかった。それらは長い電信テープのようなものの上に並んでいた。

 物理的にはそれらは、長い一続きの梁がノコギリの刃のように並んだものだった。
各連結部分で梁が互いに交差するかどうかで1か0かが表現された。

 交差部分に梁を置くのは、テープの上に刻印すること、すなわちコンピュータ内のメモリーのビットを立てることと実際には同じだった。
この長いテープ状の梁を読んで二進数を集め、翻訳するとそれが情報になった。

 この梁状のテープは何キロにもわたって延びていると予想されるので、情報の性質は教科書などと比べても大変複雑になるだろう。


 自己複製が始まり、命令の書かれた梁テープを読むことによって、オートマトンは生命を吹き込まれることなになる。
部分Cは命令を読み、複製機能を持つ部分Bに送る。Bはそれを複製しオリジナルを収納し、工場に複製命令を送る。


 工場は命令をテープを読み、広い湖に漕ぎ出し、子孫を作るための必要な部品を探すため、波間に浮かぶさまざまな物の品定めをする。
もし適したものが見つかったら、その部品を手でつかみ、次の部品が見つかるまで持っている。
 そして次の部品を最初の部品と結合させる。
製造が完了すると、オートマトンは次の工場、複製機とコンピュータを作る。

 もう一つ重要な段階があるが、これこそがフォン・ノイマンの思考実験で先見の明があったところだ。
それは、長い梁テープとして親の複製機に保留されている部分Dが、子孫に組み入れられた時に起こる。
 
 新しい生き物には先祖の複製命令のコピーが受け継がれ、この同じ過程を繰り返せる「繁殖力」を持つことになった。

 この一連の出来事は、現在の生物学を知る人にはほとんど常識と聞こえるかもしれない。というのも、DNA分子の発見される数年前に作られたといえ、フォン・ノイマンのオートマトンは自然の生命の複製過程を反映したものだったからだ。
 
 ヒクソン・ホールの講演でフォン・ノイマンは、たぶんいくらか皮肉を込めてこう言ったのだろう。

 このオートマトンの記述にはもっと魅力的な側面がある・・・例えば、(テープ上の)命令は明らかに、ほとんど遺伝子に近い働きをしている。
複製を行う部分Bは、遺伝子物質の複製という、生きた細胞が増殖する際の生命本来の動きと同じ作業を行っている。
 またこのシステムが気ままに変化する様子は・・・・生物の突然変異と関連づけられる。これは多くの場合、致死的な結果をもたらす規則ともいえるが、特徴を変化させてそれを引き継ぎながら複製を続ける可能性を持っている。


 言葉を換えて言うなら、そういうオートマトンはわれわれ生物のように複製し、時間が経つと初期の状態よりもっと複雑なものに進化する力を持っているということになる。
つまり、われわれがそうなったようにだ。

 もしフォン・ノイマンの想像上の生き物を、ある想像上の仮定と見るなら、ワトソンとクリックやその後継者たちは、経験的にそれを追認したことになる。

 物理学者のフリーマン・ダイソンが指摘しているように、「われわれの知るかぎり、ウィルスより大きい微生物の基本的な形は、どれもフォン・ノイマンが予言したとおりのものになっている」のだ。

 この最初のオートマトンは、「力学モデル」として知られるようになったが、それには決定的な欠陥があった。
それが子孫を生み出すことが論理的にきちんとしていても、構造上あぶなっかしいところがあった。
 問題はそれを構成する要素にあった。
ブラックボックスが多すぎるのだ。ブラックボックスというのは、基本的には、外からきた何物かで、ある形でのふるまいをするが、どうしてそうなるのか
観察者に何の手がかりも与えてくれないものを指す。
 残念なことに、この力学的な動物には、信じるしかない部分が多すぎた。それらの「腕」や「センサー」はどこからやってくるのだろう?

その答えが返ってこないからといって、フォン・ノイマンの考察は、問題の論理的な条件を求めることを主眼にしているので、その機械が途方もなく複雑であることは些細なこと」だった。

しかし実際は、フォン・ノイマンが、これらの部品による実際に動くモデルを作れなかったことは事実で、それを行なうには何十年も先の高度な技術が必要だった。

「そういうシステムは原理的には設計が可能だ・・・・。しかし、それが動くための数は数十万から数百万にもなる。力学モデルは数学的な解析とはあまりなじまない」と、数学者で生物学者でもあるウオルター・R・スタールは65年に書いている。











みち草・・・・「人工生命」

2012-12-06 09:00:00 | アルケ・ミスト
 この一見単純に見える機械は、情報を内部状態から来るものと外部状態から来るものの二つの要素に分けていた。

 そして、われわれの住む宇宙は粒状になっていて、離散的で、想像しうる限り最も小さいな、何十億分の1秒という時間ステップで動くと仮定していた。

 どんな瞬間でも有限状態機械は、何らかの形で記述しうる状態を持つ。
その記述は、非常に込み入ったものでも単純でもよいが、その機械がとりうる可能な状態の有限集合の一つになっていればよい(その数は大変大きくてもよいが、無限ではない)。

 現在の瞬間と次の瞬間の間に、有限状態機械は何らかのセンサーからもたらされた入力を使い、外部の世界の状況を知る。
そして行動を制御するための「規則表」を参照し、センサーの入力と自分の内部状態を比べて、次のどんな行動を取るか、またその時点で自分がどんな内部状態を取るかをきめる。

 有限状態機械の最も簡単な例は、子供の椅子取りゲームだ。
この世界は、音楽の途中に入る休止によって、明確な時間ステップに区切られている。
 参加者の状態は、座っているか、立っているか、動いているか、ゲームから離れるか、四つのうちの一つを取る。
イス取りゲームの世界の規則とは、以下の通りだ。



 このチャーチ=チューリイングの仮定は、人間の心にも当てはまる。
もし誰かが、自分の心の取りうる状態は有限なものしかないと認めると(そんなことは受け入れらないという人もいるが)、もっともながら困った結論が出てしまう。

 ある一時点では、一つの心は、一つの可能な状態にある。

次の瞬間が来る前に、感覚の情報が入ってくる。

 じぶんの初期状態と周りの環境から来る情報の組み合わせが、その人の行動の心の状態を決定する。

チューリングの主張は、心は有限状態の機械で、論理的な取り決め、つまり生物的もしくは物理的な力による規則表に従って、次の状態を決定しているというものだ。

 チューリングの創作した仮定はその後五〇年にわたって、機械は知能を持ちうるか、という論争の中心的な論点となった。

多くの認知科学者は、コンピュータはチューリング・マシンと等価であると証明できるので、それらは万能マシンとしての資格を持つというものだ。

 心は規則がはっきり記述できないし、人間の考え方を絶対確実に表す規則表を書くことはできないので、有限状態機械としては認められない、と同意しない科学者もいた。

 しかしフォン・ノイマンは、後に作られる人工知能という分野に対しては、A-Lifeとしてその後に知られるようになる人工生命ほどには興味を持っていなかった。

 自己複製に注目していた彼にとって、心より生命の方が中心的な課題だったのだ。

 人工的な構造物の自然なふるまいは、40年代のフォン・ノイマンにとってコンピュータ研究の中心的課題になっていた。
39年から40年にかけて、彼はハンガリーの友人で、脳と電気的な計算機の結び付きを初めて示した物理学者ルドルフ・オートベーと、意見を交換していた。

 43年にフォン・ノイマンは、ウオーレン・マカロックとウオルター・ピッツの論文を読んだ。

「神経の活動に内在する観念の論理的計算」と題されたこの論文は、神経システムの機能を数学的モデルを使って模倣する方法、つまり人工的な神経システムについて述べたものである。
 
 フォン・ノイマンはこの論文の結論を、チューリングが唱えた「万能マシンはどんな計算システムでも模倣できる」という考えと結び付けた。

 生物体がもともと、その出力が自分の行動を規定するコンピュータを組み込んでいることを示唆するシステムだったのだ!
「徹底的にどんなあいまいさもなく記述でき、完全にあいまいさなく動かせるものは何でも、まさにその事実から、適切な有限神経回路で実現できる」と、フォン・ノイマンはヒクソン・シンポジウムで述べている。

 したがって、チューリングとチャーチは、万能コンピュータはどんな生体の心的な機能にも対応できることになる。
もちろん人間の行動を模倣したり、もっと簡単な生体物であるカブトムシやカシの木、バクテリアのようなものを模倣するにも、非常に長いテープが必要だろう。
しかし、それは実行可能だ。

 その論理的根拠は完璧なように見えた。
「生命はオートマトンの一つの綱である」という言葉を理解するためには、実際に機械を作る必要はなかった。

 フォン・ノイマンは、生命現象が情報処理システムを提示しており、それをまねることが強力な人工システムを作る秘訣だと気づいた。
彼はコンピュータの設計についての研究で、コンピュータの各部分を生体器官になぞらえた。

 彼が初期のコンピュータに用いたAND、OR、NOTゲートや遅延ゲートといったスイッチング素子は、神経のニューロンをモデルにしたものだった。
 
 同じ精神で、彼は人工的な生き物を設計した。
それは生命現象のもっとも込み入った機能である、自己複製ができるものだった。






みち草・・・・「人工生命」

2012-12-05 09:00:00 | アルケ・ミスト
 しかし、自然のアヒルとこの機械のモデルでは、器官や骨などの代わりにスクリューやバネが使われている点が明らかに異なり、それは生命を創造することの困難さの根拠となるばかりで、特にあら捜しをする批評家に工学的材料で生き物を作れると説得するのは困難だった。

 機械論者に反対する人びとは、すぐに、それは不可能だと結論づける。
ハーベイやパスツール、さらにはダーウィンやデカルトに対してさえ、アリストテレスの直感論がまだ力を持っていたのだ。

 それらのうち最も批判的な人たちは、自らを生気論者と呼んだ。

この言葉は、生物に特有の、いわゆる生命的な力、あるいは〈生の躍動〉から来ていた。もっとも生気論者の間でも、この力の性質については解釈が分かれていた。

ある人はこれを化学的なものと考え、ある人はこれを非常識な動因だとした。

 一九世紀まで多くの人は、これを電気的なものだと確信し、電気を通す死人の手足が痙攣することを指摘した。
生気論者の著作は「フランケンシュタイン」(この話では、生命の火花が電気によって与えられる)から、アンリ・ベルグソンの思想書にわたるまで多々あった。

 生気論者は、生命には(当然ながら)神秘的な部分があり、何か特別な物が生物と非生物を分けていると考えるのは完全に理にかなっているという、大方の人の抱く思いを代表し主張していた。

 最後の生気論の旗手は、ドイツの生物学者ハンス・ドリーシュだった。
彼は背教者のように、それを熱っぽく主張した。

 1891年にドリーシュは、イタリアのトリエステにある動物学研究所を訪れた。
そこで彼は、当時受け入れられていた生物学の理論と矛盾するウニの胚を使った実験に出合った。
 一つの胚を非常に初期の段階で分割すると、それぞれの細胞の塊から完全なウニが育ったのだ。
この現象を見た彼は、自分が主張している生命力、つまり「エンテレヒー」が働いていると誤解した。

 エンテレヒーは、「自分の目的を内包した、機械的でない動因」をさす言葉だった。
このウニに出合った日から、ドリーシュは生気論を科学と調和させようと、悲愴にもダーウィンの進化論を攻撃しながら論争に満ちた生涯を送った。

 彼の考える経験的真実なるものを引いて、ほぼアリストテレスの魂に相当するエンテレヒーに関する自分の込み入った考えを誇張し、この論議を二〇世紀にまで持ち込んだ。

 「真の教義は決して完全に消え去ることはない。ある時は反対者に罵倒されるかもしれないが、何が起ころうとその時代の喧騒に注意を払わず、いつでも自分の道を求める人がいるものだ」と彼は書いている。

 この「真の教義」に心酔する科学者を見つけ出すのは、現在では困難だが、生気論的なものはずっと残ったようだ。

われわれには、地球上で知られている生物の大家族以外のものにも、生物であるという特権を認めてしまう古来からの傾向があるが、合成されて作られた生命は特に生物体として認めたがらない。
 そして誰かが、研究室やコンピュータの中で、生命が有機的分子や化学で知れれている物質ではなく、何か非常に異なる「情報」という物質を培養基として作られるとでも言おうものなら、この傾向は大げさな懐疑主義やあざけりに変貌する。

 情報。
生命の基礎は情報であるということを前提とするなら、力学系が十分に複雑であれば、その中で複製が行われ、親よりも複雑な子孫が生み出される。
 
 これがフォン・ノイマンの前提だ。

 情報こそが、工学的な先人たちのオートマトンとは違う、自己複製を行なう機械としてのフォン・ノイマンの生物を特徴づけるものだった。
中心には、自らの行動ばかりでなく、自己複製活動をも司る設計図があった。

 もちろんこれは、かなり大胆な越境行為だった。
純粋な論理によって組み立てられた物に、呼吸をしている生きた物の能力の一部を認めるためには、その間のかなり大きな隔たりを飛び越えなくてはならないことが予想される。

 これをまず可能と思わせたのは、フォン・ノイマンと同じくらい現代のコンピュータの開発に重要な影響を与えた、論理学者のAlan Mathison Turingアラン・チューリングの仕事だった。

 1936年にチューリングは、自らの想像上のオートマトンを仕組んでいた。
だが、チューリング・マシンとして知られるようになるそれは、生命の世界に足を踏み入れようとはしていなかった。

 それを視覚化すると、よくできたテープレコーダーのような物になり、テープの長さを勝手に延長できた(この装置は想像上のもので、何百マイルもの長さのテープが何世紀にもわたって処理を続けるといった代物だった)。
 
テープは目印で区切られており、各区切りには1ビットの情報が書き込まれていた。
テープの上を動くヘッドの部分は、これらのビットを読めるばかりか、もし必要ならそれを消したり書き込んだりできた。
 またヘッドには、それぞれの情報を読む際にどうすればよいかを教える制御の機構が組み込まれていた。
こうした特徴を持ち動作を行うものは、有限状態機械(FMS:Finite State Machine)という名で呼ばれるようになり、またの名を有限オートマトンともいった。






備考:生誕100年を記念して、Turing Centenary Advisory Committee (TCAC) は2012年を Alan Turing Year とし、一年を通して世界各地でチューリングの功績を称えるイベントを行う予定である。TCACには、マンチェスター大学、ケンブリッジ大学、ブレッチリー・パークなどの関係者が協力しており、数学者のS・バリー・クーパー(英語版)が議長を務め、甥のジョン・ダーモット・チューリングが名誉会長を務めている。