朝日新聞の科学記者として1990年と98年に田中を取材。追悼記事を執筆した辻 篤子「蛋白質の時代」
2001年9月、日本で初めてBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)の牛が発見され、大騒ぎになりました。そのおかげで改めて脚光を浴びたのが、BSEを引き起こす謎の病原体プリオンです。私が勤務する朝日新聞社の科学部でも、記者が早速、プリオンの謎に取り組みました。
プリオンは実に不思議な蛋白質です。遺伝物質を持たず、細菌でもなければウィルスでもありません。ヒトや動物の体内には、正常なプリオンがあって、何らかの役割を果たしているらしいのです。ところが、いったん異常プリオンに感染すると、正常なプリオンが異常なプリオンに変わっていきます。が、異常なプリオンと正常なプリオンの違いは立体構造だけ。検出が難しいのです。
それにしても、どうやって、正常型が異常型に変わる、あるいは、異常型が集まって核のようなものを作り、正常型を取り込んで異常型に変える、といった説があるらしいのですが、立体構造がどうやって変わるのか、肝心のところはまったく謎です。
参考記事→もう一つの大きな謎は、正常型プリオンタンパク質を、異常型プリオンタンパク質に変換することにはまだ誰も成功していない、ということです。そもそもタンパク質の立体構造は、それ自体、もっともエネルギー的に安定のはずです。それが自然に変化するということは、そう簡単には起こり得ないものです。 しかし、何らかの原因で、生体内のタンパク質の立体構造(コンフォメーション)が変化することによって引き起こされる病気がプリオン病の他にもあり、その代表例は、アルツハイマー病です。これらは総称して、コンフォメーション病と呼ばれています。 もし、タンパク質の立体構造に変化を引き起こす原理が解明できれば、生命科学は大きく進展することになります。 福岡研ではこの大問題に取り組んでいます。 BSE(牛スポンジ脳症)
「考えれば考えるほど不思議」。そんなことを仲間たちと話していて、ふと頭に浮かんだのが、田中豊一博士が熱っぽく『蛋白質の構造が偶然できた、なんてことはあり得ないんです。サルにシェークスピアが書けないのと同じようにね』
20種類のアミノ酸が連なってできた蛋白質。DNAの遺伝暗号、すなわち3つの塩基の組み合わせによって、一つのひとつのアミノ酸は決まりますが、そうしてできあがった一連なりのアミノ酸が機能を発揮するためには特定の立体構造にならなければならないのです。その立体構造はどうやってできるのでしょうか。つまり、「物」がどうやって「生命」にかわるのか。その答えを、現代科学はまだ持ち合わせていません。「その謎をときたい」、こうきっぱり言った田中博士は、ゲルの物理学というお得意の武器を手に、まさにそこに挑んでいたのです。取材にうかがったMITの研究室でのこうした博士の言葉が浮かび、「プリオンの立体構造の変化、先生ならどう考えられるだろうか」、ぜひ尋ねてみたいという思いに強くかられたのでした。
田中博士からこの言葉を聞いたのは1998年6月のことでした。MITにある科学ジャーナリストのためのプログラムに参加し、ナイト・フェローとしてMITに滞在していた90年にも、研究室を訪ねたことがあり、それ以来のインタビューでした。最初の訪問で、物理現象としてのゲルの不思議について話をうかがいました。それ自体、大変興味深い現象ではあったのですが、そのゲルが生命の起源につながろうとは、そのときは私自身想像もつきませんでした。
しかし、それから8年、ゲルの理論をもとに生命の起源に切り込む、大胆ともいえる挑戦が本格化していました。そのことが、熱のこもった話しぶりからもひしひしと伝わってきました。
その直前の98年5月には、クレーブ・ベンター博士が興したベンチャー企業セレラ社が、2001年までにヒトゲノムの解読を終えるという衝撃的な宣言をしたばかりでした。果たして本当にできるのか、半信半疑の見方もあったものの、15年計画で2005年の解読終了をめざしていた国際グループ、とりわけその中心メンバーである米国立保健研究所(NIH)を驚愕させるには十分でした。そして、ヒトの遺伝情報をすべて解読するという、ほんの10年ほど前にはほおとんど夢物語だり、アポロ計画に比せられることもあった計画が、がぜん現実味を帯びてきたのでした。
セレラ・ジェノミクス社プロジェクトが加速したもう一つの理由としてセレラ・ジェノミクス社による商業的なヒトゲノムプロジェクトの存在がある。この企業はショットガン・シークエンシング法という新しい方式でシークエンシングを行い、新たに発見された遺伝子を特許化しようとした。しかしこれは公的資金によって進められているヒトゲノムプロジェクト(こちらを以下HGPとする)と拮抗してしまうことから、調整を図る為にバミューダで会議が開かれることとなり、作成されたデータについては作成から24時間を基本として全て公開して全ての研究者が自由に利用できるようにするという項目を含む、バミューダ原則(1996年2月)という形で合意が成された。最終的には、このような競争はプロジェクトにとって非常に良いものであったことが証明されたといえる。
人間の設計図ともいえる、30億の塩基の連なり。そのすべてが読みとられるということは、確かに大変なことに違いありません。では、その先は?遺伝情報はあくまでも遺伝情報でしかないのです。遺伝情報は蛋白質を形作るアミノ酸の配列を明らかにします。しかし、そのアミノ酸が、ある一定の形に折り畳まれた蛋白質となって初めて、さまざまな生命活動を担うことになります。
2000年6月、ヒトゲノムの概要が、米国のクリントン大統領と英国のブレア首相の立会いのもと、国際グループとセレラ社との共同発表という形で発表され、以来、焦点は明確に蛋白質の構造解明に移っています。その意味では、ヒトゲノムの解読は、さまざまな病気から脳が営む知的な活動まで、ヒトという生命体の機能を解明しようという長い道のりのアプローチが不可欠です。
20世紀が物理学の世紀であったとすれば、21世紀は生物学の時代であるとよくいわれます。しかし、「むしろ科学の時代というべきだ。生命現象に挑むのには、物理や化学などの研究手法を総動員しなければならないからだ」とは、同じくMITの物理学者で米国物理学会会長も務めたジェローム・フリードマン教授の言葉です。20世紀初め、生物学が一大転換を遂げ、大きく飛躍したのは、物理学者たちが参入、生物物理学と呼ばれる新分野を開いたからでした。また、20世紀を通じて、ヒトの設計図を読み解き、生命を操作するところまで生物学が発展してきたのは、様々な分析手段を提供するなど物理や化学の貢献があったことも間違いありません。
そして、今、「蛋白質の時代」を迎え、物理学が改めて、生物学の中心課題に正面から挑むのです。そこに田中博士の研究の真骨頂があったように思います。それは、生きていることの不思議さにひかれて東京大学で生物物理学を学んだという田中博士にとって、まさに望んだ通りの展開だったはずです。
MITでゲルの研究を始めたのは、「蛋白質を見ようとしたら、ゲルの光散乱で見えない、そこで物理的対象としてのゲルを探求することになった」からだそうです。その研究が、時を経て、生命の起源につながっていったわけですが、こうした道筋は、必ずしも初めから見えていたわけではないかもしれません。やはり98年春、ゲルの理論による生命の起源の探求について、「思わぬところから出てくるのが真の発見。ゲルが私を呼んでいるとしか思えない」と、同僚記者のインタビューに対して答えたことが新聞紙上でも紹介されています。

走査型顕微光散乱ゲル試料の微小な領域内部において多数の点をピックアップし,連続的に顕微光散乱で走査を行い適切な統計処理をすることで不均質な試料でも厳密な平均量を測定できることに着目し,従来の含水率に基づいた分析では得ることのできなかった,ナノスケールの網目サイズ分布を定量的に分析できる微量ゲル状試料の構造解析システムの開発に成功しました。
しかし、振り返ってみれば、必然的な歩みともみえます。それは科学者としての勘、もしくは直感がなせる技なのか、あるいは、強い意志が呼び寄せた必然なのか。私には、これこそが科学の醍醐味と思え、話をうかがいながら、知らず興奮を覚えていたのでした。
「現在の生物学では、20種類のアミノ酸がじゅずつなぎになって高分子になる、そして、たまたまいい構造のものができて、分子認識などの機能を果たし始めたのだと考える。でも、その組み合わせの数は天文学的数字よりはるかに大きい。宇宙の年齢を考えると、1秒に1個作ったって、間に合わないんです。偶然にできたなんて、あり得ない」。
外界の条件に応じて、4つの相を移り変わるゲル。
そこには偶然はありません。高分子がいかにして、特定の構造になり得るのでしょうか。それを実証するためのコンピューター・シュミレーションを実験の数々。理論的には、高分子が構造を記憶できることはすでに示されたと語る、その言葉に、自信と夢があふれていました。これからどんな答えが出てくるだろうと、期待に胸がふくらみました。
ゲルの理論で生命の起源を語ることについては、生物学者の中には異論があるといいます。アイデアが斬新であればあるほど、容易には受け入れられないことは、歴史の示すところです。しかし、博士の言葉を借りれば「思わぬところから出てくるのが真の発見」。
思わぬ発見で、もっともっと、私たちを驚かせてほしかった。びっくりするような「生命の秘密」を見せてもらいたかった。それがかなわぬ今、その役は、博士の遺志を継いだ後進に託したいと思います。
2001年9月、日本で初めてBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)の牛が発見され、大騒ぎになりました。そのおかげで改めて脚光を浴びたのが、BSEを引き起こす謎の病原体プリオンです。私が勤務する朝日新聞社の科学部でも、記者が早速、プリオンの謎に取り組みました。
プリオンは実に不思議な蛋白質です。遺伝物質を持たず、細菌でもなければウィルスでもありません。ヒトや動物の体内には、正常なプリオンがあって、何らかの役割を果たしているらしいのです。ところが、いったん異常プリオンに感染すると、正常なプリオンが異常なプリオンに変わっていきます。が、異常なプリオンと正常なプリオンの違いは立体構造だけ。検出が難しいのです。
それにしても、どうやって、正常型が異常型に変わる、あるいは、異常型が集まって核のようなものを作り、正常型を取り込んで異常型に変える、といった説があるらしいのですが、立体構造がどうやって変わるのか、肝心のところはまったく謎です。
参考記事→もう一つの大きな謎は、正常型プリオンタンパク質を、異常型プリオンタンパク質に変換することにはまだ誰も成功していない、ということです。そもそもタンパク質の立体構造は、それ自体、もっともエネルギー的に安定のはずです。それが自然に変化するということは、そう簡単には起こり得ないものです。 しかし、何らかの原因で、生体内のタンパク質の立体構造(コンフォメーション)が変化することによって引き起こされる病気がプリオン病の他にもあり、その代表例は、アルツハイマー病です。これらは総称して、コンフォメーション病と呼ばれています。 もし、タンパク質の立体構造に変化を引き起こす原理が解明できれば、生命科学は大きく進展することになります。 福岡研ではこの大問題に取り組んでいます。 BSE(牛スポンジ脳症)
「考えれば考えるほど不思議」。そんなことを仲間たちと話していて、ふと頭に浮かんだのが、田中豊一博士が熱っぽく『蛋白質の構造が偶然できた、なんてことはあり得ないんです。サルにシェークスピアが書けないのと同じようにね』
20種類のアミノ酸が連なってできた蛋白質。DNAの遺伝暗号、すなわち3つの塩基の組み合わせによって、一つのひとつのアミノ酸は決まりますが、そうしてできあがった一連なりのアミノ酸が機能を発揮するためには特定の立体構造にならなければならないのです。その立体構造はどうやってできるのでしょうか。つまり、「物」がどうやって「生命」にかわるのか。その答えを、現代科学はまだ持ち合わせていません。「その謎をときたい」、こうきっぱり言った田中博士は、ゲルの物理学というお得意の武器を手に、まさにそこに挑んでいたのです。取材にうかがったMITの研究室でのこうした博士の言葉が浮かび、「プリオンの立体構造の変化、先生ならどう考えられるだろうか」、ぜひ尋ねてみたいという思いに強くかられたのでした。
田中博士からこの言葉を聞いたのは1998年6月のことでした。MITにある科学ジャーナリストのためのプログラムに参加し、ナイト・フェローとしてMITに滞在していた90年にも、研究室を訪ねたことがあり、それ以来のインタビューでした。最初の訪問で、物理現象としてのゲルの不思議について話をうかがいました。それ自体、大変興味深い現象ではあったのですが、そのゲルが生命の起源につながろうとは、そのときは私自身想像もつきませんでした。
しかし、それから8年、ゲルの理論をもとに生命の起源に切り込む、大胆ともいえる挑戦が本格化していました。そのことが、熱のこもった話しぶりからもひしひしと伝わってきました。
その直前の98年5月には、クレーブ・ベンター博士が興したベンチャー企業セレラ社が、2001年までにヒトゲノムの解読を終えるという衝撃的な宣言をしたばかりでした。果たして本当にできるのか、半信半疑の見方もあったものの、15年計画で2005年の解読終了をめざしていた国際グループ、とりわけその中心メンバーである米国立保健研究所(NIH)を驚愕させるには十分でした。そして、ヒトの遺伝情報をすべて解読するという、ほんの10年ほど前にはほおとんど夢物語だり、アポロ計画に比せられることもあった計画が、がぜん現実味を帯びてきたのでした。
セレラ・ジェノミクス社プロジェクトが加速したもう一つの理由としてセレラ・ジェノミクス社による商業的なヒトゲノムプロジェクトの存在がある。この企業はショットガン・シークエンシング法という新しい方式でシークエンシングを行い、新たに発見された遺伝子を特許化しようとした。しかしこれは公的資金によって進められているヒトゲノムプロジェクト(こちらを以下HGPとする)と拮抗してしまうことから、調整を図る為にバミューダで会議が開かれることとなり、作成されたデータについては作成から24時間を基本として全て公開して全ての研究者が自由に利用できるようにするという項目を含む、バミューダ原則(1996年2月)という形で合意が成された。最終的には、このような競争はプロジェクトにとって非常に良いものであったことが証明されたといえる。
人間の設計図ともいえる、30億の塩基の連なり。そのすべてが読みとられるということは、確かに大変なことに違いありません。では、その先は?遺伝情報はあくまでも遺伝情報でしかないのです。遺伝情報は蛋白質を形作るアミノ酸の配列を明らかにします。しかし、そのアミノ酸が、ある一定の形に折り畳まれた蛋白質となって初めて、さまざまな生命活動を担うことになります。
2000年6月、ヒトゲノムの概要が、米国のクリントン大統領と英国のブレア首相の立会いのもと、国際グループとセレラ社との共同発表という形で発表され、以来、焦点は明確に蛋白質の構造解明に移っています。その意味では、ヒトゲノムの解読は、さまざまな病気から脳が営む知的な活動まで、ヒトという生命体の機能を解明しようという長い道のりのアプローチが不可欠です。
20世紀が物理学の世紀であったとすれば、21世紀は生物学の時代であるとよくいわれます。しかし、「むしろ科学の時代というべきだ。生命現象に挑むのには、物理や化学などの研究手法を総動員しなければならないからだ」とは、同じくMITの物理学者で米国物理学会会長も務めたジェローム・フリードマン教授の言葉です。20世紀初め、生物学が一大転換を遂げ、大きく飛躍したのは、物理学者たちが参入、生物物理学と呼ばれる新分野を開いたからでした。また、20世紀を通じて、ヒトの設計図を読み解き、生命を操作するところまで生物学が発展してきたのは、様々な分析手段を提供するなど物理や化学の貢献があったことも間違いありません。
そして、今、「蛋白質の時代」を迎え、物理学が改めて、生物学の中心課題に正面から挑むのです。そこに田中博士の研究の真骨頂があったように思います。それは、生きていることの不思議さにひかれて東京大学で生物物理学を学んだという田中博士にとって、まさに望んだ通りの展開だったはずです。
MITでゲルの研究を始めたのは、「蛋白質を見ようとしたら、ゲルの光散乱で見えない、そこで物理的対象としてのゲルを探求することになった」からだそうです。その研究が、時を経て、生命の起源につながっていったわけですが、こうした道筋は、必ずしも初めから見えていたわけではないかもしれません。やはり98年春、ゲルの理論による生命の起源の探求について、「思わぬところから出てくるのが真の発見。ゲルが私を呼んでいるとしか思えない」と、同僚記者のインタビューに対して答えたことが新聞紙上でも紹介されています。

走査型顕微光散乱ゲル試料の微小な領域内部において多数の点をピックアップし,連続的に顕微光散乱で走査を行い適切な統計処理をすることで不均質な試料でも厳密な平均量を測定できることに着目し,従来の含水率に基づいた分析では得ることのできなかった,ナノスケールの網目サイズ分布を定量的に分析できる微量ゲル状試料の構造解析システムの開発に成功しました。
しかし、振り返ってみれば、必然的な歩みともみえます。それは科学者としての勘、もしくは直感がなせる技なのか、あるいは、強い意志が呼び寄せた必然なのか。私には、これこそが科学の醍醐味と思え、話をうかがいながら、知らず興奮を覚えていたのでした。
「現在の生物学では、20種類のアミノ酸がじゅずつなぎになって高分子になる、そして、たまたまいい構造のものができて、分子認識などの機能を果たし始めたのだと考える。でも、その組み合わせの数は天文学的数字よりはるかに大きい。宇宙の年齢を考えると、1秒に1個作ったって、間に合わないんです。偶然にできたなんて、あり得ない」。
外界の条件に応じて、4つの相を移り変わるゲル。
そこには偶然はありません。高分子がいかにして、特定の構造になり得るのでしょうか。それを実証するためのコンピューター・シュミレーションを実験の数々。理論的には、高分子が構造を記憶できることはすでに示されたと語る、その言葉に、自信と夢があふれていました。これからどんな答えが出てくるだろうと、期待に胸がふくらみました。
ゲルの理論で生命の起源を語ることについては、生物学者の中には異論があるといいます。アイデアが斬新であればあるほど、容易には受け入れられないことは、歴史の示すところです。しかし、博士の言葉を借りれば「思わぬところから出てくるのが真の発見」。
思わぬ発見で、もっともっと、私たちを驚かせてほしかった。びっくりするような「生命の秘密」を見せてもらいたかった。それがかなわぬ今、その役は、博士の遺志を継いだ後進に託したいと思います。