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「空膠ノマド」

2015-04-30 08:47:21 | 「・・・ノマド」
この草膠は、踏み躙られても時分自身をいやしてくれるに違いない。




変転極まりもない世のことだから誰を咎めると言うわけでもない、けれども、・・・みんな生きている。

われわれもまたその時分を生きている。

それらの全てを膠物とでも言っておくより他にないのだが、その膠物の健康状態を祈念しておきたい。


われわれに置いては、健康とは言わないで、「健膠」と言われる方がズート見通しが良くなるのだ。

全く同様に、思考法ではなくて「思膠法」と言われる方がしっくりと来る。
つまり二分法を拒むが如くある、一切の壁という壁はあくまでも、単なる膠物の集積体なのだから。

同じことだが、光学と「膠学」の差異である。
つまり光学だけではなく、瞳孔とか網膜等との関係をも含ませた思膠法が必須となっている。




それは膠観に基づくものであるから、ゾルーゲルの如きを想起すれば奇怪でもないと知れる。

それでは丸で信仰、と言うより「信膠」ではないか?
そうとも言えるけれども、そこの表象は抽象的なものではない、その表象が雲散霧消してしまってはいけないのだ


しかし、それでも心膠とは言わないでおこうと思う。
あのマイケル・ファラデーが妻から問い質された、その故事を思い出して頂きたい。ここでは割愛する、恕!











    夢殿やしずまりみちくる千膠         膠一



余滴
みち半ばでいった膠人は数しれない。
大整理中に未だ聞いたこともないテープも出てきた。
何故かうたれた、それを「空膠」「つぐない」だと想っている。                             再見

「・・・ノマド」

2015-04-29 07:57:15 | 「・・・ノマド」

 今朝になって気がついたのは、目覚めに聞く雀や烏の声がそこにない事である。ただ鶯だけが我が物顔に囀っているのはどうしたものか?

 昨日は「坂の上の雲」ミュージアムが無料公開日であった。



中学生も特別の展望室へ案内されての写生大会がおわったらしい、お疲れの様子でもある。


あまりにもよく知られた事なので割愛するが、佐藤忠男「坂の上の雲の文学史的位置」であったか、その原稿が眼にとまった。
僅かに1ページではと惜しまれるけれどもその史観を垣間見れたのかもしれない。




堀之内へ帰り来ると、全天は厚い雲に覆われている。


堀端には警備員も配されて、自転車も降りざるを得ない状態である。

その様子は夕べのニュース映像で拝見したけれども、今朝の愛媛新聞記事から転載しておく。

松山市は28日、愛媛県松山市堀之内の城山公園北堀で飼育しているコブハクチョウのヒナが誕生したと発表した。ヒナ誕生は、10年ぶりだった昨年に続き2年連続


毎朝のお勤めでもあるかのように、一日一ページ程を読み返しているのが「戦争の教え方」別技篤彦、副題は「世界の教科書にみる」。

何故か記憶に残っているのは国際的な構造論、われわれが言うところの膠象であろう。

「・・・ノマド」

2015-04-28 07:18:55 | 「・・・ノマド」
  夏日と聞くと何故か、浮かれてばかりもおれない気分へとモードがかわってくるらしく、ランダムではなくて木陰を選んで歩くとか屋内へ逃避するとか。

つまり光のスイッチ説を裏付けるような熱力学的な膠動とか膠象をわれわれ自身にも認めるけれども、より正史的には逆の関係にあるらしいのだが、ここではよす。





 閉ざされた校門からの校章が辛うじて望める、風化された二宮金次郎像もある。


その昔からの文教地区の機能を果たしてきたものでもあろう。






開かれた校門を表象するかのように百花繚乱






 その表象はこれだろう。しかし誰一人として知ってはいなかった。

彼らには目的が与えられ意識が研ぎ澄まされてもいるのだから、浮かれてばかりいるわけにはいかないはずだが、それでも膠門とか膠象問題は熟膠を要する問題ではある。





   しょしをたち想いぞ新た夏みかん      膠一

「・・・ノマド」

2015-04-27 07:10:36 | 「・・・ノマド」

雲1つない青空

 そよ風に誘われるがままに山懐へ、その膠景にはサイクリストとかランナーズとかの雄姿が目に止まる様になっている。さらには何と自動車も多くなったことか、それは春の祭りの参列者達とわかったのだが。




巨樹

 眺望の良いこの中継地は鳥や植生のメッカの様相をも垣間見せてくれるのであろうか、腰を据えたナチュラリストと思しき方と言葉を交わしているうちに、古い記憶がよみがえりその記憶を尋ねてみた、それは「ワッハッハ」としか言いようのない人の声にそっくりさん。


その経験をアーティストの彼は喜んではくれたが、その名を知ってはいなかった。それっきりになっていたのだ。

驚いた事には、彼は即答した「カジカ蛙」そして「鵺」だ。


カジカ蛙はここで、鵺は我が家、それは午前3時頃であったろうか。それっきりである。




さて、そこからの膠景は素晴らしかった。




   雲海の瀬戸の島々鳥蛙       膠一




「・・・ノマド」

2015-04-26 07:31:59 | 「・・・ノマド」
気候つまり気膠が良い時分と言うのは目的とか意識とか言うところのものが昇華されていくかのように膠動するものに違いない。


駐輪場代わりに解放されている広場は本日に限って締め出しを食った。




なにこれ!

ハリボテ、その祭りである。暫く見ていると路上パフォーマンスのよなつまり日頃からの修行の賜物を競っているらしい。



その裏庭

花壇やベンチなどが整備されてきたが、人影は少ない。
そこからさらに目を転じてみると、手招く人が見に止まる。



はてな!





もう満席ではありますが良かったら立ち席でもと、案内をされて講演会場へと入った。




ご当地ではよく知られた「四国遍路」のお話である。

こうしてレジメを見てみると、差異ばかりを取り上げるのには気が引けるが、ここでは「9 密教の優位性を説く」を転載しておく。



834年(承和元年)に宮中真言説の創立の上法文(密教の優位)
仏の説法には二つの鍵がある。
浅略趣;経典の散文が説く(顕教)
病理学。薬学の本によって、病気の原因やどのような薬が効くかなどを論ずるよなもの。

秘密趣;経典の陀羅尼の秘法を実践(密教)
処方箋によって薬を調合し、服用して病を除くもの。
病人に向かって、いくら病気や薬について論じてみても、病気をなおすことはできない。病に応じて薬を調合し服用すれば、病を除き命を保つことが出来る。


そこで何が語られたかは解らないけれども、われわれにおいては膠態とも言うべきものであり、その病態に関しての自らの、姿態について何かが語られたのであろう、けれども詮索はよそう。


愛媛大学法文学部附属 四国遍路・世界の巡礼研究センター開所記念講演会「四国遍路と弘法大師信仰」 鳴門教育大学 大石雅章
配布資料がどっさりとあったが未読。「四国遍路日本遺産に」との記事も添えられていた・





    かすむ春まつるハリボテ辺路みち            膠一




「・・・ノマド」

2015-04-25 09:02:53 | 「・・・ノマド」



好天に恵まれて散策の、つまりブラブラ歩きが似合うようになってきた。不思議なことに夏はもとより冬でも汗ばむのだから着替えを準備してなくては距離をのばせないけれども、この時期ではいくら歩いても汗ばむことを知らないのだ。




穏やかな天候ではあったが、何故かその光景は微妙に違って見える。例えば空模様である。
青空かと思っていれば何時の間にか霞がかかって見えたり雲が生まれたり消えたり、空を見て歩くだけでも飽きさせない不思議は今も昔も変わらない心情であるか。

天候は天膠であるのだからそれが膠天したり更には反転したり、行動つまり膠動するたびに現象つまり膠象が様々にそのステージを変えることには何ら不思議は元よりないのだが、何かありますな!

ふと足元を見ると古本屋でもないのに古本が置いてある!
「エントロピーの法則」その青空のような表紙が目の止まったものか定かではないが、なんとただ!ただ寄付をしてくれとの趣旨だ。


無闇に眩しい街歩きをも終わらんとした頃に、よぎった記憶は40余年も前の事。
それを先生にはまだ告げていなかったのに気がついた。

しかしそのことは今は置いておく。
意識に上ってきたのがアインシュタインを遡る19世紀の膠景つまりあのペニーブラックが発行された頃のイギリスと言うよりはスコットランドというべきかも知れない、そこが問題であると思われた。


それにしても全身創痍とも思える老木、エノキ等は実に頼もしい、オオムラサキ、国蝶に限らずともここに参集して賑わうことであろう。我々もまたその一つなのだが。












「・・・ノマド」

2015-04-24 09:03:42 | 「・・・ノマド」
不安定な季節ではあるが、ようやく安定してきた。ランナーたちの走行距離ものびがちであろうと思われる。





霞か雲か


膠天


その夜の天膠は解らないけれども随分と悶えていたのは不思議でもあったけれども、素敵なロマンで目が覚めた。
金メダリストが傍についていてくれたのはきっとあの、お母さんの化身ではなかったろうかと、納得させておいた。

今日は検査日である。




   松の芯尋ねきたるか愚陀佛庵        膠一


注意;2010年7月12日の記録的な豪雨で、松山城に大規模土砂崩れが発生し「愚陀佛庵」が全壊しました。再建の見通しはたっていません。

「・・・ノマド」

2015-04-23 09:00:07 | 「・・・ノマド」
 時分自身の光景、つまり「膠景」をわれわれは探しているのかもしれない、それが水面に燦々と光る風の如きかと草萌えてきた河川敷へ降り立つと、重厚なクラシックが轟き響き渡ってくるのに気がついた。



その膠景

 「描きたいのはミモザの黄」と言ってから、それはイタリアにおける若い男から若い女への求愛のサインとして贈られる花でもあると、素敵なロマンを語ってくれた。


「もう少し後で」と、描き続けている彼の絵筆は何故か萌えたつ樹樹を克明に仕上げてゆくのだから、何時の間にかその主役は背景として退き始めてくる。それが彼の膠法というものらしい。
 「ミモザの黄」は。希望の黄とでも言い換えられる時分自身の「膠景」であるらしい。



パレットの「膠景」

これは、あの「しんがっき」ではなく「しんねんど」と言うに相応しいのであろうと気がついた。







囀や天地金泥塗りつぶし    野村喜舟


     萌える樹樹天地金泥「ミモザの黄」       膠一


「・・・ノマド」

2015-04-22 09:49:13 | 「・・・ノマド」

 時分の選択は他分に不当に当たる恐れもあり、屋根裏は兎も角野晒しの危機でもあるのだから、作業は難渋している。
捨てることは易いけれども、捨てないことを肝に銘じているのだから尚更だ。





古手紙の整理。




 様々な記憶を呼び起こすものの1つが、手紙であるが、その中には時効となったものもあれば逆にその意味が蘇ってくるものもあるのだから、整理整頓は案外に難しい。




 「この姫路城には沢山割れた場所があります。割れてこのような形が保たれております。そう言われないと割れている所は誰にも見分けられません」
天皇陛下は大変に興味を持たれ。「その話はどうもよく分からない所があるのですが、もっとくわしくもう一度説明してください」、とおっしゃった。

 「私の作品は、5ミリ程の小さな炎(ハンドバーナー)で、3ミリのガラスの無空棒を溶かしながら編み上げてゆくのです。溶けている部分は千度近く。編み上がって形が出来た部分は冷えて室温になり、その間に大きなヒズミに耐えられず、一部に割れが生じます。しかしよく考えてみると、割るということは無理のヒズミから解放されて自然に戻ったということですから、そこまでで一時作業を中止して、こんどは電気炉に入れて六百度も熱してゆっくり一日掛りで常温に戻してヒズミを取り去り、再び同じように編んでゆくわけです」そうご説明申し上げると。

 「よく分かりました」とおっしゃった。




       心とも無色透明ガラス城      大野 貢(カンザス州立大学講師)




 以上は「文芸春秋」記事からの一部転載であるが、手紙には履歴書等も添えられていて、大野クラインボトルは昭和54年に昭和天皇陛下へ献上されているとわかる。

 ちなみに「ガラス工芸とクラインボトル」は昭和53年4月号『セラミック』へ寄稿されている。
参考記事 クラインの壺