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 影膠のみち

2015-05-19 16:52:47 | 「・・・ノマド」
影を求めて



あれこれと、この資料に追記をしてゆくと、その動的なイメージが、膠動が浮かび上がってくるかのように思える。

それを時系列的な事項と照合して見ればその後の展開が、そこに凝縮されていると見なせるのだ。

つまり企業はもとより県さらには通産省・厚生省。それらとは別に大学なども複数を挙げることが出来るのだから多体問題を解くがごとく錯綜した関係が、つまり膠錯が見て取れるのだ。

よく言われるところの1959年がそれにあたるのだが、その後の展開も興味深いのは、反証実験がつまり水銀説を覆す研究も進展を見せていることである。

こうして今では明らかとされていることも、克明に査定されてきたのだ。

影膠のみち

イソギンチャクとクマノミ、その「膠蓋」

2015-05-18 16:10:27 | 「・・・ノマド」
共生の謎




中村修二が、その高校生に自信をもって臨みなさいと激励をおくった事を記憶している。



「国際学生科学技術フェア」(ISEF)でイソギンチャクとクマノミの共生に関する研究論文を発表し、動物科学部門の4等に入賞した。

長浜高校が取り組んだ、その共生の秘密は多くの人の関心事でもあったのであるが、その謎は未だに解けないでいる。


納屋洋子「イソギンチャクとクマノミの共生の謎」(「化学」43巻2号1988年)に詳しい。

それを一読して触発された、親密な分子レベルのお話し⇒親膠界とか、天蓋としての利用⇒膠蓋などの造語となった。

それは兎も角として、一部転載しておこう。

(d)がカクレクマノミが旅籠イソギンチャクの粘液に対して示す行動パターン


そこでの要点は、既知物質などが重要な因子であり、さらに、相乗効果を与える第3の化合物(未確認)も必要とすることなどが明らかになった。
微量で活性があるということは、微量で混在物に活性がある疑いを常に抱かせるので、・・・そこの部分が肝要であると認識を開示されている。



長浜高校の先輩達がそれらを認識して、仮説を設けて継承されてきたところの成果であるのだが、そこらに関して2人の研究に助言した愛媛大の高田裕美准教授によると、マグネシウムが刺胞の動きに大きく関わっていることを突き止めたのは初めて。

「興味深く発展性のある実験結果。すぐにでも学術論文にできるぐらいのレベルだ」と評価する。











バラバラの棘

2015-05-17 17:37:44 | 「・・・ノマド」
バラバラのとげ



バラバラや霧笛やまざる斎灘         膠一


念願かなって課題を解決したと思ったら、新たな課題に遭遇するという事は案外、しばしば経験するところであるのかもしれない。

つまり膠錯現象である。

外野席でもそのライブに酔いしれることが出来る、その単調ながらも推膠されたかのような錯視・錯曲の技膠は見事に、ミナマタを膠振させてゆく。


しかし、その字幕は判読しかねるが、ただ何となく膠奮しているとのメーセージは伝わってくる。




思い起こさせるのは、マルサスの「人口論」、人膠論であるが、その解決を願った化学者の願いが叶ったその時の悲劇は、ハーバー夫人を引き合いに出すまでもなく暗転していったのである。

ミナマタもまた無関係ではない事は申し述べないが、催膠つまり熟膠それがSD醗膠であるのだが、されてよいのである。




ほととぎすよとぎぞ特許モノ語り       膠一

「ミナマタ臨膠」

2015-05-16 13:05:00 | 「・・・ノマド」
新潟水俣病


今では「ミナマタ」で知られるけれども、その時分を思えば膠悔されることは少なくはない。その時分こそ情報は成膠の鍵とは知れてはいたが故に悲喜劇も絶えなかったのであろう。

例えば成膠したとも言われる膠程表に従い疑獄となる希なケースもあったのかも知れない、兎も角、時膠と言う醗膠をもって膠益とするのは当然としても、「ミナマタ膠義」の完熟、熟膠が待たれる。

温故知新、膠然と尋ねみるのは舎密その深膠、略して「舎膠」的な膠観のその源流は、膠憤していた時分の昭和電工も多くの教訓を残している。





例えば電膠と言うよりも膠電かも知れないけれど検索してみる直近の情報には、


ミナマタSD膠察   水俣病国会議員連絡会 旧昭和電工工場を視察 新潟2015.5.12 07:08更新

ミナマタ日記膠開   昨年発足した超党派の議員連盟「水俣病被害者と歩む国会議員連絡会」は、本日、新潟県阿賀町を訪問し、旧昭和電工など水俣病発生の地を視察しました。水俣病被害者と歩む国会議員連絡会投稿日時: 2015年5月11日 投稿者: kikutamakiko

ミナマタ膠奮  新潟水俣病判決に悲鳴と憤り2015年3月23日(月) 20時50分掲載



ミナマタ膠判例   第2節 わが国の水質汚濁に関する環境判例研究 阿賀野川・新潟水俣病事件第一次訴訟

ミナマタ社会膠献   環境ガバナンスをめぐる諸問題 -日・EU環境法の比較的検討-岡村発

ミナマタ情報膠悔  5 紛争当事者間における情報の偏在と証拠収集の困難性

ミナマタの膠想   3月末に89歳の誕生日を迎えたばかり。一昨年はロングセラー絵本『からすのパンやさん』の続編4冊を40年ぶりに出版、昨年も「だるまちゃん」シリーズの新作や半生を語りおろした『未来のだるまちゃんへ』を世に出し、創作意欲は衰えない。

ミナマタ!!臨膠  加古さんがご健膠でご活躍くださいますように祈念申し上げましょう。



文科の森

2015-05-15 14:10:55 | 「・・・ノマド」
渡来の人々



意図しない出会いほど、驚きに満ちているものは無い。


文科の森とも言うべき膠害を逃れて、園児たちが木陰で団欒の時を過ごしていたけれども、何故か渡来の人々はまだ、遠慮がちに参加しているのはやむを得ない。

それは親子ともども・・・そのことに気がついてのは、美女に声をかけてみたときの事であった。

黒人だけでもない白人、正確には仁川の人であるが。白人という言葉には何ら無理もない韓流美人である。

半島と私の記憶を零しても見た時に、その境遇を心配してくれたが、その懸念には及ばないと申し添えた。




さてあの膠害史を作成していて止まらざるを得なかったのは、足尾銅山の現在であった。

歴史に学んでそれを膠益へと転嫁するのには、記憶が必要であるように、それが世界遺産へと登録されることが一助となるのであると知らしめられた。

その転機となったのは、1973年、水俣病裁判の評決が出された翌年の事であった。ここに足尾銅山の膠害、彼らは鉱害と称してきたが集結をみたのであるけれども、正確には違っている。

その後も、その研究報告が数多く出されている一事をもって推量っていただこう。




  雲雀なく文科の森ぞ幼稚園       膠一

「膠害」を逃れて

2015-05-14 17:27:22 | 「・・・ノマド」
裏山の散策



何時からか覚えてはいないけれども、「膠害と」の造語を愛用しているのであるが、それについて気がついた事は「公害」と言う用語は明治29年に大阪府令において使われたと教えられた。
正しくそれは「公益」に反する事を指す所の意味合いであって、今日的なあの狭い意味へと変化したのは大正時代になってからの事と解ったた。


今更、公害でもあるまいから、「膠害」がますます意識されねばならなってくるであろう。
今後はグローバルな諸々の拡散に注視して参る必要が高まっていると言える。







1つ2つ4つ・・・バラバラ

2015-05-13 19:46:37 | 「・・・ノマド」
1つ2つ4つ・・・バラバラ



バラバラと分かれて、さようならと声を掛け合いながら早目の帰宅、遠足でもなさそうだし、ひょっとするとと、思いあたったのは先生が手にしていた大きなポリバケツ。

彼らが育てたメダカのようなものを、つい想定してしまっていた。

今日は夏日となったらしい、日陰を選んで歩いていると目にとまったのが薔薇。

バラバラと咲き誇る時分となったのだ。




薔薇展も開かれている、そこには御近所の篤志家も参加しているに違いないないが、今日はよそう。


バラバラバラと言えば、何故かエントロピーと時間の問題を念頭にナチュラリストは考える習性があるのに対して文人達は中世を念頭にかたる習性があるらしい、けれどもそれらが似て似ざる関係と言う似た関係にあるとも言えそうだと、その膠錯を記述してみたい希望はある。


つまり科学と文学との狭間は深いかもしれないが案外、狭いのかもしれない、渡って渡れなくもないとは、想っている。



お豆ですか?

2015-05-12 20:12:11 | 「・・・ノマド」




晴耕雨読とはいうけれども、何故か精読には向かない日和ではある。兎も角、未整理状態を少しずつでも解消するべく仕分け作業をしているうちに夕刻となり、雨も峠を越えたので少しばかり散策をしてきた。

帰ってきて裏庭のお豆さんを見たときに、あの坂東さんの一件を思い出していたのだ。つまり水俣へゆく途中で大州へと立ち寄って、頂いたおみおつけのサヤエンドウが印象深かったのであろう。

5月1日には岡本さんと共にあったし、そこには石牟礼道子さんもいらっしゃったことであろう。



ここにある書籍は、番頭さんのもので時系列的な事項を書き込んで見るとその囀りが豊かになってくるので、しばしば愛用しているお気に入り頁である。

ストリート・ガーデン「膠悔」

2015-05-11 17:05:06 | 「・・・ノマド」
ストリート・ガーデン



31日に公式確認から50年となる新潟水俣病について理解を深める講演会が5日、新潟市中央区のほんぽーと中央図書館で開かれた。県内外から訪れた約130人が、新潟水俣病の歴史などを学んだ。


お元気で公演されている坂東克彦弁護士の姿を、新潟日報のネット上で拝見させて頂いた。

他人事のような傍観者である、時分自身をわれわれはいつの日にか卒業することが出来るのであろうか?歴史は繰り返す愚かにも。


つまり様々に語られてきているけれども、すっかり氷解する気配はない、その瞳膠とかその結像つまり網膜等にとって、鮮度を感じられていない証であろう。

光スイッチが入ってこないかのごとくある。

それは公害と言う言葉がその表象たり得なくなってきたことと無関係でもなかろう。

例えば、公害を膠害と差し替えてみると、膠悔も少しは変わってくるのではなかろうか?と、思われる。








花も終わり、後始末に追われているのだ。

坂の上でひと休み

2015-05-10 18:02:14 | 「・・・ノマド」
坂の上でひと休み



肥後さんは熊本ではなく鹿児島の出身である。

熊本・鹿児島と言えば何故か細川一先生を思い出す。
あれから既に60年近い月日が過ぎ去ったけれども、新たなステーぞを迎えようとしている、その事には注意しておかなければならない。

ともかく安西正夫でもないが、この場はその場ではないと、宇井純をいなしたけれどもかくも、非科学的な政治決着を許さない背景には細川一先生が演じたドラマがあったのだし、窒素の人々の内部告発的な献身を忘れてはならないと思う。


止まれ、肥後さんから教わったことは理屈で考えろ!だと受け止めた。

それがトライアングルのフレームとかハンドルの使い方等によって、もたらされるという事である。
それは全くその通りで、少し姿勢を変えてみれば実感できることである。

これで少しは遠出も出来るようになるかもしれない、楽しみである。