「化学史研究」第39巻 第3号 2012年(通巻第140号)
総説 グレアムのコロイドとその系譜 北原文雄 119(1)
総説 科学アカデミー院長:エカテリーナ・ダーシコワ(啓蒙期ヨーロッパにおける科学アカデミーと女性、その1) 川島慶子 133(15)
総説 科学アカデミー会員:ラウラ・バッシとイタリアの才女たち(啓蒙期ヨーロッパにおける科学アカデミーと女性、その2) 川島慶子 150 (32)
広場 19世紀中葉の実験器具 渡邊慶昭 165 (47)
紹介 西條敏美「測り方の科学史1:地球から宇宙へ」 新井和孝 170 (52)
西尾成子「科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純」 猪野修治 170 (52)
Susanne Poth、Carl Remigius Fresenius(1818-1897) 渡邊慶昭 173 (53)
D.S.Nickell(ed)、Guidebook for the Scientific Traveler 渡邊慶昭 174 (56)
資料 博士論文概要(菊池原洋平) 176 (58)
ここで取り上げてみるのは「グレアムのコロイドとその系譜」であるが、その構成は①立花太郎論文 ②古川安論文 そして③自身の論文などから構成されている、その全体に触れる余裕はない。
しかし昨年がコロイド誕生150年に際しての講演をもとに構成されているのであってみれば、多少の復習はやむを得ない。
19世紀前半頃は英国の科学教育システムは遅れていて、科学の先進国ともいうべきフランス、ドイツのように科学教育に対する公的支援はなく、学位授与制度も確立していなかった。
そのため研究者の育成は徒弟制度によっていた。
1829年グラスゴーの機械工養成学校で化学の講師に任命され、続いて1830年グラスゴーのアンダーソニアン大学の化学の教授に任命された。これが彼の生涯の決定的段階となった。すなわち、ここで7年の在職中化学分野で大きな活躍をすることになったのである。
1837年、その前年に開設されたロンドン大学(後のUniversity College London)の化学の教授に任命され、1855年まで在職し大きな足跡を残した。同年造幣局長官となり死に至るまでこの職を勤めた。この職はかってニュートンも勤めたことがあった。
おわりに
1861年グレアムによりコロイドという新概念が誕生した。
これは近代化学発展途上の一つのマイルストーンである。
彼のコロイド概念は多様であった。
物質はコロイドとクリスタロイドに2分別され、その区分は分子の内部構造にあるとされた。他方コロイドはコロイド状態をとり、クリスタロイドと互いに移行しあうことも記された。区分関係は構造論、移行関係は状態論である。前者から高分子化学が、後者からコロイド化学が生まれたとみることができる。
両者は別々に発展の道を辿ってきた。しかし現今両者は共存しつつ共助しあう状況がうまれつつある。ソフトマターまたはソフトマテリアルといわれる領域はその一つである。
総説 グレアムのコロイドとその系譜 北原文雄 119(1)
総説 科学アカデミー院長:エカテリーナ・ダーシコワ(啓蒙期ヨーロッパにおける科学アカデミーと女性、その1) 川島慶子 133(15)
総説 科学アカデミー会員:ラウラ・バッシとイタリアの才女たち(啓蒙期ヨーロッパにおける科学アカデミーと女性、その2) 川島慶子 150 (32)
広場 19世紀中葉の実験器具 渡邊慶昭 165 (47)
紹介 西條敏美「測り方の科学史1:地球から宇宙へ」 新井和孝 170 (52)
西尾成子「科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純」 猪野修治 170 (52)
Susanne Poth、Carl Remigius Fresenius(1818-1897) 渡邊慶昭 173 (53)
D.S.Nickell(ed)、Guidebook for the Scientific Traveler 渡邊慶昭 174 (56)
資料 博士論文概要(菊池原洋平) 176 (58)
ここで取り上げてみるのは「グレアムのコロイドとその系譜」であるが、その構成は①立花太郎論文 ②古川安論文 そして③自身の論文などから構成されている、その全体に触れる余裕はない。
しかし昨年がコロイド誕生150年に際しての講演をもとに構成されているのであってみれば、多少の復習はやむを得ない。
19世紀前半頃は英国の科学教育システムは遅れていて、科学の先進国ともいうべきフランス、ドイツのように科学教育に対する公的支援はなく、学位授与制度も確立していなかった。
そのため研究者の育成は徒弟制度によっていた。
1829年グラスゴーの機械工養成学校で化学の講師に任命され、続いて1830年グラスゴーのアンダーソニアン大学の化学の教授に任命された。これが彼の生涯の決定的段階となった。すなわち、ここで7年の在職中化学分野で大きな活躍をすることになったのである。
1837年、その前年に開設されたロンドン大学(後のUniversity College London)の化学の教授に任命され、1855年まで在職し大きな足跡を残した。同年造幣局長官となり死に至るまでこの職を勤めた。この職はかってニュートンも勤めたことがあった。
おわりに
1861年グレアムによりコロイドという新概念が誕生した。
これは近代化学発展途上の一つのマイルストーンである。
彼のコロイド概念は多様であった。
物質はコロイドとクリスタロイドに2分別され、その区分は分子の内部構造にあるとされた。他方コロイドはコロイド状態をとり、クリスタロイドと互いに移行しあうことも記された。区分関係は構造論、移行関係は状態論である。前者から高分子化学が、後者からコロイド化学が生まれたとみることができる。
両者は別々に発展の道を辿ってきた。しかし現今両者は共存しつつ共助しあう状況がうまれつつある。ソフトマターまたはソフトマテリアルといわれる領域はその一つである。