ノーベル物理学賞を3人の日本人が独占した快挙をお祝い申し上げます。
さて1962年度のノーベル物理学賞は『液体ヘリウムの理論研究』(ランダウ;ソ連)に授与された。
その年に彼は凍てつくモスクワで瀕死の重傷を負い懸命の救急体制から奇跡的に一命をとりとめた事は知られている。
その彼はその昔、死刑宣告とされて可笑しくもないスターリン体制下の1937年から1年間留置所にありながらも、これまた九死に一生を得たのはカピッツア、モスクワ科学アカデミー物理研究所の所長、彼の上司による懸命なる活動の結果でもあった。
いわゆる大テロルのその年には68万人余りの銃殺が行われたと言われている。
そのカビッツア自身も1978年度のノーベル物理学賞を『低温物理学の基礎的研究』にて授与されているのであるが、同時に受賞したのは『宇宙黒体放射の発見』(ペンジアス/W・ウィルソン米国)であった。
一見すると何の関係もなさそうに見えるけれども、このマクロm
acroな世界とミクロm
icroな世界がダブって評価されたところが肝要な視点である。
それを表象させる適切な言葉がないので、
aiをもって語られるべきかと思えたので、ここではコスモスというよりも「コロイドの
ai」と言う造語を考案してみた。
さて本論へと戻してみれば、その論文は1941年である事がわかるのは「物理学者ランダウ」(スターリン体制への叛逆)に割かれたたった1,2行の論文名だけである。
その1941年の論文において、彼は意識的に新しい概念を導入して成功したのは、準粒子とも呼ばれるロトン。
つまり、それは流体力学を量子化していくつまりファイマンによって多体的な波動関数による分子論的な記述であり、ボース粒子或いはボース-アインシュタイン凝縮をもって語られてもいるそこにダブってくる。
ところでランダウと共に同じ時代を生きたのはビッグバンで知られるガモフ・ジョージ(1904-1968;ウクライナ)等も忘れるわけには行かない。彼はウクライナから亡命したのである。
余談はさておき、スターリン体制のイデオロギー教育は成功したとも語られるけれども、その陰でトロツキーの科学教育もまた成功したといえるのであろうか。
それに先立つ「部分と全体」1932年のコペンハーゲンでは量子力学的な深化がその相補てきな現場において活写されているではないか。そこにはランダウも立ち会っていたとわかる。
つまり生物学、物理学、化学はもとより哲学にまで及んだその現場である。素材はあのアインシュタイン-ボーア論争であったが。
ついでながら翌年、1933年には「わが国の代表的な哲学者たちの大半が、もはや今日の科学の現状を全く理解していない」事実を指摘し告発したのはタム(1895-1971)であるがその彼が核力の起源に関する考察で湯川中間子論に示唆を与えたとされているけれども、ランダウの論文もこの年のことであった。「ある種の物質の磁気感受率の低温での場への依存性の可能な説明」がそれである。
ここで福井謙一にも触れておきたい。古川安「燃料化学から量子化学へ-福井謙一と京都学派のもう一つの展開」から短く引用する。
ハンス・ヘルマン(1903-1938)は数奇な運命を辿ったドイツ人物理学者である。
妻はユダヤ人であったため1933年(昭和8年)、ヒトラー政権下のドイツを逃れ、本の原稿を携えてソ連に亡命した。
1937(昭和12年)年初頭にモスクワで最初のロシア語訳書を「量子化学」と題して刊行し、同年末「量子化学入門」と題するドイツ語の縮小版をライプチッヒで出版した(福井が言及した本が後者である)、だが翌年3月、ヘルマンはスターリンの粛清下にドイツのスパイというかどで処刑された。(「化学史研究」第41巻第4号2014年)
ところでわれわれが知り得たのは、世界大戦が終わってからの、いわゆるDLVO理論としてであったけれども、その革新性は一過性のものではなかったことを赤裸々に知らしめてくれるのが、J.N. イスラエルアチヴィリ「分子間力と表面力」である。
その初版は好評であったのであろう、既に二版、三版と重ね誠に分厚い大書となったきたのも驚きだが、その序文などを読み比べてみると直近の激震ぶりを垣間見る思いがするけれども、何故かそこにはトーマス・グラハムの記述はないけれども彼の言葉は残っていた。
それは量子論コロイドという概念である。
彼が14歳の時にThomas Thomson(1793-1852)へ問いかけられた言葉「Don’t you think Doctor!that when liquids absorb gases the gases themselves become liquids?」
短気なことで知られていたけれども彼は黙していたと言われている。
さて、その三版の表1・1には分子間力の理解に対して主要な寄与をした科学者が挙げられている。
注目されるのはその見出しである。
「量子論コロイド」の、そこを飾る科学者にはde Gemnes、Lifshitz、Derjaguin、Overbeek等が連ねられている。
一般相対性理論を経ての量子力学が巨大分子論争のみならず化学の世界に激震を与えた事は周知の事実である。
「暗黒のバイオコロイド時代」とも形容されるのも頷けるもののそれがバイオコロイドの胎動でもあったと理解されうるであろう。

その筆頭著者である、Dつまりデルヤーギン(1902-1994;ソ連)がここでは主役を演じていると言って良いのだが、そこで眼に止まったのはA-O理論その再発見の下り、つまり朝倉-大沢理論であった。
Overbeek, Deryagin en Verweij (v.l.n.r.) in 1968
それは涸渇引力とも表記されているけれども実は様々な言葉がここでは紡ぎ出されているのだが省略しておくけれどもデルヤーギンの言葉である剥離力がそこにダブって見えてくるからといっても加齢による白内障くらいの受け止め方でよい。勿論心して目薬のケアがあれば更によい。
エントロピー由来のその自由エネルギーは様々な場面で活躍が期待されるけれどもその1つがLEDにおいても必須の要件であろうと思われる。
エントロピー概念は難しいので混乱も引き起こしたのだが、その1つがDLVOのオーベルビーグであった。
月刊「化学」2013年(68巻)2月号 「プラスとプラスが引き合う話 」伊勢典夫 を短く転載しておく。
この違いは,予期したように相当な議論を巻き起こした.その大部分がOverbeek による反論26)をコピー&ペーストしたものであまり意味をもたないものではあったが.ここではこの原典について簡単に議論する.詳細は文献27 を参照されたい.
もっとも問題なのは国内のコロイド専門誌の査読にて、全く理不尽な体験がそこでは綴られている事ではある。
ここで思い出されたのがその昔、査読者でもあられた武石教授から頂いたメモである。
「化学を学ぶ際の二、三の問題点について」、その多くは忘れているが何故かポリウオーターの記憶は残されていたので、再読してみた。
① 研究上の論争 例えばデータ不足の例としての「生命の起源」など
② ちょっとした間違い 例えば実験上のミスとして「ポリウオーターは存在する」など
③ 常識のウソ 例えばアルキル基は電子供与性か?など
④ イデオロギーの対立 例えば「化学バカ」論争など
割愛するがポリウオーター論争では①H.H.フェジャーキンが毛細管中で凝縮した水が異常性を示す。②B.V.Derjagin、Faraday Soc.;
42、109 (1966)③E.R.Lippincott、et al.Science、164、1482(1969)その他に言及されている。
丁度同じ頃までを「生体系の水」(上平 恒ら)が扱っているので短く引用して参考に供する。
時間スケールに注意を喚起した上で①混合物モデル ②割り込み分子モデル③連続体モデルを挙げている。それ以後は新し段階に達して、X線回折から中性子回折へとつながっていく。
因みに今年は「世界結晶年」でもあった。
振り返りみて驚かされたのは大震災と水の関係にあったのではなく、ヘリウムが共存しているとの一報には驚いた。
その時の直覚はbearing効果かも知れずとおもったけれども、その後に知ったヘリウムが3であるときき、全くもって魂消た!!
魂消た!のは「猫」の仕業などではない。かと言ってダブって書かれた「坊ちゃん」の正義でもなんでもなかろうから、これは義正と書き直されて良いとは直感のなさしめたことだ。
漱石ならば、俺のことだからあてにはならんと付け加えたであろう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 難有い難有い々々々
余滴
1868年4月18日におけるインドへの皆既日食観測のための遠征で、フランスの天文学者ジャンセンはすでに説明したように太陽コロナのスペクトル中に未知の元素による黄色の線を観察していた。2ヶ月後、イギリスの物理学者ロッキアーは日食を待つことなしにコロナのスペクトルを観察する方法を発見した。そして彼は同じ黄色の線を観察したのだ。
彼はその線を輻射している未知の元素を“太陽の元素”を意味する“ヘリウム”と命名した。この二人の天文学者はそれぞれ、彼らの発見を記述した小論文をフランスの科学アカデミーに送っている。
2つの小論文は同時に到着し、アカデミーの1868年10月26日の集まりで読み上げられている。
この偶然の一致はアカデミーの委員を大層驚かせ、記念のメダルの発行が決定された。(「量子のサイコロ」L.L.ポノマリョフ著澤見英男訳)