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しんかがく 95

2012-10-22 09:00:00 | colloidナノ
第4節 コロイド学の体系とコロイドの分類

4-1 界面状態、変形;分散
A 界面状態
B 変形
C 分散
4-2 コロイドの体系
A 界面系
B 展延系
C 分散系
4-3 コロイドの分類
① 単分散系
② 濃度可変分散系
③ 親媒コロイド
④ 異分散系
⑤ ゾルとゲル ヒドロゾル オルガノゾル エーロゾル 乳濁液 懸濁液 可逆ゾル 等
        ゲルとは、粒子が網目状やはちのす状の構造をとったり、あるいは強く溶媒和したりして、たがいに結合し、流動性をもたないコロイド分散系のことである。
コアゲル リヨゲル キセロゲル


4-4 コロイドの分類Ⅱ
A 結合力による分類
B スタウデインガーによる分類


第5節 コロイド分散系の電気的構造
5-1 界面電気現象
5-2 電気的2重層の理論の発展
5-3 電気的2重層の構成
5-4 ゾルの凝結とペプチゼーション(解膠)
5-5 保護作用と増感作用


第6節 結び

コロイド学がどのよにして誕生し、どのようにして成長してきたかということと、コロイド学はどのように体系づけられ、コロイドはどのように分類され、またどのような特異な性質、構造をもっているかについて(ここでは特にゾルの電気的性質、構造について)以上に概略を述べた。
 現今、コロイド学で取り扱われている問題の範囲はあまりにも広く、従ってその数もあまりにも多いことは少しくコロイド学の書物を開けば直ちに知られることである。

 研究方法も限界顕微鏡がはじめて作られた時から40年のあいだは驚くほどの進歩をした。
そのなかでも特筆されるべきものは、「電子顕微鏡」elestron microscopeの出現であろう。これは電子工学におえkるひとかたならぬ苦心の結実したものであって、1934年にルスカRuskaがはじめてやや完成の域に近づき、1937年にクラウゼKrauseが磁界型レンズを完成し、1939年にはマールMahlが電界型レンズを完成し、さらに同年アルデンネArdenneが磁界、電界のいずれをも使うことのできる万能電子顕微鏡を作り出すに至って、ようやく現今の電子顕微鏡時代がひらかれたといえよう。
(今ではわが国でもとにかく数箇所で製作されるようになった。本書口絵写真を参照)

 光学顕微鏡の限度すなわち分解能resolving powerは光の波長と同程度であって、およそ4000Åである。
これに対して電子顕微鏡は100倍も高い分解能を示すのである。
したがって電子顕微鏡を使えば、これまで限界顕微鏡によって「間接に」しか見られなかったコロイド粒子を、「直接に」見ることができるようになった。そしてこれによって粒子の大きさ、形、のみならず、多くのコロイド学的現象をまのあたり見ることができる時代がきた。

 それで近年この新しい手段による研究がはなばなしく行われだしたのであるが、それらの結果は、これまでに間接的な推論から得られていた結論の多くを支持していることはまことに心強い、一例を挙げると、保護コロイドの作用は疎水コロイドの表面を親水コロイドが囲んでいるものと考えられていたのであるが、まさしくそのような状態がはっきり写真にとられたのである。
 また真コロイドの巨大分子になると分子の形までつかまえられるようになったのであるから、電子顕微鏡こそはコロイド学にとってこの上もなくすばらしい贈り物であるといわねばならない。

 ところで電子顕微鏡の出現によって最もめぐまれたもののうちに生物学および医学特に細菌学がある。
そして、電子顕微鏡の分解能から考えてもわかるように、これによって新たに見られるようになった最近はまさにコロイドのデイメンションにあたるのである。
 そのようなものの一つが「ヴィールスVirus」である。

これは細菌ろ過器を通過し、普通の光学顕微鏡ではみることがでいないもので、通常の細菌と分子の中間の大きさをもっている。(ろ過性病原体ともいわれる)このものの研究が電子顕微鏡によってどれほどたすけられたかはいうまでもない。
 ヴィールスの中で最も古く(1892年)から知られているタバコモザイック病のヴィールスは、電子顕微鏡で、長さ160~300mμ、太さ15mμの細長いものであるであることが知られたが、これ通常のたんぱく質分子よりも小さい大きさである。
 ヴィールスは自律的には増殖しないけれども、ある条件の下では(たとえば他の生きた細胞と共存すれば)他律的には増殖する病原体であって、その環境によって変異したり、免疫性を示したりすることなどから考えると、とにかく生物でなければならないのであるが、他方、これが無生物ではないかという事実も知られた、その一つとして、1935年にスタンレーW.N.Stanleyは、タバコ・モザイック・ヴィールスを純化学的な手段で結晶性の分子量の高い核たんぱく質として分離したのであるが、この結晶性たんぱく質はヴイールスの病原体としての性質をそのままもっていて、これをさらに15回連続再結晶してもなおその性質は少しも失われなかったのである。
 
ここに至っては、このヴィールスたんぱく質は果たして生物か、無生物かの限界に縫着したといわざるを得ない。

 ちかごろはヴィールスを一つの巨大分子としてそれが示す生物学的現象を量子力学的に解決しょうとすることさえ企てられ、ジョルダンP.JordanやポーリングL.Paulnigらがそれぞれ仮説を出している。
 ポーリングはそのまえに抗原と抗体の結合力についても、やはり分子的理論に基づく仮説をたてたのであるが、物理学と生物学とのこうした接触が、このようにコロイドのデイメンションで行われることとなったということは、まえに用いたのとは違った意味で「限界領域の学」としてのコロイド学にとってあるいは必然的な運命であったかも知れない。

 自然科学は、一方においては「物質とはなんぞや」を、他方においては「生命とはなんぞや」を命題とするものであると考えられるが、この二つがコロイドの領域で、将来どのように究明され、どのように融合するであろうか。
 それはコロイド学においてはもとよりのことであるが、それよりもむしろ広く一般自然科学にとって、さらにまた哲学にとっても、確かに根源的な究極の課題であろう。

 そして、このことは、コロイド学がその短い歴史のあいだにいかに発展し、現在、「学」としていかに重要な位置を占めるに至っているかを示すものにほかならないといえよう。




⇒「結論を端的にいえば、私はウィルスを生物であるとは定義しない。
つまり、生命とは自己複製するシステムである、との定義は不十分だと考えるのである。では、生命の特徴を捉えるには他にいかなる条件設定がありえるのか。
 生命の律動?そう私は先に書いた。このような言葉が喚起するイメージを、ミクロな解像力を保ったままできるだけ正確に定義ずける方法はありえるのか。それを私は探ってみたいのである。」(「生物と無生物のあいだ!」福岡伸一)


ひとしずく
健康な人の心拍数は「臨界ゆらぎ」、心臓のアクセル役となる交感神経系と、ブレーキ役の副交感神経の綱引き現象が、1/fゆらぎを伴っているとされている。


しんかがく 94

2012-10-19 09:00:00 | colloidナノ
「グレーアム以後」から、その一部を記す。

 既にそのころまでにも典型的なクリスタロイドと考えられていた多くの物質がコロイド状態にされていたのに、グレーアム以後しばらくのあいだは、コロイド学の研究はもっぱら新しい「コロイド物質」をみつけることにむけられ、コロイドの本質や特異性に関する研究はほとんどなされなかった。
 
 その間に、ブレッデイツヒG.BredigやチグモンデイーZsigmondyやその他の人々によって種々なコロイドの製法が研究されたが、特に重要なのはアメリカのカレー・リーM.Carey Leaの銀コロイドについての研究である。
彼は銀には通常の形と異なった性質をもつ同素体があって、コロイド銀は正にその同素体に相当し、得られたコロイド溶液はその同素体の真の溶液であるとした。
 
 コロイドが通常の形以外の同素体であるとする考え方はグレーアムの報文の中にもしばしばみうけられるものであるが、カレー・リーは、「このような銀の同素体は色や溶液のしん透圧や化学的の反応性において通常の銀とは非常に異なっている。これは通常の銀が重合してできたものでふつうよりも、反応性に富む状態を表しているものと考えられないこともない。同様なことが銀以外にも鉛や銅などのような金属についても既に知られている」といっている。

 また真の溶液であると考えたわけは、もし金属銀の粒子が単に懸垂しているものであれば、当然重力の影響によって沈降すべきであるというのである。ところが、事実は沈降しないからこれはこれは真の溶液でなければならないが、上にいったように通常の銀とは性質を異にしているから同素体の真の溶液であるという結果に達したのである。

 そのころ、別にドイツのムートマンMuthmannは銀の亜酸化物のコロイドについての研究を行って興味ある結果を得ている、すなわち「ここに述べた実験は、この溶液が赤色を呈しているのは金属銀によるものであることを証明しているようにみえる。しかし、この赤色溶液を透析にかけたところが、とにかく非常に興味のある現象がみられた。当然予期されたように、赤色コロイドは膜をぜんぜん通過せず、通常の塩とアンモニアとがかなり多量に通過した。(中略)後に残った赤色溶液をろ過したがやはり依然として強い赤色を呈し、もとの溶液とまったく同じ性質を示した。そしてこうしてきょう雑物を完全に除去した溶液は非常に安定になった。密閉した容器の中に入れて温かい場所に4ヶ月放置したが金属銀は少しも沈でんしなかった。(中略)その色が水に懸垂している不溶性物質いよるものでることは次の実験でさらに証明せられる」

 そこで彼は赤色亜酸化銀溶液に対する木炭の効果をしらべ、結晶性物質が木炭によって吸着されることを指摘した。
そして「この特異な現象に適確な証明を与えようとすることは今のところまだ尚早のようである。シュタインW.Steinはいわゆる紫色金は微細な金属であると考えており、この紫色金といわゆる二色性金との差異を分子の大きさの問題に帰しているが、ここで観察された銀の種々の変態も銀の種々な分子状態に相当するものであるといえないことはない」としている。

 こうして銀のコロイドについて同素体、あるいは変態という考え方があらわれたのであるが、この「同素体」説Allotropic theoryの考え方はさらに英国のピクトンH.PictonとリンダーS.E.Linderによって継承された。以下略

その結末部分を記す。
 かくしてコロイド学の発達史の上で意義深い論争がしばらく活発に続いた。

 「不均一」説の支持者が①コロイド溶液は光学的にも、電気的にも通常の懸濁液と同様に挙動すること、②コロイド溶液は肉眼では透明にみえても、懸濁液と同様なこん濁ないしは不透明であること、③逆にまた懸濁液や乳濁液が膠質溶液と同様に凝結現象を呈すること、等をあげれば、
 「溶液」説の方では、①多くの結晶性物質も溶液状態においてはチンダルこん濁を示すことがあり、②また、コロイド溶液と同様にきわめて徐々にしか拡散しなこともあるという事実を以てこれに応じた。

 この二つの考え方を一言にしていえば、コロイド溶液を真の溶液、すなわち均一系とみなすか、機械的な懸濁液、すなわち不均一系とみなすかということであり、あるいはまた、コロイド溶液の挙動は分子論に従うかそれとも力学法則に従うかということであって、現今のコロイド概念からすれば、一見徒労のようにみえるこのような論争のうちに19世紀は終わったのであったが、これは、やがて20世紀に入るとともに展開されたコロイド学のルネッサンスの生みの悩みでもあったといえよう。

 20世紀初期は割愛する。
ここではA;限界顕微鏡  B;コロイド粒子の運動論 ゆらぎfluctuationの現象などもここで扱われている。 C;分散系としてのコロイド状態の概念 オストワルドWo.Ostwaldは演繹的に、ワイマルンP.P.von Weimarnは帰納的にしめしたのはここで扱われる。


⇒(北原文雄)グレアムは自然界には絶対的な区分けや急激な状態間の移行はないと1861年の論文の第7章で述べた。
ピクトン・リンダーの研究はこの点でグレアムの思考を継承している。グレアムの系譜の一つとして発展する可能性を秘めていたとも考えられる。しかし2人ともこの研究を中止してしまった。

 彼らの最後の研究はむしろ、電気泳動装置の研究に向かっていた。後世ではむしろこの点が評価されている。蛋白質科学者として活躍し、後に科学史家に転じたタンフォードC.Tanfordらはピクトンらの研究が1897年で終わったことを惜しんでいる。⇒1897年、ハロルド・ピクトンとアーネスト・リンダーは、「溶質(ヘモグロビン)の電気による移動」なる実験結果を発表しました。(生化夜話 第14回:あの調味料と等電点電気泳動)

 ピクトンはその後熱心に平和運動に携わるようになり、敵対関係にあった英仏間の和解につとめた。略





しんかがく 93

2012-10-18 09:00:00 | colloidナノ
 このように、グレーアムはコロイド化学、界面化学に不朽の業績を残し、それが現在の発展を遂げる科学的基礎をうち立てたことは誰しも否定できないことである。

 往々にして英国の天才的な科学者にみられるように----それはファラデーなどについてもいえるであろうが----その着想のひらめきといい、その実験の簡単にして要を得ている点といい、すべて彼の直感のするどさを示さないものはなく、それらに対してはわれわれは深く頭を垂れるのであるが、もしそのうえ欲をいうことがゆるされるならば、その実験結果を今少し数学的に解釈し、整理しておけばとの念を禁じ難い、-----もっとも、これは直感のするどさに欠けているわれわれ凡庸なものがせめても数学に頼ろうとすることになるのかも知れないが。

 たとえば拡散について彼はこれだけ豊富な実験をしているのであるが、あたかも時を同じうしてドイツではフィックR・Fickが彼の有名な拡散現象に関する理論をたてているのであって、それに基づいてその後、20世紀のはじめにアインシュタインA・Einstein、サザランドSutherland等によって拡散現象と粒子の大きさについての理論式が導かれたのである。
今ここにそれらをごく簡単に紹介しながら、試みにグレーアムの実験結果を適用してみよう。⇒Adolf Eugen Fick

重力の影響を無視しうる系において、分散相の粒子を巨視的に観察すると、系内に濃度差のある限り一定方向に一定速度で運動するのが認められる。これがすなわち拡散現象にほかならない。
この現象は熱伝導の現象と全く似ていて、拡散はその場合に存在する濃度のこう配に比例して起こり、系全体が均一な濃度なったときに止む。したがって拡散の速度Gは一つのベクトルであって、その方向は系の各点における拡散の方向であり、その大きさは、単位時間に拡散方向に直角な単位面積(1平方cm)を通過する分散相の量で測られる。
それでGは濃度Cと次のように関係づけられる。(Fick's laws of diffusionフィックの第1法則)

                G=-D grad C      ①

 すなわちGは濃度のこう配に直接比例し、それと平行な方向をとる。 ①式の中に含まれるDは[L2T-1]拡散係数diffusion coefficientとしょうせられ、ブラウン運動に対するアインシュタインの式(後出)に導入されているDと同一のものである。
分散度すなわち粒子の大きさが系の濃度によって変わらないほどに濃度が小さい場合は、Dは濃度に無関係な常数であって、この場合これを拡散恒数diffusion constantという。分散度が濃度と共に変化し、粒子が相互に力を及ぼすほどに濃度が大きくなるとDは濃度のかん(函)数になる。

 Dが一定の場合には、①から空間座標X、Y、Zと時間の函数の濃度Cについての微分方程式(略)得られ、これをdiffusion equation拡散方程式という。


Joseph Stefan ヨーゼフ・シュテファン、ヨジェフ・ステファンはこれに対して次のような限界条件の下で積分を行った。(中略)

しかし、この場合グレーアムの拡散実験はちょうどステファンの16層法の表をそのまま使える条件で実験されているので、第1章の第一表および第二表(22-24ページ参照)の数値からステファンの表によって拡散恒数Dの値を求めると次のようになる。(第一表等略)

 拡散恒数と分子の大きさとの関係については、アインシュタインがしん透圧とSir George Gabriel Stokesストークスの法則と結びつけて、拡散恒数Dを導き出している。
これとほとんど同時に別個にサザランドが分散粒子と液体分子とのすべてを考慮に入れてすべりが完全に起こらない場合には、アインシュタインの式とおなじくなることを示した。⇒Sutherland-Einstein's equationサザーランド‐アインシュタインの式


(中略)したがって、グレーアムの実験はその装置や方法の簡単なのにもかかわらず、十分な精確さをもつものといえる。
そこでひるがえって上の第二表、第三表に得られてた値をみてみよう。
まず、第二表のショ糖に対する値は現今の分子構造論から考えられる値とだいたいよく一致している。アラビアゴムとタンニン酸とはその半径がともに約1mμであって、後で述べるよに現在一般にコロイドと認めうる粒子の大きさの最小限界に辛うじて属する。アルブミンとカラメルはともに2-3mμの半径を有しているからこれはたしかにコロイドといわれるに十分な大きさである。

 また分子量の方からいって、スタウデンガーH・Staudingerは、後に述べるごとく、有機コロイドの領域を「原子数108~1010」としているが、今仮に有機化合物を構成しているC、O、N、H等の元素の化合物中における原子量の平均を10と採ると、上の領域は「分子量104~1010」と云うことになる。
第三表の分子量の値をみると、アラビアゴムとタンニン酸とは103程度であるから、スタウデンガーの有機コロイドの最小限界より1桁小さく、アルブミンとカラメルは104程度であるからたしかにコロイドの範囲に入ることになる。
したがってグレーアムの実験の試料にされたアラビアゴムとタンニン酸とはオストワルドWo.Ostwaldのいわゆる「半コロイドhemicolloidの部類に入るものであり、アルブミンとカラメルとは「真コロイドeucolloid」に属するものである。
もっともここに用いられたアルブミンは、アルブミンとしては異常に小さい粒子といわねばならない。(この値は「たんぱく質のいわゆるスヴェドリー単位」の分子量17600の約1/2にすぎない)


しかし、以上に示したのは、さきにも述べたように、試みに現今のコロイド学の知識をもってコロイド学の最初と考えられるグレーアムの実験を断片的に検討してみた結果であって、ともかくも今を去る90年の昔に、まだコロイドについて何らの科学的基礎もなかった時代に、これだけのみごとな結果をえていることは真に驚異に値するものといえよう。
われわれはいまさらながらグレーアムの偉大さにうたれるのである。

⇒読み終えて、あのファラデーの実験結果を最大限に活用したマクスウェルを思い起こさせる、そのような並行関係もまた大切だ。







しんかがく 92

2012-10-17 09:00:00 | colloidナノ
 また他の論文では、「コロイドの特に顕著な性質は、その粒子が付着し、集合し、収縮する傾向があることである。この相互引力は液体を徐々に濃縮してゆくと明りょうにみられるし、またそれがすすむとゲル化が起こるようになる。(中略)

 物質のコロイド状態は分子の特殊なけん引力と集合との結果であって、その性質は完全に分子とは無関係ではなく、ある物質では他の物質よりもはるかに発達していることを銘記するならば、コロイド的特性が液体状態と固体状態との両方にまたがっていることはあえて奇とするに当たらない」といっているのをみると、彼はコロイドとクリスタロイドとの間の本質的な差異は物質自身の化学的性質にあるのではなくして、状態に関する問題であるということ、すなわち現今の表現をもってすれば、分子分散やイオン分散をしている物質がクリスタロイドであり、真の溶液であり、拡散性の大きいものであって、同じ物質でもそれがもっと大きい粒子(集合体)になって存在しているとコロイド的特性をとり、拡散しがたくなることや、物質によってはコロイド状態をとりやすいものととりがたいものがあることを認めていたことになる。


 ただグレーアムはコロイドとクリスタロイドとをどこまでも「拡散度」に基づいて区別しようとしたのに対して、現今では後に述べるように「分散度」に基づいて分けている点にむしろ考え方の本質的な相違があるといえよう。

 また彼はゲルの膨潤現象swellingや縮化現象shrinkingについて述べているし、けい酸ゲルは水和物の形をとっているがこれはけっして安定な化合物ではないと説明している。
 そして同じ論文の中で、現在用いられているゾルsol、ゲルgel、ペプチぜーションpeptizationなどの術語を始めて使っているのが見られる。

 すなわち、「けい酸の液状の水和物とゼリー状の水和物とを区別するのに、それらをそれぞれヒドロゾルhydrosolとヒドロゲルhydrogelというとすれば、上に示したようなそれらに対応するアルコール性物質はアルゴゾルalcosolおよびアルコゲルalcogelと名づけられる。(中略)それで液状けい酸はゼリー状けい酸の「ペプトン;Peptone」とみなされるし、またゼリー状けい酸がきわめて微量のアルカリで溶液になるのはゲルのペプチぜーション(ペプトン化;peptization)ということができよう」といっている。




 

 さらに後で述べるようにコロイド分散粒子は通常物質が可視領域の大きさにある状態に比して非常に大きい比表面をもっていて、そのために顕著な表面現象が起こり、その最も典型的なものとして吸着現象adsorptionが見られるのであるが、吸着が微細粒子の状態にある物質の特性であることをグレーアムはいち早く認めている、すなわち彼は獣炭が溶液の中にある種の不純物を除去する作用を研究して、アンモニア性銅溶液の青色が除去されたり、ヨードとヨードカリとの溶液からヨードが除去されたりすることを認めたのであるが、「他の固体物質においても、それがたとえば沈でんしたばかりの状態のように非常に細かい微粒子になっているときは、獣炭ほどには著しくないが、やはり同様な性質をもっている。そして分析実験において、この現象がある場合にはことによると沈でんの重さを増すような影響を及ぼすかも知れないことを要心しなければならない」としている。
 また「ぬれ」の現象についても、アルコールが濃縮されるのは、ゼラチンが水に対して選択的にぬれる結果、アルコールから水が奪われるのであるとしている(89-90ページ参照)のも注目される。

⇒田中豊一『ゲルの21世紀』高分子48巻6月号(1999年)395頁からの引用

 20世紀がまもなく終わろうとしている。
この百年は人類の考え方や生活を根底から変えてしまった科学の世紀であり,それ以前の有史でなされたすべての量に匹敵するような多くの革命的な概念が生まれた。
 科学上の問題は,ほぼすべて解決されてしまったとし,科学の終焉を叫ぶ人たちもいる。しかし,科学にもテクノロジーにも,まだまだ解決していない問題が存在する。
その一つが,生命の分子マシーンの機能発現とデザインの原理である。
 この地球上に現れた生命は高分子のかたちをとって生まれたが,それがいかにしてあの驚嘆すべき作業,構造の記憶,分子認識触媒作用,運動や力の生成をやってのけるのか.それらの生体高分子がどのようにデザインされるのか。
 その原理の解明は現代科学の大きな問題の一つである。
分子生物学のすばらしい進展にもかかわらず,分子デザインのもとになる情報はいまだにすべて生命体由来の遺伝情報によってしか得られない。
 数年前に日本でも大ヒットした映画「ジュラシックパーク」では古代の恐竜を蘇らせるが,そのもとは恐竜の血を吸った蚊の化石であった。その血の中にある恐竜のDNAがどうしても必要なのである。
 科学者がDNAあるいはタンパク質のような機能をもつ高分子を遺伝情報に頼らずデザインできないでいる現在,生物学の根本はまだ解決されているとはいえない,この問題は物性科学としての高分子科学と情報科学としての生物学との合間に洋々として横たわる未知の分野である。
 ゲルはこの科学とテクノロジー上の大問題に対して,大きな寄与をすることになるであろうと期待される。略


 日本はゲルの研究においては,テクノロジーと基礎の両面で世界において先駆的な役割を果たしてきた。
これには,石や金属や煉瓦を土台にしたハードな文化の西欧に比し,木や紙や布などソフトな材料,そして豆腐,心太,萄蕩,蒲鉾など独特の食べ物になれ親しんできた日本人の感性が大いに役立っている気がする。
 今回「高分子」が,高分子ゲルの特集をすることは誠に時宜を得たものであり,この分野に興味をもっ方たちの道しるべとなり,また,新たな研究者の参入にっながることを大いに期待している。

しんかがく 90

2012-10-15 09:00:00 | colloidナノ


ながく見のがされたいたもう一つの文献は、リヒターJeremias Benjamin Richterの金及び紫色金の擬似溶液についての研究である。
しかし、とにかくこれまでの所では擬似溶液の中に個々の粒子が存在しているというには単に実験からの論理的演えきに基づいての仮定に過ぎなかった。
それを帰納的に実証したのはファラデーMicheal Faradayである。

 当時ファラデーは光と電気(および磁気)との間の関係を示すための実験をしていた。
それでやはりそのような目的から、たとえばいおうのような不良導体を水に懸垂した溶液は透過光に対して、金属のような良導体が細かくわかれている懸濁液とは異なった効果を示すのではないかと考えた。そして金属としては金を選んだ。
 彼はこの実験は、「金(および他の金属)の光に対する実験的関係」と題する論文に発表されている。
試料としての金の懸濁液は塩化金の溶液にリンの二硫化炭素溶液の数滴を加えて作った。これはいうまでもなく塩化金を金に還元したのであって、得られた液体は赤色金ゾルである。
 彼は、この場合二硫化炭素やリンが過剰にはいると金が凝結して沈降することを述べており、またこの懸濁液は不純物に対して非常に鋭敏であって、「この操作に使用する容器はすべてきわめて清浄でなければならないのであって、ぬぐっただけでは不十分で、水で洗った上にさらに蒸りゅう水で洗わなければない。」と言っている。

こうして作られた試料溶液の次のような光学的現象から、これが金の微粒子が水に懸垂しているものであると結論した。

 すなわち「このようにして得られた金の懸濁液はきわめて特異な外観を呈する。(中略)金の濃度のずっと高い溶液は往々にして明りょうに濁っていて、光によってはかっ色にも紫色にもみえる。濃度の低い溶液は紫水晶かまたはルビーのような色で、見たところ透明である。後者の方は最もよい状態では往々数ヶ月もそのままであって、まったくもとの溶液のままの外観を呈している。しかしこれは決して金が溶解して含まれているのではなくて、単に散らばって含まれているに過ぎない。

それは太陽光線(又はランプの惹かりをレンズで円すい(錐)に集め、円すいの焦点に近い部分を液体に投射すると粒子が容易にはっきりわかる。
すなわち、この場合光の円すいが目に見えるようになり、照射された個々の粒子はきわめて小さいので見分けがつかないけれども、反射された光は金色を帯びていて、その強さは、その中に存在する個体の金の量に比例するようである。色や外観からは全く金を含んでいるように見えないほど薄い液体でもこの方法で光線をあてると金の粒子が散らばって存在していることがわかる。
試料の色が濃いときは、反射光をふつうに観察しても、そのこん濁度や不透明度から粒子の懸垂しているのが明らかにわかる。

このような試料をガラスびんに入れると、反射光は鈍い淡いかっ色のやや乳光を呈するが、透過光は美しい深紅色で透明ないしはかすかに不透明である」

また「ルビー色と紫水晶の液体が粒子を懸垂させているに過ぎないことはそれを静置しておいた時に起こる沈でんによってもわかる。金が比較的多いとその一部分はすぐに、たとえば24時間とか48時間とか以内に沈む。試料を6ヶ月とか8ヶ月とか放っておいても一部分はやはり懸垂している。しかもこのような部分でも金が散らばった状態にあることはあきらかである。
すなわちある場合は上の方1/2インチあるいはそれ以上は透明であるが、その下に深紅色の部分が雲のように沈んでいる。そして粒子の沈降によって無色透明にみえるようになった部分でも、レンズで集光するたやはり、わずかな、どちらかといえば細かい粒子が散らばっていることがわかる」


「特に金が比較的多量の時は、液体の中に分散している粒子に徐々に変化が起こる。それは集合体からできているよにみえる。最初は透明であっても、あるいはふつうに見えるほとんど透明に近くみえても、やがて濁って来て、数日放置すると沈でんが落ちてくる」
この光束を溶液に集中すると光の円すいがみえる現象は、水や通常の塩類溶液では起こらないことであって、この場合はせいぜい全体が均一に明るくなるくらいのことである。このような現象は、戸のすき間漏る太陽光線においても、あるいは暗黒におかれている映写機から映画が送られるときにもしばしばわれわれの経験することであって、その理由は空気中に懸垂している無数のじんあいの粒子が投射光を散乱し反射する為であると説明されるが、同じことがセルミが擬似溶液と称したものの中に懸垂している個体粒子に就いてもいえるわけである。

それらの粒子がきわめて小さく、一定容積の中に多数に存在していることは、とりもなおさず一つ一つの粒子のあいだの距離が短いことであって、個々の粒子によって反射される光は弱くてとうてい一つ一つを見分けることはできないが、これが無数の粒子からの反射になると目に見えるようになるのである。
数年後にもうひとりの英国の物理学者チンダルSir John Tyndallはこのファラデーの発見を利用して、きわめて小さい粒子が懸垂している液体および気体について系統的な研究を行った、そしてその反射光が平面偏光であることも発見した。それでこの現象は「ファラデー・チンダル現象」といわれ、このような系によってよって目にみえるよいになった光の円すいを「チンダル・円すい」といわれる。

なお、擬似溶液の研究とは直接関係はないが、年代的に見て、そのころクインケQuinckeはコロイドの電気的性質に関する観察を行っている。彼は液体に懸垂した微粒子が電場の中で移動すること、すなわち現今の電気泳動cataphoresisと称せられていている現象を発見し、また多数の毛管や孔をもっている固定隔膜を容器にとりつけると、電場の中で水が一つの側から他の側へ移動すること、すなわち現今の電気しん透electroendosmosisといわれている現象を見いだした。さらには多孔膜や毛管を通して液体を押し出すと膜の両側に電位差を生ずることをも認めている。

もっとも、電気泳動や電気しん透の現象はこれよりもずっと早くロイスF.Reussが粘土の懸濁液の研究で報告したのであったが注意をひかなかったようである。(第五節参照)

このようにして19世紀に入ってからはその中葉までにすでにコロイドに関するいくつかの現象や性質が知られ、それらに対する科学的解釈が為されるに至ったのであるが、コロイドに対して真に本質的な基礎を与えたのはやはり次に述べるトマス・グレーアムであろう。







備考事項
 コロイドという名称を与えたのはトマス・グレーアムであるとしんじられているが、実はファラデーが先に示した論文においてコロイドとう言葉を使用していたらしいとの文献があることがわかった。
とはいえどもその確認が出来れば改めてそれに触れることとする。

しんかがく 89

2012-10-12 09:00:00 | colloidナノ
19世紀前半

19世紀にはいってまず1827年に英国の大英博物館にいたブラウンRobert Brownは「液体中における微粒子moleculeの運動に就いて」と題する論文を発表した。
これによると彼は植物の受精の際の花粉の作用をしらべるために研究していたのであるが、そのとき「ほそばのさんじそう」の花粉のうちで特に小さいものを顕微鏡で観察したところ、それが円形を描いてすみやかに振動しつつ運動をつづけるのを認めた。
そして花粉ばかりなく、樹脂、石炭、じんあい、ばい煙、ガラス、岩石、金属、はてはスフィンクスの破片までも細粉して試料にしたが、1/15000ないし1/30000インチすなわち1.6μから0.8μ程度以下の微粒子moleculeであれば、物質のいかんを問わず同じような運動をすることを顕微鏡下に見ることができた。
この現象は「ブラウン運動」と称せられたが、その原因はながくわからなかった。その後多くの人々が、それは何か外部的な影響、たとえば機械的または音響的な外部振動、熱の不均一な分布による対流運動、表面蒸発、光の振動、表面張力の変化、重力、磁気、電気の影響などによるものではないかとして探求したがいずれも否定的な効果しか得られなかった。

 ところが、後に述べるように1906年にチグモンデイーZsigmondyが彼の限界顕微鏡で金ゾルに就いても同じ現象が発見されたことを報告してまもなくペラン
Perrin、スウェドベリーSvedberg、スモルコフスキーSmolouchowsky等が、この現象を分子運動論によって説明した。それがコロイド溶液の研究に最も重要な現象の一つとなった。

 やや後にドイツの化学者アシェルソンF.M.Ashchersonは少量のアルブミンを加えると、油が水の中で乳化することを研究し、1818(1838)年には彼は限界顕微鏡の前駆とも考えられる特殊な顕微鏡技術でアルブミンでおおわれた油滴を認めて、この保護膜に対してハプトゲン膜Haptogenn Membranと名づけた。
 また、1843年にスウェーデンの化学者ペルツエリウスJ.I.Berzeliusは通常の真の溶液は透過光でみるときには透明であるべきであるのに、乳濁ないしは溷濁してみえる溶液があることを三硫化ヒ素溶液を例として述べており、これに対して乳濁液emalsionと名づけた。そして彼はその実験から、このものは通常の透明の溶液と本質的には変わるものではないが、この場合三硫化ヒ素は透明な個々の粒子として存在しなければならないと結論した。

 さらにまたボードリモンAlexander Baudrimontは彼の著「化学原論及実験」(1844-45)の中で「特殊物質」なる一章を別に設けているが、この中で取り扱わている物質は現在では典型的なコロイドとみなされているものばかりである。

ほぼ同じ頃にイタリーのボロニアの化学者セルミFrancesco Selmiが二つの重要な論文を発表している。その第一の論文はコロイド塩化銀ゾルに関するものであって、その中で彼は乳濁液と真の溶液とについて、「それらのあいだの実際の差異は次の点である。すなわち前者(乳濁液)においては散らばっている物質は相当数の分子から成るあたかもあわのような小さな形で液体の中に散在しているのに対して、後者(真の溶液)では溶質は個々の分子の状態まで細かく分かれて散らばっていいて、いいかえれば気体分子にまでなっているので光が自由に透過するのである」と述べている。そして油脂や塩化銀の種々な程度の細分状態のものについての実験から「乳化された物質の二つの状態を区別してemulsionという液体と小さな粒子の液体ないしはやわらかい状態のものとの混合によってできているものをいい、demulsionという名は液体と小さな無定形粒子の固体ないしはかたい状態のものとの混合によってできているものに対して用いる」としている。

 したがって彼のdemulsionは今日の懸濁液suspensionに相当するものといえる。
第二の論文は「ベルリン青の擬似溶液pseude-solutionとその破壊における塩類の影響」と題するものであって、かれはこの論文で溶液solutionと擬似溶液pseudo-solutionとをはっきり区別した。
この擬似溶液は上のemulsionやdemulsionとは異なった第三の型のものであって、彼によれば「ベルリン青と水との混合やそのほかこれに類する混合物は真の溶液の中にははいらず、emulsionやdemulsionでもなく、粘液やゼリーにも属さない。

これに対しては新たに特別な名称として擬似溶液というのがふさわしい。
ここに擬似溶液というのはある液体とやわらかい物体との特別な混合様式であって、この場合溶かされている物体は液体の透明度を変化させないで小さな薄片の形に膨張しており、その液体に可溶性な他の物質をあとから入れると容易に分離するものである」としている。

そして擬似溶液を試験する方法として、次の三つをあげている。
すなわち①擬似溶液の溶質はそれを分離したり、それと新しい化合物を作ったりしない他の可溶性物質をその溶液に加えると容易にすみやかに沈でんしてしまう。したがってこのものは単にその媒体にひろがっているに過ぎない。②溶液を作るとき、沈でんさせるときも温度変化を全然伴わない③溶質物質と溶媒物質との容積和は溶解の前後において全然変わらないというのである。
これに続いて彼はソブレロAscanio Sobreroと共同で、「硫化水素と亜硫酸の水溶液中での分解生成物」という研究を発表している。
これは1849年にトリノの科学会の会合で読まれたものである。その一節に次のように言っている。
「いおうの存在状態は、溶媒の中にそれを沈でんさせる物質が存在すると変化する。おそらく単なる付着力によるものであろうが、そのような物質は非常に強固に溶質と結びつく。 それでいおうは水の中でそれ以上分割できない方法で、乳濁液にもなれば集合体aggregateにもなる。乳化性のいおうは、たとえば石けんやでんぷんのりやベルリン青などのような、液体中に完全に溶解しないでわかれてゆく特殊な性質のある他の物質についても見られるのと同じような現象を呈する。この現象についてわれわれのひとり(竸るがすでに報告したところであって、それはセルミが擬似溶液と称した種類の物質に特有のものである。そしてこの点から、有機物質は特に興味があるもののようである」

これをみると、セルミとその一派の人々はある条件の下で物質が示す特殊性すなわちコロイド的特性をそのころすでに十分に認めていたことは確かである。しかし彼らはさらに進んでその特殊性を明らかにしなかったので、せっかくの業績もやがて忘れられてしまった。


















しんかがく 88

2012-10-11 07:10:30 | colloidナノ
               ひょいと四国へ晴れきっている      山頭火

日中戦争の最中、国家総動員法が成立しての翌年は10月の事であった。 そして僅かに1年足らずの翌年の今日、“コロリ往生”であった。       
   
      

     
                                                     




 さて立入明の史観とみられる、第2章「コロイド学の発達」をよんでみたい。

レムリが1765年に刊行された彼の「化学教程」の中で始めて無機化合物と有機化合物とをはっきり区別し、有機化合物は生物体に特有な力、すなわちいわゆる「生命力」によってのみ作られるものであって、われわれの実験室では作ることができないものであると信じられていたのが、
 1828年にウェーレルF.Wohlerが動物体の典型的な分泌物である尿素を青酸とアンモニアから合成することに画期的な成功を収め、これによってそれまでの信仰的な考えが破られたことに端を発して、次いでさく酸が合成され、それ以来合成有機化学は目ざましい発展を遂げて、今日幾万とも知れない複雑な有機化合物が合成されるに至ったことは、周知のごとくであるが、
 コロイド化学においては、このような意味での発見の必要は無かったのであって、コロイド化学の基礎を築いたとされているグレーアムよりもはるか以前に既にコロイド物質の存在は幾つも知られており、それらのもっているコロイド的特性も利用せられていたのである。

したがって有機化学が一つの全く新しい試みから出発したのに対して、コロイド化学はむしろ既にしられている現象を解釈し、それを他の分野と比較研究することによって発達して来たといえる。


第一節 グレーアム以前
 古く西暦紀元前に支那では墨の製造に現今のいわゆる保護コロイドとしてにかわを用い、エジプトでもインキを作るのに同じ目的にアラビアゴムを用いていた。またエジプトでは、主として土壌や鉱物から得られた粉から、20種に近い塗料を作りその粘結剤として、あるいは合板の接着剤としてにかわを用いていたらしい。
 また紀元前429年にスパルタ人はプラデアPlataeaの包囲に際してピッチといおうと木炭を混ぜて点火して今日の煙霧質aerosol兵器である煙幕を用いたことが歴史に見えている。

中世紀になって錬金術士が作った不老不死の妙薬(飲むことのできる金Aurum potabile)は、現今の知識を以てすれば、塩化金をたとえば精油のような保護剤の存在の下で還元して作った金ゾルにほかならない。よく知られているように、今でもこのようなものがある種の医療の目的に用いられている。

さらに16→17世紀には赤色ガラスを作るのに金の溶液が用いられ、その色が天然ルビーにも比べられるほどに鮮やかなのに興味がもたれたという記載がある。現在、融かしたガラスに金のコロイドを分散させて作っている金赤ガラスgold ruby glassは既にそのころから知られていたわけである。

18世紀には、1799年にベルグマンT.Bergmannがけい酸ソーダの溶液に酸を加えて得られる沈でんは適当な濃度においてはほとんど懸濁状態のままであって沈降しないことを認めている、これは明らかにコロイドけい酸の懸濁液suspensionを得たのである。また1794年には絹の染色に金のコロイドを用いたことが文献に現れている。

このように19世紀以前には、今から考えてコロイド学の範囲にはいる現象やコロイドの性質の利用が断片的に行われていたが、それらはほとんど学術的研究の形はとっていなかったといえる。

ひとしずく
  現今の考古学的資料によって、日本の縄文時代像はすっかり変わってしまった。その縄文土器は世界的なものと認知されている。立入明はそれを喜んで、ここに記したに違いないと信じられる。


参考記事チョウの味覚から種分化を探る生命誌
 昆虫の味覚では、細胞表面にある7回膜貫通型Gタンパク共役型受容体(7TM-GPCR)(註2)が中心的な役割を持つことが知られている。そこで、アゲハチョウの前脚の感覚が味覚の一種であると仮定し、感覚毛で7TM-GPCRが働いているのではないだろうかと考えた。そこで、前脚で働いている遺伝子の情報をできるだけたくさん集めることを目的として、ナミアゲハ雌成虫前脚ふ節のcDNAライブラリー(註3)を作成し、解析した。一万個を超えるcDNAの塩基配列を決定し、コンピュータを駆使して予想されるタンパク質を注意深く調べた結果、前脚ふ節だけで働いている7TM-GPCRが一つ発見できた。仮定から出発した実験の確からしさを一歩進めたことになる。
⇒「ノーベル化学賞に米国の2氏」現在位置:朝日新聞デジタル科学記事2012年10月10日19時12分 たんぱく質受容体の研究で米デューク大のロバート・レフコヴィッツ教授(69)と米スタンフォード大のブライアン・コビルカ教授(57)の2人に贈ると発表した。授賞理由は「Gたんぱく質共役受容体の研究」。細胞が環境からの刺激を受け取るときのセンサーの役割をする受容体の主要なグループの遺伝子と機能を解明した。
備考;細胞膜貫通型蛋白質には、Gタンパク質-共役受容体以外にもイオンチャンネル型受容体、チロキシナーゼ型受容体がある。最近、ヒトβアドレナリン受容体の構造が明らかになった。
 

しんかがく 87

2012-10-10 09:00:00 | colloidナノ


ついで注目したのは〔付言〕であった。

今は絕版となり、入手または閲覧も困難になっているが、戦後間もなく次の書が出版されていたことを最近知ることができた。

桜田一郎校閲、立入明訳著「Th.グレーアム コロイドの発見」高分子化学協会出版部刊(1949)。

本書は3章から成り、第1章「コロイドの発見」はグレアムの1861年の論文の全訳、第2章「コロイド学の発達」はコロイド化学の歴史で、立入氏の著と思われる。第3章「グレーアム伝」はA.W.Hofmann(グレアムの親友)による詳しい伝記(Hofmann、“Neklog”、Ber.2(1869)753-780)の全訳である。
故立入明氏の労に謝し、その絶版を惜しむものである。


その第1章の最後にはリービッヒからの寄稿をもって終えている。それを記しておく。

「しん透の理論について」
 グレーアムはかれの重要な拡散に関数する研究の終わりにしん透の原因の説明に立ち帰っているが、自分自身もかってこの問題に興味をもったことがあって、有孔隔壁を通して塩類溶液が拡散する場合の液体の容積変化に対するグレーアムの説明が自分の説明と一致している事は自分にとってこの上ない喜びにほかならない。
 自分の小さな書物(動物体内における体液の運動の原因についての研究Uutersuchungen uber die Ursachen der Saftebewegungen im Tierischen Korper;Braunschweig、Vieweg、1848)の中で、膜によって隔てられた二つの液体の混合と容積変化とは互いになんら直接に関係のない二つの現象であって、塩類の拡散は塩類粒子の液体粒子への親和力の結果であり、容積変化は膜の両側に接している液体に対する膜のけん引力の不同によるものであるという結論を実験によって導き出した。

次に自分の原文の中の一節を掲げるが、これをグレーアムの説明と対照してみれば、明らかにそれらが一致していることがわかるであろう。

「以上のことから次のような結果になる。すなわち、互いに混合しうる二つの液体を膜で隔てるとき、それらの容積変化は、二つの液体に対する膜の「ぬれ」の性質、換言すれば、けん引力の不同に基ずくものである。

 空気のあわを封じ込んで水をみたした管をアルコールまたは塩水につけておくと、塩水またはアルコールが水で飽和されたあわに接するすべての点であわの性質状態に変化が起こる。管の開孔でアルコールまたは塩水と管の中にはいっている水とが混ずると、塩がこの水に接近するにつれて、水に対するあわの吸収能は減少して、混合物からの引力の方が純粋からの引力よりも小さくなる、すなわち、そのために水を塩水の側へ流し出すことになる。


 この流出はあわをつくっている物質の容積変化を伴い、塩水と反対の側に収縮する。
両方の面が二つの異なった種類の液体に接触していて、それらに対して異なった吸収能をもつ動物膜の表面は、収縮性に関して異なった状態にある。この状態は液体がその性質状態を変えない限り保持するが、やがていったん中止して、あわの面に接している二つの液体の位置交換によって、その性質状態にまたもとのようなすなわち、結局永続的な不同を生じると再びあらわれる。

 その当然の結果として、動物体のあわのきわめて小さい粒子は、混合のあいだ、収縮と膨潤または膨張との交互にあらわれる状態にあり、いい換えれば絶えず運動していることになる」

 自分と学友のグレーアムの間の優先権については、もとより問題にならない。
グレーアムは自分の研究とは別に、単独に、かれの解釈を下すに至ったことを自分は確信している。



 公平のためにグレーアムが記した最後となる「Ⅷ しん透」にも触れておこう。

以上の報告でしん透に関しては、ごくわずかしか述べなかったが、これはコロイド隔壁においては非常に問題になってくる対象である。
しかししん透における水の運動は結局は薄膜隔壁またはコロイド隔壁の物質の中の習得および放出に基づくものであり、またしん透計(Osmometer)の中に入れられた塩類溶液の拡散は、いかに多くの水が隔壁の中に含まれているかということがこれに影響する以外には、しん透的成果とはほとんどまたは全く関係が無いように今は考えられる。

 ここにはE.ヨルデイスによって、長い長い注)77が付されているのだが、その一部に触れる。

 この大きい研究はドウトロシェ(M.H.Dutrochet)のしん入に関する研究によって刺激せられたものである。(Memojres pour servir a Phistoire anatomique et physiologique des vegetaux et des animaux、J.B. Bailliere、
Paris、1837、Ⅰ 1-99)


 膜によって純水と溶液とを隔てると、純水は膜をとおして溶液中へ、通常は多量に、はいってゆくのに対して、塩類は膜をとおしてわずかにかつ徐々に水中へ移動する。これは二重運動が相反する方向に起こっているものであって、これをドウトロシエは「しん透計」の中で測定したのであるが、それがグレーアムの興味をひいた。

・・・しかし、しん透実験が示しているように、塩のしん出量の数百倍の水がしん入するということはあらゆる拡散比率を越えているものであって、これに対しては特別な説明が必要となった。

 水と塩類溶液との毛管上昇度の相違については、それまでの研究者が既にそれを発見したと考えていたし、またそれによってしん透を説明していたのであるが、グレーアムが示しているように、正しく実験してみると、このような作用を説明するのには、それらの多くはあまりにも小さ過ぎるのである。

 そこでかれは素焼筒や動植物質を隔壁として用いて、多数の酸・塩・塩基の溶液についてしん透を研究した。実験によって示されたしん入液柱の高さは、非常に種々であったが、膜物質に化学的に作用する溶液がいつも最高値を示していた。
 石膏、圧搾木炭、革、可塑性粘土から成る隔壁を用うるときは、このような作用は除かれて、十分な有孔度をもっているにもかかわらずしん入は起こらなかった。かれは実験の前後に膜の重さを量ってその際に起こった影響を知った。

・・・・ グレーアムの研究の最後に示された、リービッヒとは別の見解は、膜がそれを洗う溶液によって種々異なった量の水を溶解して含んでいるような場合に限って、理論の要点を含んでいる。
 
 この場合は、膜自体が積極的に関与することは考えられないのであって、ここでは溶液からうつされた現象をその中で行う単なる媒体に過ぎない。
その現象を溶解度の変化と拡散とに関係する溶解現象であると解釈すると、一つの有用な理論ができ上がる。
 しかし、膜を原子または分子ろ過器とみなしては、グレーアムの観察した現象をとうてい正しく判断することはできない。











しんかがく 86

2012-10-09 06:31:02 | colloidナノ


まず最初に目を止めたのは、文献と注であった。

3)この節は主として次の文献によった:A.W.Williamson.“The Late Professor Graham ”Nature、No.4(1869)
なおWilliamsonは日本と縁が深い。
幕末英国に留学した伊藤博文、井上馨は彼の家宅に寄宿し、明治になり英国に留学した桜井錠二は彼に師事した。また彼は、東京大学の前身東京開成学校に化学科が創設された1874年、請われて彼の高弟アトキンソン(R.W.Atkinson)を教師として派遣した。後者は7年間在職し、化学科の教育、研究に大きく貢献した。ウィリアムソンは日本に近代化学を導入した影の功労者といわれている。

Alexander William WilliamsonLeopold Gmelin(1788-1853)の勧めで医学から化学に転向。グラハム、さらにギーセン大学のリービッヒの指導の下にて博士号を、パリでは数学を学ぶ。ユニバシテイ・カレッジの化学教授を1849-1887勤める。
⇒横浜の貿易商社ジャーデン・マジソンが渡英の世話をした。


本論へ戻す。
②-③グレアムの業績概観
グレアムの研究業績について主としてウィリアムソンの追悼文によりその概略を記しておきたい。
彼は当時のリン酸及びその塩についての混乱を系統立てた。
それまでリンの酸化物と水との反応で生じるリン酸には性質の異なるものが生成することが知られており、これらは異性体と考えられていた。グレアムはこれらの酸はそれぞれリンの原子価が異なる別の物質であることを明らかにした。
彼は水素と酸素の混合物はパラジウムとの作用でほとんど完全に分離できることを見出した。

グレアムはその他無機塩の結晶水の状態、アルコールがエーテルと水に変化することなど化学における多くの重要な研究をした。
その中でもっとも注目を浴び、重要な成果を挙げたのは拡散の研究であったとウィリアムソンは述べている。
Graham’s lawグレアムの気体拡散の法則」(1833)の業績についてやや詳しく紹介し、グレアムはこの関係を純粋に経験的に見出したと結んでいる。(彼が気体の拡散から液体の拡散へと歩を進めたのは1850年であった。ここで彼は種々の物質の水溶液中での半透膜透過速度を測定した。その結果無機の塩類には透過速度に多少の差はあるものの概して速い、それに比べてアルブミンの異常な遅さが際立っていることを見出した。これは1861年の論文の伏線をなす研究であった。)

しかし不思議なことに、ウィリアムソンはグレアムの追悼文中に彼の液体中の拡散、それから発展したコロイドの提言乃至これに続く事柄について一切ふれていないのである。



③グラハムの後継者たち
グレアムのコロイドは前章で述べたように、多様性で、曖昧な所もあった。
それ故彼の死後の受け継がれ方も多様であった。その様子を20世紀の初期までみてみたい。

グレアムに直接の弟子はいなかった。
晩年ロバーツ(W.C.Roberts)が彼の研究を手伝ったとウィリアムソンは記している。彼はコロイド概念を提唱した1861年以後約二十年間コロイドに関する論文は見当たらない。

そのことに関連する次の事項がある。
1855年University College Londonにおけるグレアムの化学の教授職を継いだウィリアムソンは前述の如くグレアムの死の直後、雑誌Natureに載せたかなり長い追悼文の中で、グレアムの研究業績を詳しく紹介しているのであるが、コロイドのことには一切ふれていない。
これらのことを思い合わせると、コロイドという見慣れぬ新概念がグレアムの後しばらくは研究者たちになじまなかったのではないか、新概念が認知され歩みだすのに当時としては多少の年月を要したのであった。


                       
                        
ひとしずく

 御一新
その相転移は1867年から1869年であったと、いまではみなせる。それを表象する例を挙げておこう。

①1867年のトラウベの人工細胞からの、ブフナー「化学-生物学的諸研究、および無細胞的発酵の発見」1907年ノーベル化学賞。 
②ダーウィン「種の起源」からの、「飼育栽培のもとでの変異」(1868年)つまり「パンゲン仮説」。
③ミーシャーが1869年発見した、ヌクレインからの二重螺旋。因みに、精子ヌクレインの物理的性質についての彼の観察では「ヌクレインはコロイド様の物質であり、羊皮紙膜を通過しなかった。多塩基酸の挙動を示し・・・」と記された。

それらには後にふれてゆくこととなるのだが⇒『iPSは「細胞のタイムマシン」 常識覆した山中氏 受精卵状態まで戻す、世界が称賛 』2012/10/9 2:01 情報元 日本経済新聞 電子版

 iPS細胞は体のどんな部分の細胞にも育てられ、ほぼ無限に増やせる。だが、本当に画期的な点は、皮膚などに変化した細胞を元の受精卵のような状態に戻したことだ。細胞の中の時計の針を巻き戻すことを実現した山中伸弥教授らの成果は「タイムマシン」の開発と称賛された。

 人間は約60兆個の細胞でできている。もともとは1個の受精卵が分裂を繰り返しながら、神経や筋肉、皮膚など体をつくる200種類の細胞に変化していっ…