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夢の神々なの⑤

2012-01-13 07:04:13 | colloidナノ
第2話は「離陸したゲルの科学」より、その「ゲルの光散乱」

ゲルはMIT(マサチューセッツ工科大学)に行ってからです。大学院のときには和田昭充先生の研究室で生体高分子のへリックスーコイル転移をやっていたんです。そこで動的光散乱というテクニックを使っていたんですが、生体高分子からの動的光散乱を最初にやったのがMITのG・ベネデック教授だったので、大学院の最後の年(1972年9に助手として行ったのです。


(MIT)ベネデック教授のところではレーザーの光散乱でタンパク質や高分子が動くスピードをドップラー効果によって測定するという実験をやっていたんです。電気泳動やクロマトグラフィーではゲルの中を高分子が動いていって、そのスピードで分子を分画しますが、これは出てくるのを待たなければならない。レーザーだとある時点での分子のスピードが一瞬にしてわかるというわけで、その実験をやっていたんです。
ところが、タンパク質からの光散乱よりゲルからの光散乱が多くて、うまく測定できないという困難があって、皆、悩んでいたんです。

ゲルからの光散乱はここでは不都合だったんですが、逆にゲルから光散乱があるというのは面白いじゃないかと考えて、僕はそれを調べていったわけです。そしてそれについて理論をつくったんです。

ゲルの網目というのは弾性体ですが、波はこういうものの中を伝わります。ところがゲルというものは水の中にありますから、そこでは波は振動しないで崩壊してしまうというモードになる。そういうモードを光散乱で見ていたということが解ったんですね。つまり、網目の弾性率や網目と溶媒の粘性的相互作用がモードを決定して、それを光散乱で測定することができる、ということが明らかになった。MITに行ってから3ヶ月くらいでした。

鈴木淳史「可視光によるゲル相転移」解説
ゲルに照射された光は、吸収されるか、散乱されるか、透過する。ここで見つけた光に応答するゲルは、光の吸収が支配的と考えられる系で、水の中で光による局所的な温度上昇により、体積が不連続にかつ可逆的に変化する。その原理は、当時すでに田中らが築いてきたゲルの膨潤の基礎理論で説明することができた。これは、熱応答性高分子と光感受性分子の色素からなるゲルでは、可視光により体積相転移させることができる、という一般的な原理の証明である。略

さらに、色素を使う代わりに、高分子網目そのものの光吸収能を利用しようという試みも行われた。略

一方、この相転移は、光が照射されている局所的な収縮部分と未照射の膨潤部分とが共存する、いわば2相状態である。光照射による巨視的・微視的な形態変化の原理を理解するために、ゲルの機械的な拘束下や外力をかけたときの膨潤挙動も詳細に研究され、2相共存状態に関する研究に拍車がかかった。さらに、ゲルの機械的な拘束下や外力をかけられたときの膨潤挙動が詳細に研究されるようになった。

以上のように、この論文は、可視光でゲルが相転移を起こすことを世界で最初に示したものであり、「ゲルの膨潤理論を基礎とした光応答ゲルの開発とその原理の解明」という点に学術的な意義があると考えられる。略

しかし、このような目に見える評価とは別に、実はもっと重要な意味をこの論文は含んでいた。それは、「サブミリメーター直径の円柱ゲルの作製に成功し、そのサイズを測定するための温度可変の光学顕微鏡用のセルを作製した」という小さな技術が生まれたことである。

その重要性にいちはやく気づいた田中は、それまでに行ったゲルの膨潤挙動の測定を、急いでやり直した。両性ハイドロゲルの相挙動を集中的に調べ、多重相の発見へとつながった。
その後、田中研究室のテーマが、急速に生命の起源に関する研究に向かう1つのきっかけとなったのである。略

「Nature」346:345-347(1990)『Phase transition in polymer gels induced by visible light』Atsushi Suzuki & Toyoivhi Tanaka



光照射で材料の接着・解離をスイッチ
光刺激を与えると、その刺激に応じてゲルが着いたり、離れたり、さらに相手を組み替える様子は、まるでゲルが意思を持ったように見えます。「ある波長の光をあてるとパーツが離れ、別の波長の光をあてると接着する」特性を利用すれば、必要に応じて光で解体・補修することが可能になります。今後、ゲルのみならず、さまざまな物体の表面に光応答性ゲストや対応するホストを固定することにより、さまざまな材料を光刺激で切り取ったり、つなげたり、配列させることができるようになると予想されます。





夢の神々なの④

2012-01-12 07:26:00 | colloidナノ
第1話は「ゲルの相転移」からの抜粋。

高分子ゲルのまわりの温度や、溶媒組成などをかえていくと、あるところでその体積が1000倍にも不連続に膨張したり収縮する。この現象が相転移であり、気体ー液体の間の相転移のように普遍的で、あらゆるゲルに起こり得ることが明らかになってきた。
この相転移現象の中に、ゲルを構成している高分子のミクロな個性と特徴が、増幅されてくっきりと浮かび上がる。さらに、この現象を利用して、ゲルを人工筋肉やロボットの記憶素子、表示素子、エネルギー変換素子、選択的吸収体などとして応用する可能性が開けた。略

ゲルは、細胞内や生体内にも至る所に見いだされる。眼の中の角膜や硝子体がゲルであり、いろいろな結合組織、血管壁に、また関節の潤滑剤としてもゲルが使われている。体腔表面はゲルで覆われていて、体に取り込まれる物質をふるい分けたり、体腔内の環境の変化や強い胃酸から体腔表皮細胞を守ったりしている。略

備考;硝子体は眼球の体積の8割を占めるゲルでその99%が水分で,約1%が固形成分です.ですから人の組織では最もみずみずしい組織といえます.実際,ステンレスの網目の上におくとぽたぽたと水が落ちてくる程です。ハイドロゲルを用いた人工硝子体の研究生体の硝子体は構造と異方性を持ったハイドロゲルであり,そのゲルとしての構造,更に体積相転移が臨床的な網膜,硝子体疾患と関わっていることを示した.


硝 子 体眼球の内容は,硝子体,水晶体,および房水である.






1950年代には、カチャルスキーやクーン、また、ノーベル化学賞受賞者であるフローリーなどの先駆者達によって、その物理化学が大いに推進された。更に、最近、これから紹介するゲルの相転移現象が発見されたことによって、ゲルの性質や振舞いを統一的に、また定量的に理解できるようになってきた。とくに、ゲルの相転移現象には、高分子のミクロな個性、特徴が如実に反映されるので、巨視的なゲルの研究を通じて、高分子一般の理解も深まるものと期待されるている。略

更に備考;コロイド化学という言葉は古くから知られているが、生物物理化学(Biophysical chemistry)という言葉はそれに比べれば新しい。わが国に最初にできた‘生物物理化学講座’は大阪府大農学部の小野宗三郎先生の研究室であった(1949)。そしてわが国で生物物理学会がその会誌‘生物物理’を初めて発刊したのは昭和36年(1961年)であった。
筆者自身も化学の出身であるが故に生物物理学(Biopysics)という語よりは生物物理化学という語にははるかに親しみを覚える。
わが国の「コロイドおよび界面化学討論会」は今年で32回目をむかえるわけであるが、以前玉虫先生がのべられたように、そこでの発表テーマの内容の分布は時代と共に変遷して来た。それでも前々からこの討論会の一部には生物物理化学的なテーマが必ず見られた。ところが近年この種の分野の発表が多くなってきたように思われる。数においてその筆頭に目されるものは膜の問題であろう。これらの問題は多方面からのattackが可能であるが、コロイド化学に経験をもつ者がattackするのも1つの方法である。略
このような世界的にみてもコロイド化(科)学と生物物理化学との境界領域における研究は着実にその歩みを進めている。この分野での研究は生産には直結せず工業的意義はうすいが、基礎科学の立場からはきわめて重要である。将来、表記の接点は益々その数をふやし生命化学の発展に寄与することであろう。わが国においても、膜の問題以外にこれらの接点のいくつかが近い将来、「コロイドおよび界面化学検討会」における討論主題となる日の来ることを期待したいと思う。我田引水ながら私見をのべた次第である。これは「コロイド化学と生物物理化学の接点」(青木幸一郎)の抜粋である。








東京大学の学生時代より田中の背中を見ながら高分子・レオロジーの研究を行ってきた、その土井正男は「ゲルの物理学と田中豊一」を寄稿している。

田中博士の仕事はインパクトの大きいものでした。ゲルが水を吸って膨らむという現象は、珍しいことではありません。乾燥した餅や豆を水の中に入れておくと、水を吸って体積が大きくなるということは台所で常日頃見ていることです。けれどもその現象の中に相転移というものがあるという発見が、物理学者の目を引いたのです。相転移であるなら、これまで物理学者が培ってきた方法を用いると何か新しいことができるかもしれません。その期待が、物理学者を、ゲルという、素性のはっきりしない。複雑な物質に注目させたのです。
田中博士の仕事によって、ゲルの物理学的な研究が始まり、後に複雑液体とかソフトマターの物理学といわれる、物理学研究の1つの流れがスタートしたのです。略

(小貫明博士や関本謙博士)

彼にとってゲルの体積相転移を気体・液体相転移と類似のものと考えることは、問題を整理し、次に進むための作業仮設であったと思います。実際、田中博士は、その後、このアナロジーに基づいてゲルの相転移に特有の現象(ゲルの表面のしわ、内部の構造変化、ヒステリシス効果など)を次々に見出して行ったのです。

田中博士の功績はゲルの相転移を発見し、現象の大まかな見取り図をさっと描いた点であると思います。










夢の神々なの③

2012-01-09 09:49:59 | colloidナノ
田中君と‘物理の絵’と題して、和田昭充のまえがきから(「科学を絵に描いた男 田中豊一ゲルの世界を拓く」東海大学出版会)

皆さんは、物理学は長い長い数式が何行も、場合によっては何ページも続くややこしいものだと思っているでしょう。これはあながち間違っているとはいえません。しかし、私がいままでお付き合いした、内外の多くの優れた物理学者や化学者は、難しい数式が表している現象の本質を、まず鮮明にそしていとも簡単に‘画像’として描いて説明することのできる方々でした。

田中君は、ゲル(プリンとかゼリーなど)という、長い分子が編み目を作って水を取り込んでいるためにブヨブヨと柔らかいけれども流れない特殊な物の理コトワリを究めました。彼の研究は、これまでに多くの国際的な賞を獲り、いずれノーベル賞といわれ、すでに候補者にもなっていたと思います。
その彼の論文の特徴は、長い数式ではなく、ゲルの状態がどのように、なぜ変わっていくのか(相転移という現象9を実感を持って読者に伝えるスケッチやグラフでした。本当に説得力がありました。

理化学研究所横浜研究所ゲノム科学総合研究センター所長となった和田氏は、2001年8月に次ぎのような発言をされている。
 「大学組織が非常に縦割りで、教養学部とは言いながら生命、非生命の学問の関係を教えてこなかった。このような点を考え直さなければ、今後も遅れたままになる可能性があります。」




アクアマテリアルハイドロゲル(Hydrogel)は、水を意味するその名が示すとおり、ほとんどが水で構成されており(最高で99%)、ゲルという呼び名が示す程度の形状保持性しかない。この性質からハイドロゲルは、持続放出型の標的型薬剤送達物質や人工細胞といった新たな生物医学的応用の可能性が大いにあると見られている。われわれの体もまた、大部分が水でできているからだ。



高強度で自己修復性のあるアクアマテリアルの開発に成功
―水からできた究極の環境無負荷材料として期待―

ハイドロゲル(アクアマテリアル)の作り方としては、共有結合による架橋構造を利用する方法と非共有結合による超分子的方法が知られていますが、本プロジェクトでは非共有結合による方法を選びました。それは、混ぜるだけで簡単に作れることと自己修復性が期待できるからです。

今回開発された水を主成分とするアクアマテリアルは、環境に優しく、容易に作製することができます。また、非共有結合でできているために自己修復性であるという特徴と十分な強度を持つことからどんな形にも成形することや、いくつもの成形物を貼り合わせてより複雑な形状にすることもできます。さらに生理活性物質を取り込むこともできるので、異なる酵素活性を持たせた、いくつかのブロックを貼り合わせて反応シーケンスの場をデザインできる可能性があります。

このように、今回開発した材料は究極の環境無負荷材料のプロトタイプとして、「超分子化合物」や「主に水でできた材料」は強度がなく実用できないという従来の概念を打ち破り、バイオリアクター用材料および骨、軟骨などの再生材料や代替材料、アクチュエーター材料など、さまざまな応用分野を切り開く可能性を持つものです。科学技術振興機構(JST)

the elements30

2011-10-10 20:00:00 | colloidナノ
化学者人名辞典などの類からFerdinand Friedrich von Reussを見つけ出すことは出来なかった。
それゆえに、好奇が生まれた。
しかしそれは大変、徒労の多いものでもあった。

たとえば「物理化学事典」、電気泳動(1809年発見)その、たった7文字に出会う事も稀有な事なのだ。

「最新 土木工法事典」では、ある程度のまとまった記述があった。"電気浸透工法ー強制排水"
電気浸透の物理的現象は、1807年モスクワのロイスによって発見された」と、33文字を費やしている。

「電気化学」(玉虫伶太)では"Reussにより発見され、Wiedemann1852、Quinke1861によって研究された。その電気浸透現象の理論はHelmhotz、Lamb、von Smoluchowsk、Perrinらによった"。


しかし、この隔靴爬痒を免れぬ、難題もまた、ネットサーフィンにてはヒットさせうる可能性がある。
そのような時代なのだと、しみじみ感じ入りました記事の一つ。



ティセリウスの電気泳動
電気泳動の歴史は意外に古く、19世紀初頭まで溯ることができます。後に電気泳動法確立のキーパーソンとなるティセリウスの1930年の学位論文によると、最初の電気泳動実験は1807年にロシアのロイスによって行われたそうです。

ロイスの電気泳動実験は、当然のことながら試料はタンパク質溶液などではなく、粘土でした。湿った粘土に水を満たした2本のガラス管を刺して電流を流したところ、陽極側では粘土の粒子によって水が濁り、陰極側では濁ることはなかったが体積が増大したことを記録しています。

余談になりますが、ロイスの名前については、フェルディナント・フリードリヒ・ロイスとしている資料と、アレクサンドル・ロイスとしている資料の両方があるようです。また年代についても、本稿ではティセリウスの記載に従って1807年と書きましたが、1809年としている資料もあります。年代について後者が正しいのであれば、来年(2009年)は「電気泳動二百周年」にあたることになります。

ロイスの実験以降、電気分解や電磁誘導で有名なファラデーや1847年からドイツ物理学会長を務めたデュ・ボア=レイモンなど、多くの研究者が電気泳動の研究を行っていますが、電気泳動という現象の性質を明らかにするまでには至りませんでした。

       
二次元電気泳動/2D DIGE 解析ソフトウェア


the elements29

2011-10-09 12:00:11 | colloidナノ
原典を尋ねるが如く、源点を訪ねるべし!
ボローニャ大学における1350年代の講義風景を描いた写本挿絵書記机型の教卓と椅子が一体となった威厳ある座席に腰を下ろしている教授(左上)を、貴族や富裕層の子息からなる就学者たちが取り巻き、教えを受けている。もっともこの時代、教授者は就学者側に雇用された身分であり、現代に見られるような学生に対して上位の立場とは違っている



Graham以前のコロイド研究
イタリアの科学者、Francesca Selmiは塩化銀、ブルシアンブルー、イオウなどのコロイド溶液を調整し、それが真の溶液ではなく、こまかい粒子のサスペンションであるという認識をもって、これを擬似溶液Pseudo Solutionとよんでいた。

コロイド化学の話の中によく登場する金のコロイドは中世の錬金術士によって既に調整されていたといわれる。金を含む赤ガラスも16世紀につくられていたという記録がある。しかしコロイドのテキスト中で有名なのはFaradyによる金のコロイドの製造法である。

彼は光と電気の関係を求めようとして色々な実験をしていたが、その一つとして元気の導体である金と不導体であるイオウの微粒子の浮遊液に対する光の効果を比較しようとした。そのような目的で彼は金塩の溶液を還元した。得られた液は透明であったが、その液にレンズを通して日光を照射したところ、微粒子のサスペンションで見られるような金色に見えたので、この液には金の微粒子が浮かんでいると考えた。

Faradyのつくった金のコロイドの試料は既に乾いているがロンドンの科学博物館に展示されている。

コロイドと密接な関係にある二つの現象、界面電気運動とブラウン運動の発見、さらにNageliによるミセル概念の提出も特記すべき業績であろう。
表1-2はこれらを集めて、Graham以前のコロイド関連事項とした。

その表の先頭には、1809年;Reuss.F.F."粘土を用いて電気泳動と電気浸透の現象を発見した"


the elements28

2011-10-08 08:34:50 | colloidナノ
ただいま!!
そこから始まる事は定めかたし。
それゆえに過去を知り未来を占わんと欲するを、"過未音色"と称する。

そこに諸々のかていが、あるが、ひとまず「実体論的段階」としておく。

コロイド概念の変更がなされ、その境界が取り払われていった。Weimarn、Wo.Ostwaldの時代である。

古くてあたらしい教科書「コロイド化学」。
分散概念の確立期は1900-1915と定められている。

古典物理学から現代物理学への変更が、ちょうど今世紀の幕開けと同等に起こっていることは奇妙な符合ともいえる。

コロイドの本性が微粒子の分散状態であることが明らかにされつつあった同じ時期に、コロイド粒子やそれよりも大きい粒子で観察されていたブラウン運動の実態が明らかとなった。
ブラウン運動が分子の熱運動と本質的に同じ性質のものであるという理論は、Perrinによって『ブラウン運動と分子の実在性』(1909)と題した論文の中にまとめられた。→「原子」

同じ頃、Svedbergも限外顕微鏡を用いてコロイド粒子のブラウン運動を研究し、それがSmoluchowskiの理論に一致することを認めた。


             

Perinやウプサラ大学物理学研究所Svedbergの仕事は分子の実在を証明し、物質の不連続的構造を明らかとした意味で、われわれの物質観の歴史に大きな功績を残した。



the elements27

2011-10-07 20:00:00 | colloidナノ
あの「コロイド化学」が座右のある謂れは、表1-1「コロイド・界面化学史と一般的物理化学史との対応」と、いえる。

すぐにきづくはずなのだが、注意してみないと見損じる。

④このような年表の手本を文献の中で探しだせなかったので、年表はすべて立花太郎筆者一人の判断によって構成した。
論文の選択についてはなお検討を要するが、ひとまず試案を示して専門家の批判を待つことにした。
できるだけ原報にあってみたが、古い文献は2次資料によった。応用化学上の問題には触れなかった。

⑤物理学の発展段階をこのように認識したのは史実の巨視的観察の結果である。現在における段階は物理化学の中の分野によって必ずしも同じではない。

その特徴は、巨視的んい眺めてみると、歴史の節目とでもいうべき、幾つかの"相転移点"を見つけだすことができる。そこで時代区分を行ってみると興味あることに、それが物理化学の発展段階とよく対応していることである。
結論を一言でいえばコロイド化学も一般物理化学も時期を同じくして、
現象論的段階→実体論的段階→構造論的段階→理論的段階→・・・へと、同型のパターンをたどって発展している。


ゆらぐ"わたしの史観"
 現象論的段階  →実体論的段階 →構造論的段階  →理論的段階→・・・・
 -1899世紀末の美 -1915毒ガス   -1949「1984」  -1962沈黙の春→・・・・



the elements26

2011-10-06 20:00:00 | colloidナノ
座右の書という言葉があるが、それは座左の銘と言うべきであろう。それが「コロイド化学」である。

近くには"コロイド科学"もあるが、それは座右にはないので、その記憶の欠片をたどる。
               

何故、Science (from Latin: scientia meaning "knowledge") Wissenschaft、科学等になってしまったのであろうか?と読み進めた由縁であろうか、権威をもっての詳細な定義づけに対する執着、その心に応じて、自ずと区別が働いてしまった。

それゆえにであろうか、すっかり言葉尻をとらえて遊んでしまった!気がする。
つまり、古くて新しい科学とは?その定義をある種の疑念を抱きながらよみすすめたのであろう。そのような事を、云々と唸るが如き執着心はおく。

北原文雄それから青木幸一郎を訳者とする「コロイドと界面の化学」(廣川書店、昭和58年)を紐解き、その著者の経歴を記しおく。

Shaw博士は1933年英国リバプール生まれ。1955年the University of Liverpoolを卒業。1958年吸着した生体物質の電気泳動的挙動に関する研究で学位を得た。
1958年から1960年まで、カナダのBritish Colunbig大学で広帯域核磁気共鳴の研究に従事、1960年英国のUnilever Reserch Laboratoryにはいり、主として凍結エマルジョンのレオロジー的挙動、吸着したタンパク質の電気泳動的挙動の研究を行った。
1962年からLiverpool Regional College of Technologyの化学生物学教室のsenior lectureである。
本書の内容の大部分は、この数年間行ってきたColloido and Sueface Chemistryの講義をまとめたもどである。

訳者のことば。
いままでコロイド化学および界面化学とよばれてきた分野は、コロイド"科学"というべき分野であって、最近世界的にColloid Scienceという語がもちいらるようになってきた。
この語の示すように、この分野は物理化学の一分科から発展して、総合科学としての性格を帯びてきた。略
本文において記す言葉。
コロイド科学は、物理学および物理化学のある分野と最も関係が深いのは事実であるが、非常に多くの学問分野にまたがる主題である。
大抵のコロイドは複雑であるため、問題をこれらの主要な分野の多くと関連がつくような正確さでたやすく処理できないことがしばしばである。・・・・
コロイド科学の特徴的な面は研究される系の種々の物理化学的性質のうちどの性質が相対的に重要であるかということによって決まる。後でわかるように、コロイド系全体としての性質に最も寄与する因子は、
①粒子の大きさ②粒子の形とたわみ性③表面の性質(電気的性質を含む)④粒子ー粒子間の相互作用⑤粒子ー溶媒間の相互作用等、である。






「生命とは何か」

2011-09-19 07:00:00 | colloidナノ
期待以上の出来栄えとも言えるが、それは一重に最も期待されていなかったであろうと思われる、嫌われものの化学によっていたことは、実に象徴的である。



京都大学 愛媛講演会は盛況であった。
「生命とは何か~物質と細胞をつなぐ視点から~」

感想を記す。

その一つは、生憎の悪天候であったにも関わらず、まるで予約されたかのようにほぼ定員一杯の300名の参加者があった、その企画力を想う。

その二つは、期待され、狙われた事でもあった高校生の参加が目立ったその事。

その三つは、知名度の高い演題が平凡と映った反面、上杉志成教授が際立ったその演出。

松本紘総長から男前といわせただけあって、なかなかの講演であった。



            
唯一配布試料の無い講演ゆえに詳細はおくが、ペプチドではない細胞接着分子を人工化合物の視点から提示する事に成功している。その生活活性小分子化合物はアドヘサミンと聞こえたが定かではない。
ダンベルのような構造をしていてタンパク質等へ、寄り添っていけるのみならず、かつ機能を発現するのであろう。と固唾をのむ瞬間に、時間切れと笑を誘ったのも印象的であった。


さて、教授が高校生の質問に答えた、研究者になるための資質とは、恰も、自らの紹介そのものではなかったかと思える。
                            
①ユニークな個性。それはグループに入ってみて気付くようなもので、教授の場合は京都大学に入学してみてそれに気がついたのだ。
②そして、しっかりとサイエンス的な説得力をもつ言葉をもってつむぎ出し、きずく事。


最も印象的であった最後の言葉、「生きものは全て、化学なのです!」







第3回ドイツ・イノベーション・アワード「ゴットフリード・ワグネル賞2010」授賞





終わってみると、その全体が心地よい調和に揺らいでいることに気付いた。
恰も、揺らぎのmesoscopicメゾ領域でもあるかのようでもあり、あるいは、方便の「道具箱」cat!の驚きと言うべきか。

Thomas Graham 20

2011-08-29 09:00:47 | colloidナノ
               世界化学年

執拗低音でもあるかのごとく纏わりついた拡散の、そのみちのべにコロイドの世界があった。

Thomas Graham は1869年9月16日に、その幽冥界を異としたのであったが、その同じ年の2月17日に、ドミトリ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフがあのperiodic table周期表を閃きその日のうちに仕上げる事に成功した。         
    
              

世界化学年というべき年を定めるとすれば、1869年を置いて他にはないと信じて好い。 



さて「かこさんのようになる!」って、一体どう言う事だったの?

あの⑨章は「化学のカレンダーをつくった青い鋭い目---ドミトリ・メンデレエフ」である。


君たちは少なくとも月に1度は床屋にいくだろうが、ドミトリ・イワノビッチ・メンデレエフときたら、年に1度しか散髪をしない人だった。しかし、その長くのびたかみと広いひたいの下には、青くすんだ鋭い目があった。
ぼうぼうのびたあごひげは、がっしりした肩や胸にたれていた。その眼光や体つきのようにメンデレエフは、物質のもとになる性質をズバリと見ぬき「化学のカレンダー」といわれる元素の周期表をみごごにまとめあげた大科学者であった。

どんなふうにしてそんな大科学者になったのだろうか?「化学のカレンダー」とはどんなものなんだろうか?

ドミトリは1834年シベリアのトポルスクで14人もの兄弟の末っ子として生まれた。父は高等学校の校長先生だったが、ドミトリが生まれた年、目の病気がもとで盲メクラとなってしまった。
気丈な母は、古いガラス工場をゆずりうけ、それを経営して大勢の家族をやしないながら、子どもたち一人ひとりを熱心に教育した。しかもそのなかで小さな教会をたて、日曜学校をひらいて村人のためにも力をつくした。


メンデレエフはペテルスブルグ大学を卒業し、やがてそこの先生になったとき、大きな厚い化学の本をかくことになった。その原稿をねりながらどんな順序にかいたらいいかまよっていた。

地球上の物質をこまかくわけてゆくと、当時約60の元素からなりたっているのがわかっていた。
たとえば、よく知られいる元素には水素・炭素・酸素とかがある。それを化学者は共通の記号H・C・Oなどであらわしている。しかしそれらの性質は、軽いもの、重いもの、臭いもの、はげしいものなどまちまちである。

なにかもっと整然として規則的な並べ方はないだろうか-----メンデレエフは考えた。そしてそれまでの学説と新しい実験結果をもとに、1869年ロシア化学会で一つの論文を発表した。その内容はこうであった。

①元素を原子量とよぶ重さの順に並べて表にすると、おなじような化学的性質・物理的性質のくりかえしがあらわれる。
②この表によって、いままで発表された原子量のまちがいを正しくすることができる。
③表のいくつかの空白のところはまだ発見されない元素で、その性質をくわしく予言できる。

このメンデレエフの考えにもとづいてまとめられたのが、「化学のカレンダー」とよばれている元素の「周期表」である。

その後元素の数は百以上になったが、
①でメンデレエフがしめした元素のくりかえしの性質はいまも変わらず、ますますその正しさがはっきりすてきている。
②の原子量の訂正は、白金の197が198、ウラニウム120が240など、数十をしめし、そのいずれも正しかった。
③の予言は十元素におよび、とくにエカボロン、エカアルミ、エカシリコンと仮にメンデレエフが名づけて予言した性質は、その後スカンジウム、ガリウム、ゲルメニウムとして発見されたとき、だれの目にもこの「化学のカレンダー」周期表のすばらしさがわかるほどぴったりあっていた。


カレンダーを見ながら、君たちが教科書の準備や休日の計画をねるように、この「化学のカレンダー」である周期表のおかげで、研究者や技術者たちはいろんな化学反応を考えたり、未知の化合物をつくる手がかりを見つけることができるようになった。
しかもこの周期表にしめされている元素のくりかえしあらわれる性質は、化学だけでなく自然科学全体の考え方にも大きな影響をあたえることとなったのである。

こうして1907年、73歳でなくなったこの青い目の大科学者を記念して、101番目の元素はメンデレビウムと名づけられている。



                       
あの1869年には大坂舎蜜局が開校された。