死の予感と生命の燃焼に揺れ動いていた時分とは1916年のことである。
その時分における「居間の話題」はもっぱら照明とも言うべき「御倫膠」にも触れないでは済まなかったに違いない。
そこでは「しんかがく」が意識されと同時に「不易膠行」なる諦観がうごめいていたのであろうから、ありそうにも無い突飛な現象は日常であったものと推膠できるのだから若き血が騒ぐこともありえたのだ。
漱石のミクロコスモスとは生命の不可思議さを牛のごとく押して入ったのは、芥川等との交歓によったものであったろうが、その時分の意識は「無私」であるが、その言葉自身には何らの拘りをもっていた訳ではないと断っている。
つまり「虚私」でも良いのである。

その若かりし甘美な思い出とは高浜清その人である。
彼の雅号についてのあの逆提案したいきさつは置くとしても、注目される彼の語感では「清」と「虚」は合い通じるものであるから「虚子」を推奨してそれが受け入れられたので、「高浜虚子」が生まれた。
ところで松尾義之「日本語の科学が、世界を変える」は大変面白かった。
その面白さというのは丸でコスミックダンスを踊っているような、得難いパートナーとも言うべきであるわけは、執拗低音としての夏目漱石、寺田寅彦にある。
翻訳家でかつジャーナリストらしい、その生い立ちを遺憾なく発揮した力作は「居間の問題」にもっぱら照明を当ててゆくのだが、その結幕は寅彦の孫弟子を自称する大沢文夫、つまり大沢牧場を想起させ筆を置いている。

さて最後に率直に申し上げて置かねばならない事がある。
自ら断りながらのあの妄想は戴けなかった。つまい第6章「日本語の感覚は世界的発見を導く」20余頁は時分自身の強すぎた想いであろうと思われる。
翻ってみれば、湯川秀樹自身は「旅人」を著し更には「創造への飛躍」も著されていることは周知のことであるが、それらを参照してみれば『逆旅』がクローズアップされてくるではないか。
そこを短く引用しておく。
「・・・・李白にこういう言葉があります。「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」「天地」とは空間のこと、「万物」というのは素粒子だと考えればよろしい。「逆旅」は宿屋のことで客には固有の名前はなく、宿のどの部屋に入るかでどの粒子であるか、またそれがどんな運動状態にあるかが決まるわけです。「光陰」は時間を読み替えれば、「過客」すなわちこの逆旅に出たり入ったりする粒子の意味です。」
つまりそこからの非局所場の理論となるのです。
年頭にあたり皆様の御「献膠」を祈念申し上げます。
八百万踊る城下や斎灘 膠一

そこでは「しんかがく」が意識されと同時に「不易膠行」なる諦観がうごめいていたのであろうから、ありそうにも無い突飛な現象は日常であったものと推膠できるのだから若き血が騒ぐこともありえたのだ。
漱石のミクロコスモスとは生命の不可思議さを牛のごとく押して入ったのは、芥川等との交歓によったものであったろうが、その時分の意識は「無私」であるが、その言葉自身には何らの拘りをもっていた訳ではないと断っている。
つまり「虚私」でも良いのである。

その若かりし甘美な思い出とは高浜清その人である。
彼の雅号についてのあの逆提案したいきさつは置くとしても、注目される彼の語感では「清」と「虚」は合い通じるものであるから「虚子」を推奨してそれが受け入れられたので、「高浜虚子」が生まれた。
ところで松尾義之「日本語の科学が、世界を変える」は大変面白かった。
その面白さというのは丸でコスミックダンスを踊っているような、得難いパートナーとも言うべきであるわけは、執拗低音としての夏目漱石、寺田寅彦にある。
翻訳家でかつジャーナリストらしい、その生い立ちを遺憾なく発揮した力作は「居間の問題」にもっぱら照明を当ててゆくのだが、その結幕は寅彦の孫弟子を自称する大沢文夫、つまり大沢牧場を想起させ筆を置いている。

さて最後に率直に申し上げて置かねばならない事がある。
自ら断りながらのあの妄想は戴けなかった。つまい第6章「日本語の感覚は世界的発見を導く」20余頁は時分自身の強すぎた想いであろうと思われる。
翻ってみれば、湯川秀樹自身は「旅人」を著し更には「創造への飛躍」も著されていることは周知のことであるが、それらを参照してみれば『逆旅』がクローズアップされてくるではないか。
そこを短く引用しておく。
「・・・・李白にこういう言葉があります。「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」「天地」とは空間のこと、「万物」というのは素粒子だと考えればよろしい。「逆旅」は宿屋のことで客には固有の名前はなく、宿のどの部屋に入るかでどの粒子であるか、またそれがどんな運動状態にあるかが決まるわけです。「光陰」は時間を読み替えれば、「過客」すなわちこの逆旅に出たり入ったりする粒子の意味です。」
つまりそこからの非局所場の理論となるのです。
年頭にあたり皆様の御「献膠」を祈念申し上げます。
八百万踊る城下や斎灘 膠一